2020年4月5日日曜日

天目茶碗

和泉 良法(いずみよしのり)作

先日の「歴史秘話ヒストリア」。
天下に3つ(4つ?)といわれる曜変天目茶碗の、4つ目の茶碗の検証。
その在りかは全て日本なんだそう。
1つは…水戸徳川に伝わる「水戸天目」。藤田美術館(大阪)所蔵。
2つ目は…三代将軍徳川家光から春日局に下賜され、春日局の嫁ぎ先稲葉家に伝えられた「稲葉天目」。静嘉堂文庫ミュージアム所蔵。
3つ目は…お目見えしなかったけど、筑前黒田家に伝わっており、黒田家の菩提寺、大徳寺塔頭 龍光院が所蔵。

(1は、一昨年、藤田美術館に拝みに行きました! 藤田美術館は、開館している期間に制限がある蔵のような美術館。控え目な照明の中で不思議な光を放っていました〜〜))))

そして。。。
4つ目。それは、足利義政から織田信長に受け継がれた信長所有のもので、本能寺で失われたかもしれない一点!?

それはどこに? どうなったか!??
これは、信長ファンでなくても歴史好きにはたまらないミステリーのひとつですが、私は、本能寺からの行方よりも、なぜ中国製でしかも秀逸のこれらの茶碗が全て日本にあるのか!? ということの方が、ひじょ〜に気になります。

先日、ギャラリー而二不二(ムニフニ)のオーナー吉田さんから興味深いお話を聞かせて頂いたのですよ。それは、あの、曜変の独特のブルーに斑文が浮き上がった様、中国ではちょっと不吉とされていた(?)という話。

窯の中での化学反応で、何個か偶然にもそうなってしまった・・・!ある意味見方によってはちょっと毒々しくもあるブルー。)))私の中で、妙に腑に落ちたお話でした。

日本では「宇宙を宿す宝」といわれた曜変天目茶碗。
「曜変」とは、丸い斑文に青い光彩のこと、「天目」とは擂り鉢のような形のこと。

検証するのは、陶磁器の第一人者、東洋陶磁美術館館長の出川哲朗氏と学芸課長の小林仁氏ら。
クリアしなければならない条件は、
1)中国宋代(960~1279年/平安〜日本の鎌倉時代)のものであること
2)建窯のものであること 
3)7色に輝く構造色があること

茶碗だけでなく、桐箱に箱書き、包む布に風呂敷等々も検証され、しぼり込まれます。

日本では「唐モノ」とよんでいる茶碗や茶道具も、ほとんど(唐ではなく)宋代のもので、それらが日本の茶の湯の世界へ誘うのですね〜)))。

20世紀後半になって朝鮮半島南西沖で引き揚げられた元〜日本行きの船の積み荷には、沢山の中古品も含まれていたそう。実はその頃、既に大陸ではお茶の飲み方が大きく変わり、茶碗を使わなくなったからだろうという解説がありました。天目茶碗もその流れの中で日本にやってきたのでしょう。

それにしても、逸品の茶碗。只の輸出品ではないような・・・??
外交の匂いが致しまする。クンクン。

写真は、我が家にある唯一の天目(曜変ではありませんがw)。
茶碗ではなく酒盃です。

京都に窯を構える和泉 良法さんの作品です。和泉さんは、中国の古い窯や窯の跡を巡る旅をなさったことがあるそうです。福建省の建窯にも当然、いや一番に!?お出かけになったことでしょう。
宋代のスッ・・とした形の天目は、由緒あるお寺ではお茶を備える時にも使われているんだとか。 なるほど天目台とセットになると、急に仏具っぽくなりますw。


高貴な茶碗になった背景には様々な物語が潜んでいるのですねえ。

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