2006年12月27日水曜日

「清浄歓喜団」




京都東山区祇園町・亀屋清永の「清浄歓喜団」。

奈良時代、仏教と共に遣唐使により伝えられたお菓子だそうな。
元々は、天台宗や真言宗等のお供えものとして使われていたといいます。

白檀、竜脳、桂皮など、仏教でいう「清め」の意味がある7種の香をほのかに加えた皮で、小豆餡(元々は栗や柿、杏などの木の実を甘草やあまづらなどの薬草で味付けした餡だったそう)を包み、上質のごま油でじっくりと揚げてある。

八つの結びは八葉の蓮華をあらわし、形は金袋になぞらえてあるのだとか。
2007年のお正月のお菓子はコレ。心機一転できそう・・・!
(誘惑に負けて、お正月までに食べてしまいそうですけど・・・)

なんともいえない姿形に、いにしえの雅を感じる。
漆皿もいいけど、モロッコのお皿に乗せてみました。

どれどれ、ちょっとひとつ・・・。

2006年12月26日火曜日

パン in 広島


広島人は、おいしいパンを食べている。

・・・と、私は勝手に思っています。

デパ地下には、ジョアン(三越)、ポンパドゥール(天満屋)、アンデルセン、メロンパン、アロフト(福屋)、ドンク(そごう)など、中央発または地元の人気パンやさんが入っており、パンやをはしごすることだって可能。
中心地のメイン道路沿い200-300m程の区間に4店もデパートが並んでいるということが、このことを可能にしている訳だけれど、コレ、よく考えたら、珍しいのではないかと思うのであります。
東京の人気パン屋の支店を含め、ザッと思いつくだけでも市内に片手に余るほどの本格ベーカリー&ブーランジェリーがあり、人口比からいくとかなり高いように思う。

Mon : 昔懐かし日本人好みのふんわりパン。「調理パン」「菓子パン」という言葉がピッタリのパン。

メロンパン:呉市に本店があるパンやさん。生地にしっかり砂糖を使い、種類もメロンパン、あんぱん、アーモンド型のクリームパン他数種に限定して生産している。昭和日本を思わせる懐かしいパン。

アロフト:日本とフランスのパンが上手く融合した感じのパンやさん。職人さんの中には、ビゴさんに憧れて来日したフランス人パン職人さんも・・。お気に入りは、ワインで練ったレーズンと胡桃入りのパンと、フランスパン生地でバターを折り込んだクロワッサン風のパン(油っぽくないのに、層があるのが嬉しい)。

ブーランジェリー101:ブリオッシュ生地にたっぷりのカスタードクリームが入ったパンが人気だが、ここのクロワッサンもバターたっぷりで美味しい(!)。ハードタイプのパンに、天然酵母のものもあるし、ライ麦パンも酸味が少なくて、日本人には取っつきやすい軽い仕上がり。気泡の大きなカンパーニュもオススメ。食パンは、8枚切りをカリッとトーストがいい。イギリスのホテルの朝食みたいですよ。

ドリアン:石釜で焼く天然酵母のカンパーニュが看板商品で、全国で取り寄せオーダー殺到のパン屋さん。コチラはズッシリ重たく、酸味のある生地。国産小麦、全粒粉を多用。ライ麦90%のパン・ニッケルには、キャラウェイが入っていて、本格ドイツ風。

ブーランジェリー・マガラ:フランスで修行した職人気質な若手パン職人真柄さんのお店。自家製天然酵母をじっくり仕込み10時間近くかけてゆっり生地を発酵させる製法のため、週に3日しか開けていないお店。なかなか買えないけどバケットが最高(!)。

ヴィレッジベーグル:本格もっちりベーグル専門のパンやさん。ベーグル食べたさに家でパンを作っていたが、お陰で今はそれも不要(笑)。

そして、アンデルセン。

デンマークの食卓がコンセプトのパン屋さん。東京・青山のアンデルセンは、広島が本家本元のブランドなのだ。

バターたっぷりの折り込み生地でできたデニッシュ(写真・下)が看板商品。

このデニッシュの開発には、創業者のエピソードが満載。創業者高木氏は、デンマークでデニッシュを食べてえらく感激し、お店の商品にしようと早速開発に当たらせたらしいのですが、デニッシュの折り込み生地がなかなか上手くできなかったそう。
「デニッシュ」。いわゆるペストリーなのだが、生地がパイ生地のように層になっているのがデンマーク風なのだとか。

生地に層を作るためには、バターが溶けて生地に馴染んでしまわないように仕上げなくてはいけないのだが、そこのポイントがなかなか解明できなかったために、失敗が続き、その失敗から生まれたのが、写真(上)の「デンマークロール」。おやつパンのような硬めの生地にアイシング。30年来の定番商品だ。広島っ子には「おいしい」というより「懐かしい」味。
お店の歴史がこもっているから、今も廃盤になることなく店頭に並ぶ。

余談ですが、デンマークデニッシュとスウェーデンのデニッシュは、生地が違うのだそうです。デンマークはアンデルセン同様層になっているが、スウェーデンのそれは、むしろ「デンマークロール」に近いバターを練り込んだ生地でできている。デンマーク人、スウェーデン人は、この違いにうるさい。

似て(?)非なる写真の2者、スウェーデン人は、どっちを選ぶでしょう??ちなみに、千葉のIKEAのカフェにあるデニッシュは日本人向けに層になった生地だけれど、ストックホルムのIKEAのは、バターの豊富なパン生地(層無し)。

パン屋も、パンの種類によって特化さつつある昨今。クロワッサンなら何処何処、バケットは何処何処ってな風に、その日食べたいパンによってパン屋を変えるなんてことが気軽にできてしまうのが広島。これってなんだか贅沢。

アンデルセン贔屓するわけではないのですが、アンデルセンの存在は、広島人のパン意識を高めているに違いない・・・・と、思っているのでアリマス。

2006年12月17日日曜日

保命酒(VS 養命酒)


広島県福山市鞆(トモ)の保命酒。

全国レベルで見ると養命酒の方が知名度は高いけれど、ワタシはコチラが贔屓なのだ。
お屠蘇が苦手なヒトでもけっこうイケるといって下さいます。

その保命酒の話を、先般の漢方の講演会で、聞くことができた。メモがてらちょっとうんちくを書いておきます。

★養命酒と保命酒、どちらが古い!?

行き倒れのおじいさんが、助けてくれた信州伊那谷の大庄屋塩沢家へのお礼にと薬酒のレシピを教えたのが養命酒だったという。1602年、「天下御免満万病養命酒」として完成した。

一方、鞆の保命酒は、それより後の1659年に生まれている。

大阪の漢方医中村家の子息中村吉兵衛は、鎖国の時代、港長崎の出島に薬草の買い付けに向かう際、当時瀬戸内の港町として全国から多くの人々や物資が交わっていた鞆の浦に立ち寄っていたが、1653年の大阪大洪水の被害にあい、鞆に移住した。

そこで、当時鞆で作られていた旨酒(味醂)に、中国産の生薬十六種を漬け込んで薬酒、保命酒を造ったのが始まりなのだそうだ。

養命酒は赤穂浪士も養ったであろうと言われているそうだが、保命酒もこれまた名だたる人々に飲まれてきた。

★保命酒を飲んだ人たち

歴史に名を残す多くのがこの保命酒を愛飲したとされている。

・日本外史の頼山陽が愛飲。しばしば鞆を訪れている。

・朝鮮通信使、三条実美。保命酒をうたった詩文が残っているそうだ。

・平賀源内。1752年の長崎遊学の帰りに立ち寄り、鞆の津で陶土を発見し陶器作りを伝授していることから、おそらく飲んだことだろう。

・蘭学者の高野長英。長崎のシーボルト鳴滝塾に学んだ長英は、長崎への道中で立ち寄っているはず。蛮社の獄後、脱獄し、一時広島の三滝に身を隠していたこともあるとか。

・シーボルトも、長崎から日本各地を行脚した際、福山はおそらく立ち寄っているらしい(1826年)。

・ペリー提督。福山藩主阿部正弘は、当時老中職で、日米和親条約締結後の接待に、食前酒として保命酒を出している。

ペリーの記録に「大変立派なリキュールで感心した」とあるそうな。

・坂本龍馬:海援隊のいろは丸が紀州の明光丸と衝突して沈没したのは、瀬戸内海の備中・六島沖(鞆の沖)。坂本竜馬と海援隊は鞆の浦に上陸し、船問屋の升屋清右衛門宅に数日間滞在しているので、おそらく飲んでいるはず。

・江戸幕府歴代将軍も・・・!? 保命酒は、福山藩の庇護を受け、藩主水野家の御用酒として5代、松平氏1代、阿部氏10代に渡る。幕府への献上品でもあったので、おそらく口にしていたのではないでしょうか。

こうくると、保命酒の味わいは16種の生薬の味に尽きない気がしてくるではないか。

★保命酒生薬の内容は・・・

保命酒を造っているところは現在鞆には現在6社が保命酒を造っているが、配合の生薬全てを表示しているところは1社しかない。

その表示によると・・・

地黄、センキュウ、芍薬、当帰、沢瀉(タクシャ)、茯苓(ブクリョウ)、白朮(ビャクジュツ)、肉桂、甘草、杏仁、葛根、丁字、砂仁(サジン)、山茱〓、山薬、檳椰子(ビンロウジ)、の16種となっている。

薬用養命酒には、桂皮、紅花、地黄、芍薬、丁字、人参、防風、ウコン、益母草(ヤクモソウ)、インヨウカク、烏樟(ウショウ)、杜仲、ニクショウヨウ、反鼻(ハンビ)の14種。

いずれも、滋養強壮、胃腸障害、血色不良、冷え症、肉体疲労、疲労衰弱等に効果がある生薬ばかりだが、専門家が保命酒の配合をみると、六君子湯*(&四君子湯*)、十全大補湯*、補中益気湯*、四物湯*、八味丸*など、漢方処方を基本としていることがよく分かるらしい。

この解説だと、なんだかスゴイお酒のような気がしてます・・・が、よく考えたら、お屠蘇同様、たとえ1合の薬酒をのんだとしても、あのティーバック式になっている2,3g程度の屠蘇散の成分に過ぎないのだから、薬としての効果はあまり期待しないほうがいいかもしれません。まあ、酒もお茶も薬のうち。健康酒として、楽しむとしましょう。




*六君子湯:水分の滞り、氣の滞りに有効で、食事を食べようと思えば食べられる程度の症状なら「四君子湯」、食べられないときは六君子湯。

*十全大補湯:気血共に虚した者、疲労衰弱、貧血、神経衰弱などに。

*補中益気湯:心身共に疲労、息切れ、下痢、夏やせなどに。

*四物湯:胃弱ではないが、ヘソの上に動悸がある、皮膚が乾燥する、夫人緒疾患などに。

*八味丸:特に中高年者の強壮、疲労回復、体力増強に。




2006年12月11日月曜日

ムスリム・グロッサリー

神戸山手で立ち寄ったムスリムモスク付近のグロッサリーで・・・アリマシタ!

昨年ロンドンのボロウマーケットで見つけて以来、ずっと気になっていた、丸ごとドライレモン(イラン産)。「HAJJI BABA」。
これは、紛れもなくスパイス。

乾燥すると、フレッシュとはひと味違った香りになる。
山椒や花椒、陳皮、柚子・・・乾燥させて、独特の香りを引き出す。


アラブでは、スープに加えたりして使うそうだ。トムヤンクンの仕上げに一絞り加えるライム果汁のように酸味と清涼感のある香りが、食欲を促進してくれるに違いない。
そのまま部屋に置いておくだけで、柑橘系の香りが漂います))))。
お風呂に入れてもいいかなぁ)))と思ったけど、これはレモン丸ごとなので、お湯に浸すと酸が出てくる。

神戸の思いがけない収穫でした。

2006年12月5日火曜日

「何故日本人は、フランス料理を選択したか」(2)


1814年、ウイーン会議。ナポレオンが敗れ、領土分割の為集まった各国の代表に、フランス外交官タレーランは、豪華なフランス料理とシャンパンを振る舞って懐柔し、会議を引き延ばし、危機を救った。

胃袋作戦というべきか・・ともあれ、これに殉じて欧米では、外交の席で、フランス料理が用いられるようになったのだそうだ。

日本は、アジアの中の「欧米」となることを選択した。

江戸の日本がいきなり欧米たらんとは、かなり強面な対策だが、欧米の圧倒的な経済力と同時に、道中立ち寄った港、港で植民地となったアジアの国々を目の当たりにしたのだから、危機感、切迫感に押されての選択無き選択だったことだろう。

政府が富国強兵の流れの中で積極的に取り入れた西洋料理。食材や調理道具の入手からして、庶民にはかなり敷居が高かったのは言うまでもない。それでもなんとかかんとか、ジワジワと日本に浸透していった過程には、どんなことがあったのだろう。

西洋料理のアンテナショップ、西洋料理店。

外国への旅客線に乗り込んだシェフたちは、フレンチを主体に料理を出していたが、なんせ当時の旅は、何週間にも及ぶもの。時々は米を食べたくなる日本人の為に、ごはんにも合う洋食を考案したりと、レパートリーにも創意工夫がなされていったという。そのシェフたちが、舟を下り、洋食屋を開業し、丘の庶民も賞味に預かるようになる。

この辺りは、なんだかフランス革命後、宮廷の料理人が職を失いレストランを開業するようになって宮廷の豪華な料理を庶民が口にできるようになる下りとなんとなく重なって、面白い。

歴史も、食文化の見地からひもとくと、また違った楽しみ方ができるというもの。

『知るを楽しむ』思いがけず、いい勉強になりました。

◆ ◆ ◆

作曲家は、死後100年経たないとその曲は「クラッシック音楽」と認められないとか。料理の国籍も、著作権期限を待つみたいに時間を経なくてはいけないということか)))。

カステラも天ぷらも、元は欧米から伝来したものだが、数百年を経て、現在ではすっかり日本を代表する料理になった。海外でまるで日本食の代表格の扱いであるにぎり寿司も、江戸時代に生まれたファストフードだ。

西洋料理店で出されていたオムライス、カレーライス、シチューにロールキャベツ・・・今ではすっかり家庭料理の定番メニュー。冷蔵庫にバターが常備されていない家庭も少ないだろう。欧米食は、私達の食生活の一部となっている。

料理は、いつでも庶民文化の中でアレンジされ、身近な食べ物や馴染みの食材で工夫を凝らされ代わっていくものである。

そう思うと、ナポリ市民にはお叱りを受けそうな、あの、ケチャップで炒めたスパゲティナポリタンもなんだかとても感慨深いではないか。

料理の国境は、しなやかなであっていいのではないかなと思う昨今。




2006年12月1日金曜日

「何故日本人はフランス料理を選択したか」(1)

先日、料理研究家のFさんから、伺った面白い話。

政治家は、英国人
料理人は、中国人
エンジニアは、日本人
恋人は、イタリア人
銀行家は、スイス人

ーーーーーーーーがいいそうな。

反対に、最悪のパターンは・・・・というと、

政治家は、日本人
料理人は、イギリス人
エンジニアは、中国人
恋人は、スイス人
銀行家は、イタリア人

ーーーーーーーーなのだとか。

そんなお話を伺ってひと笑いしたところ。

NHKの『知るを楽しむ』という番組で「何故日本人は、フランス料理を選択したか」という話をしていた。

開国後不平等条約を結ばされ、欧米との国力の差を思い知らされた日本は、岩倉具視使節団を派遣し、欧米を研究。憲法はドイツ、産業はイギリスを手本にし、外交の為の料理には、フランス料理を・・・と、積極的に欧米の文化を取り入れた。

あれれ、さっきの話とはちょっと違うゾ。

当時の外交というのは、ヨーロッパの宮廷外交が主流で、そこで、フランス料理は欧米外交の基本だった。

そこで日本は、フランス料理を世界の最高のものと理解し、外交や正式な席にはフレンチを選んだのだそうだ。明治時代になると、天皇主催の晩餐会、午餐会は全てフレンチが出されるようになったという。

かつての献立記録が残されているが、千年にも及び獣肉をたべる習慣が無かった*にもかかわらず、早々たる本格的フレンチが並んでいる。(*天武天皇が、仏教の戒律に従い「殺生禁断の詔」を出して以降、脈々と受け継がれた感覚だった。)

江戸時代も5代将軍綱吉の「生類憐れみの令」で、そんな戒律に受け継がれたものが極端な形で現れたと見れなくもない。開国交渉の場でも、食料として牛を渡すように言ってきたペリーら一行に対し「牛は農耕に欠かせない大切な労働力だから」と、断固として"NO"といい続けた日本政府・・・・。

それが、一転して肉食解禁、肉食奨励という風潮になったというから、世の人々は、さぞや戸惑ったことだろう。

・・・と思いきや、たちまちブームになり、すき焼きや味噌鍋が一般でも食べられるようになったという。

大正時代には、女学校の家庭科の教科書に、カレーライスやトンカツ、コロッケなどの洋食が掲載されていたというから、なんとも日本人とは、節操がない民族だろう。いや、短期間の間に御飯にも合う料理にアレンジされて家庭の食卓に上るまでに浸透するのだから、器用で柔軟な民族というべきか。

それでも、バターが苦手な人など結構いたみたい。

「バタ臭い」の「バタ」は、オバタリアン、ドタバタ、アバタのバタかと思っていたら「バター臭い」から来ているらしいから、明治以降生まれた言葉ということか。)))

カステラは、"バタ臭さ" を排除して卵と砂糖、それにハチミツ、味醂だけで作られた、日本オリジナルのお菓子。バター好きもバター嫌いも、おそらく大好きなお菓子だろう。

今、JETROにより日本料理の規定を布こうとする動きが起こっているが、コレ、外国で生まれる「カステラ」的料理への批判にならないといいけどなあ)))。

外国人のお客さんには、是非カステラをお出しして、一興講じては、いかがでしょう。

<つづく>




2006年11月27日月曜日

『プラダを着た悪魔』


『プラダを着た悪魔』、これは、まさしくビタミンムービー!

ジャーナリストを目指してニューヨークにやってきたアンディ(アン・ハサウェイ)が、ファッション誌ランウェイのやり手編集長ミランダ(メリル・ストリープ)のアシスタントとして奮闘する日々を描くドラマ。

悪魔・・・とは、メリルストリープ扮するミランダのこと。

24時間、ミランダの公私堺ない強引な指示に振り回され、いつの間にかキャリアの為に恋も友情も犠牲にする生き方に引きずり込まれていくアンディ。憤慨しながらも、仕事の厳しさやカリスマ編集長の孤独を知り、成長していくアンディには、誰しも共感できるはず。

登場人物が着こなすプラダ、シャネル、ドルチェ&ガッバーナ、ジョン・ガリアーノ、エルメス等々のファッションも見モノだ。

それにしても、この映画でのアンカー的存在は、メリル・ストリープ。目や唇の動きだけで、周囲のムードを一変させるドラゴン・レディの迫力は、役柄を越えた大物女優の存在感そのもの。ミランダが単なる悪役に治まらない魅力を放っているのは、彼女だからこそ描けた役柄だと思う。

グッと着た台詞がある。

ファッションにはあまり頓着のないアンディ。ファッション業界に身を置きながらもこれまで通りのロー・モードな服装で仕事を続ける彼女に、ある日、ミランダが容赦なく厳しい言葉を投げかける。くじけたアンディが、スタイリストのナイジェルのオフィスを訪ねて自分の努力を分かってもらえない悔しさを訴えたときの、ナイジェルの一言。

Get up at 6:00, she(ミランダ) is just doing her job.

ファッション誌ランウェイというアートを生み出す作業の為にみんな働いているのである。誰かに褒められるため、認められる為ではなく、素晴らしいものを造る為に頑張っているのだ。ミランダは、ドラゴン・レディと言われようがスノー・クイーンと言われようが、自分にしか出来ないという自負のもと、より完璧を求めて仕事をしている。プロの仕事には、努力賞などない。

確かに、アシスタントや秘書という仕事は、「自分の為の仕事」と考えにくい業務であるかもしれない。言われたことをこなすことに右往左往させられることも多々ある。自分のフィルターの使い所を心得ていないと、虚しさばかりが募る。

ナイジェルの言葉で、アンディは、仕事へのアプローチを一新、ナイジェルの陰のサポートを貰いながら、ミランダもハッとするようなファッションに身を包み、仕事への覚悟と意欲をアピール。周囲も、次第にアンディを認めるようになる。

昼夜ない多忙な日々の中での、同僚たちとのやり取りが何とも小気味よい。

テンポのよい場面展開に、マドンナの『ヴォーグ』がしっくりハマっている。

ラストの、ミランダの笑顔が印象的。))))




デヴィット・フランケル 監督。

ローレン・ワイズバーグ 原作。

ローレン・ワイズバーグは、ファッション誌『ヴォーグ』の編集部で、当時のカリスマ編集長アナ・ウィンターのアシスタントとして勤務していた経験があることから、ミランダのモデルはアナ・ウインターではないかとささやかれているそうだ。作者本人はこれを否定。アナ・ウインターも「自分とは似ていない」とコメント。メリル・ストリープはというと、(ウインターではなく)幾人かのビジネスマンを参考に、役作りに取り組んだとフォロー(?)しているそうだ。

2006年11月18日土曜日

築地(2)一杯のみそ汁


市場を一回りし、手にはマグロのカマ、野菜(野菜だって一束一パックから買える)、本。魚河岸横丁の一角にある書籍部は、狭い店舗ながらも飲食業関係者を対象とした料理本や雑誌に特化されており、料理関係なら欲しいものを見つけやすい。以前ブログに書いたお魚カルタも、こちらで買える。

一通りの買い物を済ませたら、お腹もペコペコにーーー。

10時頃になると、飲食店に人が集まり始める。私もここで、遅い朝ご飯をいただくことにした。

鮮度、素材が売りの軒の中でもお寿司屋は、一番の人気。真っ先に行列ができる。

列に並ぶ余裕もない胃袋を抱えた私は、あんこう屋「高はし」の暖簾をくぐった。

高はしは、魚料理の定食がおいしい。刺身、焼き魚、穴子丼、煮付け、あんこう煮等々、その日のお魚で造る料理に、ごはん、お新香、みそ汁を合わせた定食も頂ける。毎日通っても飽きの来ない料理で魚河岸で働く人々の胃袋と心を満たしている。

カウンター席12-13席。肩幅ほどののスペースで、まるで屋台のよう・・・。左隣には、一仕事終えた風の長靴姿のおじさん。注文も「いつものヤツ」の一言で、ごはんの量までおじいさん向きの定食が運ばれてきた。どんぶり飯に生卵をかけて掻き込んでいる。70近いかと思われる風貌だが、力仕事に従事する現役男性の豪快な食べっぷりだ。

右隣は・・・3人の若い男性。金目鯛の煮付けとお刺身の定食と、穴子丼、太刀魚の塩焼きを、慣れない様子で注文し、運ばれてきた料理の皿を珍しそうに3人で回しながら食べていた。

私は・・・まだちょっと時期が早いけれど、あんこう煮定食を・・・・。

間もなくどんぶりの汁物とどんぶりの御飯、みそ汁、お新香が運ばれてきた。

汁物が重なるので、右隣で単品の穴子丼を食べている男性にみそ汁を食べてもらうことにした。

「良かったら、これ(味噌汁)どうぞ」

「あ・・、ありがとうございます!」

「学生さんですか?」

「あ・・、そんな風に見えます?嬉しいな。会社が近くでして・・・夜勤明けなんですよ。」

朝日の整理記者さんかな?

3人全員がお味噌汁付き朝ご飯になり、朝の胃袋も安心感がましたところで、

「あの・・よかったら、これ一口どうぞ」と、金目鯛の煮付けを私に回してきてくれた。

「あ、これもどうぞ」

今度は、穴子丼が回ってくる。

遅れて運ばれてきたぶっとい太刀魚の塩焼きは、ちょいとお醤油をかけてそのまま私の前に・・・。

「じゃあこれも・・・」と、私も追加で頼んだお新香を回す。

ローテーションに加えて貰い、しこたま出身地やお国自慢混じりの美味しい話に花を咲かせ、4人で舌鼓を打った。

食べ物を共有すると、何故か会話も弾んでくる。

行きずりの人情に気をよくしている内に、気が付いたら「ちょっと多いかな・・」と思っていたどんぶり飯を平らげてしまっていた。

食事は、やはり大勢で頂くのが食欲も美味しさも増すというものだ。)))

一杯のかけそばならぬ、一杯のみそ汁。すっかり温まった心と体。いい一日のはじまりを予感した。

2006年11月17日金曜日

築地

築地。やはり面白いのは、場外より場内。

一昔前は、素人禁制のムード漂う場所だったらしいけれど、築地ツアーでマグロの競りを一般人にも公開したりで、随分と近づき易くなりました〜。

一昨年前に参加した築地ツアー。(朝の4時半集合!)コレなかなか圧巻(!)。19世紀の息づかいそのままの風情にすっかり魅了され、以来上京の折には再々足を運ぶようになりました。

午前9時頃までは、業者の大八車やターレットの激しい往来で挽かれないように通路を歩くだけでも大変だけれど、時間帯を選び、仁義を守りさえすれば、私のような素人でもそれなりの買い物ができるし、その道一筋の職人気質な店主に話を聞かせてもらえることもあります。

値切らない。
商品にさわらない。
許可無く写真を撮らない。

ツアーの時教えられたこの3つは守るようにこころがけています。

使っている刃物や道具のこと、魚のこと、市場のこと等々・・・一言二言交わすうちに「おねえさん、これ○○○円にしとっくから、買ってきなよ」なんて展開も・・・!)))

魚介の場合は、箱単位や大きなブロックだったりすることもあるけれど、10時を回ると、お片づけモードも入って、破格で譲ってくれたりする。カニ、エビ、カキ、ホタテ・・・・「1箱2000円にしとくよ」と言われた時は、都内在住でないことをとても悔しく思うのであります。

・・という訳で、いつも買って帰るのは、マグロのカマ。ー50℃で冷凍され金属さながらにカチンコチンのマグロをそのまま裁断したものは、常温で5-6時間たってもまだ完全には解凍しないので、夜の飛行機で持ち帰ることができる。写真は1000円で頂いた代物(の1/2) 。軽く1kgはある。筋のない方は、ほじり取って、ネギトロのように刺身で十分頂ける。残りを塩焼きにすると、霜降り肉のステーキも顔負けのご馳走になる。なんせ2メートル近くもあるマグロのカマだから、ヘタな哺乳動物よりも「肉」。

今回は、筋肉の木目の細かい部分をブロックに取って、ガスの直火で炙り、氷水にとってからスライスし、タタキ風で食しました。

滴る脂・・・。

不思議なことに、ちっとも胃にもたれない。

室温でも溶け出さない動物の脂と違って、体温の低い魚の脂は、人間の体内では溶けやすく中性脂肪になりにくいのだそう。
【写真:マグロのカマ(1/2にカット済)】
場外のつま屋さんで防風や生ワサビを買うと、2000ー3000円で鮪専門店さながらの一品ができてしまう。

2006年11月15日水曜日

お江戸の味:玉ひで 玉子V.S.卵


何年ぶりかで、東京・人形町の玉ひでで、親子丼を食べました。

1760年創業、日本で最初に親子丼を作ったお店。最近では、地方の物産展にも出店したりしているので、なにも東京まで来なくても食べられるみたいだけれど、どこで食べても1時間待ちは必須。厳選卵と厳選の軍鶏、秘伝のタレ、老舗のストーリーに、一杯1300円の幸せを求めるなら、1時間も、大した時間じゃないのかもしれない。

玉ひでの親子丼を初めて食べたのは、かれこれ10年近くも前。
初めて食べたものは、何かにつけて基準になりがちですが、おかげで、私の親子丼のハードルは、かなり高くなってしまった。

あの、卵の何とも言えない半熟さ加減、ごはんが浸らないタレ加減。シンプルな料理ほど難しいことを実感させられる一品。

ところで、卵と玉子。

これって、どう違うんでしょう? 

親子丼を食べた後、立ち寄った古本屋で、偶然その答えがみつかりました。

かに玉、おでんの玉子、生卵、とき卵、金の卵、カエルの卵・・・私は何となく、卵は生で、料理すると玉子になるのかなーと思っていたのだが、ちょっと違うらしい。明確な基準はないものの、卵は生物学的な意味でのタマゴを指し、玉子は、食材としてのタマゴを表すという説が有力なのだとか。また、タマゴの殻に入った形状を留めていないときには卵なのだそうです。

すると、ゆでタマゴは、ゆで卵ではなくゆで玉子なのね。

役者の卵も、役者の玉子と言った方が殻を破っていない→一まだ皮剥けていない感じでいいのかしら??

親子丼のタマゴは、卵なのか玉子でなのか・・・・。(「玉ひで」だから玉子といいたいところですが、これについては創立者の妻が「たま」さんだったり当初の屋号が「玉鐵」だったりで不明xxxあしからず。) 





2006年10月29日日曜日

食育の講演会(3)


4)最後に、小泉前首相の刺客として衆議院議員に当選し、食育の活動をなさっている藤野真紀子先生。

「ティーパーティーをして食育を語りましょう」、「政治と料理は同じと考えております」といった大胆(?)発言が報道で流れ、一体どんな方だろうと、興味津々だった。栗原はるみさんと並んでカリスマ主婦と呼ばれ、お菓子やお料理の世界では、ハイセンスでエレガントとなイメージで大活躍。ニューヨーク、パリの駐在経験もあり「フランスの旅委員会」2001年の親善大使を努め、フランス政府からも文化普及に貢献したと評されるほどの海外通でおられ、華やかさが際立つ方。

1時間の講演でしたが、食育基本法の制定の意義やその内容について、その成立のいきさつなどからわかりやすくお話になった。

「食育」が法律で制定されたのは、世界でも日本が初めてなのだとか。決して海外通的なお話ではなく、庶民の目線で語り、お上からのお役目をきっちり務めておられた。時間がおしてきて早口になってもくずれないきれいな日本語))))。(フランス語もとてもきれいだとか・・)コンプレックスが無い人特有のアグレッシブさはあるけれど、チャンスに怯むことなく立ち向かい着実に自分の力にできる逞しく頼もしい方だという印象を持ちました。(・・・と同時に、一部分だけを切り取って報道するマスメディアの怖さも・・・改めて実感。)

「食育は、もちろんそれだけを取り上げるべき問題ではない。けれど、今や国としても、放っておけない程の社会問題になってしまった。法律の落とし込むことになったのです」と、藤野真紀子先生。

現在、食料の自給率は、オーストラリア 200%、アメリカ 120%、フランス 130%、ドイツ 97%、イギリス 69%、そして日本40%。

地球温暖化→砂漠化→作物減少。地球は、確実に食料不足へと向かっている。

そして、「飽食の時代」は、新たな飢えをも生んでいる。

朝ご飯をひとりぼっちで食べている子供、30%。朝食を食べない子供も増加している。

朝食をきちんと取ることによって、学習能力がアップすることは、すでに認められている。特に、理数系の能力アップに繋がっていることは、各学校の取り組みによるデータに出ているそうだ。そして、味覚は、国語能力のアップに繋がるのだそうだ。味覚の表現に言葉を使うので、味、音、匂い、歯触り・・・感覚と言語とを関連づけることで、表現能力が鍛えられるという訳だ。(ちなみに、味覚の教育は7才~11才までに行うのが効果的とか。11才以上になると、食べることに、余計な理由がでてくるので。)

合理性追求と消費生活の中で、いつの間にか歪み始めた私達の食生活。情報収集して健康を考えて暮らしているはずでも「情報」の意味を取り違えると、あさっての方向へ向かってしまう。

やはり、経験を通した情報を家族間で伝えていくことが大切・・ということか。言うは易し。根は深し。

日々、卵1パックXX円だの何だのと、目先の数字には敏感でも、税金の行方には疎い。これではいかんのですね。))ひとりひとりが賢い消費者になることからはじめなくては。そして人間らしい社会生活を送る。

総時間、約5時間の講演が導く先は、やはりココでした。

(了)

2006年10月26日木曜日

食育の講演会(2)


2)梅垣先生は、サプリメントや健康食品、あるいは体によいとうたわれる食品の安全性有効性、何をどう信用し判断していくかの手がかりを、わかりやすく解説。身近に見聞きしているいわゆる「情報」は、効果を過大評価し、安全性を過小評価されている。効果ばかりに注目しているものであることを認識し、情報提供者側の目的を理解して判断しましょうと語る。  (http://hfnet.nih.go.jp/

学会等も、「○○に効果がないということが判った」というものは、論文にはなりにくい。だから「効果がある」という結論を前提に試みられていると考える方がよい。情報というのは、常に「リスク < ベネフィット 」。ポジティブな側面だけが語られることを認識すべし。

3)の神田先生の弁も、安原先生に勝るとも劣らず。偏った情報、信憑性の低い情報に振り回されている世間の人々に警鐘をならす。

ハーブ製品、漢方というと安全なイメージがあることへの誤解、外国製品の安全基準は異なるということ、ダイエット食品の危険性について「健康食品には法律上の定義は無く、健康食品と一口に言っても、3種類あります。健康(になる)食品、健康(を願う)食品、健康(を損なう)食品・・、これら全て”健康食品”というんですよ」と説く。健康食品等に頼ったダイエットの危険性を「体は細身、脳も細身、あげくに認知症」「一笑にふすか、一生に臥すか」と、危機感迫る言葉で食事の大切さを解説。

朝食のことを、英語でBreakfastと言うが、"fast"とは、断食のことを言う。

すなわち、断食をbreakするーーー「断食を止めること」とという意味になる。これを「朝食が無くなると、親子共々"Break"  なのだ」と、食育についても、生活習慣としての在り方を言及。

真の知性とは、どんな人にもわかるようなかみ砕いた表現ができることだなあ))))。<しみじみ・・・>

「食育」という言葉に、どこか釈然としなかった自分の思いが何なのかが、少しずつ見えてくる気がしした。

2006年10月23日月曜日

食育の講演会より:藤野真紀子/神田博史/安原義/梅垣敬三(1)


先週から数回、4先生方による「食育」をテーマにした講演会に足を運んだ。

1)「俺にも言わせろ ~社会と文化が正常なら食育はいらない~」by 安原 義先生(東京農業大学短期大学部 栄養学科教授)

2)「健康食品の安全性と有効性」 by 梅垣敬三先生(国立健康栄養研究所情報センター・健康食品情報プロジェクトリーダー)

3)「ダイエット食品を考える」 by 神田博史先生(広島大学薬学部助教授)

4)「食育を通じた人づくり」 by 藤野真紀子先生(料理研究家・衆議院議員)

ー日時順ー

タイトルから、講演内容はなんとなく察しが付くでしょうか。

1)の安原先生のお話は、社会の矛盾を食と栄養学の視点からもの申したもの。

人間は、情報をDNAだけではなく文化で伝えているのである。その文化は、家族揃った食事の中で培われ、文化の継承の中で、健康の維持能力も育っていく。知育、徳育、体育、食育がバランスよくできてこそという主旨のお話。

食物そのものに着眼するのではなく、あくまでバランスと自然を考えるべしと、マスメディアによる美意識や健康観の歪みを指摘し、「ブスは痩せても痩せたブス」「ジャンクフードはない。食べ方がジャンク」「栄養士らが健康によいと薦めた食品はアレルゲンだった(アレルゲンにならない食品はない)」「健康で長生きすれば、癌かアルツハイマーで死ぬ」・・・等々、綾小路きみまろさながらの毒舌で、子供や孫たちの食生活に釈然としない思いを抱えるおかあさんおばあちゃんを「うん、うん」頷かせる。

栄養学科の先生らしからぬ発言だが、意外に昨今こういう考えの栄養士さんは多いように思う。

癌で闘病生活を送った経験のあるベテラン栄養士さんと、以前一緒に食事をした時にも、自らの体を通して「栄養学の分子の世界で健康を語るのは人間のおごりだ」とおっしゃっていた。科学的知識があるからこそ、その矛盾にも気が付くことができるものなのかもしれない。

安原先生も「試験管の反応が体内で同じようになるとは限らない」と、異口同音に説かれる。

科学は、ある約束事の範囲で成り立っていることを認識しなければならない。

科学とは、複雑な事象を単純化して説明する遊び。複雑な物質は、それを構成する要素に分解し、それらの個別の要素だけを理解すれば素の複雑な物質全体の性質やふるまいも全て出来るはずだと想定する考え方なのだーーーと。

有るものを分け合って食べる時代から、選んで食べる時代への移行で、大切なものが抜け落ちてしまった!?。

自然の力、すなわち栄養素では語れない旬のエネルギーとバランス力。

ちょっと体調を崩した経験のある人なら、きっと思い当たることがあるはず。そして、自分の体の声を聞くことを覚えたら、聞こえてくるはずである。

私自身も、ストレスで体重が減ったことがあるのだが、その時は、体が冷え易い状態で、ちょっとした食べ物の違いで、体がぽかぽかしたり、シンシン冷えてトイレが近くなったりという違いを敏感に感じた。それを機に、陰陽説や医食同源などというコンセプトにも関心を持つようになったが、知れば知るほど、改めて自然の摂理に感服するばかりである。

進歩の中で、実は退化させてしまった感覚があるのではないかーーーー。

お話を聞くごとに、そんなことを考えさせられる。

<つづく/全3回>

2006年10月8日日曜日

酒まつり

酒祭りに行ってきました。

http://sakematsuri.com/

1杯100円~300円で、いろんなお酒が試飲できる。1500円で多数のメーカーのもの飲み放題、蔵モノ限定品飲み放題500円などなど、許容量と嗜好に合わせて選べる気楽さ♪
真っ昼間からのお酒はなんだか贅沢ーーー。

飲むときは、食べたい、食べないと飲めない私は、先ほど買ったイカのゲソを食べながらも目は次のつまみを探している。

商店街の魚屋さんが店頭で売るハモのフライ、一寸のすきで隣のおばさんに買い占められてしまった(涙)。コイワシの天ぷらもいいねえ)))。

ザル豆腐。薬味をしっかり入れてぇーーー。)))

美酒鍋は早くも完売の札が立っている。

おかもちを使っての薫製も・・・!(写真参照)。

モンゴルの乳酒(アルヒ)というのを売っていたので試飲してみました。
『神の雫』の神咲豊多香なら、一口口に含むと、目の前に、モンゴル高原が広がり、陸より広い空を雲がグングン流れゆく光景が浮かぶところなのだろうけれど、私にはそんな現象は起こりません。

アルコールは・・・大陸級。高い。白濁したその酒は、苦甘い(?)ちょっとアニスを効かせたリキュールにも通じるお味だけど、もっと素直であっさり。もっとヨーグルトっぽいかと思ったら、意外に酸味は無い。

瓶で買うには少々「異文化」すぎる味?。美味しいけれど、後で頭が痛くなりそうな味なので、おっちょこ1杯で好奇心を満たすに留めます。

☆写真左:おかもちで薫製!/右:白牡丹の酒蔵入り口付近のデコレーション。一升瓶6本を縄で束ねて・・・good Ideas!

2006年9月25日月曜日

イラン人 in Person

先日の昼下がり、国際交流のボランティアをしている奥様Tさんに誘われて、イラン人記者Mさんとお会いしました。

日本の家庭を垣間見、民間人とふれあいを持つ時間をと、お世話役がコーディネートされた数時間。

Mさんは、ハンサムな紳士、宗教的にも規律に忠実な方で、お会いしていた数時間の中でも1度お祈りの時間を取られた。

まず洗面所で手と足を清め、和室に案内されるとメッカに向かってお祈りをーーー。

何処でもお祈りを始めるイスラム教徒の方に、違和感を感じる人もいるのかもしれないですが、見方を変えれば、素晴らしい部分。不勉強を承知で感覚的に言わせてもらえば、食べ物を命を頂くこととしてとらえ、お祈りして清めてから食べるというのはそれなりの理屈があるように思えるし、お祈りの時間の為に太陽の位置や方角を気にしするのも、忙しくビルの谷間を歩きまわる都会人が忘れてしまっていること。合理的発想に支配されている現代社会にどっぷりと浸かっていると、なんだか独特のゆったりムードすら感じてしまった。何処にいても、一つの方角を意識しているなんて、方向音痴の人には苦労なことかもしれないけれど(笑)。自意識が強く相手に合わせがちな日本人からすれば、強いアイデンティティを感じる。

「相手に合わせる柔軟性があるところが日本人の素晴らしいところ」と語るのは、通訳のAさん。
日本在住15年で、今回Mさんの訪日では付きっきりでお世話しておられる。
気さくな親日派の彼は、「いつどこで日本語を勉強したの?」「宗教的にはどうなの?」・・・もうこれまで何度も尋ねられたであろう質問にも快くユーモラスに答えてくださる。

「イスラム教の人たちは、悲しいかな食べ物の制約がコミュニケーションの壁になっている。一緒に食事をしてこそ和みの空気が生まれるものと」感じているAさんは、なんでも頂き、お酒もたしなむことにしているそうだ。最も、それなしには成り立たない職務ゆえ割り切らざるを得ない立場とそれが許されるバックグラウンドもあるのだろうから、比較はできないけれど。

Mさんがお祈りをしている間、だれがしゃべっても常に通訳に追われ、出されたモノにも殆どハシがつけられないAさんに「やっとお茶が飲める時間ができましたねえ(笑)」と、私達は、お茶とお菓子を勧めました。

雑談の中で教えてもらったイランと日本の意外なつながり。

「コタツ」は、そのままイラン語(ペルシャ語)にあるのだそうだ。

長い手足を「コタツ」につっこみ暖を取るイラン人の姿を想像すると、なんだか笑ってしまうが、コタツ文化がシルクロードを通って伝わったのだろうか。トップのテーブルが、モザイクだったりして。)))

また、「いい加減な」を意味する「チャランポラン」はペルシャ語で、そのまま同じに使われているのだとか(!)。

パックン並の日本語でジョークを連発するAさんだから、最初はすっかりジョークだと思って聞いていたが、ホントなのでした。

これまで私の中では、イランという国が中東の一国としてのイメージでしかなかったけれど、昨日はテレビでイランの報道を見ながら、お二人の顔が浮かんだ。国名を聞いたとき、誰かの顔が浮かぶこと。これが国際交流の意義なのかなぁと、一寸思った次第。一人、ひとりの顔が思い浮かべば、戦争などできるはずもないでしょう。

外国のお料理、ライフスタイル。

「 "外へ目を向ける" というのは素晴らしい日本の文化。宗教も過激でもなく無頓着でもないレベルがいいですね」と、MさんAさん。

アメリカに正面からモノ申すイランのアフマディネジャド首相やベネズエラのチャベス首相を、ちょっと羨ましく思う今日この頃。

2006年9月3日日曜日

漢方談:高貴薬


「中国人は、財産はお胃袋に入れるんです。」

中国を旅行をした際お世話になった中国人が、食事のとき笑いながらいった一言。

広い国土を何時身一つで移動しなければならなくなるか分からない時代が続いた中で「胃袋に入れる」という考えになったそうですが、健康で強靱な体があれば、どんなことがあってもなんとかできるということにも通じますね。

成功し何もかも手に入れた人が最後に求めるのは健康と長寿。「強いモノを食べれば強くなる」「長生きの生き物を食べて長生きする」という発想も、ちょっと迷信がかったところはあるものの、生きることへの執念が感じられます。


さて、財産を胃袋に・・・の究極ですが、一昔前までは漢方薬局にも「虎の肝を入れて作ってくれ」といて、何百万も出す客がいたのだとか。今時でいうバイアグラ的発想だったのかもしれませんが、生命力を維持したいという強い願望は昔から同じなのかもしれません。

虎の肝はもはやタブーですが、先日の漢方講座では、高貴薬といわれる、ジャコウ、クマノイ、ゴオウについてお話を伺いました。

●ジャコウ(麝香)

狐と鹿の中間のような麝香鹿の雄の睾丸にある香のう分泌物(匂い袋)を乾燥したもの。で1g=1万円ぐらい。

雲南省のチベット近くに生息する麝香鹿は、絶滅危惧種にもなり、ワシントン条約で規制され、輸出入できないので今はもうありませんが、この日は、それ以前に入手していたものを見せて頂きました。

麝香はフェロモンなので、気付け薬的効能はもちろん、塞がっているものを開く働きがあるそうで、心筋梗塞や脳梗塞、自閉症などの精神障害にも用いられるのだそうです。

漢方薬局では、乾燥させた睾丸の匂い袋のみを使用するので、皮は使いません。それを、芸子さんなどがもらいに来て、和箪笥に入れて着物に香りを付けていたとか・・・。

お香や香水などmusk(英)、musc(仏)というのがよくありますが、あれは麝香のことで、マスクメロン、マスカットなど、香りのよいものにもよくmusk/musc とついています。ワインの香り鑑定の訓練に使われる香りのサンプル「Le Nez du Vin」にもMusc(仏)というのがあるので、拝借して匂いを比べてみましたが、な~んか・・・違う)))。ホンモノは、もっと獣臭といいますか、動物的な匂いで、少し離して嗅がないと、いい香りに感じられません。ちなみにCivette(麝香ネコ)ってのもありますが、これは全然異質のニオイで、はっきり言っておしっこ臭でした。

更に、辞書でしらべたら、Musk Turtle(ニオイガメ)とか、Musk-ox(ジャコウ牛)とか、musk shrew(ジャコウネズミ)とか、いろいろ出てきました。なんか、いい匂いも臭いニオイもひっくるめて、強い匂いのものに付くようです。

●クマノイ(熊胆)

熊の(胃袋ではなく)胆のう。1g=卸値3~4千円。

偽物も多く出回っているらしいですが、良質のものは、琥珀色で、冬眠前の食べ物を沢山食べ体が胆汁を沢山出している頃の熊の胆汁がいいのだそう。(最近は、熊を殺さずに、注射針で胆汁だけを取り出し加工する手法がとられているらしいです。)

熊胆には、消炎、鎮痛、鎮静効果があるそうですが、昔から胃けいれんや胆石などにはよく使われていたそうです。

そういえば、昔、黒い小さな粒の苦い胃薬を飲まされたことがありましたが、「熊なんとか丸」って名前だったなあ)))。

●ゴオウ(牛黄)

牛の胆石。1g=卸値6千円ぐらい。

1千ー1万頭かに1頭みつかるか否かという胆石は、たいへん貴重なもので、かつては牛を屠殺し、肉は男達が売りに行き、女達で内臓を食用にきれいにしている際、時々見つかり、これを売ってが女衆はへそくりをしていたとか。人間の胆石とはちがって、牛の胆石は胆汁の塊なのだそうです。

牛黄は、脳卒中や高血圧症、動脈硬化、心臓、肝臓の機能の増強、解熱、鎮痙などの効能があるそうですが、これを服用すると内臓全体が活性化され、元気になるのだそうです。

水戸黄門の印籠の中にも、いわゆる「救心」として、ゴオウが入れられていたのだということです。富山の○○(なんとか)マンキンタンや「六神丸」など、ゴオウなどの高貴成分を含むお薬は、今もがあるそうで、スポーツ選手で処方してもらっている方もいるそうです。

そういえば、ゴオウは、ユンケルにも入っていますね。でも、ユンケルにはゴオウとしての効能が発揮出来るほどの量も入っておらず、貴重な薬剤をいたずらに無効な使い方をするのはナンセンンスだと、講師先生。

牛黄については、私も出張が多かった頃、漢方薬局で勧められて「清心丸」という薬を持ちあるいていましたが「もうダメ」というほどの極度の疲労の時、これを舌の下に入れて、舐めると、ホントにもう半日なんとかなれていました。疲労時は、胃腸もくたびれているため、飲み込むより、舌からも吸収させるといいのだそうです。これが「良薬口に苦し」なのですが、効果は立証済みです。

NGO支援活動でパキスタンを訪問された方にも、餞別代わりに差し上げましたが、悲惨な状況を目の当たりにし心も体も疲れ果てダウンしたボランティアの学生に飲ませて「助かった」とのお礼を頂きました。

毎度ながら、漢方講座のお話を伺っていると、人間が生きるためのあらゆる知恵と工夫の集約であることを痛感します。今回の高貴薬ものお話も、金より高価な高貴薬も、お金で変えない健康の象徴のようですらありました。

漢方の講座で、最初にお話されたこと、それは医食同源のコンセプトです。食べ物、植物または動物は、同時に薬でもあり、なるだけなら食品という形で摂取するのが好ましい。それでもコントロール出来ないほどバランスが崩れた時は、薬で補ってやる。漢方の先生方は、一様に、サプリメントに批判的です。自然の中で生きて、生かされているということを忘れないで欲しいと、しばしば説かれるのも、私達の生活が、生きるために食べるという当たり前のことから少し遠ざかっているように感じられるからかもしれません。

「事始めにまずごはんを食べよう!」というのは、実は、真理なのであり、単純明快な基本。子供が一番に教えらてきたことなのでした。

あの中国人の、まるで「次はいつごはんにありつけるかわからない」とでも思っているかのようにパクパク料理を口に運ぶ姿を思い出し、また、おもちゃで遊ぶ感覚で食事をする昨今の子供達を思い、ふと、日本人、大丈夫かなぁ)))と思ったのでした。
【写真:睾丸を取り除いた後の麝香】




2006年8月28日月曜日

『飲食男女』


英題:『Eat Drink Man Woman』
邦題:『恋人たちの食卓』
1995年 台湾映画
監督:李安(アン・ リー)(台湾出身)

映画はいきなり、鯉をシメるシーンから始まる。
鯉の中枢神経へ向かって口から長い菜箸を突き刺す。あっという間に3枚におろされ、骨切りして粉をまぶして揚げる。
庭に放し飼いにしている鶏をつぶして、処理をし丸ごとスープ鍋へ。岩塩をパラパラッ・・・。
ブロック肉も、中華包丁2本でリズミカルに叩いて挽肉に・・・・・。
調理台には生きたカエル、エビ他、レストランの厨房さながらな食材がひしめいている。
土鍋にかぶせた落とし蓋は、ぬらした和紙(?)。
庭ではドラム缶で薫製が・・・。
アヒルは、北京ダックになるのか、丸ごと油へ・・・・。

「飲む、食べる、男と女、食と性は、人間の欲望だ。一生それに振り回される。」
主人公の元料理長とその旧友で同僚の2人の会話の台詞。
冒頭の料理シーンが、このテーマを描く伏線だとしたら・・・いやぁ〜なんて大陸的。「振り回される」なんて受け身表現より「食らってやる」とか「生きる肥やし」ぐらいが丁度良い。
真ん中の娘がどことなく池上季実子と似ている(役柄もキャリアウーマン)せいか、ちょっとバブリーな『男女7人恋物語』の雰囲気があって、ファッションもちょっとバブル時代の名残があって何故か懐かしい。
でも台湾の今時の若者風情は、ボージョレ・ヌーボーやイタリアンではなく、あくまで中華料理なのだ。(ちなみに、全部薬膳料理。)
「”食べる”とは、原始的行為だが、”味わう”ということは、文化的な行為だ」と、どこかで読んだくだりだが、中華料理は、正にその両方を凝縮したような食だ。
そんな料理や食事のシーンで料理人の父&その3人娘たちの心理を、淡々と描く。
台詞まわしも、娘の頑固さを「(あの子は)石から生まれたみたいだ」と表現したり、アメリカ帰りの叔母が「(アメリカなんて、住めたもんじゃない)チャーハンを作ったら、警報機が鳴るのよ!」と怒ってみたり「子供は前世で果たせなかったことを今世で催促してくる。だから手がかかるのよ」など、そこかしこに中国文化を感じさせる感覚が散りばめられていてユニークだ。
娘が父の仕事場で覚えた料理。祖庵(ツーアン)豆腐(豆腐の餃子)。美味しそう・・・・。

『赤いバラソースの伝説』


COMO AGUA PARA CHOCOLATE
1992年 メキシコ映画
原作:ラウラ・エスキヴェル 
監督:アルフォンソ・アラウ
主演:ルミ・カヴァソス
この映画のキャッチコピーは「あなたはまいにち私をたべる」!(すごい・・) 。
主人公の女性ティタは、ある農家の末娘。末娘は結婚せず母親の世話をしなければならないという家訓により、相思相愛の相手ペドロとは結婚できない。ペドロは、少しでもティタの側にいるために、ティタの姉と結婚するという究極の選択をします。母親や姉妹家族らと暮らす大家族の農家の食事を作るティタ。料理上手なティタの料理はペドロへの思いを託す唯一の手段なのです。日々料理を作り、そんな暮らしをしているうちに、ティタは、料理を通して自分の気持ちを人に伝えることができるようになってくるのです。
彼女が作る料理を食べて、泣いたり官能的になったりする人々。
ある日、ティタは、ペドロからのバラの花束をソースに仕込み、『ショコラ』の晩餐の様子とオーバーラップします。
料理を作る人の気持ちが、そのまま料理に込められ、食べる人の中に入るということは、家庭の料理のパワーの不思議に通じるところがあるような気がするのですが、それをラテン的に具現化したようなようなところが何とも気に入ってしまいました。けっこうドロドロした話なのに、主演のルミ・カヴァソスの品とラテンのネアカさで、ほほえましくすら思えてくるのが乙です。
ちなみに、ペドロ役は、『ニュー・シネマ・パラダイス』のトト(青春時代)を演じたマルコ・レオナルディ。

それにしても、 晩餐に出てくるバラソース。チョコレートソースに仕込んでみましたが、どんな味なのでしょう??
バラの香りは、ジェラシーを押さえる働きがあるとか。ハーレムで、王様が女性達を侍らせて入浴するお風呂にバラの花弁が沢山入れられていたりするのは、我こそ寵愛を受けんと競う女性達の嫉妬心を鎮めるためだったとも・・・(!?)。

2006年7月17日月曜日

神保町の紅茶やさん

神保町に出掛けました。

コンビニやチェーン展開のドラッグストア、前払い性のカフェ等に取って代わられ寂れゆく地方都市の商店街に比べると、神保町のすずらん通り商店街は随分元気に見えます。その商店街の中程に、ゆっくりくつろげる紅茶屋さんがあります。ついつい余分に買ってしまった古本を抱えて入りました。

この紅茶屋さん、1974年創業TAKANOといって、日本で初めての紅茶専門店だとか。

飲食店の客の回転をよくするには、座り心地のよいイスをあえて使わない、落ち着かない空間にする、という手法があるそうですが、TAKANOさんは、イスの座り心地のいいこと(!)。

背もたれのカーブ、丸いクッション付きの座部。地下にあるという設定も外から隔離された感じでくつろげます。

400円なのに、紅茶がポットで出てくるのもうれしい。店内のマガジンラックには、『ナショナルジオグラフィック』『ニュートン 『釣りニュース』などの雑誌と、Takanoのウェブサイトをプリントアウトしたファイルが置いてありました。

ウェブサイトのファイルをめくると、

”(前略)イージィでチープな消費生活が蔓延しておりますが、丁寧な暮らしの中から微妙な味の違いがわかるものです。子供の頃から ファーストフードやコンビニの味になれてしまうと旨味のある渋みやほのかな香り、えぐみ、苦みの持つ旨さが判らなくなってしまいます。丁寧な暮らしをすることは決してお金をかけた贅沢な生活をする事とは違います。
紅茶の場合ですと、ペットボトルや缶入り紅茶を飲む習慣を改めリーフティーをポットで点ててみるということです。約2~3分よけいに時間がかかりますがその精神文化は全く違うものになるでしょう。”

ーーーとあります。

贅沢な暮らしではなく、”丁寧なくらし” 。

こんなお店で、渋みのあるお茶を頂くと、うだる暑さもふと忘れ、時間も止まり、読書のページが進むのでありました。

2006年5月4日木曜日

端午の節句

「ゴールデンウィーク」と、ひとくくりになって、はたまた少子化あいなって、5月5日のこどもの日「端午の節句」をお祝いする方も少ないかも知れません。海外脱出もままならず、ちゃっかりとちまきだけ頂き、休日を楽しむのが常のワタクシ。

ちょっとだけ例年とは違う気持ちで過ごそうと、先日の漢方講座のおさらいです。

かぶとを飾り、鯉のぼりを掲げること以外はほとんど知りませんでした、「端午の節句」。

これもやはり、厄払いの行事なのですね。中国由来で、日本では奈良時代頃から行われている行事で、軒に菖蒲やよもぎをつるしたりしたそうです。

「端午」の「端」は、「初」を意味し、月はじめの午の日のことだったのが、午が五に通じることなどから、五月五日になりました。

もともとは、女の子のお祭りで、田植え前に早乙女と呼ばれる若い娘達が神社でお祓いをしていたもので、田の神に対する女性の厄払いの日だったのが、平安時代には、武家の間から端午の節句のショウブが「尚武」や「勝負」に通じるとして、男の子を祝う行事へと変わっていったのだそうです。

江戸時代になると、端午は幕府の重要な式日として、武者人形を飾るようになり、中国の「龍門を登って鯉が龍になった」という故事にあやかって、子供の立身出世を願い鯉幟を立てるようになったのでした。

もっとも、幟は、江戸時代には和紙に鯉の絵を描いたものだったそうで、布製になったのは、大正時代だとか。

ちまきや柏餅を食べるのも、中国伝説に由来するのだそうです。

中国は戦国時代、楚(そ)の国の高名な詩人、屈原(くつげん)が陰謀のため国を追われることになり、5月5日、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまいました。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさん

のちまきを川に投げ入れて弔いましたが、ある年、川辺にで屈原の幽霊が現れ、「里の者が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、残念なことに、私の手許に届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまう。だから、今度からは蛟龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ:今では笹の葉で代用されることが多い)の葉で米を包み、五色の糸で縛って

ほしい」 と言ったと、言い伝えられています。以来、5月5日に粽が食べられるようになったといいます。

ちまきは、地方によってもいろいろ違うみたいですが、ワタシがこの時期によく食べたのは、鹿児島の「灰汁巻」です。

餅米を竹の皮で包み、灰汁の中で長時間煮て作られたもので、餅米が透き通る様なお餅状になり、灰汁が染みて腐りにくくなったものですが、粽代わりによく祖母から送られて来ました。

柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないので、 「子供が産まれるまで親は死なない=家系が絶えない」即ち、子孫繁栄を願って食べられたのだそうです。

こいのぼりが親子なのも、そんなところからきているのでしょうか。

そうそう、こいのぼりの一番上にある五色の吹き流しは「五行説」の象徴ですね。

柏の葉にも薬効があるようですが、主に子孫繁栄の縁起をかつぐ意味がおおきいみたい。

(柏葉の代用で使われる丸い葉っぱ「サルトリイバラ/山帰来」 は、根っこが慢性皮膚炎の薬---昔は皮膚病の人が人目を避けて、山にこもり、サルトリイバラの根を煎じて飲んで治癒し、山から帰ってきたことから「山帰来」と呼ばれる---になるそうです。)

菖蒲(ショウブ)は、薬草でもあり、根や葉を使います。

お風呂に入れて菖蒲湯にすると、体が温まり、神経痛などに良いそうです。

こうしてみると、折々の節句とは、節目節目に健康と生命への感謝と労りを思う機会なのですねえ))))。




2006年3月18日土曜日

合併で柿木村は・・・

「柿木村って、無くなったんじゃなかったっけ?」との指摘が!

昨年の10月に、市町村合併で、六日市町(むいかいちちょう)と合併し、吉賀町になってしまっていたのでした・・・。

数年前島根県にに新しくできた雲南市ってのも、当時、雲南市宛の郵便物が中国の雲南省に行ってしまったなんてまことしやかな話もありますが、引っ越し前の市からいきなり税金の督促状が来たなんて話も・・。

道路標識一つ取り替えるのにも、あれ、1枚20万円ぐらい掛かるそうだけれど、それだけでもかなりの経費・・・。

制作には1万円程度なのに、国が買い取る金額が20万円!差額は中間業者に渡るらしい。
合併についてあれこれ思いを巡らせると、耳慣れた名前が無くなる寂しさ以上にあれこれ細々腹立たしいことが多いです。

一般道路で、電柱(柱のみ)10万円~1000万円也、ガードレール(鉄板)30万 円/4m也・・・もっと知りたい方は、こちらをどうぞ。
↓ 
http://q.hatena.ne.jp/1128090979

こう やってみると、談合とおぼしき事象はいくらでも出てきますね。
っととと、話は柿の木村でした。

「柿木村」の名前は、ちゃんと残されたそうです。吉賀町柿木村・・・よかった!
そして、「柿木村」は、スローライフと有機のブランド名としても残るのであります。

2006年3月15日水曜日

柿木村の有機野菜


" 時代に流されないようしていたら、時代の先の方にいました”

通勤路にこんなコピーの看板を見つけて、ずっと通る度に気になっていたのですが、今日、やっと立ち寄ることができました。

そこは、柿木村の有機野菜を扱う「産直館」。

柿木村は、山口県と島根県の県境に位置していて、江戸時代、参勤交代や交易で、山陰と山陽をむすぶ交通路だったところ。110余年、行政区域を一度も変えることなく現在に至る、日本で1番古い歴史を持つ村なのだそうです。

ある意味、戦後取り残された村だったのかもしれませんが、自給自足の精神から、当たり前に有機栽培を続けてきた・・・。売るためではなく、自分が健康に生きるために作るのですから、自然にそうしていたのだといいます。もっとも、戦後には近代的な暮らしの為に、売り物としての農業をいう声もあったようですが、オイルショックで消費生活のもろさが路程されたことを機に、村を挙げて本格的「自給」=「有機農業」に取り組んできた村なのでした。

農家は、自分たちが食べる用と出荷用を分けて作っていることは、よく聞かれますが、無農薬栽培というのは、地域全体で取り組まなければ出来ないことだとも聞きます。

考えてみれば「こっちの畑で農薬が撒かれたら、あっちの畑に移動しましょ」と、虫さんたちも、引っ越してしまうだけ。また、土壌に染みこむ水にも境などない---。

まあ、虫といってもバッタばかりではありませんから(笑)この話は一端にすぎませんが、完全有機というのは、土壌から種からの取り組みで、なかなか大変なことのようです。農業の大変さは、やったことのない者が軽々しく語ることではないので有機についてはこの辺でおしまいにします。

さて、「産直館」の野菜ですが、2年以上農薬も化学肥料も使用せず栽培する畑で育てた野菜(V1)、農薬も化学肥料も使わずに育てた野菜(V2)、化学肥料を使わず最低限の農薬使用(V3)と、記号が付けられています。柿の木村といえども何から何まで完全100%無農薬・有機って訳ではないのですね。

店頭には、フキノトウ、菜の花、葱、玉葱、人参、水菜、ほうれん草などの野菜のほか、番茶や天日干しのしいたけ、きなこ、米、豆腐などが並びます。

お店の方が「根菜や葱は、特に味がちがいますよー。特に、葱やタマネギは、分かりますよー」とおっしゃるので、まずは人参、玉葱をカゴに入れました。

お米。そういえば、柿の木村は、美しい棚田でも有名な所でした。時折食卓に玄米ご飯を取り入れている私としては、R1のお米を玄米で頂きたい!(農薬は、お米の胚芽のところに溜まるんです!ひえ~))。)

持ち帰った人参の土を洗い流します。
皮ごと調理したいので、さらにタワシで表面をゴシゴシ・・・。
およよ、これが人参のにおい!? ゴボウにも似た土の香りが漂うではありませんか。いやぁ、違うものですねえ。

「食卓に並ぶ食べものは、その人の未来である」と、周時代からの食医の本にはあるそうです。
食べるものをあなどるなかれ。
食への意識は、あなたの未来を変える!?

2006年3月9日木曜日

漢方で花粉症対策


花粉の季節になりました。
幸い花粉症でない私には、心おきなく春の日差しの下、アウトドアライフが楽しめるシアワセを噛みしめる季節でもあります。
さて、今日の漢方講座は、花粉症対策。
花粉症の方は、藁をもすがる気持ちで、いろいろ薬やお茶などを試しておられることと思いますので、その苦痛を知らない私が、1回の講座で聞いてきた内容など、とっくに調べ尽くしておられる内容かも知れません。
でもまあ、鼻炎に関しては、私も子供の頃、アレルギー(だったのかなあ)で「鼻タレ小僧」でしたので、なんとなく分かるきがしています。幼稚園ー小学校と、いつもポケットにティッシュが欠かせませんでした。
「アレルギー」なんて言葉は一般的でなかった昭和40年代、クラスメートが「万年風邪」と言ってたっけ・・・。中学で、部活をバンバンやってる内に、いつの間にか治っちゃってましたけど。

漢方では、喘息、鼻炎、アトピー等、アレルギー反応としてとらえているそうです。
これらはいずれも呼吸器系に出る症状です。え?「なんでアトピーは皮膚なのに、呼吸器系か」ですって? 私も同じ質問をしたんですが、五臓五腑理論(「「肺は体表部の皮膚毛孔を支配する」)では、皮膚も肺の一部=呼吸器系(肺経)とみなされている-----平たく言えば、皮膚呼吸(クスッ)ってことです。実際、皮膚の弱い人は、呼吸器系が弱いともいえるのだそうです。
(*アトピーは、ダニのような外界のアレルゲンに負けてしまう自己治癒力の不足に原因があるのであり、具体的には、自己治癒力を支えている内臓系(肺経)に弱点があると考えられるようです。)

アレルギー反応のほとんどに見られる鼻炎は、鼻水ーー「水」なんですねー。漢方では、これらは全て水の仕業と考えます。実際、鼻炎でくる患者さんの多くが、お腹を触診したとき、ちゃっぽん 
ちゃっぽんしていることが多いのだとか。
今は、地面に土がありませんから、落ちた花粉が土に吸収されていたのが、いつまでも地中にさまよっているから、花粉の絶対量も多くなっていることも確かだし、自動販売機の普及に比例してアレルギー患者が増えてきた感アリともおっしゃっていました。
ふーーーーん。
アレルギー等、現代病の要因を語られるとき、食生活やライフスタイル、環境云々・・・などと、よく申しますが、そういった抽象的言葉より、草木を見ながら山歩きをされたり、患者と日々向かいあっている方の感じたままの言葉の方が、ぐっと危機感を感じます。

さて、ズバリ鼻炎のお薬は・・・
「小青竜湯」。
麻黄(咳止め、発汗)、桂皮(血流・体液の流れを改善)、半夏(=ハンゲ/カラスビシャク/サトイモ科:痰(=胃に溜まる水分)を取る作用がある)、乾姜(カンキョウ/胃を温める)、五 
味子(咳止め効果・肺経を強くする効能)、芍薬(筋肉の痙攣を和らげる・消炎効果)、甘草(甘味付・痛みを取る働き)、細辛(サイシン/ 鎮咳作用 )が配合されています。
水っぽい鼻がでるような風邪にもよく効くそうです。

ちなみに、鼻炎は鼻炎でも、黄色い鼻水のでる蓄膿症、鼻づまりは、排膿作用のある桔梗や、鼻を通す辛夷(シンイ/こぶしのつぼみ)、のぼせを取るセンキュウ、大黄などを配合した「辛夷清肺湯」を処方するのだそうです。
こぶしのつぼみも、今膨らんできたところです。開花を待たず摘み取るのはなんだか忍びないですが・・・今が収穫時です。

おっととと、テーマは鼻炎ではなく花粉症でした。(ちっともズバリではなかった・・)
アレルギー体質の改善と、鼻炎や咳などの症状の緩和策としての漢方薬の紹介を書くつもりでしたが、学び立てホヤホヤ便りに終始してしまいました。

その他、花粉症にいいとされるお茶、甜茶と、(ガバ茶(蕃果)は甜茶と同じもの)、シジュウム茶(南米主産)などを飲んだり・・・そうそう、オナモミ(手榴弾みたいなトゲトゲの植物の実部)を煎じて飲むといいといういのは、高知の日曜市でおばちゃんが教えてくれました。「昨年飲んでみたら、とてもよかったから・・」と、若い女性が買い求められていましたから、期待できるかも。

お茶は、美味しくなくちゃあ!
私なんかは、専らお茶を嗜好品としてとらえてしまうので、あのお茶、このお茶といわれても、なかなか慣習的に飲むことができませんが・・・。いろいろ工夫して、のみやすいブレンドを作ってみるのも楽しいかも。


【写真:生薬の小清竜湯】


2006年1月28日土曜日

『モンドヴィーノ』

英題: MONDOVINO 製作年: 2004年
監督・撮影・編集: ジョナサン・ノシター
出演・ミシェル・ロラン, ロバート・パーカー, ユベール・ド・モンティーユ, エメ・ギベール, ニール・ローゼンタール, マイケル・ブロードベント ジャン=リュック・チュヌヴァン

果たしてワインに今、何が起こっているのか。
ワイン業界の今。グローバルな味 V.S. テロワールを大切にした自然派ワインの論議をテーマにしたドキュメンタリー。でも、映画『モンドヴィーノ』は、ただ、味のグローバリゼーションについてではなく、アイデンティティとは何かを提議している。
”現代的センスをもつ人たちのワイン” を造っていると自ら語り、世界を飛び回るワインコンサルタント、ミッシェル・ロランと、100点満点でワインを評価するロバート・パーカー。科学の力で造られた 「美味しさ」、安定とマーケティングが生み出す富。
一方で、土地を愛し自然と対話しながらワインを造る醸造家たち。彼らの言葉は、合理性を追求した現代の消費生活に飲まれ、アイデンティティを失っていく現代人を、そして経済優先の社会を憂いています。

「人間は、怠け者になった・・。」

「自由に考える伝統、一方的なものに疑問をもつ自由があったのに・・・」

「偉大なワインを造るのは詩人の仕事だ。」

「最近やっと(ブドウの木と)会話ができるようになったの」

「違うことを楽しみ、受け入れる姿勢が、いいワインを生むのだよ」

「自分の”良い”を押しつけるのは・・・」

「ブランドとは、アングロサクソンの文化だ」

「ワインは造る人に似るのよ」

「貧しい人々の権利より、より良い生活の追求がいいのか」

「何世紀も孔子を信じていた人々に、キリスト教を布教しようとしたんだ・・」

「人もワインも、土や気候と形而的に関わっているものなのだよ」

「ワインを造ることは人生の知恵・・」

さりげなくもグッとくる信念の言葉が沢山出てきました。
“テロワール”。地域性、風土、気候、地形、地質、土壌など、その土地のあらゆる現象との 密接に結びついたその土地ならではの概念。
多様性を理解する為に必要な要素は全てテロワールにある。
「テロワール」。マータイさんの「もったいない」に並んで世界の公用語にしたいものです。