2009年4月16日木曜日

あひるの舌


東京神田。「藪そば」の斜向かいにある中国料理屋「雲林」で、コースを頂きました。
魚介や野菜も豊富で、優しい味付けで、気に入っています♪

定番メニューの中にも「あひるの舌」というのがありますが、コースではこんな形で、前菜の中に1つ入っていました。

なんだかこの方が形状が浮き彫りになってリアルです。
小さな舌を八角の効いた醤油ベースの甘辛いダレで煮込んであります。
舌の付け根の辺りには小さな骨(?)もあるので、食べるところなどいくらもないのだけれど、小さくも、生き物が食べ物を取り入れる大切な部位・舌の存在感を感じます。





2009年4月11日土曜日

『しあわせのかおり』

中国料理がテーマの映画と聞いて、いてもたまらず見に行きました。

金沢の漁師町。料理人の王さん(藤竜也)が、この店の全てを切り盛りする小さな中国料理店「小上海飯店」。
人気の定食も、王さんが一人で全行程を作っているのですが、ココの定食の内容がいいんです(!)。
肉料理がメーンの「山定食」と、海鮮料理がメーンの「海定食」。
ちょっとボリュームがあるけれど、野菜もたっぷり、鶏の挽肉で取ったスープもが付いて、食べるほどにヘルシーな印象。この定食ならこれなら毎日食べられそう・・・。
定食のお料理がスクリーンに映される度、毎日通い詰めるこの店の常連と、多いに気持ちを重ねるのでありました。

シングルマザーの貴子(中谷美紀)も、すっかり王さんの料理の虜になって通い詰める始末なのですが・・・。

ある日、王さんが脳梗塞で倒れ、後遺症でお店が続けられない状態に・・・。そして貴子は、王さんに弟子入りし、王さんの味を受け継ぐことを決意するが・・・・・。

・・・というストーリー展開を知らされたら、そりゃあ料理修業のシーンに期待するでしょ。

ましてや、この映画の料理指導をした木章さんは、キャリア45年の名点心師。
茂木手さんの「差し替えの手」を楽しみに、映画館に足を運んだのでした。

でも、この部分への期待は、少々ハズレでした。

ジュッ!という高温の鍋の音と共に映し出されるのは、料理や手さばきではなく名優の藤竜也であり中谷美紀のお顔のどアップなのでした(涙)。

・・・ということで、料理人の方々からすると、諸々かなり突っ込まれそうな映画なのかも知れませんが、「秘伝」「技を盗む」なんて言葉が最もしっかり根付いていそうな中国料理界、ここは、あしからず・・・ということか。

紹興酒の町、紹興でのシーンには、昨今の中国関連ニュースに辟易しているヒトも、中国へ旅したくなるかも!? 




2009年4月1日水曜日

『風と共に去りぬ』

シネ“マンマ”番外編

テレビで放映があると、長編にも関わらず、つい・・・つい・・・見てしまう、この映画。

初めて見たのが、確か中学校1年生頃。南北戦争如何など何も知らない当時は、只ただ、主人公のスカーレット・オハラとレッド・バトラーの成り行きを追って見ていた気がします。
映画のパンフレットを買って帰って、キャストの写真をよく見ると、スカーレット役のヴィヴィアン・リー以上にメラニー役のオリヴィア・デ・ハヴィランドが美人なのに気がつき、女の人の「華」というものを初めて認識したのでした。
ここに出てくる黒人の使用人達は、小学校の頃見た『ルーツ』のクンタキンンテから何代目かな~なんてことも頭によぎったかな。

二回目は、高校時代。この時「リー将軍」だの「ヤンキー」「アトランタ」なんて言葉や、当時のアメリカ南部の生活文化もちょっと気になりながら、スカーレットの強さに魅了されたものでした。

それから、何度も何度も、テレビで、ビデオで見ては、アメリカのミスコンで何故南部出身者が強いのか(「お嬢様」スカーレットに通じる貴族的な生活文化の中で培われてきた何かが血に流れているのかも)悟り、アメリカスラム街のはじまりを悟ったり、女姉妹の長女の長男的要素に頷いたり、南部訛りに耳を傾けたり・・・見る度に、何かを発見し、何かが心に響きました。

そして今回は、急遽カーテンでドレスを作らせて着飾り、思い切り気取ってレッド・バトラーにお金を借りに行くところ。女の意地。

金のある男を口説いてお金を借りる為。確かにその通りなのだが、スカーレットは女々しく泣きすがったりして慈悲を受けたりはしないのです。

戦争に負けても、家や土地が荒らされても、着る物食べるのにすら苦労する生活でも「私はタラのオハラ家の長女よ」「南部中の若い男達を虜にしたスカーレットよ」という意地で、少しもすすけたりせず、運命を切り開いていく。そう思って見ていると、このシーンは、健気ですらあります。

南部の貴女の意地が、この物語のファンデーションになっていることに、今頃感動しているのは、ちょっと遅すぎただでしょうか。)))

彼女は美しく、子供のように率直でシンプルで、コンプレックスがないが故に強い。その強さも魅力だけれど、それだけではこれだけの名作にはならなかったでしょう。

何時の世でも、美しい女性はとかくねたまれ、美しいが故の鈍感さを疎んじられる。その鈍さが、天然さが、華に通じていたりもするから皮肉なものです。でも、スカーレットは、コンプレックスがないが故の愚かさよりも、それによる強さでグングン突き進んでナルシスティックにならない。おセンチ考えたりしないから言葉にはしないが、感じていないわけではない。

ああ、やっぱり生まれつきのスカーレット。