2006年5月4日木曜日

端午の節句

「ゴールデンウィーク」と、ひとくくりになって、はたまた少子化あいなって、5月5日のこどもの日「端午の節句」をお祝いする方も少ないかも知れません。海外脱出もままならず、ちゃっかりとちまきだけ頂き、休日を楽しむのが常のワタクシ。

ちょっとだけ例年とは違う気持ちで過ごそうと、先日の漢方講座のおさらいです。

かぶとを飾り、鯉のぼりを掲げること以外はほとんど知りませんでした、「端午の節句」。

これもやはり、厄払いの行事なのですね。中国由来で、日本では奈良時代頃から行われている行事で、軒に菖蒲やよもぎをつるしたりしたそうです。

「端午」の「端」は、「初」を意味し、月はじめの午の日のことだったのが、午が五に通じることなどから、五月五日になりました。

もともとは、女の子のお祭りで、田植え前に早乙女と呼ばれる若い娘達が神社でお祓いをしていたもので、田の神に対する女性の厄払いの日だったのが、平安時代には、武家の間から端午の節句のショウブが「尚武」や「勝負」に通じるとして、男の子を祝う行事へと変わっていったのだそうです。

江戸時代になると、端午は幕府の重要な式日として、武者人形を飾るようになり、中国の「龍門を登って鯉が龍になった」という故事にあやかって、子供の立身出世を願い鯉幟を立てるようになったのでした。

もっとも、幟は、江戸時代には和紙に鯉の絵を描いたものだったそうで、布製になったのは、大正時代だとか。

ちまきや柏餅を食べるのも、中国伝説に由来するのだそうです。

中国は戦国時代、楚(そ)の国の高名な詩人、屈原(くつげん)が陰謀のため国を追われることになり、5月5日、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまいました。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさん

のちまきを川に投げ入れて弔いましたが、ある年、川辺にで屈原の幽霊が現れ、「里の者が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、残念なことに、私の手許に届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまう。だから、今度からは蛟龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ:今では笹の葉で代用されることが多い)の葉で米を包み、五色の糸で縛って

ほしい」 と言ったと、言い伝えられています。以来、5月5日に粽が食べられるようになったといいます。

ちまきは、地方によってもいろいろ違うみたいですが、ワタシがこの時期によく食べたのは、鹿児島の「灰汁巻」です。

餅米を竹の皮で包み、灰汁の中で長時間煮て作られたもので、餅米が透き通る様なお餅状になり、灰汁が染みて腐りにくくなったものですが、粽代わりによく祖母から送られて来ました。

柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないので、 「子供が産まれるまで親は死なない=家系が絶えない」即ち、子孫繁栄を願って食べられたのだそうです。

こいのぼりが親子なのも、そんなところからきているのでしょうか。

そうそう、こいのぼりの一番上にある五色の吹き流しは「五行説」の象徴ですね。

柏の葉にも薬効があるようですが、主に子孫繁栄の縁起をかつぐ意味がおおきいみたい。

(柏葉の代用で使われる丸い葉っぱ「サルトリイバラ/山帰来」 は、根っこが慢性皮膚炎の薬---昔は皮膚病の人が人目を避けて、山にこもり、サルトリイバラの根を煎じて飲んで治癒し、山から帰ってきたことから「山帰来」と呼ばれる---になるそうです。)

菖蒲(ショウブ)は、薬草でもあり、根や葉を使います。

お風呂に入れて菖蒲湯にすると、体が温まり、神経痛などに良いそうです。

こうしてみると、折々の節句とは、節目節目に健康と生命への感謝と労りを思う機会なのですねえ))))。