2020年4月7日火曜日

パンデミック エピデミック(8)魑魅魍魎

巷では、アマビエなる妖怪が、ちょっとしたブームになっているらしい。
半人半魚のキラキラの妖怪で、豊作や疫病の予言をするんだそうだ。

江戸時代、肥後(熊本)の海に現れ「疫病が流行ったら私の写し絵を早々に人々に見せよ」と言って海中に姿を消したという記録がちゃんと残っているんだって。

妖怪といえばあのお方、水木しげるセンセイ(!)。どんなアマビエ描写をなさっているのかな?・・と、ググってみたら、水木しげるプロダクションさんが3月17日にツイートなさっているのが出てきました。

https://twitter.com/mizukipro/status/1239818518536704001/photo/1

おぉ・・背景の岩との一体感が神々しさを醸し出している!!
流石その道の第一人者です。
(水木しげるの故郷 鳥取県境港市の水木しげるロードにはアマビエの銅像があるらしい。まさかそのお陰で未だで感染者を出してない県に!?--そんな訳ないですよね。)

江戸時代といえば、幕末のコレラ大流行が記憶に新しい(スミマセン、私の記憶は大沢たかお&綾瀬はるから主演のドラマ『JINー仁』です)のときも、コレラ封じにみな玄関にお経やおまじないの絵を貼っていましたっけ。
あのドラマ(原作マンガ)は、梅毒で始まりコレラで龍馬も大活躍し、天然痘治療に貢献した医師で蘭学者の緒方洪庵もでてきました。

ドラマでは、梅毒はミカンの青カビから培養して作ったペニシリンで、コレラは職人手作りの点滴で現代からタイムトリップした南方医師により対策がなされた。天然痘は出てこなかったけれど江戸時代ならまだ撲滅されていない。労咳(結核)も、あったはず。
南方先生はたぶん現代で予防接種を受けていたはずだから少し安心だったかな?


あれから1世紀半。
コロナウイルスの大流行に対し、現代人もまたアマビエなど描いたりして慰めているのだから、人はやはり不安を緩和する精神療法が必要ということなのでしょう。要するに、人のメンタリティーは奈良〜平安の頃とさして変わりないってことか。))
やっぱり歴史から学ぶことは沢山ありそうです。


世間では「アベノマスク」が揶揄されているが、そのうち令和の安倍晴明なんてのも現れるかな〜。たぶんSNS辺りでね……。まさか立烏帽子に直衣、扇片手に——ではないでしょうが。
変な詐欺には気を付けたいところ。

ああ、神様仏様、パンデミックで医療崩壊・・・なんて悲惨な事態にはなりませんように! おっと、気が付けば私も神頼み(苦笑)。


<つづく>

PS:  オマケちばてつやさんも「アマビエ」描いてました♪
 ↓
htmlhttps://ameblo.jp/chibatetsu/entry-12584258595.html

2020年4月6日月曜日

パンデミック エピデミック(7)志村けんさん 涙

飄々としてオバカなキャラでお茶の間を楽しませてくれた志村けんさんが、今回の疫病で亡くなった。
発病から重症化する期間がとても短くて、これまでの深酒やたばこなどの不摂生が祟ったのかというところも否めないけれど、芸の肥やしはなんとやら、体調を崩した2016年以降も回数こそ減ってもやっぱりお酒やクラブ通い、ガールズバーにも出掛けていたそう。これはもう不摂生というより「志村けん」はそうやって構築されていたんだな〜とも思う。
仕事熱心で芸に生きた方なのだ。

そして「色っぽいおじさん」とも評したい。
4人の女性と結婚した喜劇王チャップリンの最後の奥さんは、36歳年下の女性(18歳の時に結婚)で母親の面影があったとか。チャップリンには、親子ほども違う女性に母性を抱かせるほどの愛嬌とエイジレスな色気があったんだと思う。そしてチャーミング! 志村けんとチャップリン、重なるところが多いな。))特にひげダンスは、和製チャップリンを彷彿させる志村けんのオリジナル。(※あのウォーキングは簡単そうで、手足Up-Downのコーディネートが案外難しいw!)
毎週毎週繰り出す手品技の影には相当な研磨があったことでしょう。
訃報と共に流れる懐かしの映像を見ながら、やっぱり毎回笑ってしまう。
ほんと、泣き笑いデス)))。

さて・・・
疫病は、時代時代に様々な人の命を奪ってきました。
かの14世紀のペスト流行は、キリスト教の腐敗のピークにも重なって、100年戦争をさらに長引かせた。(疫病蔓延中に戦争なんて!コワ〜)聖職者も貴族も老いも若きも無差別に容赦なく襲うペストは平等な神だなんてこれ以上無い皮肉もいわれたりもしたようで。死神なる虚像も作られ、集団ヒステリーの悪魔ダンスまで起こる始末。
ヨーロッパ全人口の1/4〜1/3が亡くなったというから、何年にも渡りヨーロッパ各国をおそい集団免疫を経るまでの状態に達してからの終息という最悪の形を辿ったパンデミックでした。
くちばし付のマスクとマントはペストを防御するためのスタイル
くちばしの所には、抗菌と腐敗臭を紛らわせるためのための
スパイスと藁が詰められていたそう!      
このペストは、その後の社会を大きく変えました。
宗教もアートも文学も、はたまたファッションも・・・。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』も、ジュリエットの手紙を託された使者が、ペスト患者と接触して隔離されてしまい、ロミオに伝わらなくて、ロミオは死んでしまうのでした。病原菌ではなくてもこんな二次的な死も少なくなかったでしょう。。。世がペストの中の恋だったのね〜〜と思うと、刹那的な気持ちもあったのかな。ポスト・ペスト…沢山の死を目の前にしたら、人々の人生観もそりゃ変わりますな。))


時代は下って、20世紀パンデミックは・・・何と言っても、SARS(2002),  MARS(2012)  新型インフルエンザ(2009)、そして、スペイン風邪(1918-19/ 強烈なA型インフルエンザだったらしい)。

第一次世界大戦下で蔓延したスペイン風邪は、スペインが発祥だった訳ではなく、アメリカ・カンザス州ハスケルで発症し、ヨーロッパへの移動に伴いアメリカ軍駐屯地があったマルセイユへ、そこからヨーロッパ中へ広まったインフルエンザだったという。
当時中立国だったスペインが「病気が蔓延してます〜!」と初めて声を上げたのと、国王アルフォンソ13世が感染したことが公にされたので「スペイン風邪」なんて呼ばれるようになってしまった。
戦時下故隠し続けられた結果、第二次世界大戦の死者と同じ位の数の死者を出し、こちらも集団免疫を経るまでの状態に達してからの終息という最悪の形を辿り、静まるまで2年も掛かっている。

ちなみに、スペイン風邪で亡くなった著名人には、以下の人達がいます。
 
  社会学者のマックス・ヴェーバー(ドイツ)
  詩人のギョーム・アポリネール(イタリア出身のポーランド人)
  オーストリアの画家 エゴン・シーレ、グスタフ・クリムト
  日本でも、竹田宮恒久王(皇族)
  末松 謙澄(政治家)
  辰野 金吾(東京駅の設計者)
  島村 抱月(劇作家)←愛人 松井須磨子が後追い自殺
  大山捨松(大山巌夫人)
  西郷 寅太郎(軍人・西郷隆盛の息子)  etc..


21世紀早々のパンデミック、コロナウイルス。
最初に志村けんさんのお名前をここであげることになろうとは(号泣)。

 =合掌=
 
ペストやスペイン風邪のように、集団免疫による集結なんてこと、ありませんように!!

<つづく>


2020年4月5日日曜日

天目茶碗

和泉 良法(いずみよしのり)作

先日の「歴史秘話ヒストリア」。
天下に3つ(4つ?)といわれる曜変天目茶碗の、4つ目の茶碗の検証。
その在りかは全て日本なんだそう。
1つは…水戸徳川に伝わる「水戸天目」。藤田美術館(大阪)所蔵。
2つ目は…三代将軍徳川家光から春日局に下賜され、春日局の嫁ぎ先稲葉家に伝えられた「稲葉天目」。静嘉堂文庫ミュージアム所蔵。
3つ目は…お目見えしなかったけど、筑前黒田家に伝わっており、黒田家の菩提寺、大徳寺塔頭 龍光院が所蔵。

(1は、一昨年、藤田美術館に拝みに行きました! 藤田美術館は、開館している期間に制限がある蔵のような美術館。控え目な照明の中で不思議な光を放っていました〜〜))))

そして。。。
4つ目。それは、足利義政から織田信長に受け継がれた信長所有のもので、本能寺で失われたかもしれない一点!?

それはどこに? どうなったか!??
これは、信長ファンでなくても歴史好きにはたまらないミステリーのひとつですが、私は、本能寺からの行方よりも、なぜ中国製でしかも秀逸のこれらの茶碗が全て日本にあるのか!? ということの方が、ひじょ〜に気になります。

先日、ギャラリー而二不二(ムニフニ)のオーナー吉田さんから興味深いお話を聞かせて頂いたのですよ。それは、あの、曜変の独特のブルーに斑文が浮き上がった様、中国ではちょっと不吉とされていた(?)という話。

窯の中での化学反応で、何個か偶然にもそうなってしまった・・・!ある意味見方によってはちょっと毒々しくもあるブルー。)))私の中で、妙に腑に落ちたお話でした。

日本では「宇宙を宿す宝」といわれた曜変天目茶碗。
「曜変」とは、丸い斑文に青い光彩のこと、「天目」とは擂り鉢のような形のこと。

検証するのは、陶磁器の第一人者、東洋陶磁美術館館長の出川哲朗氏と学芸課長の小林仁氏ら。
クリアしなければならない条件は、
1)中国宋代(960~1279年/平安〜日本の鎌倉時代)のものであること
2)建窯のものであること 
3)7色に輝く構造色があること

茶碗だけでなく、桐箱に箱書き、包む布に風呂敷等々も検証され、しぼり込まれます。

日本では「唐モノ」とよんでいる茶碗や茶道具も、ほとんど(唐ではなく)宋代のもので、それらが日本の茶の湯の世界へ誘うのですね〜)))。

20世紀後半になって朝鮮半島南西沖で引き揚げられた元〜日本行きの船の積み荷には、沢山の中古品も含まれていたそう。実はその頃、既に大陸ではお茶の飲み方が大きく変わり、茶碗を使わなくなったからだろうという解説がありました。天目茶碗もその流れの中で日本にやってきたのでしょう。

それにしても、逸品の茶碗。只の輸出品ではないような・・・??
外交の匂いが致しまする。クンクン。

写真は、我が家にある唯一の天目(曜変ではありませんがw)。
茶碗ではなく酒盃です。

京都に窯を構える和泉 良法さんの作品です。和泉さんは、中国の古い窯や窯の跡を巡る旅をなさったことがあるそうです。福建省の建窯にも当然、いや一番に!?お出かけになったことでしょう。
宋代のスッ・・とした形の天目は、由緒あるお寺ではお茶を備える時にも使われているんだとか。 なるほど天目台とセットになると、急に仏具っぽくなりますw。


高貴な茶碗になった背景には様々な物語が潜んでいるのですねえ。

2020年4月3日金曜日

コロナウイルス 調理科学編(?)

油を以て脂を制する。

カリカリベーコンを作るとき、油を引いたフライパンで焼いた方が、ベーコンの脂が出やすくカリカリになりやすい。

また、カレー等スパイス料理をつくるとき、
紅花やサフランは水溶性、ターメリックは脂溶性。加えるタイミングや素材を考慮して。
料理教室でいつもこんな説明をしているワタシ・・・。

で、ふと思った。

Q.コロナウイルスは・・・?

A.脂溶性です。

コロナウイルスは、エンベロープという2重の膜に包まれた「エンベロープウイルス」で、エンベロープは脂溶性(つまり石鹸で落ちやすい)で「消毒薬感受性が良好」(つまり消毒薬に弱い)。
※ちなみに石鹸が「抗菌」や「薬用」である必要はなく、石鹸はとても有効!

https://medicalnote.jp/nj_articles/200206-001-EF
(2月頭に専門家が、手洗いの有効性についての解説)

(3月頭に朝イチでも既に解説)

両方とも見ていなかったけど、手洗いや消毒薬の有効性は、科学的にはこういうことなのですね。
きっと多くの皆様に、「とっくに知ってましたよ!」と言われちゃいますね。


で、更に思いました。

お化粧って、油性のものが多いな〜(だからクレンジングつかわないとなかなか落ちない・・・)。
化粧してるとなんだか顔に余計に花粉やホコリ、ウイルスが付いちゃうような気がするけれど、浮遊するコロナウイルスもキャッチしちゃわないかい!?? 
はて、すっぴんライフの方がローリスクなんだろうか??

ともあれ、おうちに帰ったらまず 手洗い、うがい、(ヤクルトの前にw)メイク落とし
・・・です。
拭き取りクレンジングのシートもウイルスワイプに有効かも!!?

ちょっと専門的ですが、こんなのもご参考まで。
 ↓

ワタシの大好きなちばてつやさんの描いたコロナウイルス。
ちばてつやのブログ「くずてつ日記」(2020.4.1) より




2020年4月2日木曜日

「社会距離戦略」とは?


とても分かりやすかったので、こちらにもリンクをUP致します。


ブロックしても、100%という訳にはいかない。皆が動きを制限することが結果的に感染グラフのカーブを緩やかにすることになるということを、視覚的に解説してくれています。



2020年3月31日火曜日

フレグランス・バイオレンス

歴史談、ちょっと中休み。

「フレグランス・バイオレンス」という言葉を最初に耳にしたのはもう何年も前のこと。
確か、過剰な香水の使用についての表現だったと記憶しています。

化粧品の香料はもう昔からのことですし、ハンドクリームや洗剤のフレグランスはまあ仕方ないのかな〜と、なるべく優しい香りのものを選んで同じメーカーのものを使い続け、まあ受け入れて来ました。
トイレットペーパーの淡い香りなどは、まあトイレだし、悪くないか・・・なーんて思ったりもしていたのですが・・・・。

あれ!? 香り(いや、匂い)の質が変わったな、と思うことが。

近年、こんなことが増えまして、残念な気持ちです。香料分でコスト削減を図ったのか、これまでの香りでは物足りないとする輩が増えたのか・・・?

とにかく香りがキツくなった(!)。

人工の香りに浸っていると、だんだん麻痺してきて、みんな、自然の香りでは物足りないようになってきたのではないか。

世の中は、ナチュラル嗜好へと推移している動きがある一方で、こういうモノはどんどん人工になっていってる。オーガニックコットンの洋服から柔軟剤の香料の香りなどしてきたら、なんだあかとっても残念な気持ちではないでしょうか。


香料と同じことが、食べ物にも起こっています。

アミノ酸を強調した市販のタレやソース、加工食品にまみれているうちに、自然の味に物足りなさを覚える味覚の方が増えているのでしょう。

熱湯でいれたお茶が「甘い」のはおかしいし、出汁の香りは立たないのに出汁味がガッツリする和風仕立てのお総菜。
思えば、いつの間にか、出汁(だし)は、だし汁と、NHKのアナウンサーまでもが言うようになっています。
「出汁」はそもそも「汁」。粉出汁が生まれて区別する為に「だし汁」と言われるようになったのでしょう。もう、それが当たり前の時代なのです。

昨年秋に、或る友人が、和食の講座を受けたら、松茸御飯に「料理屋ではこうやってます」と、松茸のエッセンスを数滴落とされたことに、とても残念な気持ちになったとこぼしていました。確かにとても残念な話ですが、この料理人さんはお客様に「香りが足りない」とか言われたことがあるのか、はたまたご自身が「物足りない」とお感じになるのか・・・。

出汁が香る時のなんともいえない幸福感。そして自然の食材が放つ香り。)))
これらを感じ取れる嗅覚を維持するには、日頃から余分なものが入っていないものを食べていることです。 アミノ酸や出汁エキスの名前で添加されるものは、腸内でミネラルを奪い、亜鉛不足など味覚オンチの方向へ体質を変えていく成分でもあるのです。


出汁に加えてもうひとつ。
それはお茶の香りです。
バブル世代の私が若かりし頃「フォションのアップルティーとチーズケーキ」という組み合わせが流行りました。
生まれたときから、豊富な種類のケーキに恵まれていた世代には「???」かもしれませんが、70〜80年代は、ケーキ屋さんのショーケースに増えていくレパートリーの一つ一つに小さなブームが起こったものでした。
あのアップルティー。美味しいと思っていたけれど、いつの間にかすっかり飽きてしまいましたし、90年代後半の密かなマイブームでいろいろ飲み比べしたアールグレイも、一部のメーカーのモノを除いていつの間にか興味を失なっていました。

香料の香りは飽きる!

自国のお茶をもつ日本人が、紅茶をスルーして一気にコーヒー党に流れていったのは、香料浸けになった時代を経てのことではないかしら??
そんな風にも思ったりするのですが、嗜好品としての香料茶はある程度の支持をえているようでもあります。


私は、香料フリーのお茶を切望します!
紅茶や烏龍茶などの発酵茶には、香りを表現するにあたって「フラワリー」なんてのがあります。自然に生まれる花を連想させるようなほのかな香り。
これを楽しめるのは、なんとも贅沢なひとときなのです。
このテの芳香は、粘膜を伝い脳へ運ばれ、記憶に深く刻まれるようでもあります。

味覚センサーは健康のバロメーターでもあり、味蕾細胞の代謝はスピーディーで、味の記憶はとても不安定なもの。
でも、刻まれた香りの記憶は別の役割がありバックアップ機能を果たしているようです。

ノー・モア 食べ物の「フレグランス」です。

おうちの時間をちょっと少しだけ特別に変えてくれるお茶。やっぱりそのままの美味しさであって欲しい。

2020年3月27日金曜日

パンデミック エピデミック(6)8−9世紀 延歴・貞観の疫病

3回に渡って6〜8世紀までの話を書いてきました。
大和〜奈良時代は、とんでもインターナショナルでビックリです。
遣隋使、遣唐使、そして朝鮮半島との往来・・・。
この時期、文化的躍進がみられたというのも、よくわかります。
日本からの遣唐使を中断している間も「朝貢に来い」と要請の使者が来たりしています。
一方で、平安時代に入ると少し内向的になっている印象ですが、大陸側は乱世ですので、沢山の難民が日本へ逃れ来たことでしょう。
継続的に疫病に悩まされているところへもって、立て続けに自然災害が降りかかり、被害が大規模になっていった様子がうかがえます。

細々とした解説は省略して、以下、ちょっと年号順にならべてみます。
紫:疫病の状況
緑:大陸の状況

● 794年「な(7)く(9)よ(4)うぐいす平安京」
桓武天皇(50代)の時代になりました。

● 796年 平安京建設中にもまた天然痘大流行。
 皇太后、皇后が病死、皇子も重篤。 
 これは冤罪で追放した早良親王の祟りか!?と、例によって「死者に位を与えて弔う」という対応をしますが、魂ではなく病原菌の問題なので、治まるはずはありません。
 
● 屠蘇散が唐から伝えられる。嵯峨天皇は、桓武天皇から2代後の天皇でした。
 嵯峨天皇(52代)が宮中で屠蘇散を一晩お酒に浸して宮中行事で振る舞ったのが、お屠蘇の起源とされています。
大陸からは疫病も来ましたが、漢方薬も持ち込まれました。正倉院には、聖武天皇、光明皇后ゆかりの品々を始めとする天平以来の美術工芸品に加えて沢山の生薬・薬品が納められていました。

● 861年 赤痢の流行

● 863-864年 咳逆(日本初のインフルエンザ?)の流行

● 864年 富士山・貞観の噴火
  文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われているらしいです。
 (ちなみに最寄りの噴火は、江戸中期の1707年、宝永大噴火。)

 867年 新羅で疫病と飢餓
 →新羅難民が海賊となってやってきて、博多、対馬、壱岐へ入港。

● 869年 貞観の大地震〜三陸津波  
 ※2011年3月11日の東日本大震災と同じ規模の地震と津波が起こったと、よく参照されるのがコレ。

これはもうきっと、全国的に死体ゴロゴロの状態です・・・・。
もはや早良親王の祟りでは済まされない事態。
疫病=祟りですから、この頃、怨霊や物の怪が見える陰陽師が大活躍。
「きっと、これまで全ての怨霊が降りかかってきたのだ・・!」
そう考えた(陰陽師にそう伝えられた)清和天皇(56代) は「皆を全て一緒に祀りましょう!」と、同年、鎮魂の為の「御霊会」を行います。
これが「祇園祭」の起源です。
オー・マイ・ガー!・・・疫病蔓延時に「祇園祭」! それこそ感染爆発、集団感染になっちゃいます!! 疫病が静まる訳ないですねえ)))。

● 875年 唐で黄巣の乱(農民反乱)

  894年 遣唐使廃止  
 唐では15代皇帝の武宗による仏教弾圧(「昌の廃仏」)が。
 菅原道真は第20回目の遣唐使のはずでしたが、唐の状況からキャンセルを進言。

● 907年 唐滅亡   
 大陸は「五代十国」(多くの民族が各地に乱立する時代)に。 

● 915年 十和田火山(青森) 噴火 
 秋田一帯に灰が降る。(「日輝かず 月の如しの出羽国・・・」/『扶桑略記』より(十和田湖は、この時の噴火で出来たカルデラ湖)

   同年、京で痘瘡流行

● 926年 渤海国滅亡 遼(契丹)*により滅ぼされる
※モンゴル系の半農半牧の民族で朝鮮の北部〜華北の一部で活動していた。唐の滅亡、五代十国の混乱から逃れてきた漢人を取り入れ強大となり、渤海国を滅ぼす。後、遼(916~1125)となる。

● 935年 新羅滅亡  高麗(918 -1392年) により滅ぼされる
※高麗は新羅を滅ぼしたことで朝鮮半島を統一。李氏朝鮮が建てられる1392年まで続いた。

● 931-938年 平将門の乱

● 946年 白頭山(現在の中国吉林省と北朝鮮国境にある長白山2744mh)の噴火 
 世界最大級の噴火で、噴火の規模は、ナポリのベスビオ火山を大きく上回る程で、
 広範囲に灰が降ったらしい ----奈良でも降灰の記録あり。

● 974年 天然痘の流行
 この時も、藤原家は挙賢、義孝兄弟が同時に病死しています。

 君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思ひけるかな 
 
百人一首にある有名なこの歌は、藤原義孝が闘病中に詠んだもの。21歳だったそうです。

● 995年 関白 藤原道隆、道兼の病死

藤原氏の摂関政治がピークの頃も、関白を務めた藤原兼通の息子たち、道隆、道兼が疫病で亡くなっています。兼通の五男が、『源氏物語』の光源氏のモデルとも言われる藤原道長。兄たちが亡くなり、彼に関白のお鉢が回ってきたのでした。

“『源氏物語』(1008年頃)が、男女の愛を軸にしながら「もののあわれ」を強調する背景には、権勢のはかなさ、人生の短さ、愛の不確実さ以上に、この不測の感染症の大惨禍の記憶が背景にある”  
 - - - と、『人類と感染症の歴史』の著者加藤茂孝氏は記しています。

日本の美的理念でもある「もののあはれ」は、疫病の影響下で生まれた!?

ちなみに、藤原道長(享年62歳)の死因は、疫病ではなく糖尿病と考えられています。

<つづく>

参考文献
「人類と感染症の歴史」加藤茂孝
「病が語る日本史」酒井シヅ
 「超日本史」茂木誠 など