2022年4月3日日曜日

「共命の松」

 本日、お花見日和=チャリ日和。

爽やかな春の日差しに誘われ、自転車で桜見物することにしました。
花から花への蝶々気分で あっちの桜、こっちの桜・・・。

どこもなかなかの賑わいですが、府中町の水分峡森林公園は少しおちついた雰囲気(写真は入り口付近)。


ここは、4年前の西日本豪雨で氾濫した府中川の水源にあたります。
過去にも大きな水害の記録が残っています。
小さな砂防ダムが作られたのは昭和16年(1941年)のこと。

大正15年 この地方は大洪水に見舞われた。府中町では堤防の決壊 10数ヶ所延べ3500間(約6300m)橋梁の流失20余 低地部の一帯 が海となり、田畑流失66町歩(約66ha)の被害家屋359戸にのぼり (当時の戸数800戸)余、人口3,700人であった。          大正15年の洪水による山林荒廃地の砂防施設工事を内務大臣に陳情、 昭和14年旱害による応急対策施設に字石ころび谷間の溜池新設を   議決昭和16年 県 水分峡堰堤工事が完成した。(府中町史から)」


川沿いの桜に添って上がっていく道中には、土嚢が積まれ、未だ復旧工事中のところがあちこち見られました。
この公園やキャンプ場も、ついこの前まで立ち入り禁止になっていましたが、今日は少し入れるようで、行楽を楽しむ人の姿もちらほら。。。

かつては稀少植物もみられた山道も、洪水と、人の手がこう入るともう「自然」では無くなりますが、仕方ないですね。)))

さて、その水分峡への道の麓にある龍仙寺。
ここには、樹齢600年を越える「共命の松」が鎮座しています。

元々は盆栽だったそうで、盆栽として100年以上、地に移されて500~600年といいます。
龍仙寺の創建は、1521年。室町時代。その時に、移植されたそう。
なるほど、盆栽のまま大きくなったみたいな風貌。

青々しい松葉に代謝活発 パリッと松皮。
まだまだ生きる宣言が聞こえてきます。


愛でて麗しい松ですが、松には救荒植物、薬草の顔もあるのです。
「救荒植物集説」* にも掲載されているそうです。

その昔、飢饉や兵糧攻めで飢餓に陥った際には、松皮を粉にして食べたのだとか。
そういえば、昔の大河ドラマ『黄金の日々』で、市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)扮するスケサが、秀吉に兵糧攻めされる城で、コツコツ密かに木の皮から団子作っているシーンがあったのを、何故か印象深く記憶しています。
あれは松の木だった(それとも代用で他の木で作ったの)かな・・・??

秋田には、由来の松皮餅というのがあるのだそう。
こちらは団子に松の皮の粉を練り込むのだから、ちょっと贅沢かもしれないけれど、松の皮を食べようとしたきっかけは、北の国の飢饉かもしれないですね。

松は、まさに命の木。
その松葉も薬草。




*「救荒植物集説」/伊藤圭介・述(いとうけいすけ)・賀来飛霞(かくひか)・記
 1884年(明治17年)、シーボルトに西洋植物学を学んだ伊藤圭介が自著「救荒食物便覧」や実験をもとに、その他諸書を参考にしながらまとめ記した。123種の植物について、科名、方言、漢名、洋名、色、形状などの観察、植生、調理方法などが記されている。82歳の高齢であったので、賀来飛霞が執筆したと見られる。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/112737

 参考:「お松を愛する会」HP:https://omatsu.club/2020/07/18/post-1610/

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