2008年3月28日金曜日

『落穂拾い』

2000年 仏監督: アニエス・ヴァルダ
「道路や畑に落ちている作物を拾って生活している人々や、廃品やゴミでオブジェを作る美術家など、フランス各地の現代の落穂拾い”をとらえたドキュメンタリー。
監督・脚本・撮影・編集は「百一夜」のアニエス・ヴァルダ。
2000年ヨーロッパ映画賞最優秀ドキュメンタリー賞、フランス映画批評家協会賞最優秀映画批評家賞、2001年サンタ・バーバラ国際映画祭洞察賞、セザール賞特別名誉賞など多数受賞」
「アニエス・ヴァルダ監督は、市場がはけた後に残された野菜や果物を拾い集める人々を見て、ふと、ミレーの有名な絵画「落穂拾い」を思い出す。小さな手持ちカメラを持って、彼女の「拾う人々」を探す旅が始まった。そこには、出荷できない膨大な量のジャガイモやリンゴ、ブドウ、そして大量に廃棄された電気製品を拾い集め生活する人々との出会いがあった。この飽食の時代に対する彼らの知恵や姿勢に驚嘆しながら、アニエスはカメラを回す。」
ーーーーーーーー以上、goo映画より

淡々とした映像だが、アニエス・ヴェルダの視点が鋭く、面白く、時になんとも可愛いらしい。
一貫して彼女のハンディカムビデオの目線だ。何億ドルも掛けるハリウッド映画をしのぐインパクトは、限られた視界の外へと、意識が導かれるからだろう。
無駄にされる食材、無造作に捨てられる食べ物や物資の裏側にあるのは・・・・貧困と疲弊する地球である。
食料自給率134%のフランス、パリ市内の朝市、ブルゴーニュの葡萄畑・・・潤沢な食文化にももう一つの顔がある。
アニエス・ヴェルダさんのハンディカム、舞台が日本ならどんな映像を映すだろうか。

「人間がどうなるかはどうでもいいことだ。問題は鳥たちなんだよ」
いつも”落穂拾い”で食物を調達しているサラリーマンの言葉が印象的だった。

2008年3月22日土曜日

『食の未来』 〜The Future of Food〜

米国の遺伝子組み換え作物を巡る問題を取り上げたドキュメンタリー映画『食の未来』(「The Future of Food」2004 米国 Lily Film デボラ・ガルシア監督)を見てきました。

遺伝子組み換え作物を使った製品は何となく本能的に(?)避けてきたけれど、具体的に遺伝子組み替えってどういうことなのかをこの映画は見せてくれます。

その実態は・・・・!?

・寒さに強いトマトや苺には、寒さに強いヒラメの遺伝子が組み込まれている!
・豚にほうれん草の遺伝子!(栄養たっぷりの豚肉)
・食べ物以外でも、観賞用の光る魚には、蛍の遺伝子が組み込まれているものも!?

動物と植物、魚と植物・・・こういった種の壁を越えた遺伝子操作が行われているとは、なんとも不自然を越えて奇妙。)))

さらにさらに、例えばトマトの細胞にヒラメの遺伝子を注入する際、ただミクロの注射器でさして入れるのでは何も起こりませんが、細菌やウィルスを使うことによってそれが可能になるといいます!
そんな具体的手法もですが、そもそも何故遺伝子組み換え作物の研究が進められてきたかというところが、また身震いするほど恐ろしい話なのでした。

『華氏911』『シッコ』等の映画で、マイケル・ムーア監督が各業界政府の裏側のシステムの存在を映画にしたのと同じような、膨大な裏の力が働いて、一部の富みの為に地球を搾取するからくりが(!)。

種苗会社を買収した米国の農薬企業が遺伝子操作された種の特許取得に乗り出し、特許料で巨大企業が潤うというシステム。
その巨大企業の幹部から、環境保護庁次官、最高裁判所判事、商務長官、農務長官、米国食品医療品副長官などが輩出されている事実(!)。あの、ラムズフェルド国防長官も、遺伝子組み換え菜種(キャノーラ)を作り特許に乗り出している元モンサントの子会社社長だったのでした。(だからアメリカでは、遺伝子組み換え容認、その上食品への表示もしないまま。)

遺伝子組み換えのトウモロコシが実際に生産に掛かるコストよりも安く国内外に売られるなど、本来ならあり得ないことですが、そうやって、小規模農民たちを押しやる・・・。
これは、なんだか中世の砂糖生産と極似。

中世では砂糖が、20世紀の石油のような世界商品としてもてはやされました。
欧米は、アフリカから連れてきた奴隷を導入して中南米やアジアにサトウキビの単一栽培(モノカルチャー)を展開し、膨大な供給を可能にしていたのでした。インドの綿花なんかもそんな感じでしょうか。とにかくこのモノカルチャー化で、自給自足が出来なくなり、安い賃金で生活せざるを得ない状況になっていきました。
このモノカルチャーが、次々と農薬の必要性を生み、バイオテクノロジーによって遺伝子組み換え作物をも生み出す。
これは、地球規模の悪循環スパイラルです。

搾取される側とする側。
「飢餓問題は、生産の問題ではなく配分の問題である」。
バイオエネルギーは、これにさらに拍車を掛けることにもなるのです。
まったく、知らないところで、奢れる人間の、とんでもないプロジェクトが進められているのです。

この映画を見ると、遺伝子組み換えのたどり着くところが、種の絶滅、土地の食文化の破壊、地球生命の危機に繋がるということが見えてきます。

フランスやイタリアは、ほとんど全土で遺伝子組み換えをやっていませんし、ポーランド、スイス、オーストリア、ギリシャに至っては、ほぼ100%遺伝子組み換えナシ。さすが! 
方や、日本は、カロリーベースで自給率39%。遺伝子組み換えで大量生産された食糧なしにはやっていけない現状です。情けない・・・。

消費者として何を買うかは、政治への一票。
そういえる時期すら過ぎ去ってしまっているのかもしれません。



2008年3月21日金曜日

『いのちの食べ方』〜OUR DAILY BREAD

http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
監督:ニコラウス・ゲイハルター 幕開けは、豚が縦割りになってぶら下がっている映像。

豚、牛、鶏の解体広大な温室のトマトチューブに吸い込まれながらカートに詰め込まれたピヨピヨひよこ。
広大な農地に巨大な農機具で収穫するジャガイモ。
夜でもガンガン明るいビニールハウス。
サイのような筋肉隆々の牛の交配シーン。
その牛の帝王切開による出産。
ホワイトアスパラの収穫。
ブロイラーの鶏と卵牛乳の搾絞向日葵への枯凋剤散布。
レタスの収穫と梱包巨大な機械で木を揺すぶってのオリーブの収穫。
岩塩の採掘。
バキュームで吸い込まれる鮭。

 食料生産現場、グローバル・スタンダードの映像を、ナレーションも音 楽もなく淡々と1時間半。
何の解説もなく食料の生産現場を客観的に見せられるだけなのだけれど、映画館を出る時の、この重い気分はナンだ・・・!?

豚の解体シーンはつい最近『人間は何を食べてきたか』(1990 年〜NHKドキュメンタリーで放送・2003スタジオジブリが編ビ デオ&DVDを制作)でも見たし、生きた鶏がたちまち「肉」にされる ところなどはライブでも見たことがある。
動物の解体シーンは、人の手によるものより、機械の流れ作業で行われる方がずっと残酷にみえる。だって、動物たちは、殺される前から既に「食べモノ」でしかないのだ から。 
なーんてことを言うのは、身勝手なオセンチリズムの街っ子かな。

そもそも、家畜というのは、最初から人間が食べるために育てている経済動物であるし、そういう意味では生まれた時から「食料」なのだ。ただ、これが 「食料」の生産効率のみを突き詰めた究極の情景であり、これがグローバル化時代の生産現場のスタンダードでもあるということに、改めて驚愕する。
映像に、いくつか不明なところがあったので、パンフレットを買って解説を読んだ。 

・50mx13m,200坪のブロイラー鶏舎には1万羽の若鶏たち。
 薄暗 いのは発育をコントロールする為だそうだ。
・豚のお尻に何か差し込んでいるのは、人工授精の様子だった。
・子豚の去勢は、雄性ホルモンで肉が臭くなるのを防ぐため。
・牛の帝王切開のシーンは、大型の牛を掛け合わせた「キアニナ」という牛のもの。
 キアニナはブルドックみたくすっかり難産になってしまった。
 (成長ホルモンを投与したり筋肉粗大を抑えるタンパク質 ミオスタチン阻害の遺伝子操作などもあるらしい。)
・牛の屠殺シーンは「電撃法」(脳天に電気の一撃を与える)なるもので、意識喪失にして心臓が動いている状態(血が凝固しない)で血抜きできるようにされている。 


ドキュメンタリー作家の森達也氏のコメント:「食とはいのちの矛盾を咀嚼することでもある。これは欧米も日本も変 わらない。行きとし生けるものの業であるこの矛盾を、僕たちは整合化 してはならない。矛盾は矛盾として受容せねばならない。端数を四捨五 入してはならない。忘れないこと。意識に置くこと。凝視すること。その為にこの映画はある。 

食料を自給していないということは、こういう食料を入手し食していくということ。このような大量生産に依存しているということ。日本人としては、この映像には、もうひとつのメタファーが込められているように感じる。 

2008年3月17日月曜日

『ミス・ポター』

監督:『ベイブ』のクリス・ヌーナン
出演:『ブリジット・ジョーンズの日記』のレニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー、エミリー・ワトソン 他 
あの、ピーターラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターの物語。
時代は20世紀初め(ピーターラビットの初刊が1902年)、まだビクトリア朝の封建的な空気漂うイギリス。

タイタニックの船上で"レディ"教育を受ける小さな女の子が、恭しくレースのハンカチーフを膝に置くシーンがとても印象に残っているけれど、それとほぼ同時期の女性なのでした。
当時のイギリス上流階級の暮らしや女性の生き方がよく描かれていて興味深かったです。

植民地でのビジネス等で得た富を、更に婚姻関係で確固たるものにしていくイギリスの上流階級。ビアトリクス・ポターは、そんな家に生まれながら、何不自由ない暮らしの為の結婚を拒み、湖水地方で出会った動物たちとの物語の中に生きていました。
湖水地方は、ビアトリクス・ポターが幼少の頃より夏の間、ロンドンを離れ過ごしていたところ。慣れ親しんだ動物たちを夢中で描き続け、本の出版に成功。ベストセラーを次々と生み出すアーティストとして大成していきます。
彼女の真の理解者であり編集者でもあったノーマンとの死別を機に、湖水地方へ移り住み、自分の「友達」である動物たちや農村の風景を、開発ブローカー達の思惑から守りたい一心で、印税で次々と農地を買い取り、従来通りの姿のままに運営。ナショナルトラストの設立にも尽力。
彼女が購入した4000エーカーもの広大な土地も、遺言によりナショナル・トラストに寄贈された。イギリスきっての美しい自然と農村風景はこうして守られ、世界中の観光客を魅了する土地となっているといいます。


日本語には「ライフワーク」の直訳が無いのだとか。
「使命」とか「天命」なんて言葉がそれに当たるのかもしれないけれど、ライフワークには、もっと能動的なニュアンスがある。この言葉が使われるようになったのは、いつ頃からなのでしょう。この時代の女性の語彙にこのことばあったかどうかは知らないけれど、彼女のアーティスト人生にはこんな言葉も相応しいように思えます。


ビジネスセンスにも長けていて、ライフワークと経済的なことを両立させていた部分は、とてもイギリス的で自立していて素敵です。


2008年3月14日金曜日

『幸せのレシピ』

2007年 アメリカ映画,
監督:スコット・ヒックス。  
主演:キャサリン・ゼタ=ジョーンズ, アーロン・ エッカート, アビゲイル・ブレスリン,パトリシア・クラークソン
ドイツ映画『マーサの幸せレシピ』のリメイク。
ハリウッドが作ると、アノ、独特の雰囲気はどうなっちゃうんだー??・・・との思いが一瞬よぎらないでもなかったけれど、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、結構好きなんです。
ピンと背筋をのばしたまま、きゅっと口角の上がった口元に食べ物を運び、パクッ。彼女の食事シーンは、どの映画でもきれいで美味しそうだなあと思うのであります。

舞台はNY。客層もおレストランの店内も前作品とはひと味違うし、キャサリン扮するケイト(前作品ではマーサ)が、オーナーの言いつけでセラピーに通うあたりの設定はいかにも"アメリカ"だけど、チャイナタウンで食材を探したりと、食彩の豊かさは、NYにもこんな一面があるのかと思わせてくれる。そして・・・これはヨーロッパ映画(特にフランス映画)でいつも思うのだけれど、相手役の男性には、なーんか距離を感じてしまうということが無かったので、楽に見ることができました。
魅力的な男性観の違いは、違和感というか異文化の垣根を感じてしまうのですが、そういう意味では(決して、アーロン(ニック)がタイプって訳ではないけれど)彼扮するニックは、ちょっと馴染みやすい感じ。
自分がいかにアメリカ映画に慣らされてしまっているかを再認識するリメイク作品でもありました。

音楽が『マーサの・・』バージョンのままなのは嬉しい。
ケイトのオリジナルサフランソース・・・サフラン風味にバイマックルー(タイのコブミカンの葉)の組み合わせ、想像も付かないですけれど。




2008年3月7日金曜日

養々麺




インスタントラーメンかと思いきや、にゅうめん。

お湯を注いで3分蒸らすと、程良いゆで加減のコシのあるそうめんになる。
これ、長崎の島原、(株)雲仙きのこ本舗が作っているインスタント麺。
無添加の乾燥食品。きのこの具材入り。
1食259カロリーと、一食には少々軽いけど「夜食」にはピッタリ。

姉妹品の黒ごま麺の方は、塩ラーメン。
こちらもさっぱりヘルシーな後味。
発泡スチロールのカップに入っていないところがちょっと嬉しいな。

ちなみに、素麺は、約600年前、雲仙山麓は良質の小麦がとれ素麺に適した地である事に目を付け、本場中国より手法を会得したのだとか。

日本の誇れるパスタとして、もっと海外に〜〜〜!