2020年11月16日月曜日

12月の教室

 10月の上海蟹に続いて、12月の蟹はワタリガニです。
ワタリガニは、卵を蓄えるこの時期が美味しい印象ですが、身を味わうなら夏場。だからメス(♀)で参ります。瀬戸内のいい感じのを、馴染み店にお願いしてご用意致します。
毎年、12月は、ちょっとご馳走で参りますよ。

11月の小茶会の話題、アメリカ移民史談にちなんで、ケイジャン、クレオールについても改めてお話したいと思っています。
何気なく食べている料理にも、数奇な運命辿った人達のヒューマンヒストリーがあるのです。
改めて、食材の命に感謝、生産者に感謝、そしてご縁に感謝です。

2020年、スパイシーに締めくくりましょう♪


   ● 日時: 12月5日(土),   6日(日), 12日(土),   13(日)
        10:30〜15:00
              
   ● 内容
    ・サラダ
    ・里芋のお料理
    ・ワタリガニ・ケイジャンスタイル  ※車エビに変更の可能性アリ
    ・パエリア風パエリコ米のパセリごはん
    ・アーユルヴェーダのスパイスティー(インドバージョン)

   ★「サンタの福袋」抽選会(@4000円) ※要予約

  ● 会費:6千円


2020年11月15日日曜日

『如懿伝』(4)八旗

 








ドラマ後半、舞台を城外に移し、乾隆帝の南巡や高原での狩りのシーンが出てきます。

ちょんまげ日本が言うのもなんですが・・・あの辮髪。
不思議な髪型だな〜〜〜と常々思っておりました。きっと多くの方がそうお感じでは?
でも、馬に乗り狩りをするシーンを見ていて「なるほど〜!」と思いました。
草原を駆け抜ける馬上の姿!!
あの後ろに長い三つ編みがウマの尻尾と並行に風にたなびき、美しいではないか!!
人は、本分とするところで最も美しくありたいと願うもの。
満州族は、本来騎馬民族であることを思い出させてくれました。
「チャイナ服」と呼んでいる、深くスリットの入ったドレスも、元は「旗包」といって女性も馬に乗るためなのです。着替えのシーン等でお気づきのように、あの下にはズボンをはいています。

そもそも満州族とは、ツングース系の女真族で12世紀には金として独立した国だったこともある民族。その後、モンゴル帝国の一部族(連合部族)として今の東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)あたりを中心に居住していたのが、17世紀、清の初代ヌルハチ(ヌルハチの時代にはまだ清とは呼んでいなかった)が南下して明を滅ぼし、北京入りし、清国として君臨することになるのでした。

支配していた地域のことを女真語で「マンジュ・グルン」(グルンは「国」の意)と呼んでいたので、2代目ホンタイジが、満洲族と呼ぶことにしたようです。
陰陽五行説に照らし合わせると、明は「火」の王朝なので、相剋となる「水」にちなんだ名前にしたのでした。満州の州には元々氵がついて「洲」でした。

力を付けた女真族が、満・漢(漢民族)・蒙(蒙古)をよろしくまとめて清を立てたという成り立ち。
漢民族も取り込んで国を運営したわけですが、女真族固有の部族組織(軍事組織でもある)である八旗がその主軸。「旗」とは「集団」という意味で、部族毎に軍旗を持っていたのがその由来だそう。
黄、白、紅、藍の四旗に「鑲」(=縁取り)付きで鑲黄、鑲白、鑲紅、鑲藍を加えて八旗。
正黄、鑲黄、正白、鑲白、正紅、鑲紅、正藍、鑲藍というふうに呼んだそうです。
満州人はこの八旗のいずれかに属していましたが、八旗には、モンゴル人、漢人、朝鮮人、ロシア人なども新たに編入されていったとのこと(「誰も知らなかった皇帝たちの中国」より)。
ドラマで、よい働きをした者に、皇帝が「一族を旗人に封じる」なんて台詞がありますが、そんな風にして異民族も満州八旗に組み込まれていったのでしょう。


写真はドラマにあった狩りの大イベントの様子。
4色8種の旗がお印になっています。【写真:1,2】
ちなみに宿泊の陣を張った光景も壮観でした(!)。宮廷同様、陰陽五行に沿って方角を定めて配列しています。【写真:3,4】


清の皇帝一族は、愛新覚羅(アイシンギョロ)氏。
ドラマの主人公 如懿(始めは青桜/嫻妃ー皇太后に「如懿」の名前をもらう)は満洲正黄旗の出身 烏拉那拉(ウラナラ)氏。
皇太后は、鈕祜禄(ニオフル)氏で満洲鑲黄旗の家柄。
皇太后の推薦でお妃に入ってきた舒妃は葉赫那拉(エホナラ、イェヘナラ)氏で満洲正黄旗ですドラマでも、入宮当初から待遇がちがいました。ちなみに、この葉赫那拉氏からは、後に西太后が出ています。
愉妃(海蘭)は珂里葉特(ケリエテ)氏鑲藍旗の出で、みんな満州族のお妃です。
また、身分は低いけれど、ドラマにでてくる凌雲徹(架空の人物)は「下五旗の出身」という設定でした。上三旗は皇帝直属で正白、正黄、黄旗。下五旗とは、鑲藍、紅、正藍、正紅、鑲白。
皇帝が選んで凌雲徹が娶らされた奥さんは鑲藍の出身 薩克達(サクダ)氏の娘で、出身が上の身分なので、家庭内でも見下した態度でした。(ちなみに、薩克達氏は、9代皇帝咸豊帝の皇后を出した一族の名前で、満州鑲黄旗でした。)

 烏拉那拉、葉赫那拉、珂里葉特・・・等、満州語の発音に漢字をあてがっているのでなんだかくどい感じがしますが、逆に4文字の名前だと満州氏族であることがわかります。
名前でその人のルーツが見えてきて、興味深いですね♪

その他、金 玉妍(この方、ドラマでは諍い女!)は朝鮮民族出身ですし、陳婉茵、高佳氏、魏佳氏らは漢民族?かなと思わせるお名前です。「佳(満州語でギャ)」は、満州式を現す一字で、満州族同等扱いというお印に賜ったのかもしれません。
また、ドラマ後半で回教徒(イスラム)の姫君が従服の証しに連れてこられますが、この方の名は和卓(ホージャ)氏。ウイグルのことを和田(ホータン)といいます。巴林(または阿隣)バリンというモンゴルのお妃も! バックグランドをによわせる命名も興味深い♪

次ぎは、ドラマに出てきた少数民族の衣装を少々。

<つづく>


参考:「誰も知らなかった皇帝たちの中国」岡田英弘 著
https://note.com/sambal/n/n8d22eab3b603?magazine_key=mfe4928c2d9da
https://ja.wikipedia.org/wiki/八旗


2020年11月14日土曜日

『如懿伝』(3)後宮の階級




「ドラマを見ていると名前がコロコロ変わって、付いていくのが大変」という方も。
そこで、後宮での身分制度についてちょっとまとめてみました。


「後宮の麗三千人」という表現がされていますが、これは「詩的誇張の勝った見方」と、ラストエンペラーの弟溥傑さんの妃愛新覚羅浩さん(1914~1987)は著書『食在宮廷』に書いておられます。もちろん専制の時代ですので、「いろいろ誤解に繋がる種が沢山あった」とも。

浩さんが嫁いだ時は、辛亥革命後で事実上既に清朝は崩壊しており、暮らしは新宮でしたが、代々皇帝の側近に使えていた老人から話を聞いたり古い文献をご覧になれるお立場だったので、清朝の真相をかなり知ることができたようでした。


さて、ドラマの舞台、乾隆帝の時代は、16世紀末〜17世紀。日本は江戸中期。
日本は鎖国体制でしたが、清朝も欧州からの朝貢は受けるものの「私達はあなた方から欲しいものは特にありません」という姿勢。日本は元禄文化の揺籃期で、清は文化的ピークを迎えておりました。
後宮のお妃たちは、華々しくそれらを享受していたことでしょう。
お妃たちの衣裳も髪型、備品、皇帝から賜るものなどからも、そのことがよく描かれています。
お妃たちは、〇〇氏の誰々、という姓と名の他に、位を現す呼び方があります。
企業でいうなら、名前を呼ばず、役職である「社長」「部長」「課長」などというように、位で呼ばれるのが一般的なのと同じこと。でも、若い内や親しい間柄同士だで名前で呼んでいることもあります。
「氏+役職名」と役職で呼ばれる時に、氏ではなく皇帝から授かる一字で〇妃、とか〇嬪とかと呼びます。更に、死後は生前の功績を称えた諡(おくりな)を賜ることがあります。
死者に対しては、この諡で呼んでいます。[愛称の一字+身分を現す一字]には???となってしまう方が多いのだろうと思います。

後宮では、皇子を生むと、階級が上がるということがしばしばあったようで、ドラマでも、隆帝が頻繁に叙位しています。
(ああ・・乾隆帝、もう乱発しすぎ。あ、乾隆帝という呼び方も、諡ですのでドラマでは「皇上(ファンシャン)」と呼ばれています。)

史実をチェックしたら、後宮の女性はほぼ確実に子どもを産むと、褒美として1階級ずつ上がっていました。現代人からすると「女は子供を産む道具か!?」とか「子供を産めば偉いのかい!??」・・と、大いに突っ込みたくなるところですが、生き物として子孫を残すことは、
ある意味最優先の道理ですから、世が世なら「衣食住が足りるのを当たり前とするアホな現人め!」と、逆にお叱りを受けるのかもしれません。異なる時代の物差しは使えないということにしておきましょ。

清の時代の后妃制度は、以下のように決められていたようです。

  ● 皇后(福晋)1名  
  ● 皇貴妃(側福晋)1名 
  ※但し、この地位は、皇后不在の時に皇后代理として任命されるのが前提。
  ※皇后がいる場合、皇貴妃はおかないのが原則。
   皇貴妃は皇后不在時に後宮を統括することが多い。
  ● 貴妃 2名
  ● 妃 4名
  ● 嬪 6名 
  ● 貴人 以下定数・品階なし
  ● 常在
  ● 答応  最下位の側室
  ● 官女子 ※格格 最低位の妾をさす。
   第1話でいきなり出てくる「福晋」という呼び方は、満州族独特の呼び方。
    正室=皇后のことを「福晋」、皇子の正室(嫡妃)を「嫡福晋」、
    側室(側妃)を「側福晋」と呼んだようです。

女官上がりだったりすると、一番下の格格(ゲゲ)から昇っていかなくてはなりませんが、名家の令嬢や平和協定の為の政略結婚で、入宮当初から貴人以上の位でスタートする女性もいるようにドラマでは描かれています。
「政略結婚」を和英辞典で引くと[a political marriage]  , [a marriage of convenience]と、何とも解りやすい英訳がでてきます。政治的であり、便利な結婚なのですねw

そうそう、ドラマの初め頃、皇太后の「妻には知を、妾には色を求めよ」って台詞がありましたっけ妃までは「側室」、嬪からは「妾」とされているようですが、ドラマを見る限りでは、その違いは曖昧でわかりません。

いずれにしても、お妃選び「選秀女」の制度は、明代から随分と吟味され、読み書きそろばんができない女性は後宮には居なかったようですし、容姿よりも健康を重視して選ばれていたようです。「外遊先で、皇帝の目に留まり、後宮入り」といったようなことは無かったらしい。
しかしながら、後宮の女性は皆、大前提として皆皇帝にお仕えする身。功を成せば、実家にも褒美が下され、出世して位を賜れば、その身分の親族に相応しいように家の格も上がる。宮廷での娘の活躍で、一族が繁栄するといった側面は、あったようです。

歴代の王朝に見られたいざこざを教訓に、いろいろシステムは改良されてきたものの、とどのつまりは人治国家。
そう! 後宮のゴタゴタは、ひとえにそこなのです(!)
その良しも悪しも、皇帝のお心ひとつで人事を動かす点に凝縮されているように思われます。
・・・と、ドラマ後半に差し掛かりしみじみ思うのでありまする。

<つづく>

参考:

2020年10月29日木曜日

肉まん


 

肉まんの、包む作業は楽しい。

生地の出来がいいといくらでも具が包めてしまうのだ。

のびるのびる。。。もっともっと♡))

モチモチ食感の好きな日本人は、肉まんの皮に並々ならぬこだわりをもっているような気がする。

でもね、肉も大事でしょ、肉も。

肉まんと名乗るなら、肉が主役でなくては。

肩ロースとバラ肉を庖丁で叩いて、ミンチにして・・・今日は目一杯具にこだわってみました。

そんな思いで、皮:肉= 1 : 1.1 に仕上げたゾ。まだまだイケる・・1.3ぐらいでもイケる。

ズシリと重い肉まんに、骨太の岩茶と秋風がよく合う。


2020年10月25日日曜日

『如懿伝』(2)紫禁城の宮殿

ドラマの映像より(テレビ画面接写)

紫禁城とその宮殿について少しまとめておきます。

ググればいくらでも詳しい情報が出てくるので、ここでわざわざ・・・でもないのですが、もうドラマを見ながらの私のメモと思ってお許し下さいw
最後にリファレンスもリンクしておきました。

紫禁城は、南北に961m、東西に753m、約72万㎡ - - -日本の皇居(22万㎡)の3倍以上の広さの宮殿。これ自体がまるで城壁に囲まれた街地のように北京市中央に座しています。

明の第三代皇帝 永楽帝が南京から北京に遷都するにあたって南京城を模してつくらせた宮殿で、1406年(永楽4年)から16年もの年月をかけ1420年に完成。その後1912年に至るまで490年間、24人の皇帝の住まいとなりました。

紫禁城

なぜ紫禁城なんて名前なのか?
観光で訪れたこともあるのに、名前の由来はさっぱり記憶に残っていません。
でも図らずも、薬膳・漢方の学び《陰陽五行説について》で、知ることになりました。

肉眼で見ることのできる天空の5つの恒星。それが木ー火ー土ー金ー水。
地上の自然界のエレメントも木ー火ー土ー金ー水。
それに月(陰)と太陽(陽)が加わり陰陽五行説。
天の定めた理(ことわり=世の巡り)が地上の自然界に、さらにその法則は、万物に宿るとされます。それは社会秩序にも当てはめることが出来、王朝の変遷や皇帝の人徳や政治についても当てはめられたりします。(星占術は物事のこういった周期から考えるところにはじまっています。)
そしてそれは、人体にも同様に当てはめられます。体内の内臓器官の機能も「木(肝/胆)ー火(心/小腸)ー土(脾/胃)ー金(肺/大腸)水(腎/膀胱)」の縮図であると考え、中医学の治療においても適用されています。

そう、陰陽五行の考えは、宇宙からはじまっているのです。
中国の世界観を現す「天人合一」という言葉があります。「天と人は一体のものである」とする概念ですが、陰陽五行の秩序を知れば、なるほど懐に落ちるものがあります。

さて、中国の天文学では天体を「三垣二十八舎」としていました。その中心は・・・そうです、北極星。

北極星のことを「紫微」というのです。紫微と紫微を取り巻く天体を「紫微垣(しびえん)」呼びます。
天の中心が地上に降りてきたところ、それは皇帝の住処である宮殿と考え、「紫微」の一字が使われているのです。また、その尊い場所は、侵すことの出来ないところ、庶民は自由に入ることを禁じられた聖域ということで「禁」、紫禁城とよばれることになったのでした。

紫禁城は、東西南北にきっちり方角もきっちり定められていて、北は神武門、南は午門、東の東華門、西の西華門と4つの門があります。風水学も、陰陽五行がベースになっていますから当然キッチリしています。

ドラマ『如懿伝』の前半は、ほとんどがこの紫禁城の中で展開するものがたりです。

紫禁城は、1912年、清朝の終焉と共に城としての役割に幕を閉じました。この建物は、「故宮博物院」となり、また戦火を逃れて疎開させることができた紫禁城の調具や宝物類、書物の多くは台湾・台北の故宮博物院に納められています。

宮殿は北京、宝物は台北へーーー。なんだか大陸中国と台湾の関係を象徴的に現しているようでもありますが、双方を訪れ、在りし日の紫禁城のイメージに思いを馳せる方も多いことでしょう。素晴らしい調度品や衣裳等々で以てまるで紫禁城の蘇りを見せてくれるところも『如懿伝』の魅力です。

宮殿プロフィール

ドラマには、皇帝、皇太后や皇后、お妃たちの寝殿となる後宮の宮殿名が続々と出てきますが、その殆どが実在のもの。せっかくなので、名前やロケーションなど、ドラマと照合しながら確認してみましょう。

ちなみに、宮殿や門の名前には、儒教思想に根ざす「仁」「和」「中」「安」などという文字が多用されていて、これも取り上げたいところですが、私は役不足かと思っています。

城の中心軸 南半分には3つの公的な宮殿や広場があり、その北が、皇帝のプライベート空間・後宮となります。

後宮の中心軸の両サイドには、左右(東西)にそれぞれ、六宮と呼ばれる宮殿が並びます。

外朝三大殿=

中心軸の前方(南)

● 太和殿
最も大きく華やかな建物で、皇帝の即位式や誕生日、婚礼、正月などの大切な典礼を行う場所。
1420年創建ですが、1421年、1557年に落雷で消失、数年かけて再建。1597年にも火災で焼失し、1627年に再建されています。更に清代に入り何度か改修工事が行われています。

● 中和殿
太和殿で行う儀式の折の控え室的場所で、皇帝が一休みし、臣下の朝拝を受けたり、大臣や役人からの連絡を受けたりする所。
保和殿は明代1420年に創建。 翌年落雷により焼失、1441年に再建された。 
大晦日などに王侯貴族や文武両官を招き宴を開いたところ

この後方には、安華殿がありそこで、皇帝が服装を整えたりした。
ドラマでは、ウラナラ氏(主人公の伯母)を弔い、安吉大師を招いて法会をおこなったりました。亡くなった皇子のを弔う場所となっていました。戦のときは、ここで祈りを捧げています。

● 保和殿
中和殿の後ろに位置する。ここでは、宴会や科挙の最終試験が行われていたのだそうです。
後宮の宴の場所はどこでしょうか??
ここまでが、宮殿のど真ん中に並ぶ公的な空間です。


=南側の東西

武英殿と文華殿の文武二殿が置かれています。

※武英殿
永楽18年(1420年)創設。南西の武英殿と南東の文華殿が一対。明代には皇太子の住居でした。武英殿は、乾隆帝時代に刻書処(今でいう編集出版部)が設置され、書籍(殿版)が刊行される場所でした。乾隆帝は『四庫全書』の編纂という大事業を成しましたが、ここでなされたのです。刻書処から出版された書籍は殿版と呼ばれ、木活字を用いて印刷されました。
御用絵師(ドラマで肖像画を書いていたあの人=郎世寧ことカステリオーネ*!?)のアトリエでもあったそうです。
*カステリオーネ(1688~1766年)は、イエズス会宣教師として1715年(27歳の時)中国へやって来て、康煕帝、雍正帝、乾隆帝につかえ、北京に骨を埋めたんですよね。
雍正帝は、キリスト教を禁止し、宣教師をマカオに追放したけれど、カステリオーネは絵画や建築の芸術的才を買われてそのまま北京にとどまれたのですね。ちなみに、西洋の絵師はカステリオーネ以外にも何人かいたそうです。

文華殿
いわば皇室の図書館/書画館(閲覧室)で、その後ろの文淵閣は蔵書館でした。《四庫全書》もここで保管されていました。ここに置かれていた本は、現在は台湾の故宮博物院に収蔵されています。ちなみに、この後ろには1783年に乾隆帝が四庫全書を収容する為に立てた文淵閣/文溯閣(ぶんそかく)がありました。火事から書物を守る為、五行説の「水」を示す黒色の瓦にしていあります。ここはかつて聖フランシスコ教会だったとか!?



=内廷 (後三宮)=

● 乾清宮
乾清宮は、第4代康煕帝まで皇帝の寝所・居住所だったところ。ここで政務も行っていました。刺客から身を守るために27もの寝台があったといわれます。雍正帝の代からは、寝所は養心殿に移りましたので、ドラマでは養心殿が皇帝のお屋敷です。

第5代雍正帝は、皇子達の皇位継承争い対策に、この部屋にある玉座の上に飾られた順治帝の書「正大光明」の裏に皇位継承者を記した紙を隠しておき、死語に取り出して後継者とする制度「太子密建の法」)を定めたそうです。

この宮殿内にある上書房(尚書房)は、皇子達が勉学に励んだ場所だったようです。

両わきにある廊下は、敬事房があったとのことですが、敬事房は、夜とぎのお妃を選ぶときお札を用意していた部署。

● 交泰殿
明代に立てられたこの宮殿は、皇后の誕生日や還暦祝い、または皇后の冊立の儀式などが行われた場所。

● 坤寧宮(こんねい宮)
1420年建設。1655年に建て替えられ、西の間には満漢仏の神々が祀られ、満州族のシャーマンによって祭祀が行われる場所があったとか。明代は皇后の寝所とされていました。(明朝最後の皇帝崇禎帝は1644年北京陥落の時、皇后と公主をここで殺しています。)清朝にはいってからオンドルが設けられていたそうで、皇帝の結婚式、初夜を迎える場所とされていたそうです。

オンドル・・・。ドラマでは各宮殿に炭が届けられるシーンがありましたが、火鉢だけでなくオンドルに使っていたのかも知れませんね。


=後宮=

ドラマのメイン舞台、後宮です。

● 養心殿
明嘉靖期創設(1537年)、雍正帝時代に改築元々は康煕帝の書斎でしたが、雍正帝は書斎を兼ねた寝殿とし、公務もここで行いました。ドラマ第1話で、まだ第4皇子だった弘暦(のちの乾隆帝)と対話していたのはココでしょう。
養心殿は、清朝末期、同治帝、光緒帝の時代に、西太后が垂簾聴政を行った場所でもあり、ラストエンペラー溥儀が、退位の詔を発布し幕を閉じたのもここでした。

玉座上部の天井には龍のドームがあるらしいですが、ドラマでは見てないような・・?
また、寝台には「又日新」という書があるらしいです。ドラマのセットにあったかな?確認してみよう。

乾隆帝は、養心殿の書斎に王義之、王献之、王珣による書を飾っており、それらがとてもめずらしいもの(=希なもの)だったので、乾隆帝の書斎のことを「三希堂」と呼んでいたそう。
故宮博物院(台北)のミュージアムショップが、確か「三希堂」(!) ここからきてるのですね。

養心殿の裏門は、西六宮へと通じています。

● 慈寧宮
養心殿の西隣。ドラマでは、皇太后が住んでいる宮殿です。皇太后は、ここを改修工事する間、寿康宮に仮住まいしてから入居しました。後宮で最も尊い方が皇太后とあらば、やはり立派な宮殿を授かっているのですね。

● 寿康宮
慈寧宮の西隣。ドラマでは、慈寧宮の改修工事の間、皇太后が仮住まいしていました。

※ 西三所

※寿安宮
明代の名称は咸安宮。清朝の乾隆帝が母后のために再建しました。

※英華殿
明代に万寿節が行われた所で、清代には皇后・皇太后・后妃たちの持仏堂が置かれた所である。 

ー 西六宮 ー

養心殿から北、太極殿(啓祥宮)、永寿宮、翊坤宮、長春宮、儲秀宮、咸福宮6つの宮殿を西六宮といいます。
※通称西太后(慈皇太后)は、後宮の西側のエリア、西六宮のひとつに住んでいたので「西」の皇太后=西太后とよばれる。対して慈安皇太后のことは東六宮側なので「東太后」と呼んでいました。
以下、養心殿に近い順(南から)です。

● 永寿宮
ドラマでは、怜妃の住まいになっています。皇太后の旧居、お妃時代の住居だったところ。


● 太極殿=啓祥宮
1420年創設。1535年に「啓祥宮」に変わり、清朝末期にまた「太極殿」となりました。
ドラマでは嘉妃がいる啓祥宮のことです。

● 体元殿
太極殿太極殿の後殿。後部は長春宮の舞台となっている。 

● 翊坤宮
永楽15年に立てられた宮殿。翊・坤とは補佐的で、従順である徳を現しています。万歴帝の寵妃・鄭貴妃の住居でもありましたし、後に西太后もここに住むことになります。

ドラマの主人公如懿は、はじめは延禧宮に入っていましたが、冷宮から出た後、皇帝が整え用意した翊坤宮に入りました。

● 長春宮 
永楽18年(1429年)創設。天啓帝の李妃、乾隆帝の孝賢皇后(富蔡皇后)が済んだところ。康煕22年に改築されています。ドラマでも富蔡皇后の住まいでしたのでここは史実通りです。 
内に、承禧殿、綏寿殿、履綏殿、平安室があります。

● 儲秀宮
永楽期に創設。西太后が長く居住していたことで有名で、西太后50歳の時、大規模修繕されています。 儲秀宮に住む慈禧皇太后(西太后)が食事をしていたのはここにある体和殿。 

● 麗景軒(れいけいけん)
元は、儲秀宮の後殿。西太后がまだ嬪だったころに居住していた。ラスト・エンペラー宣統帝溥儀が、退位後も中華民国との協定により1924年まで約13年間住んでいました。
  
● 咸福宮
永楽帝時代に立てられた宮殿。ドラマ前半で短くも激しく暴れた高妃の宮殿でした。西六宮の中では一番高さのある建物。

ー 東六宮 ー

以下、南西、南東・・の順です。

● 景仁宮
永楽帝時代に立てられた宮殿。現在は「古代青銅器陳列館」。
ウラナラ皇后。雍正帝の皇后(ウラナラ氏/如懿の伯母)が住んでいた宮殿。後に西太后に井戸に落とされた珍妃もここに住んでいたそうです。

● 延禧宮
永楽帝時代に立てられた宮殿ですが、数回火災にあっていて、清末に洋館風に建て替えられかけたらしい(未完)。
ドラマで如懿が最初に住んだところですが、その面影は、現在ありません。

● 承乾宮
清・順治帝期創設。現在「陶器館」。
順治帝の愛妃の寝殿として使われていたことで知られています。

● 永和宮
永楽帝期に創設。現在「陶器館」。
祟禎帝の田妃、雍正帝の生母・仁寿皇太后、道光帝の静貴妃、光緒帝の妃が済んでいました。
ドラマでは架空の人物 玫嬪が住んでいました。

● 鐘粋宮
永楽帝期に創設。現在は「文房四宝館」となっています。明代では一時期皇太子の宮殿でもあったらしいですが、清朝末期の東太后がお住まいだったことで知られています。
ドラマでは、純妃が住んでいます。  

● 景陽宮
永楽帝期に創設。現在「明清工芸美術館」。
ドラマでは儀貴人が住んでいます。 

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東六宮の南にある宮殿他

● 毓慶宮
清朝の康熙帝の時代に皇太子のために建てられた寝宮。10歳を過ぎた清朝の皇太子は、ここで自立生活を送った。

● 斎宮
皇帝が祭祀を行う前に清浄を保つ為籠もるところ。

● 奉先殿
清・順治帝期創設。現在「鐘表(時計)館」。
皇室用の寺院だったところで、歴代皇帝が祖先の霊が祀られています。
ドラマでは、皇子が生まれる時に乾隆帝が祈りを捧げていたりしたあの、キンキラキンの間がここでは?と思います。


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東側(南から)

※皇極殿

1795年、治世60年になった 乾隆帝が、祖父の康煕帝の治世61年を越えてはならないとして、帝位を顒琰(嘉慶帝)に譲り、太上皇となって院政をを敷きました。ここは、その時143万4000両を費やして建築した宮殿で、太和殿を模して造られました。現在は「珍宝館」として宝物を陳列してある場所になっています。

● 寧寿宮
皇極殿の後殿で、テラス式の月台があります。
明代には、皇帝が逝去し、未亡人となった皇后やお妃たちが居住したところで「仁寿宮」と言わいましたが、清朝康煕帝に「寧寿宮」と改名し、皇太后のお住まいにしました。
乾隆帝が上皇になってからは、ここを住まいとしました。


● 養性殿
御花園内の養性斎と混合しそうですが、こちらは、養性殿。

※暢音閣
三階が「福台」、二階が「禄台」、一階が「寿台」(福禄寿)とよばれる三層からなる、京劇用の舞台で乾隆帝のとき完成。この下にさらに井戸があり、役者の声をよく響かせたり、演目により本物の水を利用するのに使われました。 

● 楽寿堂

乾隆帝の時代に、北京の円明園の淳化軒を模して造られました。

創建した当時は皇帝の休憩所でしたが、後に西太后が日常を過ごす場所となりました。


 頤和軒
こちらは乾隆帝のくつろぎの場所だったところ。現在は宝物の展示会場になっています。
この辺りは上皇となってからの暮らしの間ですが、ドラマでは出てこないかな〜・・))

= 城内の花園 = 

※ 御花園(きょかえん
紫禁城最大の花園で楼閣や堆秀山という山があります。紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝が、后妃達と遊楽をした場所です。
  ・養性斎(ヤンシンヂャイ)明代創建、たびたび増築されています。築山に囲まれた所にあります。清朝滅亡後の1919年に溥儀の英文教師として招聘されたイギリス人のレジナルド・ジョンストンは、ここに居住していました。
  ・絳雪軒:当初、数本の海棠の木があるのみであったが、風に飛び散る落花が絳色(深紅色)の雪片のようであることから絳雪軒と名付けられた。
  ・欽安殿玄天上帝という道家の天帝を祀る神殿。

※慈寧花園
慈寧宮南に隣接する花園。ドラマで皇太后がお世話している花はココかしら?


※乾隆花園
 南北160m, 幅37m、敷地面積5920㎡。1772~1776年に、太上皇となって寧寿宮に住んだ晩年の乾隆帝の憩いの場として築かれました。





故宮博物院 概略図
http://www.robundo.com/robundo/notesontypography/?p=417より



main references: 
https://ja.wikipedia.org/wiki/紫禁城
https://www.wikiwand.com/ja/紫禁城
http://m-mikio.world.coocan.jp/beijing.html
https://kknews.cc/history/y6pvkpa.html
https://allabout.co.jp/gm/gc/379058/
http://japan.visitbeijing.com.cn/f/search.html?key=故宮博物院
http://www.robundo.com/robundo/notesontypography/?p=417
・・他


3では、身分制度について少しまとめてみたいと思います。

<つづく>




2020年10月24日土曜日

11月の料理教室→小茶会

 小茶会 気分は「こちゃかい」なのだが、なんだかこそばゆいので「おちゃかい」と読むことにしよう。

秋ですもの、食欲の秋も結構ですが、文化の秋もね♪♪


今年はコロナ禍で、素敵なMUNIギャラリーの空間をお借りすること叶わず、自宅サロンでやっちゃうことにしました。

いつもは雑多な淹れ方で失礼している中国茶。

折々に、ちょっといいお茶を、丁寧に淹れ、古今中国 古今日本など語りながら味わうひとときをーーーーー。


毎度手作りの甜点心もご用意していますが、今回は自宅サロンなので、点心を目の前でお作りし、出来たてをお召し上がりいただきます。

お持ち帰りが沢山できると思います。ご家族の皆さんとも、ご自宅で小茶会をお楽しみいただけますよう。


   ● 日時: 11月7日(土),   8日(日) 13:00~16:00  

              ※両日満席 キャンセル待ち受付中

   ● 内容

    ・秘蔵の美味しい中国茶2−3種

    ・乾菓(名店からのお取り寄せ2品+α)

    ・開口笑(揚げ菓子)

    ※お茶とお菓子、名店の乾菓子のお持ち帰りアリ


   ● 会費:5千円




杏仁酥




10月の教室で作ったお菓子です。

杏の種の核も、アーモンドも中国語では杏仁(シンレン)とよぶそうな。
アマレット(Amarett)と言えば、イタリア語。アーモンドのリキュールのことだけれど、杏の種独特の風味だ。この香りのお菓子を指すこともある。

杏もアーモンドも、バラ科の植物。
要するに、従姉妹みたいな関係のようなのです。

一見洋菓子っぽいので、南蛮菓子といいたいところですが、南蛮系にはちがいないのですが、中国経由で入ってきたお菓子です。ちんすこうも同様。だから唐菓子。(伝わった時代は近代でも「唐」。)

独特のサクサクした食感は、バターの代わりに使ったラードによるもの。

シンプルなのに何かとコツが求められるお菓子です。