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2019年5月5日日曜日

ポルトガルのお菓子 (マカオにて) 序文




大型連休直前、香港&マカオに行ってきました。
今回は、旅行のお仕事絡み故、ほとんど自由がきかず・・・。
なので、代わりにここらで2009年以来折々に旅して拾い集めてきたことをついばんでブログに書いてみようと思います。

マカオ訪問の機会が巡って来る度に、光景や空気に、うねりのような変化を感じてきました。
特に香港サイドの深圳の発展ぶりや、マカオサイドの珠海地区や橋で繋がる島コタイ地区の変貌ぶりには驚かされっぱなしです。世界遺産となっているポルトガル領時代の街並みを辛うじて温存しつつも、カジノタウンとしての様相には益々拍車がかかっている模様。
そして昨年秋には遂に、香港—マカオ間55kmもの海上に港珠澳大橋が開通('18年10月23日)。これぞ「富める中国人の為の、カジノへの架け橋w」。
いやぁ〜〜、スゴイ・・!)))

阿媽(海の安全を守る神様、媽祖)の湾(アマガオ) → マカオ。
この名前の由来が物語るように、今やラスベガスと肩を並べるカジノ街も、欧州が大航海時代を迎える15世紀までは、小さな漁村の集合体のような所だったのです。
15世紀以降、世界の大きなうねりの中、西洋と東洋の中継地として、小さいながらも政治、経済、歴史上、重要な役割を果たしす場所として発展してきたのでした。

バスコ・ダ・ガマのインド航路発見(1498年)を機に、欧州列国がアジアへやって来るようになりました。その中でも留意すべきは、カトリック・イエズス会のアジアへの布教活動です。
この時期、ヨーロッパでは、カトリックの権威が揺らぎ、宗教改革の動きが起こっていました。そんな中でカトリックを盛り返そうと興ったのがイエズス会。航路の発見と共に広がる新しい世界への布教へと乗り出した。。。
日本史でお馴染みのフランシスコ・ザビエル(スペイン・バスク人です)もそのひとり。彼は、マカオへは来ていませんが、マカオの西南にある上川島に足跡を残しています。

島国日本では、突然ポルトガル人(スペイン人なんだけど)が現れたみたいに記録されますが、海の外では、その前から大きなうねりがあり、波風が立っていたのです!!
そんな“波風”の水しぶきを一番に受けたのは、本土ではなく、琉球やら種子島やら、対馬や五島列島やらの離島なのだ)))。

歴史の話はさておき(かなり乱暴な削りすぎの内容でお許し下さい)、その地の食に残された痕跡を拾い上げて、確かな記憶にしておきたい。
食のグローバル化が進む今だからこそ、心に留めておきたいと思うのです。


前置きが長くなりました。
次回は、食談談儀を♪


2018年6月14日木曜日

弾丸上海


6月9〜11日、弾丸上海へ。

蘇州滞在中の健脚5名と合流し、歩き、食べ、歩き、食べ・・・。

世はネット時代ですが、空気を感じるということの替え難い意味と説得力を、改めて痛感した次第です。健脚メンバーは、そのことを熟知している「足を運ぶ」世代。
私も、その末尾におります。

これまで、徒労もあります。失敗も、ちょっとコワイ経験も。
だから度胸が付くというものでもなく、怖さを知るほど恐がりに、心配性になる気もする。
でも、起こったことに、向き合う強さは身に付いている気がするなぁ)))。

今回は、仲間を得て、ある意味気楽な旅でした。

毎日1万2千歩ぐらい歩いたけどさ〜w。




2016年12月7日水曜日

武則天(2)

「天にあっては、比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」 
詩人白居易の「長恨歌」の中の有名な一節。
安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗帝が、楊貴妃に語ったとされるくだりです。

楊貴妃は、蜀(現在の四川省、三国志では劉備の国が蜀)の出身でしたが、実は武則天も蜀の出身。奇遇にも、唐を揺るがした女。ちなみに、玄宗帝は、武則天の孫に当たります。

あまりに有名な楊貴妃と玄宗帝のお話ですが、その少し前の伝説的な女性が「武則天」。
日本人にはちょっと馴染みの薄い人物だけに、このドラマ、興味深く全82話(!)を見終えました。どの程度歴史に忠実に描かれているのかは分かりませんが、系図についてはかなり正確に描かれているようです。【下図参照】

唐の二代皇帝李世民の才人(後宮の女性)でありながら、次代皇帝李治の皇后となる武則天。
ドラマでも、書物をよく読み知性の高い女性として描かれていますが、彼女は女帝となっていた14年間で元号や称号を度々変えている他、漢字も新しく創ったりしています。政治権力維持や統制の為の意図もあったでしょうが、教養の高さを感じさせるものです。

先に「唐を揺るがした女」と書きましたが、武則天の治世の元号を周としたりということもあり、李氏一族の統治から逸したという意味では「唐を揺るがした」といわれるのかもしれません。が、二代皇帝李世民、三代李治、そして李治の子どもへと繋ぎ、最終的には李治の皇后として同じお墓にはいるのですから、きっちり国を治めた人物なのではないかと想像しています。実際、武則天の治政は安定していたといわれます。
李治の次の皇帝の座を巡っては、その後を継いだ皇子立ちの在位期間は短く、様々ないざこざや陰謀があったのかもしれないと思わせます。
やっと落ち着いたかに思える玄宗帝の代は、唐が最も栄華を極めたとされる時期です。
名君と伝えられる玄宗帝ですが、両腕となった官僚は武則天が見出し引き揚げた人材だったそうです。

そんな唐代。日本は奈良〜平安。思いを馳せるには少々遠いのか、戦国時代にくらべるとあまり人気のない時代ですが、中国ではこの時代は、三国志と並んで、何度も何度も描かれドラマが製作される思い入れの強い時代のようです。
中国人の中華思想やプライドも、世界に馳せたこの時代の栄華が根っこにあるのかも!??

年号が唐から宋、宋から元、元から明、清・・・と移り変わっても、日本人は「唐モノ(からもの)」「唐モノ」と言って、中国=唐というイメージを長く持ち続けていたのですから、その文化的影響力は、否めません。

ドラマ『武則天』。
ファン・ビンビンをはじめとする俳優陣のスタイルや身のこなし、ハデハデの衣装や調具品は、今の中国のテイストを反映しているのかもしれませんが、この時代の、人の命の在りようなどは、なんとなく「そうだったかもしれない・・」と思わせるところが多々ありました。

李世民役のチャン・フォンイーや李治役のアーリフ・リーなど、華のある役者でガッチリ固められたキャスティングには、中国のパイの大きさがひしひしと伝わってきます。

チャンネル銀河につづき、BS12での放送も始まっている様子。
http://www.twellv.co.jp/event/busokuten/archive.html

82話は大変ですが、やっぱり見応えあります。オススメです。





【『国をゆるがすおんなたち』より】



2016年9月24日土曜日

武則天(1)

武則天(日本では則天武后とよばれる)役に、中国トップ女優のファン・ビンビン、唐の名君、李世民にはチャン・フォンイー(レッドクリフの曹操役)等、豪華キャストを据えた高予算(!)中国宮廷ドラマ。

武則天は、中国三代悪女 - - - - 呂后(漢代)、武則天(唐代)、西太后(清代)- - - - にもあげられる中国史上唯一の女帝。
(巷には、悪女三人の中の、武則天と江青(=文革を指導した毛沢東夫人)を入れ換え三悪女となさる方もいらっしゃるようで。お三方の中では悪女度は3位ということでしょうか(??)。)

悪女の根拠となる逸話は、血なまぐさい陰謀と残酷さにまみれていますが、残虐さが強調される逸話とは反対に、ドラマ前半40話では、武則天の強運と賢さで数々の陰謀をくぐり抜けていくというストーリー展開です。

これはあくまでドラマですが、思えば、歴史上で「悪女」と呼ばれる女性に共通するのは、男勝りで知勇に優れていること。ついでに美貌も兼ね備えたていたりする。そんな女性が、歴史の表舞台に立たんとするとき、時代時代の「世間」が彼女らを「悪女」と位置づけるようです。
運命に翻弄された部分が多いとはいうものの、権力闘争と妬みをくぐりぬけ生き残るには、美しさだけではダメで、頭の良さが必須(!)。智恵を駆使して乗り越えていくうちに、気がつけば、自らの手をも血で染めてしまっているということなののかもしれません。

ドラマでは、正義感あふれる若い武則天が大奮闘していますが、82話まであるんだとか(^^;)。さて、どう着地するのでしょうか???

ドラマでの衣装に料理、お茶、毒薬(毒殺に出てくる生薬)・・・歴史考察はけっこう甘く、ついつい突っ込みをいれたくなりますが、なかなか手の込んだストーリー展開。はたまた、折々に魅力的な響きの四字熟語や漢詩がでてきたりなんかして、つい見続けています。

それにしても、ドラマでの宮女たちの髪型がすごい!!
マリー・アントワネットの、頭に船を乗せた髪型がありましたが、アントワネットもびっくりの巨大な頭(笑)!
        

・・・・流石に、これは違うような気がしますけれども。)))

手持ちの本には、こんな絵が載っていました。
唐代の宮女たちのティータイムの様子です。

宮楽図(唐代)
重いものを持つことなど無さそうな後宮の女たち。実は、大きな荷物を頭に乗せて歩くインドやアフリカ、東南アジアの働き者の女達にも勝る筋骨の持ち主やもしれません(??)。

いやはや・・・・。

もしドラマに出演した女優さんたちにインタビューできるとしたら、是非この、ものすごいカツラの感想を訊いてみたいところです。

オシャレは、美しさの強調というより、威光の象徴、強さの表現だったことだけは、なんとなく分かります。

それから、髪型や結い方で、身分の高さが表現されているというのもあるのでしょう。
ドレスのような着物の装いや派手な髪型や紙飾り・・・やりすぎるとなんだか吉原の花魁みたい。


勝てば官軍。塗り替えられる歴史のストーリー。
はたして武則天はどんな女性だったのでしょう? 歴史は永遠のロマンだ〜〜))))。

ちなみに、武則天は、ファン・ビンビンのような清代美人像の細顔ではなく「方額広頤(=四角い額と広く張った頤(エラ))の「美女」であったとか。

龍文石窟の盧舎那大仏(河南省洛陽市)は、武則天が自らに似せて造らせたとの伝説が残っています。

 どう??





2015年5月30日土曜日

担々(タンタン)


中国・清代のお茶売りの絵。点心とお茶を両天秤に担いでいます。
ヤカンは、お茶が冷めないように布でぐるぐる巻きにされているようです。

天秤棒のことを「担々」といい、「担々麺」は、かつてこうやって行商された麺だったところからついた名前なのだそうで。

小腹が空いた頃、担々麺売りが辣油のいい匂いを漂わせながら通りを売り歩き来たら・・・誘惑には勝てませんよね。


2013年6月10日月曜日

Hong Kong Souvenir to myself


左手前から、香港式ワッフル型、月餅型(木製・プラスチック製)、エッグタルトの型、料理本・・・。
今年いっぱいの沢山のおもちゃをゲットした気分です♪


2013年6月6日木曜日

紫砂壺


 片口が好き。急須はもっと好き。


技巧を凝らした茶壺・・!これはもう仏具の世界です・・・凄すぎる)))。


すっきりと、なんともバランスのよい美しい茶壺。
眺めているだけで、心が落ち着きます。

これまたがんばっちゃいましたね・・・。龍に桃に・・・家の繁栄への祈りが強烈です。


蓮の花のイメージでしょうか。))
これも仏具のような雰囲気を醸し出しています。使い勝手は・・・置いといて(笑)。

この安定感・・・!
シンメトリックとアシメトリックが同居した茶壺。  

南瓜を模した茶壺の多いこと・・・!
リアル過ぎると引いてしまうけど、これはなんとも美しい。

唐代に珍しく茶壺!?
唐三彩の色調・・・みどりがなんとも美しい!
優しいフォルムです。

2013年6月5日水曜日

香港 2013


駆け足の香港。
32℃の気候に、気力を奪われそうになりながらも歩き回りました。

香港のセントラルパーク、香港公園で、暫しの憩いのひととき・・・。


2012年9月15日土曜日

怪食!? かいこのさなぎ 

大連市街地の露天市場で・・・。繭をとった後のカイコのさなぎです。

コレを素揚げにして食べるのだとか。海老の唐揚げみたく、サクサクッと美味しい(現地人曰く)らしく、とっても滋養のある食べ物だそうです(^^;)。
これ三つで卵1ヶ分ぐらいの栄養価!??・・とか。
日本でもカイコを食べる地方があるそうですし、カイコを食べさせてくれるお店もあるようですが、いかがでしょう??  Can you challenge this??




<オマケ>
写真はトマトのサラダ(北京郊外のレストランにて)。
グラニュー糖がどっさり掛かって出てきたのでビックリしました〜〜〜。
でもコレ、戦前の日本でもやってたらしいですよ(依・昭和一桁生まれの方の話)。

2012年9月11日火曜日

亀と鹿の・・・

北京市街から車で1時間半。ここでは、亀と鹿の養殖が行われていました。
だだっ広い敷地。人は殆ど見かけません。(中央は私達一行)
静かですが・・・。亀を養殖している池です。
最寄りの屠殺場から豚の血が運ばれ、亀の餌にされています。
豚の血をエサにすると、3−4倍のスピードで大きく育つのだとか。
中国の女性は産後、亀を食べるので、これもおカタいビジネスなんだそうです。
バンビちゃん。
この子達は食べられることはありません(ホッ)。
角を取って、漢方薬(鹿茸)にするのです。

2012年9月10日月曜日

小麦・小麦・麺・麺・面包

<過去の市場写真を整理中>
まだデジカメが無かった頃(もちろん北京オリンピック前)の中国・北京市内の市場で撮った写真です。

看板左上部分、白菜が・・・! 中国の人って白菜の形、好きなのでしょうか??
故宮博物院で人気を集めるヒスイを彫った白菜「翠玉白菜」も、なんで白菜を彫っちゃうんだ!?・・・と、不思議でしたが、白菜は、「百財」(=「財に恵まれる」の意)と同音。縁起を担いでいるようです。
この看板も、商売繁盛〜!みたいな市場の志気を添えているのでしょう。
麺・麺・メーン!

最高に美味しそうだったこのパン! なんだか西アジアの雰囲気が漂います。
(チャパティではなく醗酵生地です)

餡入りの生地。これから程良く無造作に成形されます。

市場の外の少し近代的なスタンドで・・・。
無造作感あふれる焼餅(パン)が美味しそう・・・!
老北京。 辺りはまだこんなところも残っていました。

2011年11月3日木曜日

月餅型



お菓子の型いろいろ。
月餅以外にも、マカオ名物「アーモンドクッキー」の型も、同様です。

木板に彫られたくぼみに、饅頭皮とあんこを入れて包み、型押しし、取っ手をもって、トントン叩いて型から饅頭を取り出すのです。
(くぼみの横には小さな空気穴があります。)
何かと力仕事の月餅作り。

使い込まれた道具は、油脂を吸って、艶やか。

フカヒレ

マカオ 問屋街の一角にて

高級食材フカヒレ。
透き通るようなコラーゲン質のかたまり・・・・の始まりは、こんな光景から。
干しただけの皮付きヒレ(手前)を「そうじ」して・・・・戻して皮を剥いて、あーして、こーして・・・。
さらにもどして、さらに何度も煮こぼして・・・・。
人の手が作る「高級」までの道のりの始まりです。

2011年11月2日水曜日

冬虫夏草


冬虫夏草。
日本で買うことを思ったら・・・と、ちょっとそそられたけれど、それでも高価。
軽く手の平にのせて、測ってもらったら1〜2万円(ギブアップ)。

写真は、カジノホテル・ベネチアン内ショッピングモールで、ショーウインドウに飾られていた物。
ウン十万円也。

こういうものは、やっぱりカジノで勝った人が買うのでしょうか)))。

「冬虫夏草」。
チベット、ヒマラヤ地方、雲南省あたりが原産(コウモリガ科の蛾の生息地)。
蛾の幼虫にキノコの菌が寄生してこのような姿になるらしいですが・・・・。
キノコなんだかイモムシなんだか。

益腎補陽の強精強壮・不老長寿の妙薬。細胞免疫力を高めるとされる高貴薬。
アガリクスの17倍、キノコの170倍もの多糖体βグルカンや、メラトニンと含むことから、その効能は化学的にも裏付けされているようです。

イモムシ系のものに滋養があるというのは、世界各地の虫食をみわたすと浮かび上がってきます。そのイモムシを栄養に育つキノコ・・・生態系ピラミッドが逆転した化学変化がおこるのかも!??


家鴨のお腹に冬虫夏草を詰めて煮る薬膳スープがあるそうですが・・・、お腹の中で乾物の冬虫夏草が「戻った」姿を想像すると、なんだかグロテスクじゃありません??
何かとオカルティックな中国の食風景です。



2011年10月26日水曜日

澳門


マカオ側の埠頭16号 から対岸中国本土のビュー。
フェリーでほんの10分の距離です。


こちらは反対のマカオ半島側のビュー。

2011年10月25日火曜日

澳門

歴史地区のランドマーク セント・ポール天主堂跡
(舞台のセットみたいでしょ。焼失してファザード部分しか残っていません)
マカオ半島には、キリスト教弾圧の時代に日本から移り住んだ日本人たちの痕跡や・・・
海外貿易の拠点だった痕跡が・・・・



道教に伝わる航海の女神が祀られた廟には、1カ月燃え続けるという線香が吊されています。

 

ポルトガル領土だった痕跡も・・・

(ポルトガルから運ばれてきた装飾タイル・アズレージョのタイル:民政総社にて)

2011年10月19日水曜日

ライスフィールド Rice field in Kaiping (Canton)


田んぼ・・というより、”ライスフィールド”と呼びたくなる風景です。
広東省開平(カイピン/kaiping)。
この辺りは二毛作。水源が豊かで、畑の中に人口の池を作って田鰻や海老、鯉などを養殖していたりもしているようです。

* * * * * 

広州から南西へ160km。広東省の中南部にある開平市。世界各地に暮らす華僑三千万人、その1割がこの辺りの出身なのだそうです。

広大でのどかな農村に、なにやら似つかわしくない建物ですが、清代中期、社会的な混乱期、防犯と水害へ備えるために楼閣(diaolou)が作られ、清代後期になると、海外に移民となり成功した人達が故郷に送金したり戻ってきて西洋の様式や文明技術を取り入れ建てたものだそうです。
共産党政権成立後は、居住者の殆どが海外に移住したため多くが廃虚になっているそうですが、営みのある一角も・・・。2007年には村落と建物が世界遺産に登録になりました。





赤坎鎮 ( Kaipei in Canton)







同じく開平市の赤坎鎮にある明代からの街並み。
当時は「文化住宅」だった!??

お昼ごはん (Lunch at Kaipei)



「食は広州に在り(食在広州)」なんて言われる広東省の食文化も、その黄金時代は1920年代になってからのことなのだとか。世界各地で成功を収めた華僑たちの冨が反映された時期と重なります。)))

そんなモダンなイメージからはほど遠いですが、開平の家庭料理(写真)です。

この日の定食メニューは・・・ 
・黄鱔飯(ホアンジャンファン) 田鰻の炊き込みごはん
・腐乳炒菜(フゥーツォウツェイ) 白腐乳を使った青菜炒め(空芯菜?)
・蓮根の煮物
・豚肉の照り焼き(揚落花生と共に)
・里芋とずいきの豆豉煮
・青梗菜のスープ
・(写真外)スターアニスの陳皮かけ

一見地味なのですが、コレがどれも本当に美味しい(!)。
日本の家庭料理にも取り入れやすい物ばかりなのに、どこか「この味、出せるかなぁ・・」と思わせる何かがあります。
あの竃でも、こんなお料理が作られていたのでしょうか)))。

*田うなぎは、田の畦、 川や湖沼などで取れるどじょうのような小振りな淡水産の魚。
旬は夏・・らしい。


竃 



開平のちょう楼内にあるキッチンです。中華鍋用の竃が2〜3口ついた竃が・・・。

一夫多妻制が当然だった頃、財力のある家長には、第1婦人、第2、第3、第4婦人・・と、複数の妻がいて、各階をもらって住んでいたようですが、各自自分の台所を持っていたところが面白い。
非常時には、少しでも多くの食事を賄えるようにという配慮でもあったとか。
ヨーロッパから取り寄せたタイルの床(写真下)、当時はさぞやモダンだったのでしょうね。))




壁にお箸が立てかけてありました。
お茶碗と、お箸があれば・・・食事風景までは欧米式とはいかなかったでしょうか。