2021年1月26日火曜日

如懿伝(6)女性たちの装束 2

 



こうやって改めて見ると、日本の着物にも通じる美しいシルクの装い。
首に付けた白いネッカチーフは、領巾” (Lǐngjīn) ” というらしい。  
http://mangotokyo.livedoor.blog/archives/21842802.html


皇太后と皇后が取り仕切る後宮の朝礼でも・・・





























柄物、色物もあるようですが、改まったところでは大抵白を付けているようにお見受けしました。まるでワイシャツの白のよう。
あるいは、着物の白い半襟か。)))
この白が、キュッと引き締め清潔感を醸し出しているように思うのでありました。
かの西太后も領巾を。


そして、足元は、中華版ハイヒール「花盆底靴」、またの名を「馬蹄靴」。
木製のヒールに白い布が被さっていて様々な装飾がなされています。
小さな足を良しとする美意識はあったようですが、満州族は纏足はしません。
女性もアクティブに、時に馬にまたがり鐙で「どぅ・・どぅ・・!」とやるのだ♪
不自由さを伴う足なんてあり得ない。
でも、これを履くと、スラリと見えるし、小股で慎ましく歩かなくてはならないので、優雅とされたようです。

吉原花魁道中にある外八文字歩きの高下駄に勝るとも劣らず。いや、こっちの方がむずかしいだろうか??(でも高下駄は重たそう・・!) 

https://navicon.jp/news/57552/

海蘭役のチャン・チュンニンさんなどは、この靴を履いて歩くのははじめてだったのだそうで、大変だったそうです。https://navicon.jp/news/57552/

晩年の皇太后は、ゲタ型ではなく底圧型、あるいはブーツのような靴を履いていました。
安全性のためかな?









 



















<つづく>

如懿伝(5)女性たちの装束 1

すっかり間があいてしまいましたが、如懿伝談にもどって、昨年からの続きを。

このドラマは、衣裳やセットが素晴らしいことでも話題となりました。
なにせ総製作費96億円(!)。ショボい訳ありませんわ。。。
もうね、このドラマ見た後、日本の歴史ドラマを見ると、なんだか「セットですよ〜、撮影所でつくってますぅ〜」と映像が見えてしまうのですわ。。仕方ないのですけれども。

歴史学者や専門家たちの監修のもと、よりリアルな宮廷を再現。アートディレクターはユイリアム・チョン氏、衣装デザイナーはチェン・トンシュン(陳同勲)が担当。
素晴らしい衣裳にはとかくファンタジックな世界感が入りがちだけれど、時代も随分下って実物や写真等の記録も多く残る清朝だけに、それはもうかなりリアルな印象です。
私達が「チャイナ服」と呼んでいるものの原型が見られるのもこのドラマの魅了。

「チャイナ服」の原型は、「旗(キーパオ)」という衿やスリットに特徴のある民族衣装。
これ、防寒対策と馬に乗るための機能性を兼ね備えた結構アクティブなものなのでした。
 先にも触れたように、清朝は、朝鮮半島北西にひろがるエリアに根ざす満州族の国で、寒い土地の騎馬民族で、元々は狩猟民族の顔も持っていたはず故に衣装は、前がはたけないように深く重ね、しっかりとボタンでとめられ、旗人を包む→旗袍(キーパオ)の名前の通り、しっかり「包まれる」作りになっています。※旗人=満州族の社会組織・軍事組織である八旗に属した物の総称。


宮廷の女性達が着ているものは、その発展型なのでしょう。華やかで、の下に何枚も重ね着可能なゆったりとしたドレス的スタイルとなっています。その一番下には・・・ズボン(!)。

あるお妃の寝間着姿はこんな感じ。重ね着の一番下はこんなふう。
パジャマだわ〜♪

寒い乾燥地を駆け回ってきたこの民族は、きっと入浴の習慣もさほどありはしなかったのではないかと想像しますが、ドラマでは小さな浴槽に入るシーンが何度かありました。また、皇帝の寝室にはどうもオンドルの設備があるように見受けられ、玉座の足を置く部分にも、片足ずつ火鉢のようなミニオンドルのような設備がされており、足を温めるようになっていました。

お妃たちの冬の装いは、さらにこの上に旗包にファーのちゃんちゃんこ(ベスト?)を着ていたり、長ーいマントを羽織ったりしています。なんだか今でも「あるある」のスタイル。

皇帝が、狩りの獲物の毛皮をお妃や皇太后にプレゼントしたり、お妃たちも乗馬をこなしたりと、満州族のルーツを彷彿とさせる場面も多々ありました。

ドラマのシーンは宮廷内が殆どではありますが、後半は中国の広大な大地が描かれ映像美が楽しめます。




 ちゃんちゃんこベストを着た舒妃。(葉赫那拉氏/エホナラ氏)

狩りを楽しむ皇帝たち


広大な大地。遠くには長城が。




如懿の皇后就任の式典は壮観。
ドラマのクライマックスのひとつ(第47話より)。


刺繍と砡が散りばめられた衣装には裃のような肩の付け衿(?)が付く








衣装には龍。頭には沢山の鳳凰のお飾りが。


2021年1月12日火曜日

テリーヌ v.s.パテ





12月半ばに注文しておいたオー・ボン・ヴュー・タンのテリーヌがやっと届きました。
セットのみの販売。

テリーヌは、とてもフランスらしい食べ物だと思う。
フランス人のやっているビストロでは必ずメニューにはテリーヌやパテがあるし、またそれが美味しいのだ。
少々乱暴な言い方かもしれないが、料理のルーツを鑑みて言うなら、日本のお魚料理でいうところの「あら炊き」や「煮こごり」、あるいは「かまぼこ」、「はんぺん」…だろうか。半端な部位をキモや血など合わせて練り固め、ハーブやスパイスの芳香でまとめ、型焼きしたりパイ生地に包んだりして美しくまとめるのである。肝を美味しく食べること、内臓や皮等をくまなく食べる料理があることは、その食材がその土地の食文化の、それこそまさにキモになっている証拠だと思う。
そんな料理を、フランス料理を愛する料理人が大事にするのも、そしてアートと昇華させるに至るのも必定か。))


河田勝彦さんのフランス伝統菓子の店オー・ボン・ヴュー・タンは、2015年に移転拡大。その折に、河田さんの次男 力也さんがシャルキュトリ部門を開かれました。こちらもフランスそのままの味を提供しておられます。
シャルキュトリとは、ハム、ソーセージ、パテ、テリーヌなどの食肉加工職のこと。その職人のことをシャルキュティエといいます。日本にはあまり馴染みがないけれど、中国料理に点心師という専門職があるように、フランスにはシェフとは別にシャルキュトリやパティシエがあり、力也さんは日本のその分野における開拓者のひとりとも言えます。
戦後、平和の象徴・甘い洋菓子に始まり、ワインブームを経て、21世紀はワイン通フランス通には必須のシャルキュトリ・・・。オー・ボン・ヴュー・タンは、店名でもある「古き良き時代」を醸し出しつつも、ぐいぐいと時代の先頭を行くパイオニア親子のお店なのだ。

「現地の味をそのままに」という思いは、その土地に対するリスペクトでもある。
愛にはあふれているものの、とんでもない日本料理を提供している海外のお店へ日本のプロフェッショナルが乗り込むというバラエティ番組があったけれど、愛はひとりよがりではダメなのよん。
お店にはフランス修行経験者や同業者の訪問も多いご様子。フランスでの修行から帰ってきたところなのか、スーツケースを引きずるお弟子さん(?)を見かけたこともありました。イートインコーナー(現在は新型コロナ対策でクローズ)では、味わいもボリュームもフランスらしい定食を食べて語り合ったり、黙々と何種類かのケーキを味わったり(研究したり?)している姿がみられます。フランスのカフェ同様長々と居座っても、お店の方に嫌な顔されることはありません(笑)。

足を運ばなければ味わえなかったお味が、今、コロナのお陰(??)で、地方発送していただけるようになっているのは有り難い。。。


ところで、テリーヌ(Terriene)とパテpâté)の違いをご存知でしょうか?
添付写真にも、ほとんど同じ風貌にもかかわらずパテ—と呼ばれるものが2品あります。
「テリーヌ」とは、もともと蓋付きの陶製の焼き物容器のことなので、肉や魚のすり身などを香辛料等で味付けし、そのままテリーヌ型に入れて焼上げると「テリーヌ」、パイ皮で包んで焼上げると「パテ」というのが本来の違いだったようです。
即ち、素焼きがテリーヌ、生地で包んで焼いたものがパテ。
パテ(pâté)という呼び名は、パイやパスタの語源にも通じる言葉。
語源辞典で調べてみたら、ギリシャ語Paste(=小麦粉の粥)、ラテン語のpasta(=練り粉) にはじまり、古いフランス語ではPaste(今日のpâte) 小麦粉の生地を指すことばになっているのでした。パイ皮のpâteを指すようになったのは12世紀以降だとありました。
練り粉teが、麺類やパスタを指すPastaへ、14世紀になって英語のペーストPasteという言葉になっていったようです。歯磨き粉(teeth paste)がパイと親戚かと思うとちょっと違和感があるが、ルーツは同じなのだ。ちなみに英語では、パテのようなお料理のことをPastyと呼んだりする。
昨今では、パイ皮の代わりに脂や網脂(クレピーヌ)や葉野菜でくるんだり、型もいろんな形があるようで。
なんだか米文化圏で見る漢字の米偏のような語なんですねえ)))。

最後に、パテ&テリーヌの祭典をご覧あれ!














「現代ビュッフェ料理の真髄」(2007~2015)
ゴブラン会 Association Gastronomique au Japon より


めっちゃ美味しかった・・・!




河田力也さんインタビュー記事(2018)
 ↓

2021年1月5日火曜日

大河ドラマ『麒麟が来る』v.s.『偉人たちの健康診断』

今年は異例の、年をまたぐ大河ドラマ。

前半、光秀に影響した斉藤道三や、信長の人格形成部となるようなエピソードが丁寧に描かれ、既成概念を打ち破る設定に「面白くなりそう!」と見続けてきた『麒麟が来る』。
残りひと月となり、ここへ来て時間経過が早すぎて、歴史上のどの辺りを描いているのか時々解らなくなってしまう。秀吉も、この前まで信長の草鞋取りだったのに随分出世しているぞ。
比叡山延暦寺焼き討ち(1571.9)が終わり、石山本願寺攻略で村上水軍を退散させるのが次回。今が天下布武へ邁進の10年真っ最中。

1月3日の放送では、そんな中光秀が病に倒れ、妻・煕子の献身的介護で回復。その後、煕子が他界しました。
これは、本能寺の変(1582年)の6年前、1576年。

実は私、ドラマではほんの5分程度だったこの部分の展開がとても気になってしまいました。
そこで、これを取り上げようと思います。もうひとつのあの番組を。


『偉人たちの健康診断』
〜明智光秀 本能寺の変 “敵は腸にあり!”〜
(NHK BSプレミアム 2020.1.16放送 / 解説:本郷和人、眞壁雄太、植田美津恵)

この番組では、光秀がこの時患った病は「風痢」(=ノロウイルスのような感染症)であったという記録に基づき「長期に渡る腸炎がレビー小体型認知症引き起こしていたのでは」という仮説を立て検証しています。

眞壁先生の解説によると、レビ—小体型認知症というのは、(神経細胞にできる)異常な蛋白質レビー小体が、大脳皮質や脳幹に広がり様々な異常を起こす病気なのだそう。記憶の海馬が破壊されるアルツハイマー型に対し、レビ—小体型は、海馬そのものは壊されることはないので物忘れはないけれど、視空間的認知障害と大脳の処理スピードの低下で段取り力が落ちるといった症状が。この蛋白質の異常化を起こす原因のひとつがウイルスなのだといいます。
レビー小体の発生は腸や内臓の周囲から始まることが多いとされ、初期症状には、臭覚異常や動作を伴うような激しい寝言などもあるのだそう。

実は光秀は、5月23日に石山陣中でひどい下痢嘔吐に病を発し、この年の5月〜9月の4カ月間床に伏していたのです。妻・煕子は、ドラマであったお百度参りなどではなく嘔吐・下痢・発熱の介看病に当たっていたのであって、そしておそらくは同じ病で同年11月に死去。それがドラマの5分の部分の真相のようです。

病に伏せた4カ月は大きい。体力低下はもちろん、後遺症も考えられる上、愛妻を失った心理的ストレス・・・。にもかかわらず、戦国の世では、休業休養なんてあり得ず、翌年には「職場復帰」です。
そして、丹波篠山の波多野秀治との長期戦に突入。
これまた従来の大河ドラマでもしばしば描かれてきた八上城の兵糧攻め*ですが、1578年の6月迄、実に1年半に及んでいます。
光秀は、この長期戦の決着を付けるべく、母を人質として差し出し、城主秀治を殺害しないことを条件に秀治が信長の元に参じる手筈を取るのですが、信長は約束に反し波多野秀治を処刑。織田側が約束を破ったので人質だった光秀の母は貼り付けの上惨殺となってしまいました。
以前の大河ドラマ『秀吉』では野際陽子が光秀(村上弘明)の母役で、貼り付けのシーンを演じ、スゴイ迫力だったのが印象に残っています。(まさか、、、まさか石川さゆりさんもアレをやるのか!??)この時の光秀の怨念が、謀反の直接的原因では!?…と、よくいわれています。奇しくも本能寺の変は光秀の母の命日でもありました。


番組では、光秀の健康状態から、復帰後の光秀の奇行エピソードがいくつか紹介されました。

1)信長に、武田戦での功労者である徳川家康をもてなす接待役に命じられた光秀。
京や堺からの珍品でもてなしたのに「異臭を放っていた(痛んでいた)」と、信長に足蹴りにされた有名なエピソード。

2)信長の命により 中国地方を攻めていた秀吉の後方支援を命じられた光秀。
戦勝祈願のため愛宕神社に参拝した際、二度三度と 大吉が出るまで引き続けたというエピソード。

3)ドラマでは描かれたことはありませんが、光秀が、出された笹ちまきを笹をむかずにそのまま食べてしまったというエピソードもあるのだそうです。


これらに対し、仮説を当てはめると以下の様になります。

1')光秀は緻密な仕事をする人物なので、このようなミスは考えにくい。
レビ—小体型の認知症の症状には、臭覚障害があるといいます。だから気が付かなかったのではないか・・?というのです。
も、光秀が調理するわけではないし、料理は多数の人が関わるものなので、誰かが気が付いたはず。私はこの説は却下だなあ。)))

2')当時のおみくじとは、自分で選択肢を3つ用意して、それを引くという最後の決断を神に委ねるというものだったそうで、沢山入った中からガラガラポンで引いていたわけでは無いのだとか。故、この行為は異様なのです。
でも、レビ—正体型の認知症が出ていたとしたら…視空間認知機能の異常で、自分が見ているものと実際の場所の位置感がずれてしまう。真ん中を引こうとしても、ずれて右を引いてしまうので「あれ?」、「あれ??」と、何度もひいてしまったのではないかというのです。

3’)は、粽の笹の葉をはがして食べるということが解らなかったわけでは無く、剥かなければいけないと解っていても、その手順を脳内で処理することが出来なかったのでそのまま食べてしまったのではという解析。

どれも呻らせる推理です。
でも、光秀の丹波篠山攻めの指揮ぶりからするとやはり、信長に狂気を感じ「自分がやらないと世の中おかしくなる!という使命感があったのでは!?と思ってしまう。
今回の大河ドラマでも、これまで同様きっとこの説をとるのでしょう。
故、エピソード1は、天下布武に急ぐ信長の苛立ちのサウンドバックになったエピソード、2は、そのまんま、3はドラマでは描かれ無い…という展開に??

光秀は、本能寺の変を起こす ちょうど1年前の6月、家臣たちに向けて「家中軍法」という規則を定め、各地を転々としていた自分を見いだし取り立ててくれた信長への忠義を説いているだけに、病気か!?という説には、思わず「・・かも!」とおもってしまう部分がありました。

決定打のない不可解な謀反の真相。
でも、「腸内細菌が人格を創っている」という理論が次々と展開されている昨今、健康診断ーの切り口は、侮れないなあと思う次第。

また番組では、本能寺に向かう前の行動(真夜中暗闇の中の移動)の心理状態 -------闇夜の中で、思考がどんどんネガティブスパイラルに陥り、耐えに耐えてきた情念が吹き出した------- が大きく影響している可能性も紹介していましたが、やっぱりこれが一番腑に落ちる。
超真面目で忠義心の強い光秀は、必死に信長への忠義を尽くし任務を遂行していく中で、心を殺して腹の底に押さえ込んでいた感情も沢山あったはず。それが、闇夜の進行で吹き出してしまった・・!??


名君の内臓から歴史を紐解く科学の時代も、そのうちやってくるのかもしれません。
人の心の中までもがすべて科学で説明できるとは、あまり思いたくないですが、科学のお陰で守れる人権や名誉も少なくないでしょう。為政者の腹の内もデータで分かったりなんかしたら小気味いい。いずれにせよ、内臓の状態が人の気分や気性に影響していることは必定。

「お腹(=内臓)」、大事にしなくては。



PS:コレ、面白い記事でした。次回の大河ドラマを見るに当たってご参考に♪



*RE:  兵糧攻めで最も有名かつ悲惨だったのは鳥取城の「飢え殺し」。それは光秀の丹波篠山攻めの後で謀反の1年前、1581年のこと。
戦闘での惨状もですが、秀吉&官兵衛ペアの巧妙かつとことん追い詰める戦略は、それはそれは後味の悪い残像となっていたことでしょう。))
過去の大河ドラマでは『黄金の日々』で、このエピソードが割としっかりと描かれました。開城後の炊き出しのシーンは、とても印象に残っています。このドラマのこのシーンで、飢餓状態からの急激な栄養補給でショック死することがあるということを、初めて知ったのでした。これは、代謝合併症の総称リフィーディング症候群(refeeding syndrome)と呼ばれているそうです。


2021年1月3日日曜日

謹賀新年


あけまして おめでとうございます

今年の干支は辛丑(かのとうし)。
「酸・苦・甘・辛・鹹」五行五味のひとつ「辛味」の正体は、
実は味覚ではなく痛みなのだとか。
なるほど痛みを伴う年かと思う次第。
でも、書物を開けば、「辛」は「新」だとあります(!)。
古いものや伝統から脱することを意味するのだと。
試される1年の幕開け。
今年も試行錯誤 & 点滴穿石の年。
令和ルネサンスまではまだまだ山在り谷在り。
どんな時も、楽しめる小さなテーマをもって行きたいなぁ))。

どうか皆様、無病息災の一年を!




 

2020年12月22日火曜日

お正月 『天皇陛下の料理番』より

 12月も後半・・クリスマスが近づくと、クリスマスよりお正月料理の準備が気になってくる。
新型コロナ第三波の中、今年は「集わない」お正月。
家族最小単位(夫婦)でのお正月だからこそ、ちょぴりご馳走を用意して・・・とも思う。
そんな時、Amazon Primeに『天皇陛下の料理番』(2015年/TBS)を見つけて、つい全12話を見返してしまった。

このドラマ、『JIN-仁』や『とんび』などと同じ石丸彰彦氏のプロデュース。
主人公の心が動くとき、鈴がチリンとなる演出は、石丸の十八番のようだ。

写真は、秋山篤蔵の実家(福井県鯖江)のお正月シーンです。
時代は明治〜大正へ。
日清戦争、日露戦争を経て、日本がナショナリズムに燃えている1910年代。

毛氈を敷いた上にお膳を並べ・・・
上座には紋付き袴姿の「父」。
お重はなく、大鉢料理が幾つか置かれています。

いいねぇ〜))日本のお正月。

世の中の変化と共に、ご馳走もいいけど、飽食の世は終わる。
お料理もスッキリといこう♪

そんなことを考える今日この頃。



(この料理の監修は、脇 雅世さんです)



2020年12月16日水曜日

「サンタの福袋」



マサラチャイにアーユルヴェーダのお茶、柚子味噌、バーニャガウダ、特製辣油・・・ドレッシングにポンスにブレンドスパイス。
レンゲや薬味スプーン、茶こしなど、雑貨少々。
お料理は、自家製ロースハム、麻婆豆腐ベースにエビチリソース、蒸し鶏等々を。
料理の助っ人詰めを福袋にしました。


胡桃の中に番号カードを忍ばせて抽選会。

うひょひょ♪

ささやかな笑いのひとときでした。