2019年11月21日木曜日

『ホテル・ムンバイ』

監督/脚本/編集:アンソニー・マラス

2008年 ムンバイで起きた無差別同時多発テロ。そのターゲットのひとつだった五つ星のタージマハル・ホテルで、宿泊客らの救出に奮闘したホテルマン達のことを描いた映画。

ある人は「責任感についての映画だ」・・と。
プロフェッショナルとしての責任感、いやプロフェッショナルが責任感といってもいい。
何に責任を持つのか。
旅行業やホテルなら、何よりお客様の安全安心でしょう。

主演は、『スラムドッグ$ミリオネア』(2008) で青年ジャマール役、『ライオン〜25年目のただいま』で成人したサルー役を演じたデヴ・パラル。

彼は、監督に、デヴ・パラルありきでこの映画を作ると言わしめるほどの、天性の個性を持つ才能豊かな俳優さん。
「この俳優さんが出演を決めた作品なら・・・!」
 映画を選ぶときに、こういう基準もあろうかと思いますが、デヴ・パラルもそんな俳優さん。作品選びがよいです。そして監督のアンソニー・マラス氏も、私にとって
「この監督さんの作品なら・・・!」
ということになりそう(!)な予感です。
彼のバランス感覚、描写のセンス、弱すぎずくどすぎず、押しつけがましくなく、見る側に考えさせるメッセージをしかと発信する。

この映画で、テロリスト以外の出演者は皆主演と言うべきかも知れないくらい、ひとりひとりの描写がしっかりしていて、リアルでした。
ホテルを占拠し司令塔からの指示で動く青年たち=洗脳された若きジハード側の描写もリアル。

同じくテロを描いたC. イーストウッド監督の『15時17分、パリ行き』(2018)は、ヒロイズム的で、事件の原点となるテロに至るテロリスト側の描写が皆無なところが少々不満だったけれど、この映画は、テロリストたちの実体も短いながらも印象的に描いていて人間性のメッセージとなっています。

あの場に自分がいたら、どうするだろう?? 
旅行者として滞在していたら?
または旅行の御世話をする側だったら?
お客とホテル、両方の立場で考えさせられます。


あ〜〜それにしても、始終ドキドキ。
見応えのある映画でした!!
マハラジャホテル「ウマイド・バワン・パレス」(2014年の旅より)
映画のホテルムンバイもこんな雰囲気。
ちなみにホテル内のシーン、ロケ地は地方のマハラジャホテルだとか。

2019年11月16日土曜日

2019年11月11日月曜日

『大草原の小さな家』— 料理編7 ドリンク

料理編の最後に2、3、飲み物を取り上げます。

お父さんはウォールナットグローブに家を建てる時、井戸も掘りました。この水が、一家の生活を支えていました。

ドラマでは、専らコーヒーを飲んでいるような印象を受けます。でも本には、ケンブリックティーというのが載っていました。なんだかイギリスっぽくて洒落た名前なので何かと思ったら、その内容は、薄めたミルクに紅茶をちょこっと落としたもの。つまり子供用の薄〜いミルクティーです。だから時々は紅茶も飲んでいたのかもしれません。
ローラ達は「これを飲ませてもらうと、大人の仲間入りをした気分になった」そうです。


アメリカには、ボストン茶会事件*を経て、英国から独立を果たした歴史があります。そのためイギリスの象徴的飲み物である紅茶は敬遠され、コーヒーを多く飲むようになったといいます。
*イギリス本国から植民地側に一方的な税率で税金を課すので、とうとうぶち切れて、税の対象で象徴的だった茶箱を、積み荷から下ろさせずに海に捨てたという暴動事件。

でも、レモンの入ったアイスティーはアメリカ生まれなんですよね。

今、アメリカらしい飲み物と言えば、一番にコカ・コーラが浮かびます。
でもこれは1890年代になるまで登場しません。(コカ・コーラカンパニー設立は1892年で、南部ジョージア州アトランタにある製薬会社の開発です。)
ドラマ・シーズン1の19話(『大草原の小さな家』はシリーズ9まであり、各22-24話ある)「サーカスのおじさん」の中で、万病の薬といって重曹や重曹水を飲ませると、皆が治った治ったと元気になった(気がした)エピソードがありました。重曹水は、要するに炭酸水です。確かに胃は一瞬スカーッとしたことでしょう(笑)。
医師のベイカー先生以外はみんな騙されてしまうので、この頃は炭酸もまだ一般的ではなかったのだろうと思います。

この時代、爽やかなソフトドリンクといえば、レモネードジンジャーウォーター

ジンジャーウォーターは、大量に汗をかいたお父さんが、水をがぶ飲みしてもお腹が冷えないようにという薬膳的配慮で、生姜とお砂糖を加えた飲み物だったようです。
ちなみに生姜は、生が手に入らないのでドライのパウダーを使っていました。
炭酸飲料が普及してくると、これが「ジンジャーエール」に取って代わられたのでしょう。「ジンジャービール」なんてのもあるのですが、「エール(ale)」は本来ビールを指す言葉ですから同じ意味です。(※ジンジャーエールはノンアルコールです。)

もうひとつ、エッグノッグ(Eggnog) をご紹介しておきます。
一言で言うなら、生クリームでつくった濃いミルクセーキ。よくラム酒やブランデー(またはウイスキー)、そしてナツメグが加えられます。
ローラの家(インガルス家ではなく、ローラが結婚してから築いたワイルダー家)のレシピは、ナツメグがたっぷりでノンアルコールでしたが、通常家庭でつくったものにはお酒がしっかり入っています。なので飲み口の良さから調子にのってお代わりしていると、酔っ払ってしまいます(経験者)。

私の知るアメリカでは、エッグノッグは、クリスマスのときにだけ作られていましたが、ローラの本には、クリスマスに限らず病気や身体の弱っているときにアルコールを加えて飲んでいたとあります。ちょっと日本の卵酒と似ています。
卵酒も湯煎で丁寧に作ると、とろ〜り濃度がでて似たような仕上がりになります。
スパイスの中でも温熱効果が一際高いナツメグとお酒を加えれば、更に身体が温まることでしょう。卵とミルクと砂糖入りで栄養価も高い。確かにエッグノッグは養生食ですね!(まあ、アルコール入りのところは臨機応変に・・ですが(^^;))

『小さな家の料理の本』で紹介されているのは、ローラ達が食べてきたものの、ほんの一部に過ぎませんが、そこかしこに生活の記録が散りばめられています。
こうした本も、時を得て、日本の日記文学に通じる貴重な資料となっていくかもしれません?

ローラの生きた時代、ビタミン、ミネラル云々だの「一日何品目」、「炭水化物は減らして」だのという考え方など有るはずもなく、手に入るものでお腹を満たしていた暮らしでした。
それでも、ローラのお母さんキャロラインは84歳、ローラは90歳まで生き抜いています。
一方お父さんの方は、66歳とちょっと早死。
腰まで水に浸かって幌馬車を引きながら川を渡ったり、吹雪の中で狩りをしたりと、無理を押して家族のために大奮闘し続けたのが影響したのでしょうか。
ドラマ上でメアリーは後に病気で失明し、盲学校の先生になるという展開だったと記憶しています。ドラマと原作は少し内容が異なりますが、メアリーも、早死にで、63歳で没しています。

「食の健康」「薬膳的食べ方」等と、選択的に食べることが語られる現代は、恵まれた時代なのだとしみじみ思います。でも、ローラ達が今の私達の食事情を知ったら「“食の安全” を心配しなくてはいけないなんて、大変ね!」と、思うかもしれません。

命と向き合い、生かされていることを実感できる暮らし。そして、食べ物に感謝しながら皆で食卓を囲む暮らし。料理そのものよりも、そんな暮らしの有り様が『大草原の小さな家』をより魅力的にしているのだと思う次第。

<あと1本書きますw>


2019年11月1日金曜日

『大草原の小さな家』— 料理編6 アップルパイ

インガルス家がウォールナットグローブの町に落ち着きキャンプのような生活から一転、(30キロ圏内というアバウトさではあるけど一応)鉄道もあり、教会も学校も、(唯一だけど)オルソンさんのよろず屋もあって、医師(ベイカー先生)も居る暮らしへ。

安心の暮らしになったようにも思えるけれど、食用の肉はやっぱりお父さんが狩りをして獲ってくるし、木の実を採取したり、家畜の世話をしたり、ローラたちも、多くの時間を食事の為のお手伝いに費やさなければなりませんでした。
ローラの自叙伝には、食事の喜びと沢山の料理の話が出てきます。それは、食べる為に働く時間が多かったことの証しでもあります。

インガルス家にオーブンが来て、元々お料理上手で働き者のキャロラインのレパートリーは益々広がったことでしょう!
パンはダッチオーブンでも焼けるけど、パイはやっぱりオーブンでなくては。

お肉のパイもいろいろ作っていたようです。
パイはちょっとスペシャルなお料理。
お母さんがオーブンで焼いた季節折々のパイで、ローラ達は季節の収獲を楽しんでいたのでした。

『小さな家の料理の本』には、先に紹介した「ビネガーパイ」以外にもいろいろなパイが掲載されています。

   カスタードパイ
   パンプキンパイ
   干しリンゴと干しぶどうのパイ
   ミンスパイ*
   ハックベリーパイ*
   アップルパイ

*“ハックベリー”とは、多種ある野生のブルーベリーの中でも地元で採れる土着品種を指す言葉のようです。

*ミンスパイとは、クズ肉を叩いたミンチと刻んだドライフルーツを合わせて増量にしたフィリングのパイのこと。


さて、やっとアップルパイ談です。

アップルパイは「二つ折りのパイ」「アップルパイ」の2種が掲載されています。
前者はバターを贅沢に使ってフランス菓子にあるような層を作る上等バージョンですが、殆どのパイは、手軽な練り込み生地で作られています。

ドラマでは、ウォールナットグローブの町のお祭りでパイコンテストが行われることになり、キャロラインも出品するという回がありました。
家族は一足先にお祭り会場に出掛けますが、キャロラインは残ってパイを仕上げ、持っていく仕度をしていました。出掛ける間際、ちょっと前に農機具で怪我をした足が疼くので、戸口にパイを置いて一旦屋内にもどり、傷を消毒します。
が、時既に遅し。キャロラインは、破傷風菌に冒されていて、高熱を発しそのまま倒れてしまうのです。
パイコンテストのお話だ ♪ と思って、わくわくしながら見ていたのに、思わぬ展開でドキドキしたことを今もよく覚えています。

なんとかキャロラインは九死に一生を得ますが、あのパイはどうなったのでしょう??
確かあの時のパイはアップルパイだったと記憶しています。

ドラマの最後までお目見えすることの無かったキャロラインのアップルパイ。
アーミッシュのお菓子の本に載っているアップルパイを眺めては、こんなパイだったかな〜??なんて、今でも時々思うのです。


写真1:バター多めの練り込み生地でできたアップルパイ
(写真:手持ちのアーミッシュの本から借用)
古今アップルパイをご紹介・・・といきたかったけれど、「古」といってもローラの時代から1世紀しか経ていないアメリカンアップルパイ。受け継がれる味もさほど代を重ねておらず、変わっていないかな??

ですが、ローラの頃にはこんなパイは無かったかも(!)。[写真2]

写真2:More than Just Ice Creamのアップルパイ
手持ちの写真が無いので、ネットから引っ張って来た画像です。悪しからずm(_ _)m
これは、私が暮らしたフィラデルフィアで、Philly's taste、Best of Philly10 などと地元紙にしばしば登場していた More than Just Ice Creamというアイスクリームショップのアップルパイです。

イートインすると、こんな感じに[写真下]。
写真3:熱々のアップルパイにたっぷりアイスクリームというのが定番の食べ方
アメリカの人って、ホントにアイスクリームがだいすき

もぉ〜〜〜、パイだけでお腹いっぱい・・・!
最初、このパイに挑むには「パイで食事代わり」とする覚悟が必要でしたが、意外にもフィリングのリンゴはシナモン効かせて砂糖控え目。
アイスクリームを控えれば、結構イケちゃうのであります。
かくして、私にとっての「アメリカンアップルパイ」はコレ(!)と相成りました。

「アメリカのおもてなしとは “お腹をいっぱいにすること” なのだな・・・」とも、ここのアップルパイを通して、学習した次第。

いつかもう一度訪れてみたいと漠然と思っていましたが、2018年秋、43年続いたこのお店は、惜しまれつつも閉店となっていました・涙。
いつ行ってもお店の方が店先で沢山のリンゴの皮むきをしていた情景が、懐かしく思い出されます。

ちなみに『小さな家の料理の本』には、アイスクリームのレシピも出てきますが、ローラが結婚してワイルダーになってからのもののようでした。

* * * * *

おまけ

写真4:お店のサイトより借用。https://theblueowlbakery.com

これは、More than Just Ice Creamを検索中に見つけたミシガン州のベーカリーThe Blue Owl Bakeryの Levee-High-Applepie。(堤防アップルパイ!? )

お菓子≒Sweets は、アメリカに於いて、とても食事に近い立ち位置だと思います。

それにしても、やっぱりパイ生地とリンゴのバランスって大事だと思うのですけれども・・ねぇ)))。

<つづく>


2019年10月30日水曜日

『大草原の小さな家』— 料理編5 オーブン談


これは、明治時代のベストセラー『食道楽』(村井弦斎・著)の挿絵です。
日本の洋食を牽引していた大隈重信邸の台所がモデルだとか。千客万来の大隈邸、おかっての真ん中後方に鎮座する黒いオーブンは、イギリスから輸入されたもの。
料理編1で触れた、ローラがお母さんにプレゼントしたのと同時期のものだと思いますが、こちらは大層立派です(!)。
でも両方とも、石炭でも電気でもガスでもなく、薪をくべるオーブンです。

オーブンとは「火元の熱源を賢く使う変換器のようなもの」。
そんな風に認識したのは、フランス・プロバンス地方アヴィニョンのホテル・ラ・ミランド、そしてブルゴーニュ地方の施療院オスピス・ド・ボーヌ(1451年設立の市民病院/オテルデューL'Hôtel-Dieu =「神の館」の意)を訪れたときでした。

ホテル・ラ・ミランドは教皇庁裏に隣接する建物で、かつては枢機卿邸宅でした。アヴィニョン捕囚(1309〜1377年)以来ですから、700年の歴史があります。現在はブティックホテルとして使われており、南仏特有の明るいトーンの中にも重厚さを秘めた素敵な佇まいです。
このホテルの地下には、薪を使うクラシックオーブン[写真1]が設置されたキッチン&ダイニングがあり、そこで地元レストランのシェフや料理研究家を招いての料理教室が開かれていたので、30代の頃参加しました。

教室では、このオーブンに薪をくべて料理を作ります。
フラットなオーブントップには、乗るだけの数の鍋をいくつも置いて加熱することができます。数カ所丸く開けられる箇所もあり、直火も可能[写真2]。右端には、お肉を回転させながらあぶり焼きできるグリルコーナーもあります[写真4]。ちなみに、オスピスのグリルは、鳩時計のような絡繰りゼンマイ仕立てで自動回転機能付(!)スゴイ!
グリルで焙り、またオーブンで焼き・・・その熱源でソースを作る。
フレンチがソースの料理であるということのベースが、この巨大な調理システム器機から感じ取れました。

更に、オスピスのオーブンには、なんと温水システムまで組み込まれていた!!
内部に水を溜めるタンクがあり、伝わる熱で温められ、鴨の首型の蛇口から温水を汲み上げられるようになっているのです[写真5]。お湯がでる蛇口ならぬ鴨口ですw  
いやスゴイ!

ホテル・ミランダのオーブンは今も現役。オスピスのオーブンは20世紀中旬まで現役だったそうです。

このようなスタイルのオーブンがヨーロッパで何時頃からあったのか、ちょっと調べてみたけれど、正確な時代はよくわかりませんでした。アメリカでは、1900年にはほぼ普及していたようですが、インガルスファミリーの暮らしている西北部は、特に遅かったエリアのようです。

お肉とソースをお皿に盛り、ソースと共に「文化的に*」食べるようになる頃には、既にこのようなオーブンが普及していたのではと想像します。
ちなみにスプーンはかなり古くから、フォークの方は1553年、パスタ文化のナポリからフランスへ輿入れしたカトリーヌ・ド・メディシスが伝えたといわれています。

*手食が野蛮で非文明的とか不作法で不衛生という認識は、偏見に過ぎません。
日本のお寿司、欧米や中東のパンも手食。世界の歴史を振り返っても、手食を基本としてきている流れは無くなっていないし、手食を最も潔癖としている国もあるのです。

ドラマの第1話で描かれていたように、アメリカ開拓民の旅の暮らしは当初、キャンプのようでした。設備が無いからたき火料理をしていただけで、母国ではオーブンを使う暮らしがあったわけで、オーブンについて、その料理についても知識を持っていました。
だからインガルス家にオーブンがやって来た途端、食生活は劇的に豊かになったはずです。

片や大隈邸の厨房では、オーブンが来て、まずは西洋の料理を学び、肉について学び、オーブンの使い方を学び、そのための道具や食材を揃え・・・というところから。これには明治の女達の大変な努力があったことでしょう。だからその手引きにもなる『食道楽』がベストセラーとなり、名家の子女たちの嫁入り道具となったのです。

台所を観れば、暮らしがわかる。
竈とオーブンが並ぶこの挿絵もいろんな情報を発信しています。
歴史的建築物を訪れると、キッチン(ついでにトイレとお風呂も)が観たくてたらず、よく尋ねてみるのですが、武家屋敷や美術館(元はお城や官庁だった建物)では、大抵は事務所スペースになっていたりします。残念!

さて、オーブンまできましたので、いよいよパイの話にしましょ!

写真1:ミランデホテルのクラシックオーブン
写真2:オーブントップは、何カ所か開けられるように出来ています。
写真3:オーブン(窯)のコーナーその1(このオーブンには2カ所オーブンになる箇所がある)
写真4:グリルコーナー
写真5:オスピスの厨房  鴨口から温水が出る仕組みになている
写真右:料理教室を仕切るオーナーの婿養子さんと地元料理研究科のエスペランデュさん
写真左:私が手にしているのはプロバンス料理の定番ペースト、タプナード。

★オマケ:
今では中・上級キャンプグッズのひとつでもあるダッチオーブン*は、幌馬車で移動したり簡易な家での暮らしの中で使うのに重宝された、最小の携帯オーブンでした。

*ダッチオーブン(Dutch Oven)=「オランダ人のオーブン」の意味。
 この名前の由来には、オランダ系移民が売っていたという説や、オランダの鋳物の技術を利用していたからという説、またはイギリス人が「〜もどき」の品物を「ダッチ〜」と呼ぶ習慣があったため本物のオーブンではないけれど」という意味合いで「ダッチオーブン」とよんだという説等々、諸説ある(ウィキベディアより)・・・らしいです。
私は最後の説に一票。その理由は以下の通り。
Go dutch(割り勘)、Dutch Concert(雑音)、Dutch roll(すごい揺れ/千鳥足の酔っ払い)、in dutch (ウケが悪い)、Dutch courage (お酒によるカラ元気)等々、ダッチは、ケチ、安上がり、質が悪いというような、あまり良いニュアンスでない言葉があります。
大航海時代の先駆けポルトガル、スペインを追いかけ、小国ネーデルランド(オランダ)とイングランドが進出。オセロのコマを裏返すように、両国が先国の植民地を奪い取っていくという流れがあり、両国はライバル関係でもあったから。
アメリカ大陸おいても覇権争いがつづいて、マンハッタンなどネーデルランド(オランダ)領だったところをイングランド(イギリス)が奪取し「ニュー・ネーデルランド」から「ニュー・ヨーク」としています。

ローラのお父さんは、チャールズ、お母さんはキャロライン。お姉さんもメアリーという名前ですし、登場人物の名前からして、ウォールナットグローブの人々はほとんどイギリス系かな〜と思いますが、先住民にも優しく、きっとDutch!なんて言わなかったことでしょうね。

<つづく>

2019年10月28日月曜日

『大草原の小さな家』— 料理編4 とうもろこしパン

長々と、主食の食べ物について語ってきました。
命をつなぐ食材=主食が何であったか、どう食されていたか。そこを考察することで、暮らしぶりが浮かび上がってくる。ですからつい、力が入ってしまいます。
もう少しお付き合い下さい。

トウモロコシパンのいろいろからも、厳しい開拓民の暮らしぶりがひしひしと伝わってきました。
「今日の糧に感謝します」という食事の前の祈りの言葉は、毎日心の底から出てくる言葉だったに違いありません。
今日私達が食べているようなふっくら柔らかい小麦粉のパンはとても贅沢な代物だということも再認識。

アメリカに限らず、日々御飯を炊くようにパンを焼く小麦文化圏には、様々な「即席パン」があり興味深いところです。また小麦文化圏には小麦代用作物 ---- それはしばしばトウモロコシなのですが ----- の主食料理がある点にも注目です。

アメリカから遠く離れた同じ時期の中国にも、トウモロコシパンが!!
『中国料理大全ー北京料理』より
こんな風に窠があります

清朝末期の権力者、西太后(1835-1908 ←ローラのお父さんとドンピシャ同世代)が、義和団の乱で西安に避難した折、口にした農民の食べ物「窩窩頭(ウォウォトゥ」がそれです。
トウモロコシ粉を水で練った生地にくぼみを作って蒸し上げたもので、くぼみに漬物や炒め物などを詰めて食べます。
家畜のエサのような甘味のないトウモロコシ粉からつくられる窩窩頭は、決して美味しいものではなかったはずですが、逃避行中の西太后はさぞやお腹がすいていたのでしょう。農民が差し出したそれを「美味しい!」と言って食したのでした。西太后は、北京の紫禁城に戻った後、宮廷料理人に「美味しかった」窩窩頭を作らせました。
宮廷料理には、皇帝が地方巡業したときなどに気に入ったものが取り入れられることが多々あったようですが、こんな農民の粗食を西太后にお出ししたら首が飛ぶのではないかと、宮廷料理人は、飢えてない時の西太后でも美味しく食べられるよう、工夫して美味しい点心「小窩頭シャオウォトウ)」に仕立てました。
粗食バージョンの窩窩頭と宮廷バージョンの小窩頭は、どちらも中国版コーンブレッドです。


ご馳走小麦パン。
それは醗酵の力をもって極まります。

インドの醗酵させないパン=即席パンといえばフライパンで焼上げるチャパティ。
醗酵パンのナンなどは、北部のムガール帝国時代に発展したパン。(ペルシャをはじめ様々な文化を吸収し、中央アジアからきたムガール帝国は、インドをグルメにした国でした!)
醗酵させて、しかも専門の “オーブン”(窯) タンドーリで焼くナンは、消化も良く時間がかかる贅沢パンという位置づけでもありました。

中国の花巻や銀絲捲(イン・スゥ・ジィェン)も、醗酵生地を、凝った成形で仕上げられた宮廷ならではの醗酵パン。

イースト菌が市販されていなかった時代は、醗酵パンは、結構な手間を要する料理です!いや今だって、インスタントドライイーストを使っても、パン作りは最低でも2−3時間は掛かります。日々労働に追われる庶民には、醗酵パンは、やっぱりご馳走です。)))

本にはサワードゥだね / Sour-Dough Starter(酸っぱい種生地)の作り方が載っています。
天然酵母の醗酵種からつくるのです。
開拓民たちも、暮らしが安定してくると、週一でパンを焼くようになったようですが、まずは醗酵だね作りから。主婦のキッチン科学の力がモノをいいまする。

サワードゥだねは、空気中のバクテリアや小麦粉の中に存在する天然のイーストを利用して作られます。どうやって空気中のバクテリアをキャッチするの?と思ってしまうかも知れませんが、小麦粉を水で練って常温に置いておくと、自然に発生してくるのです。小麦粉に含まれる糖質をエサにするので、生地はだんだん甘味を失い酸っぱい味になっていきます。それが「酸っぱい生地=サワードゥ」とよばれているものです。
その酸味を中和する為にアルカリの重曹が加えられ、その重曹から発生する気泡が、またパンのふくれを手伝ってくれるという訳です。

レシピを読んでいて、これは、中国料理でいうところの「老麺」はないか(!)と思いました。中国の古典レシピでは、アルカリとして重曹の代わりにかんすいが使われたりしますが、理屈は同じです。

インスタントのイースト菌を使わず老麺で仕込むと、独特の風味で美味しいのです。
生地が「サワー」になる前に、エサになる小麦粉を継ぎ足し継ぎ足し繋いでいくので「生き物を飼っている」という感じ。種菌の管理は結構大変です。私は「エサ」の小麦粉補充にギブアップして、数週間でやめてしまいました。

以前イギリスで、重曹が使われた醗酵パンを食べ、アルカリの刺激にちょっと驚いたことがあります。でもパン作りのこんなルーツがあることを知ると、イギリスでは重曹を加えることへの抵抗感が少ないのかもしれないと、少し寛大に受けとめられます。
やっぱりパンは、菌のチカラだけでゆったり醗酵させて欲しいですけどね〜)))。

さて、ほんの「枕」のつもりが、メイントークになってしまいました。
「主食談」はこれぐらいにして、次回は、オーブンについて少し語りたいと思います。

<つづく>

2019年10月24日木曜日

『大草原の小さな家』— 料理編3 続「主食」


とうもろこし粉=コーンミールをつかったお料理をもう一つ。

 ヘイスティ・プディング(Hasty Pudding)

これは、大麦のお粥のようなオートミールをトロトロにして食べる料理のコーンミールバージョンです。
日本でも、クエイカーのオートミールはお馴染みですが、日本ではお粥のような食べ方をしている人は、あまりいないのではないでしょうか?


私も、オートミールのことは、カントリー・クッキーの材料として買い求めたのが最初です。ちょっとローカルですが、広島のバッケン・モーツアルト「からす麦のクッキー」の、からす麦とはオーツのことです。

 "ヘイスティ"とは「即席」という意味で、直ぐに炊けて食べられることを表しています。しかし、作り方を見る限り、コーンミールバージョンは、「即席」とはいかないようです。
コーンが柔らかくなるまでそれなりの時間を要したようですし、ダマにならないように常にかき混ぜなければなりません。メープルシロップを掛けて食べるのですが、そのメープルシロップも、もちろん自家製。さとうカエデ=メープルの樹液を採って煮詰めて作るのです。1Lのメープルシロップを作るためには、40Lもの樹液が必要です。

オートミールには、インスタント製品があり、買ってみたことがあります。シナモン味、メープル味等、甘い味付けのものが5つばかりセットになっていて、ボウルに開けて熱湯を注いでかき混ぜるだけの温かいシリアルです。
こちらはホントの「ヘイスティ」ですが、コーンミールバージョンは、ローラの時代から百年たってもまだお目見えしていません。
その代わりに・・・?そう、コーンフレークになったのですよ!

コーンフレークは、19世紀末〜20世紀初頭、ケロッグ博士が開発した、元はサナトリウムの養生食だったようです。ヘイスティ・プディングのようにコーンミールをドロドロにしたものから作られます。

ヘイスティ・プディング。日本語で言うなら「トウモロコシ粉粥」といったところでしょうか。
今でも、家庭料理で肉料理に、トウモロコシのピューレ(イタリア料理ではポレンタなど)やガレットみたいなものが添えられることがあるけれど、そんな感じで食べられていたのでしょう。

甘いごはん。ちなみに、日本ではお米のお粥を甘くして食べることはしません(その代わりにお餅やお団子がある♪)が、仏陀も召し上がったとされるインドのミルク粥「キール」や、スリランカの「キリバット」、トルコの「ストラッチ」等々世界には甘いお粥料理がいろいろあります。

消化が良くて甘くて食べやすい糖質は、昨今では「血糖値があがる!」と嫌われがちですが、飢えと背中合わせの時代は、身体に優しい立派な養生食であり、労いのご馳走だったのです。

<つづく>