2019年5月16日木曜日

ポルトガルのお菓子 3 



マカオの城塞ホテル Pousada de Sao Tiago


(2)のつづき。

ポルトガルから割譲されたのは、北アフリカのタンジール(タンジェ)とインドのボンベイ(ムンバイ)。 1662年のことです。

マカオにあるポルトガル料理のレストランの名前で「アルフォンソ」というのがありましたが、丁度この頃のポルトガル王(キャサリン王妃の弟さん)の名前もアルフォンソ(2世)です。 ヨーロッパでは同じ名前の王様が何人もでてくるので、違う時代のアルフォンソかもしれませんが。

中世ヨーロッパの歴史に出てくる名前って、国を跨いでのお輿入れや王位継承などで、お国の言語に合わせての読み方が変わるので、よく混乱させられます。)))
英語名のマイケルがミシェルだったりミゲルだったり、カールがカルロスになったり、フィリップ  → フェリペ、ヘンリー  → アンリ、エンリコ  → ハインリヒ・・等々。
だんだん誰が誰だか解らなくなってきちゃうのです。
ちなみに、キャサリン王妃のポルトガル名は「カタリーナ」。
また、国の呼び方も国境も、当然ながら今のものとは異なります。例えばこの頃のスペインはまだスペインではなく、その中核になった国の名前「カスティーリャ王国」でした。

あれ!!!?
この名前、カステラに似てます!

実は、カスティーリャで作られたお菓子がカスティラ(カステラ)なのです!
カスティラとは、城郭のこと。当時ムーア人(北アフリカのイスラム系の人)の侵略を防ぐために沢山の城塞が作られていたので、城塞の町という意味で、そのまま地名になったのだとか。

※スペインの世界遺産グラナダのアルハンブラ宮殿:アルハンブラとは、アラビア語で「赤い城塞」という意味なのだそうです。イベリア半島は一部、8世紀頃からずーっと、ウマイヤ朝に始まり最後のナスル朝(1492年)まで、複数のイスラム王朝に支配されてきました。
アルハンブラ宮殿は、この間の異なる時代の城塞や宮殿で構成されている建築物の複合体なのでした。
イスラム勢力を撤廃し再びキリスト教徒が征服しようという運動のことをレコンキスタといい、1492年はその終焉とされています。

あれれ、ではカステラは、スペインのお菓子ってことになりますか??
ポルトガルも、スペインに併合されていたことがあったし、文化に垣根は無いと考えると、それもあり得ると私は思います。
スペルをチェックしてみると、カステラ(Castella)、カスティーリャ(Castilla)、 城郭を指すラテン語はCastra 、英語でお城のことを、 Castle (キャスル)。

カステラが城郭ケーキだったとは!! 
私には、パン・デ・ローだった以上に驚きです。 

おっと、カステラは、「1」で取り上げたブロアカステーラのことでした。
あの小さくて丸っこいのは、城塞の石垣のイメージだったりして??

想像は膨らみますが、そろそろティータイムにしましょう。
カステラ、カステラと言ってると、カステラが食べたくなってきました。
運良く手元には頂き物のカステラが♡

日本のカステラ。あの姿形は、堂々和菓子!(・・と思う。)
だからカステラを食べるときは、煎茶を淹れがちなのですが、キャサリン・オブ・ブラガンザ(カタリーナポルトガル王妃)のお話をしたので、今日は紅茶を淹れることにします♪




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