2022年3月29日火曜日


観音しだれ桜



今年は例年より、少し早い開花。

例年TVやSNSの桜の投稿を花暦としている節があるワタクシですが、今年はいち早く発信側に♪

先日、公民館での講座の帰り、立ち寄った神社のしだれ桜です(写真)。
なんとも立派、ご神木に相応しい風格!
そばの狛犬までもが、どこか誇らしげなお顔です。

そうそう、日本各地に桜伝説というのがあるようで。
桜の木には、霊力が宿る・・と。
今年85歳になる知人は、お転婆だった子供の頃母親に「桜の木は登るもんじゃありませんよ」と言われたのを覚えていると言うのです。

木というのは、俄然人間よりも長生きで、いつも同じ場所から私達をみていて、なんでも知っている存在。そんなスケールの大きな生命体だから、ちょっと畏敬の念も沸いてくるのかも知れません。


さて、そんな桜のエネルギーは、やはり生薬にもなっていました。


「桜皮(おうひ)」

山桜の木の皮には、フラボノイド化合物の成分がふくまれ、鎮咳、袪痰、湿疹やじん麻疹、排膿の薬になるようです。八重桜の花にも同様の成分が含まれるとか。
こちらは、喉の痛みのほか精神安定と安眠によしとされます。桜の花の香りに因るものといえそうです。


散る桜 残る桜も散る桜

これは江戸後期の曹洞宗の僧 良寛禅師の辞世の句(?)らしいですが、何故か、一番に頭に浮かんだのが『TVタックル』に出演していた破天荒政治家ハマコー(浜田幸一)です。
政治家の盛衰絡みの話題等、ことある毎に、決めぜりふのようにこの句を持ち出していたのがなんだか可笑しくて。

この句は、寿命は余命なのだということ、生まれたから死ぬ。誰しも生きて死ぬ。
表裏一体の生死観を歌ったものだそうです。
生死観を重ねるほど、桜は日本人の美学の原点なのですね。。。




ウクライナの桜

日本・ウクライナ外交関係樹立25周年にはじまり桜キャンペーンが続き、現在は2500本もの木が、キエフ、マリウーポリ、オデッサ、ドニプロ,リヴィウなどの22都市に植林されているのだそう。
https://www.ua.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/00_000951.html

ウクライナの桜は、無事咲くのでしょうか??


2022年3月27日日曜日

リトル・オデッサ

NYCから、地下鉄B-Line で1時間近く、途中ちょっとドスのきいたエリアも通り越しずーっと乗りっぱなすと海にぶつかる。

ブライトン・ビーチ。

ここには「リトル・オデッサ」とよばれるロシア人街がある。
ビーチ沿いにはリタイアメントハウスも立ち並び、のどかな風情だった。

オデッサ(ギリシャ名)
ウクライナ南西部、黒海に面し「黒海の真珠」なんて呼ばれている美しい観光都市。
その沿岸には今、土嚢が積まれている。。。

もう30年も前の話になってしまうが、学生時代にリトル・オデッサを訪れたことがある。
キリル文字の看板が並ぶ街並み。
そこのグロッサリーストアでは、ルーブル通貨もOKだった(!)。

脂身の層が分厚いお肉の煮込み料理やまっピンクのビーツ色のボルシチのあるロシア料理レストランーーー。
”こってり”に尻込みしてレストランはパス。ベーカリーのピロシキを買って食べたっけ。

写真も撮ったけど、ちょっとドキドキわくわくしていたせい(?)かほとんどピンボケでした(涙)。
デジカメも携帯も無い頃のカメラで人々の日常を撮るのは、ちょっと覗き見みたいで気が引けたもの。

ソビエト崩壊以降に移住した現 ロシア、ウクライナ、そしてジョージア、ウズベキスタン、アゼルバイジャン等々周辺国を祖国に持つここの人々は、共にウクライナに祈りと支援を送っているらしい。








 

2022年3月25日金曜日

4 - 5月の料理教室

中国は広〜い!
地方料理が豊富です。
街中華や家庭料理として定番の中国料理それぞれのルーツはどこでしょう?
そんなことをお話しながら、安心感たっぷりのおうち中華をワンスランクUPできるコツ、お伝えしたいと思っています。

※今回は、日程が少し変則で、大型連休を挟みます。


 ●テーマ:「家庭料理になった中国料理①」    

 ●日時:2022年 4月 23(土), 24(日),    5月 7(土),    8(日)
                   10:30~14:30

 ●料理内容:
   ・開胃スープ
   ・油淋鶏(ユーリーチン)
   ・油淋鶏のタレで食べる野菜料理
   野菜料理もう1品
   ・ごはん(?)
   ・生姜を使ったデザート

※料理は一部マイナー変更がある場合があります。ご了承下さい。
※特製辣油の予約開始(締め切りは3/31)。 角瓶@1,400円(対象:会員様のみ)

2022年3月1日火曜日

カカオ・ココア・チョコレート ②

 先日テレビで『チャーリーとチョコレート工場』(2005/ジョニー・デップ主演)を見ました。

原作はロアルド・ダール(英)の児童小説 “Charlie and the Chocolate Factory”(1964年/邦題『チョコレート工場の秘密』)。

本作品は、1971年に一度『夢のチョコレート工場』というタイトルで、映画化されています。(脚本は、原作者ロアルド・ダールが手掛けているどちらも見そびれていたのでやっと観られたという訳なのですが、見終わって、この物語は最初に本で読みたかった(!)と思ったのでした。映画のインパクトが強すぎて。。。
独特なファンタジー。
映画2005年バージョンでは、CGで複製されたウンパルンパ(という小人人種)やセットが現代の技術でしっかりに作り込まれていて、色調等々、これを一度見てしまうと、独自の想像が描ききれなくなってしまう気がします。もう、ウンパルンパはあの顔しかうかばないし、ウォンカはジョニー・デップの美しい顔しか浮かばないといった状況に。
もし未だご覧になっていない方は、まずは活字でアプローチして、立体的な想像を膨らませてみることを、是非オススメします。


ここでちょっとストーリーを。

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外界から隔離された巨大なチョコレート工場がある大きな町の片隅で、貧乏な暮らしを余儀なくされている少年チャーリーとその一家。ある日、チョコレート工場の工場主ウィリー・ウォンカが、自社のチョコレートの中にゴールデンチケットを5枚封入して出荷、チケットを引き当てた子供を工場見学に招待すると発表する。

そして、工場見学の日。チケットを引き当てたチャーリーら五人の少年少女と保護者の前で、チョコレート工場の門が開く。チョコレート工場の中に広がっていたのは、ウォンカが作り上げた奇想天外な世界だった。(以上、ウィキペディアから抜粋)

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チョコレートの製造で大成功をおさめているウィリー・ウォンカ。
この物語は、彼の工場の「奇想天外」ぶりが醍醐味でもあるのですが、チャーリーと工場見学を共にすることになる親子の価値観の歪さが、工場の世界感となんだかシンクロしているのです。そしてその親子とウォンカとの噛み会わない掛け合いもまた、独特の世界感を醸し出しています。
どこかダークな世界感に、グリム童話みたく、シビアなメッセージの含みも感じられます。


チョコレート職人目指して歯医者だった実家を飛び出したウォンカが、カカオを求めてジャングルを彷徨い土着民のウンパルンパに出会うところなど、新大陸の産物を求めて飛び出す大航海時代の冒険家さながらだし、ウンパルンパはまるでアフリカや南米の奴隷として連れて来られた黒人と重なります。そしてその働き方は、産業革命を彷彿とさせる機械化された世界のそれ。はたして作家には、大航海時代や産業革命を暗示させる意図があったのでしょうか?
そしてまた、そんなところがなんともイギリスの童話らしいなと思った次第。

実は丁度この映画をTVで見たとき、『チョコレートの世界史』(武田尚子著/中公新書)を読んでいました。
「世界史」というのだから、カカオが原産地からどのような経緯で世界中に広がり、世界を魅了する嗜好品になっていったのかが語られているのかと期待していたら、本の中の「世界」は、後半専らイギリスにフォーカスされていて、正直ちょっと物足りない感じ。しかしながら一方で、チョコレートが世界に広がるプロセスには、イギリスの動きがけっこう大事だったりするのでした。

①でふれたように、カトリックの国々とプロテスタントの国々では、チョコレートの普及していく様相が少々異なるのです。
イギリスでいち早くチョコレート工場を建設したのは、クエーカー教徒だったというのも興味深いところです。

食文化のアートとして花開いたフランス文化圏とは異なり、産業としてのチョコレート製造業が発展をみたイギリス。戦場での栄養食としての発想もあったことも興味深いところでした。

原作が書かれたのは、作者が第二次世界大戦から辛うじて生還してから。
社会を俯瞰する感じで辛口の風刺もチラつくファンタジーは、そんな作者の立ち位置に因るところがあるのかもしれません。


そうそう、ウォンカの板チョコを見ていると、一世を風靡したハーシー(Hershey)チョコレートを思い出しました。創業者のミルトン・ハーシーの曾祖父はクエーカー教徒で、迫害を逃れてペンシルベニアに渡ってきた移民です。ペンシルベニアは、イギリスのクエーカー教徒ウイリアム・ペンが創設した州で、宗教の自由が約束されていました。父親もミルトン自身も敬虔な信者とは言えないものの、クエーカーの家族と暮らし、そのコミュニティーには接点を持っていたようです。後に事業を興し、チョコレートの知識を得るためイギリスを旅行した際、ハーシーはクエーカー系チョコレートファクトリーの社会改革活動に出会っていたようです。イギリスのキャドバリー(Cadbury)社にならい、理想郷チョコレート会社の城下町を建設しようという発想に、ビビビときたのではないでしょうか。様々な経験を経て、ミルトンは、アメリカのチョコレート開拓者になっていくのでした。

さて、物語のウォンカかクエーカー教徒とはとても考えられませんが『チャーリーとチョコレート工場』は。そんな時代を知る作者の作品ということです。

世界の食文化は16世紀から激変しました。
新大陸からのとうもろこしにジャガイモ、ピーマン、トマトに唐辛子・・・・コーヒー、お茶、そして、スウィーツ界を一世風靡したカカオーーーだったのですね!






*クエーカー:キリスト教プロテスタントの一派。正式にはフレンド派。17世紀半ばに、英国でジョージ=フォックスが創始、まもなく米国に広まった。キリストへの信仰により神の力が人のうちに働くとし、霊的体験を重んじ、教会の制度化・儀式化に反対。絶対的平和主義を主張し、両世界大戦時に多数の良心的戦争反対者を生んだ。基督キリスト友会。
武士道』の著者であり五千円札の顔となった新渡戸稲造もクエーカーで、ペンシルバニア州フィラデルフィアでアメリカ人女性メアリーと結婚している。