2008年7月11日金曜日

トルココーヒー





コンヤのメラム地区は、コンヤ市街が一望できる。

運転手をつとめて下さった方のお宅が、まさにそのロケーションで、お宅のテラスからの素晴らしい景色とコーヒー、自家製のお菓子「ギュルラッチ」を振る舞って下さいました。

ギュルラッチは、デンプン粉と牛乳でできたぷるぷるの薄皮をミルクとローズウォーターのシロップに浸したお菓子。あっさりとして、少しアジアっぽくもあり、欧米風でもあり・・・実に美味しい!

フランスのカフェ文化も、トルコが先だったというから、トルココーヒーは、その歴史を見ても大変興味深い。(トルコ語ではカフヴェといったらしい)

紅海を隔てたエチオピアからイエメンに伝わったコーヒーは、アラブ人を介してアラビア半島に広まり、16世紀半ばにはオスマントルコにも伝わっている。

コーヒーのカフェインにも刺激されてか、市中のコーヒー店では、御政道批判などが繰り広げられ、カフェ禁止令まで出されたという。

トルココーヒーは、エスプレッソ用のように細かく挽いた豆(昔は石臼で挽いていたからかな?)を、湧かした湯に加え、コーヒー豆の粉ごと混ぜ合わせてカップに注ぐ。

コーヒー豆がカップの中で沈殿するのを待って上澄みを飲んでいくのだが、最後に残った粉を移して、流れる方向で占うコーヒー占いというものもあるらしい。

入れ方を聞いてみると、日本でトルココーヒーを入れるなら、サイフォン式でいいのかな?という気がするが、どうかな? もちろんコーヒー占いは出来ないが、最後の1滴まで美味しくいただけるかも。

2008年7月10日木曜日

手仕事




花嫁さんの、嫁入り道具の多くは、手仕事のレース編みやニット等。

これらが上手なことは「よいお嫁さんの条件」なのだそうな。

イスラム教の女性が神を覆う為のスカーフの縁に付けられている装飾は「オヤ」という。

このお嫁さんは随分器用な方のようだゾ・・・。

引き出し4つ分がすべてこんな品々でいっぱいだ(!)。

中には、贈られたものもあるそうだが、二つとして同じモノがなく素晴らしい。

後日、アンティークものの「オヤ」に出会い、すっかり魅せられてしまった・・・。

キリムや絨毯といい、このオヤといい、刺繍の数々といい、これらの手仕事の技術の高さに、遊牧民族のワイルドなイメージが一新されました。

2008年7月9日水曜日

アレムダル村の結婚式



炊き出しだぁーっ!


調理場(?)の様子を目にして思わずそう思いましたが、これ、結婚式の料理を作っているところ。

トプカプ宮殿の厨房にもあったような大きな鍋に柄の長いヘラ・・・・素材こそ違えど、同じ塩梅。

この日の料理は・・・

・ヨールトチョルバス(ヨーグルトのスープ)
・バーミャチョルバス(乾燥オクラのスープ)
・エトゥリピラウ(粒パスタ入りのピラフ)
・ゼルデ(甘い白粥)
・イルミックヘルワ(セモリナ粉のヘルワ)
・あま~いチェリージュース(これは市販のものだった)

繊細な料理とは言い難いけれど、この土地の郷土料理を大皿に盛って、スープやお粥まで、みんながそれぞれのスプーンでつっつきながら食べる。ごちそうを食べることよりも、大勢で一緒にたべることを大事にしているのですね。

それにしても、屋外で、テントを張っての調理と食事。
まるで、町内会かなんかの運動会でもあるのかと思わせるような気さくな空気です。
村中の人が、ふらふらっと、いつもの服装(?)のままでやってくる。
結婚式の段取りは、こんな感じらしい。

・午前8-9時頃からお昼近くまで、男女別々に別れて食事と宴。
(子供は男側と女側を自由に行き来してははしゃいでいました)
嫁入り道具などを部屋に置いてあり、お披露目。

・午後、車の行列を従えて、花嫁を迎えに行く。

最近は、民族衣装ではなく純白のドレスにヴェールといったスタイルが多くなってきたそうだが、本来は、三枚はぎのスカートに、真っ赤な布を被るスタイルなのだとか。

・役場の結婚課の人と男女各々の証人の前の前で、結婚を誓う。
(これで、お役所的手続きは終わり)

・お金の入った壺が用意され、花嫁さん、壺を割り、婿さま、そのお金を撒く。(子供が拾う)
昔は豊穣と子孫繁栄を祈って、麦の粒を撒いたとか。

断続的にピストルやライフルを空へ向けて撃つ音が響く。
(中国の爆竹みたいなものでしょうが、これで度々死傷者がでるらしいです〜。)

トルコビールの出番は・・・ない。(ちょっと残念)
(コンヤでは、開拓した農地で、てんさいやホップも作られている。)

11時前に到着した私達は、女性のエリアで食事をご馳走になり、お嫁入り道具や贈り物(ニットやレース編みの数々など、手作りのモノがほとんど)を拝見し、男性エリアものぞき、しばしダンスや歓談。花嫁さんの登場はまだまだ先なので、あえなくこの場を後にしました。

2008年7月8日火曜日

トルコの食べ物、トルコの料理


おいしい料理を、いつものように美味しく作ることは、やはりいつも作っていなくては出来ないことだなあと思う。

コンヤでお世話になったオズカン家の奥様は、これまで何度と作ってこられたんだろうなぁと思わせる手際の良さで、コンヤの郷土料理を作ってくださった。

<本日の料理>

・ヨーグルトチョルバス: ヨーグルトを加えた酸っぱくて白いスープ

・バーミャチョルバス: 干したオクラを加えたトマトベースのスープ

・ヤプラックサルマス: 葡萄の葉でブルグル(挽き割り麦)と挽肉のピラフを包んだ

前菜料理

・ドマテスドルマス、ビベルドルマス: トマト、ピーマンの詰め物。中身はお米のピラフ

・エトゥリピラフ: 「肉の入ったピラフ」の意。松の実と山葡萄を加えたピラフに

クシュバス・カアブルマス(炒め煮にしたお肉)をのせたもの。

・カルヌヤルク:(=「お腹を切り裂く」の意)茄子を素揚げにして炒めた挽肉、玉葱、

シシトウ、トマト、ニンニクなどを詰めて焼いた料理。

・カルブラ・バストゥ:胡桃入りのクッキーをシロップ漬けにしたお菓子

・バクラワ:ナッツ入りミルフィーユのシロップ漬け

・アイラン:甘くないヨーグルトのドリンク 

・季節のフルーツ

日本のお節のように、作り置きできるものが多い。

このお料理も、2,3日前から準備して下さったもので、当日は、スープとピラフ、アイラン、それから、私のリクエストでもあるバクラワを手がけられた。

お総菜の数々・・・いずれも、市場で見かける豊富なスパイスをあまり感じさせないマイルドな味付けだ。

甘いものは・・・う~ん、甘い!

この翌日におじゃましたアレムダル村の結婚式で、これと同じ料理にお目に掛かることになる。

ハレの日のお料理だったのね。




2008年7月7日月曜日

コンヤ:メヴラーナ


コンヤ:セルジューク朝(11世紀から12世紀にかけて現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心に存在したイスラム王朝)の首都であり、イスラーム神秘主義の一派、メヴレヴィー教団の発祥地。(ちなみに、キリスト聖者の聖パウロも、コンヤへ立ち寄っているらしい。アナトリアの重要な通過点だった。)
イスラーム諸国からの巡礼者も訪れるというトルコを代表する聖地でもある。


人口76万人。
コンヤといえば、メヴラーナ。
「神秘主義」というと、なんだか怪しげに聞こえるかもしれませんが、メヴラーナ・ジェラレッディン・ルミ(1207~1273)の説いた教え----神と人間の心が一つとなることを目標に慈善と善良を擁護し心の愛を自覚することを追求した哲学----を守らんとする教団で、イスラム教という枠を越えた限りなく寛容で肯定的な理論を持っているのだそうです。

崇高な平和の精神が託されているようで、時代は異なるけれど、イスラム版、キリスト教から派生したフレンド教会アーミッシュの信仰のような感じなのでしょうか))。

ケマル・アタテュルクの政教分離政策で、1925年、教団は、宗教としては解散という形をとっており、メヴラーナはユネスコの無形文化遺産とされているそうです。

メヴラーナの使徒達(スーフィー/Sufi)が、音楽とダンスによってメブラーナを音楽とダンスで表現したものが、アノくるくる廻る旋舞 "セマ(Sema)" なのです。

回転=循環で無限をあらわし、精神を無にして回り続けることにより神の心に届かんとする、座禅のようなものみたい。

軸足で中に視線を浮かせたままでクルクルスルスルひたすら回り続ける。

手は、まるで遠心力に任せるがままにしているようにも見えますが、右手を上(空)に、左手を下(地球)に向け、神から受け取った精神を心身を通して地球に伝えるようになっているのだそう。

7月5日、丁度土曜日にコンヤ入りしたお陰で、本家本元のセマを見ることが出来ました。

(丁度、例のKOPプロジェクトがらみで、コンヤを副首相が訪れており、セマを観賞にきていたお陰で、ベスト&フルメンバーでの演奏&舞いをみることができました!)

お経にも通じる音楽と歌声、そしてセマ・・・目が回らないのかな??・・・と、見入る私も、幻想的な世界に引き込まれそうになりました。

2008年7月6日日曜日

コンヤへ




7月5日。
イスタンブールから、空路にてアナトリア地方へ向かう。
晴天の午前にみる車窓・・・いや機窓(?)からの景色は、壮観!

延々と広がる耕作地と大自然を眺めていると、自給率100%以上の国の底力がひしひしと伝わってきます。

写真は、コンヤの郊外、チャタルホユック*に向かう道中での車窓。

一面に広がるのは、灌漑農法でのパンジャル(砂糖大根=てんさい)の畑。(*コンヤには、世界5本指にはいる大きな精糖工場がある。)
コンヤは、小麦、大麦、てんさい、その他果物等々を豊富に生産している農業地帯だという。
一部塩分を含んだ土壌もあるものの、現在その土壌を「塩抜き」して農地に改良するというKOP(コンヤ・オバス(高原)スラマ(灌漑)・プロジェクト)が、国をあげてすすめられているのだそうだ。

水源は、ベイシェヒール湖。乾いた土地のようでも、水だって豊富にある。

「食ありき」。
トルコの首相も、オスマンのスルタンに負けていないかな。

食を大切にしている様は、トルコの庶民生活に欠かせないチャイが、地産地消(ほとんど国産であり、ほとんどを国内で消費しているらしい)であることからも、一端がうかがえよう。

*チャタル・ホユック
コンヤの中心地から南東に40kmぐらいのところ。世界最古(BC7000~9000年)の新石器時代の集落後が1958年に見つかっている。時代を異にした十数層ものヒッタイト居住跡があり、発掘調査は現在も続けられている。ホユックとは、「遺跡・塚」の意。

トルコ:トプカプ宮殿(2)July 4~5th より



大きな鉄鍋。土鍋もある。

土鍋は、モロッコのタジンにも似てますね・・。

展示品、及び閲覧可能な範囲は、当時のほんの一部らしいのですが「炊き出し」サイズのこのお鍋達を使って千人あまりの料理人が働いていたそうです。

壁に掛かっている当時の食事模様を描いた絵には、大皿料理が続々と運ばれ並んでいる様子が・・・。

料理を振る舞うことは、その人の徳が上がるということ。
そういう考え方が、イスラムの教えにはあるのだそうです。

イスラム文化圏に限らず、食べ物を豊富に供給できる財力、民を養う力があうことが、世界のどこの歴史を鑑みてもずーっと指導者たる人物の絶対条件であったはずなのだけれど、昨今は、いかがなものでしょう???
戦争をして、民を飢えさせているようでは、風上にもおけませんな。


トルコ料理が何故世界三大料理のひとつと言われるのか。

その疑問をあちこちのトルコ人に投げかけてみました。

この後訪れたコンヤ県で博物館の総館長であり考古学者でもあるヌレッテン氏のコメントは、こうだ。

トルコという国は、最盛期には世界の1/3がその領土にあった。そんな中で、料理人もいろんな地方や民族からの貢ぎ物として連れてこられ、多民族の食文化を取り入れてきたと同時に、広めてきた。強大な国になっていく過程において、食は欠かせないものだったのだ。

私:フランス革命のときのように、オスマン朝の崩壊で、宮廷料理人が分散し、庶民にも宮廷料理がひろまった・・・なんてことはないのでしょうか?

ヌレッテン氏:オスマン朝の厨房では、料理人は徹底した分業であったこと、また、スルタンは、要の料理人も連れて亡命したこと、さらに、オスマン朝時代の料理記録はオスマン語=アラビア語で書かれていた為、料理長クラスの人間以外は読める職人もいなかったことなどを上げ、ゆるやかに否定された。

多民族に受け入れられた食を構築したことも、かつて強国となった所以かもしれません。

氏のお話を伺っているうちに、料理人と食事を大切にしたオスマン朝が浮かび上がってきたゾ。

オスマン軍の軍隊には、鍋を持った炊き出し隊がいたことなどを聞き、このお鍋を見入っては、トルコの胃袋パワーを想像するのでありました。