2009年3月17日火曜日
2009年3月3日火曜日
よみがえる黄金文明展
~ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝~
於・広島県立美術館
四半世紀以上も経つと、昔学んだ歴史もどんどん塗り替えられる。
世界史の教科書の最初に出てくる四大文明も・・・・・21世紀の発見により、また変わりつつあるのですね。ひゃ~。)))(太陽系の配列も変わったし・・・)
歴史では、とかく欧米視点の歴史認識に支配されていて、学校の教科書など、南米の歴史がまるで16世紀頃からはじまったかのような印象さえ与える。そんな視点の教科書で世界史を学んだ頃は、世界の繋がりがイマイチ、イマニ、ピンと来なかったのだが、民族的視点からの世界、そして中央アジアを起点にみることによって、この頃やっと釈然としてきた気がする。
トラキア人の黄金文明が地理上のブルガリア中南部辺りにあり、10世紀頃まで栄えていたという事実。十字軍の遠征は、その実当時世界最高レベルだったアラブ文化の物品技術を求めての盗賊沙汰だったともいう。トラキアの黄金も狙われたんだろうなあ)))。歴史の教科書に反映されるのはいつになるのか??
メルカトル図法の世界地図で見ると、北欧とバルカン半島がグッと近いのにもハッとした。
ケルト人はBC300年代にはバルカンに侵入している。その後、ゲルマン民族の移動、そしてスラブ人が入って来ており、まさに”文化の十字路”。
文字を残さなかった民族なので、神話や他国による歴史書の一部にしか残っていないそうだが、その意義の大きさは、じんわり伝わってくる。
好戦的、身軽で強力な騎馬隊・・・体にフィットする防具から想像する体型・・・浮かび上がってくるのは遊牧民族。
興亡の世界史シリーズ02『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(講談社)にも、そっくりの黄金の発掘品が掲載されている(!)。
ちなみに、現在のブルガリア人は、トラキア人の末裔ではないそうですが、トルコのおとなりさんもなかなか興味深い。
於・広島県立美術館
四半世紀以上も経つと、昔学んだ歴史もどんどん塗り替えられる。
世界史の教科書の最初に出てくる四大文明も・・・・・21世紀の発見により、また変わりつつあるのですね。ひゃ~。)))(太陽系の配列も変わったし・・・)
歴史では、とかく欧米視点の歴史認識に支配されていて、学校の教科書など、南米の歴史がまるで16世紀頃からはじまったかのような印象さえ与える。そんな視点の教科書で世界史を学んだ頃は、世界の繋がりがイマイチ、イマニ、ピンと来なかったのだが、民族的視点からの世界、そして中央アジアを起点にみることによって、この頃やっと釈然としてきた気がする。
トラキア人の黄金文明が地理上のブルガリア中南部辺りにあり、10世紀頃まで栄えていたという事実。十字軍の遠征は、その実当時世界最高レベルだったアラブ文化の物品技術を求めての盗賊沙汰だったともいう。トラキアの黄金も狙われたんだろうなあ)))。歴史の教科書に反映されるのはいつになるのか??
メルカトル図法の世界地図で見ると、北欧とバルカン半島がグッと近いのにもハッとした。
ケルト人はBC300年代にはバルカンに侵入している。その後、ゲルマン民族の移動、そしてスラブ人が入って来ており、まさに”文化の十字路”。
文字を残さなかった民族なので、神話や他国による歴史書の一部にしか残っていないそうだが、その意義の大きさは、じんわり伝わってくる。
好戦的、身軽で強力な騎馬隊・・・体にフィットする防具から想像する体型・・・浮かび上がってくるのは遊牧民族。
興亡の世界史シリーズ02『スキタイと匈奴 遊牧の文明』(講談社)にも、そっくりの黄金の発掘品が掲載されている(!)。
ちなみに、現在のブルガリア人は、トラキア人の末裔ではないそうですが、トルコのおとなりさんもなかなか興味深い。
2009年2月26日木曜日
トルコの料理本
昨年からずっと捜していたトルコの食文化と料理の本『Timeless Tastes--- Turkish Culinary Culture』(英語版)が、やっと手に入りました。
この本は、Divan Hotelの40創立周年を記念して出版されたもので、料理だけでなく、オスマン帝国時代を中心に、絵画に残された当時の食にまつわる生活文化が詳しく紹介されています。
昨年の光景とオーバーラップさせながら・・・・

アーレムダル村の結婚式での食事風景
取り皿無し。スプーンひとつで、真ん中に置かれた料理を、スープでさえもみんなで分けて食べます。

ここでも同じ。一つのちゃぶ台(?)を10人程度で囲んで大きなスプーンで食べています。

アヴドゥラさんのお宅にあった「ちゃぶ台セット」
こちらは木のスプーンです。これぐらいの大きさがあれば、スープもひとすくいでかなりあるでしょうけど・・・。
宴が始まると、このスプーンを2つ合わせてカスタネットのようにカチカチさせたんだそうです。
その他、トプカプ宮殿の厨房跡に飾られていた当時の食事風景の絵画も・・・。

こちらはちゃぶ台ではないですが、みんなのお膝に掛けられた一枚の長い布が興味深いです。
現地では、ちゃぶ台テーブルの下に引いた薄い布の下に膝を入れて、ナプキン代わりに、滴れこぼれる食べ物から洋服を防御していました。なんだか変則コタツ布団状態(笑)。
王宮では、きれいな織物がつかわれていたのかな・・・??
一昨年前、東京と京都であったトプカプ展の中にも、素晴らしい刺繍の生地があったけれど、「ナプキン(!)」でした。
食事や料理などの人の営みの記録というのは、案外文字には残されていないけれど、絵画には沢山描かれているもの。軍隊にも鍋部隊があったほどのオスマントルコなら尚更・・でしょうか。
2009年2月21日土曜日
山芋納豆
2009年1月22日木曜日
自然放牧牛乳

自然放牧牛乳ー四季のめぐみ(島根県邑智郡)
牛舎のない牧場で育ち四季の山野草を食んだ牛たちの牛乳があると聞いて、早速買ってみました。
63度で30分の低温殺菌。ノンホモナイズ製法。
この牛乳について聞いたとき、昔、田舎のおじさんが、一升瓶を持って隣村でもらってきてくれた牛乳をイメージしました。
絞りたての牛乳を、加熱殺菌して飲んでいたので、冷たい牛乳に馴染んだ街っ子の私の口には、妙に甘かったのを微かに覚えています。
さて、この「四季のめぐみ」牛乳が、甘いか・・・・と思いきや、実は逆なのであります。
「薄い」「青臭い」「甘くない」。サラッとしていて、ちょっと草のにおいがする。
昭和の終わり、濃い牛乳が高級とされた時代がありました。
「クリーミー」なことが、美味しさの描写になることが多いのは、私達の口が欧米化されたことを意味するのかもしれません。
何処か作られた味に馴染んでしまった現代人に、自然のままの味というのは、味わった瞬間に「おいしい!」という言葉がでるようなものとはちょっと違いました。
まず「ふ~~ん・・・」「へえ~~」と口ずさみ、「そういえば・・・」「ほぉ~~~~」と、その味のシンプルさだったり奥行きだったりを噛みしめる。
自然の味、本物の味に馴染むと、生き辛くなりそうな世の中だけど、忘れたくはない味。
720ml 850円也。
江戸時代のことを思えば安い!?(ハリスが求めた牛乳は、1万円相当だったらしいですよ)
家庭の主婦には・・・・しんどいわ~~~~。
2008年12月31日水曜日
広島 荒神市場

年末、テレビでは恒例の東京の築地の賑わいや、京都の錦市場の報道が流れます。
飲食業に関わる人はもとより日頃の食生活はスーパーで賄っている人々も「お正月は!」「縁起物は!」と、意気込んで乗り込んで来られるのでしょうから、それはもうすごい活気。
築地や錦市場とまではいかないものの、広島にも正月ににぎわう市場があります。
広島駅前周辺の「愛友市場」「猿猴橋市場」「広島市場」。この界隈をまとめて「荒神市場」と呼ばれています。
ここには戦前から市場があったそうですが、昭和20年の8月6日の原爆で一度廃墟と化しています。
その後、自然発生的闇市に始まり、昭和30年頃には今のような市場ができたそうです。
60年を経て老朽化の進んだこの辺りも区画整理の対象となっており、さすがに日頃の一般人の出入りには陰りを感じさせなくもないのですが、お正月の買い出しはココで!という人々も少なくなく、今日はこの賑わいです。
穴子が反らないように、こんな道具をつかっていました(!)。
(お好み焼き用の重しはこれを丸くしたような道具がありますが・・・特注でしょうか??)

お重に詰める楽しみをくれる総菜のバラ売り。少々割高になりそうだけど、小憎らしい工夫が顔をほころばせます。

ゆで小豆を粉ふきにした小豆粉(パッコムル)とお餅を重ねた韓国の伝統もち "シルトック" も・・・。広島市場内には在日の方も多いせいか、韓国の縁起餅もありました。

すき焼用肉がトップの人気です。
後ろの茶色い巾袋と銭カゴも、お正月の風物詩。
あれこれ写真を撮って、すっかり冷やかし客状態のワタクシでした。あしからず。
2008年12月3日水曜日
タワーリングインフェルノ
シネ “マンマ” 番外編
久しぶりに見てしまいました。
1974年の映画。
登場人物の髪型、服装、ビルの内装はもちろん、携帯電話もない。報道カメラはフイルム。
アナログ感に何かと時代を感じさせます。
今見ると、なんだか911を連想してしまいます。))))
最後のシーンで、オハラハン隊長が建築家ダグ・ロバーツにいう台詞が痛切。
「死者は200人を越えてないだろう。だが、その内こんなビル火災で1万人は死ぬ。建築家が我々にビルの建て方を相談しないかぎり。」
専門家を交えずに行ったことは、こういう事故に繋がるのですね。)))
原発や自然災害にも同じ事が言えるかも。
ところで、この映画には、フレッド・アステアが出ていました(!)。たぶんこの時75才。('87年に88歳で他界)エレガントな身のこなしとダンスも健在。思いがけずアステアを見られて嬉しかったなぁ)))。
久しぶりに見てしまいました。
1974年の映画。
登場人物の髪型、服装、ビルの内装はもちろん、携帯電話もない。報道カメラはフイルム。
アナログ感に何かと時代を感じさせます。
今見ると、なんだか911を連想してしまいます。))))
最後のシーンで、オハラハン隊長が建築家ダグ・ロバーツにいう台詞が痛切。
「死者は200人を越えてないだろう。だが、その内こんなビル火災で1万人は死ぬ。建築家が我々にビルの建て方を相談しないかぎり。」
専門家を交えずに行ったことは、こういう事故に繋がるのですね。)))
原発や自然災害にも同じ事が言えるかも。
ところで、この映画には、フレッド・アステアが出ていました(!)。たぶんこの時75才。('87年に88歳で他界)エレガントな身のこなしとダンスも健在。思いがけずアステアを見られて嬉しかったなぁ)))。
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