2019年10月30日水曜日

『大草原の小さな家』— 料理編5 オーブン談


これは、明治時代のベストセラー『食道楽』(村井弦斎・著)の挿絵です。
日本の洋食を牽引していた大隈重信邸の台所がモデルだとか。千客万来の大隈邸、おかっての真ん中後方に鎮座する黒いオーブンは、イギリスから輸入されたもの。
料理編1で触れた、ローラがお母さんにプレゼントしたのと同時期のものだと思いますが、こちらは大層立派です(!)。
でも両方とも、石炭でも電気でもガスでもなく、薪をくべるオーブンです。

オーブンとは「火元の熱源を賢く使う変換器のようなもの」。
そんな風に認識したのは、フランス・プロバンス地方アヴィニョンのホテル・ラ・ミランド、そしてブルゴーニュ地方の施療院オスピス・ド・ボーヌ(1451年設立の市民病院/オテルデューL'Hôtel-Dieu =「神の館」の意)を訪れたときでした。

ホテル・ラ・ミランドは教皇庁裏に隣接する建物で、かつては枢機卿邸宅でした。アヴィニョン捕囚(1309〜1377年)以来ですから、700年の歴史があります。現在はブティックホテルとして使われており、南仏特有の明るいトーンの中にも重厚さを秘めた素敵な佇まいです。
このホテルの地下には、薪を使うクラシックオーブン[写真1]が設置されたキッチン&ダイニングがあり、そこで地元レストランのシェフや料理研究家を招いての料理教室が開かれていたので、30代の頃参加しました。

教室では、このオーブンに薪をくべて料理を作ります。
フラットなオーブントップには、乗るだけの数の鍋をいくつも置いて加熱することができます。数カ所丸く開けられる箇所もあり、直火も可能[写真2]。右端には、お肉を回転させながらあぶり焼きできるグリルコーナーもあります[写真4]。ちなみに、オスピスのグリルは、鳩時計のような絡繰りゼンマイ仕立てで自動回転機能付(!)スゴイ!
グリルで焙り、またオーブンで焼き・・・その熱源でソースを作る。
フレンチがソースの料理であるということのベースが、この巨大な調理システム器機から感じ取れました。

更に、オスピスのオーブンには、なんと温水システムまで組み込まれていた!!
内部に水を溜めるタンクがあり、伝わる熱で温められ、鴨の首型の蛇口から温水を汲み上げられるようになっているのです[写真5]。お湯がでる蛇口ならぬ鴨口ですw  
いやスゴイ!

ホテル・ミランダのオーブンは今も現役。オスピスのオーブンは20世紀中旬まで現役だったそうです。

このようなスタイルのオーブンがヨーロッパで何時頃からあったのか、ちょっと調べてみたけれど、正確な時代はよくわかりませんでした。アメリカでは、1900年にはほぼ普及していたようですが、インガルスファミリーの暮らしている西北部は、特に遅かったエリアのようです。

お肉とソースをお皿に盛り、ソースと共に「文化的に*」食べるようになる頃には、既にこのようなオーブンが普及していたのではと想像します。
ちなみにスプーンはかなり古くから、フォークの方は1553年、パスタ文化のナポリからフランスへ輿入れしたカトリーヌ・ド・メディシスが伝えたといわれています。

*手食が野蛮で非文明的とか不作法で不衛生という認識は、偏見に過ぎません。
日本のお寿司、欧米や中東のパンも手食。世界の歴史を振り返っても、手食を基本としてきている流れは無くなっていないし、手食を最も潔癖としている国もあるのです。

ドラマの第1話で描かれていたように、アメリカ開拓民の旅の暮らしは当初、キャンプのようでした。設備が無いからたき火料理をしていただけで、母国ではオーブンを使う暮らしがあったわけで、オーブンについて、その料理についても知識を持っていました。
だからインガルス家にオーブンがやって来た途端、食生活は劇的に豊かになったはずです。

片や大隈邸の厨房では、オーブンが来て、まずは西洋の料理を学び、肉について学び、オーブンの使い方を学び、そのための道具や食材を揃え・・・というところから。これには明治の女達の大変な努力があったことでしょう。だからその手引きにもなる『食道楽』がベストセラーとなり、名家の子女たちの嫁入り道具となったのです。

台所を観れば、暮らしがわかる。
竈とオーブンが並ぶこの挿絵もいろんな情報を発信しています。
歴史的建築物を訪れると、キッチン(ついでにトイレとお風呂も)が観たくてたらず、よく尋ねてみるのですが、武家屋敷や美術館(元はお城や官庁だった建物)では、大抵は事務所スペースになっていたりします。残念!

さて、オーブンまできましたので、いよいよパイの話にしましょ!

写真1:ミランデホテルのクラシックオーブン
写真2:オーブントップは、何カ所か開けられるように出来ています。
写真3:オーブン(窯)のコーナーその1(このオーブンには2カ所オーブンになる箇所がある)
写真4:グリルコーナー
写真5:オスピスの厨房  鴨口から温水が出る仕組みになている
写真右:料理教室を仕切るオーナーの婿養子さんと地元料理研究科のエスペランデュさん
写真左:私が手にしているのはプロバンス料理の定番ペースト、タプナード。

★オマケ:
今では中・上級キャンプグッズのひとつでもあるダッチオーブン*は、幌馬車で移動したり簡易な家での暮らしの中で使うのに重宝された、最小の携帯オーブンでした。

*ダッチオーブン(Dutch Oven)=「オランダ人のオーブン」の意味。
 この名前の由来には、オランダ系移民が売っていたという説や、オランダの鋳物の技術を利用していたからという説、またはイギリス人が「〜もどき」の品物を「ダッチ〜」と呼ぶ習慣があったため本物のオーブンではないけれど」という意味合いで「ダッチオーブン」とよんだという説等々、諸説ある(ウィキベディアより)・・・らしいです。
私は最後の説に一票。その理由は以下の通り。
Go dutch(割り勘)、Dutch Concert(雑音)、Dutch roll(すごい揺れ/千鳥足の酔っ払い)、in dutch (ウケが悪い)、Dutch courage (お酒によるカラ元気)等々、ダッチは、ケチ、安上がり、質が悪いというような、あまり良いニュアンスでない言葉があります。
大航海時代の先駆けポルトガル、スペインを追いかけ、小国ネーデルランド(オランダ)とイングランドが進出。オセロのコマを裏返すように、両国が先国の植民地を奪い取っていくという流れがあり、両国はライバル関係でもあったから。
アメリカ大陸おいても覇権争いがつづいて、マンハッタンなどネーデルランド(オランダ)領だったところをイングランド(イギリス)が奪取し「ニュー・ネーデルランド」から「ニュー・ヨーク」としています。

ローラのお父さんは、チャールズ、お母さんはキャロライン。お姉さんもメアリーという名前ですし、登場人物の名前からして、ウォールナットグローブの人々はほとんどイギリス系かな〜と思いますが、先住民にも優しく、きっとDutch!なんて言わなかったことでしょうね。

<つづく>

2019年10月28日月曜日

『大草原の小さな家』— 料理編4 とうもろこしパン

長々と、主食の食べ物について語ってきました。
命をつなぐ食材=主食が何であったか、どう食されていたか。そこを考察することで、暮らしぶりが浮かび上がってくる。ですからつい、力が入ってしまいます。
もう少しお付き合い下さい。

トウモロコシパンのいろいろからも、厳しい開拓民の暮らしぶりがひしひしと伝わってきました。
「今日の糧に感謝します」という食事の前の祈りの言葉は、毎日心の底から出てくる言葉だったに違いありません。
今日私達が食べているようなふっくら柔らかい小麦粉のパンはとても贅沢な代物だということも再認識。

アメリカに限らず、日々御飯を炊くようにパンを焼く小麦文化圏には、様々な「即席パン」があり興味深いところです。また小麦文化圏には小麦代用作物 ---- それはしばしばトウモロコシなのですが ----- の主食料理がある点にも注目です。

アメリカから遠く離れた同じ時期の中国にも、トウモロコシパンが!!
『中国料理大全ー北京料理』より
こんな風に窠があります

清朝末期の権力者、西太后(1835-1908 ←ローラのお父さんとドンピシャ同世代)が、義和団の乱で西安に避難した折、口にした農民の食べ物「窩窩頭(ウォウォトゥ」がそれです。
トウモロコシ粉を水で練った生地にくぼみを作って蒸し上げたもので、くぼみに漬物や炒め物などを詰めて食べます。
家畜のエサのような甘味のないトウモロコシ粉からつくられる窩窩頭は、決して美味しいものではなかったはずですが、逃避行中の西太后はさぞやお腹がすいていたのでしょう。農民が差し出したそれを「美味しい!」と言って食したのでした。西太后は、北京の紫禁城に戻った後、宮廷料理人に「美味しかった」窩窩頭を作らせました。
宮廷料理には、皇帝が地方巡業したときなどに気に入ったものが取り入れられることが多々あったようですが、こんな農民の粗食を西太后にお出ししたら首が飛ぶのではないかと、宮廷料理人は、飢えてない時の西太后でも美味しく食べられるよう、工夫して美味しい点心「小窩頭シャオウォトウ)」に仕立てました。
粗食バージョンの窩窩頭と宮廷バージョンの小窩頭は、どちらも中国版コーンブレッドです。


ご馳走小麦パン。
それは醗酵の力をもって極まります。

インドの醗酵させないパン=即席パンといえばフライパンで焼上げるチャパティ。
醗酵パンのナンなどは、北部のムガール帝国時代に発展したパン。(ペルシャをはじめ様々な文化を吸収し、中央アジアからきたムガール帝国は、インドをグルメにした国でした!)
醗酵させて、しかも専門の “オーブン”(窯) タンドーリで焼くナンは、消化も良く時間がかかる贅沢パンという位置づけでもありました。

中国の花巻や銀絲捲(イン・スゥ・ジィェン)も、醗酵生地を、凝った成形で仕上げられた宮廷ならではの醗酵パン。

イースト菌が市販されていなかった時代は、醗酵パンは、結構な手間を要する料理です!いや今だって、インスタントドライイーストを使っても、パン作りは最低でも2−3時間は掛かります。日々労働に追われる庶民には、醗酵パンは、やっぱりご馳走です。)))

本にはサワードゥだね / Sour-Dough Starter(酸っぱい種生地)の作り方が載っています。
天然酵母の醗酵種からつくるのです。
開拓民たちも、暮らしが安定してくると、週一でパンを焼くようになったようですが、まずは醗酵だね作りから。主婦のキッチン科学の力がモノをいいまする。

サワードゥだねは、空気中のバクテリアや小麦粉の中に存在する天然のイーストを利用して作られます。どうやって空気中のバクテリアをキャッチするの?と思ってしまうかも知れませんが、小麦粉を水で練って常温に置いておくと、自然に発生してくるのです。小麦粉に含まれる糖質をエサにするので、生地はだんだん甘味を失い酸っぱい味になっていきます。それが「酸っぱい生地=サワードゥ」とよばれているものです。
その酸味を中和する為にアルカリの重曹が加えられ、その重曹から発生する気泡が、またパンのふくれを手伝ってくれるという訳です。

レシピを読んでいて、これは、中国料理でいうところの「老麺」はないか(!)と思いました。中国の古典レシピでは、アルカリとして重曹の代わりにかんすいが使われたりしますが、理屈は同じです。

インスタントのイースト菌を使わず老麺で仕込むと、独特の風味で美味しいのです。
生地が「サワー」になる前に、エサになる小麦粉を継ぎ足し継ぎ足し繋いでいくので「生き物を飼っている」という感じ。種菌の管理は結構大変です。私は「エサ」の小麦粉補充にギブアップして、数週間でやめてしまいました。

以前イギリスで、重曹が使われた醗酵パンを食べ、アルカリの刺激にちょっと驚いたことがあります。でもパン作りのこんなルーツがあることを知ると、イギリスでは重曹を加えることへの抵抗感が少ないのかもしれないと、少し寛大に受けとめられます。
やっぱりパンは、菌のチカラだけでゆったり醗酵させて欲しいですけどね〜)))。

さて、ほんの「枕」のつもりが、メイントークになってしまいました。
「主食談」はこれぐらいにして、次回は、オーブンについて少し語りたいと思います。

<つづく>

2019年10月24日木曜日

『大草原の小さな家』— 料理編3 続「主食」


とうもろこし粉=コーンミールをつかったお料理をもう一つ。

 ヘイスティ・プディング(Hasty Pudding)

これは、大麦のお粥のようなオートミールをトロトロにして食べる料理のコーンミールバージョンです。
日本でも、クエイカーのオートミールはお馴染みですが、日本ではお粥のような食べ方をしている人は、あまりいないのではないでしょうか?


私も、オートミールのことは、カントリー・クッキーの材料として買い求めたのが最初です。ちょっとローカルですが、広島のバッケン・モーツアルト「からす麦のクッキー」の、からす麦とはオーツのことです。

 "ヘイスティ"とは「即席」という意味で、直ぐに炊けて食べられることを表しています。しかし、作り方を見る限り、コーンミールバージョンは、「即席」とはいかないようです。
コーンが柔らかくなるまでそれなりの時間を要したようですし、ダマにならないように常にかき混ぜなければなりません。メープルシロップを掛けて食べるのですが、そのメープルシロップも、もちろん自家製。さとうカエデ=メープルの樹液を採って煮詰めて作るのです。1Lのメープルシロップを作るためには、40Lもの樹液が必要です。

オートミールには、インスタント製品があり、買ってみたことがあります。シナモン味、メープル味等、甘い味付けのものが5つばかりセットになっていて、ボウルに開けて熱湯を注いでかき混ぜるだけの温かいシリアルです。
こちらはホントの「ヘイスティ」ですが、コーンミールバージョンは、ローラの時代から百年たってもまだお目見えしていません。
その代わりに・・・?そう、コーンフレークになったのですよ!

コーンフレークは、19世紀末〜20世紀初頭、ケロッグ博士が開発した、元はサナトリウムの養生食だったようです。ヘイスティ・プディングのようにコーンミールをドロドロにしたものから作られます。

ヘイスティ・プディング。日本語で言うなら「トウモロコシ粉粥」といったところでしょうか。
今でも、家庭料理で肉料理に、トウモロコシのピューレ(イタリア料理ではポレンタなど)やガレットみたいなものが添えられることがあるけれど、そんな感じで食べられていたのでしょう。

甘いごはん。ちなみに、日本ではお米のお粥を甘くして食べることはしません(その代わりにお餅やお団子がある♪)が、仏陀も召し上がったとされるインドのミルク粥「キール」や、スリランカの「キリバット」、トルコの「ストラッチ」等々世界には甘いお粥料理がいろいろあります。

消化が良くて甘くて食べやすい糖質は、昨今では「血糖値があがる!」と嫌われがちですが、飢えと背中合わせの時代は、身体に優しい立派な養生食であり、労いのご馳走だったのです。

<つづく>

2019年10月23日水曜日

『大草原の小さな家』— 料理編2 「主食」

小学校高学年の頃、私はままごとの延長で、お菓子を作るようになりました。
あれは教育方針だったのか(?)、お菓子をねだっても買ってくれない母が「お菓子を作ってみたいので材料が欲しい」と言ったら、材料費を出してくれていました。だからおやつが欲しければ、自分でつくる。いつのまにかそんな風にーーー。
母の持っていた小さな本(写真下)の中から、簡単なものを選んで作っていました。

   
昭和47年初版女子栄養大学出版部(左)  /   昭和50年初版 日本放送出版協会(右)

まずはこの中から、小麦粉、砂糖、卵・・そしてバターetc. 近所のスーパーで買うことのできる食材で作れるお菓子を抜粋。

すると、なんとスポンジケーキ、シュークリーム、パイなど、いきなり中〜上級クラスのお菓子が浮上しました。カスタードクリームに使うコーンスターチが何かも知らなかった頃、そしてケーキといえば、ヤマザキのスイスロールとバースデーケーキぐらいだったおばあちゃん子は、ちょっとたじろぎましたが、本の通りにやるとそれらしいものが出来て、感動でした。(この頃の本は手順の説明がしっかりしていて、とっても実践的!)

更に、ベーキングパウダーを買ってもらって、クッキー、パウンドケーキ。
マドレーヌ・・・は、型が無くて落選。
クッキーも、ラングドシャは、特にシンプルで、型が無くても作れるのでトライしたのを覚えています。
・・・が! 直径1cmほどの生地が、びろ〜〜んと薄く広がるので、天板上の生地がみーんなひっついて「一枚板」になってしまいました。レシピには「間隔をあけて」と、ちゃんと書いてあったけれど、ここまで広がるとは想定外でした。
あ〜〜いろいろ失敗したなぁ。)))

私の失敗談はさておき、この本の中に「ホットビスケット」というのがあり、分厚いクッキーのような写真が載っていました。
他のケーキやクッキーに比べて、あまり美味しそうには見えなかったので、あえて挑戦しませんでしたが、「ホットビスケットってなんだろう?」と、ずーっと気に掛かっていたのでした。

あれはスコーンのことだった!!

イギリスのスコーンは、その十数年後に暮らしたアメリカではホットビスケットと呼ばれていました(※実はスコーンはスコットランド発祥ですし、“ビスケット”のビス(bis)2度焼くところから来る接頭語なので、本来の意味からはかけ離れてきています)。
筒状のケースに生地が入って冷凍になっている、焼くだけインスタントもスーパーで買えて、パンケーキ(ホットケーキ)と並ぶカジュアルな軽食ポジションでした。
イーストではなくベーキングソーダで作る即席パン。それがホットビスケットなのでした。『小さな家の料理の本』には、パンビスケットという呼ばれ方で載っています。
ビスケットは「第2の主食」だったと、この本にもあります。


* * * * *

コーンブレッド

小麦以上に「主食」の印象があるのは、トウモロコシ。ドラマでも、よくコーンブレッドが出てきます。頁をめくると、挽いたトウモロコシ粉に塩と水を加えて練りローフ型に入れて焼いただけのものだったことがわかりました。ラードを取った後のカリカリの脂身を加えることもあったようです(Crackling Cornbread)。
また、バターの副産物のバターミルクで練ったレシピもあり、リッチな美味しさのコーンフレッドになっていきます。
本では、このレシピは、「ジョニィケーキ」という名前で紹介されています。
ローラはどうしてジョニィケーキというのか不思議に思ってお母さんに訪ねます。お母さんの答えは「南北戦争の時、北軍の兵隊は、南軍の兵隊を“反乱軍ジョニィ”と呼んでいたのだとか。その南軍の兵士達が食べていたのがトウモロコシのパンだったからでは?」というものでしたが、実は「ジョニィ」は、Journey (ジャニー) のニューイングランド訛りだという説が濃厚です。
ジョニィケーキも、元々は、コーンミールを塩と水でねったものをスキレット(分厚いフライパン型の鋳物)にいれて、たき火で焼いただけのパンケーキで、植民地時代の旅人によく食されていたのだそうです。地理的にも、発音の面からも、ジョニィはジャーニー(旅)だった説に私も1票!
ちなみに、トウモロコシのパンは、ネイティブアメリカンにとっても主食的な食べ物だったようです。

その時々で調達できる食材で、リッチにできたり粗野になったり・・・つまり、日本でいえばお寿司を作る時もあるけど、お粥で膨らしてお腹を満たしたり、雑穀を混ぜて量を増やしたりもする的なこと。この1冊にある複数のコーンブレッドレシピから、そんな暮らしぶりが浮き上がってきます。

トウモロコシの粉で作ったパンは、おしなべてズシッと重くて、のど太い印象があります。小麦の供給が安定した現代には、無くなってもおかしくないもののようにも思うのですが、コーンブレッドは、別名クイックブレッドことマフィンのレパートリーの中に加わり、今でもしかと存在感を放っています。
砂糖もベーキングパウダーもバターもミルクも入った、ローラの時代で言えばコーンブレッドの超リッチ版のコーンマフィンは、マフィン専門店でも根強い人気です。
トウモロコシ粉独特の食感に、開拓時代から食べ続けられてきたソウルフードとしての愛着が、ロングランの理由かもしれません。

<つづく>

国際薬膳師会 HPより

夏から、国際薬膳師会HPに、新設コーナーが設けられました。
私の同期たちからバトンが。
     ↓
http://yakuzenshi.jp/interview/interview.html

よかったら、ご一読下さい♪

2019年10月20日日曜日

『大草原の小さな家』— 料理編1




19世紀の開拓民が食べていたもの・・・??

インガルス家のお父さんは、兎を撃ってきたり、七面鳥をしとめたり、魚を釣ってきたりと、ドラマでは、かなり高い調達率。
鹿やバッファローも開拓民の食材に。ちなみにバッファローは、ローラたちの時代には乱獲で少し数が減っていたようです。お肉はほとんどジビエ。それらを調理するお母さんキャロラインも、さっきまで生きていた"獲物"を料理するのですから、なかなかワイルド(!)です。

ドラマ前半にはまだオーブンが無く、キャロラインはとても欲しがっていました。インガルス家にオーブンがくるのは、あるクリスマスイブ。お母さんが欲しがっているのを知ったローラは、なんとオルソンさんと交渉し、自分が可愛がっていた仔馬とオーブンを交換してもらい、お母さんにプレゼントするのです。
大いに涙をそそるローラの親孝行ですが、商売人のオルソンさんと、ちゃんと物々交換ビジネスを持ちかけるローラ、なかなか大したものです(!)。

オーブンが無い頃、お母さんのお料理の熱源は、ほとんど暖炉でありストーブ。
ダッチオーブンやスキレットを使って、殆どのお料理を作っていたみたいです。
暖炉でパンまで焼いてしまうキャロライン。強火、弱火、中火という火加減も、薪の出し入れで調節し、「料理上手 ≒ 火使い上手」で家族の健康と安全を守ります。
キャンプさながらの暮らしの中、ローラがプレゼントしたオーブンで、キャロラインのお料理レパートリーはグッと広がったことでしょう。

さて、どんなお料理を作っていたのか、この本で覗いてみます。

大草原の『小さな家の料理の本』
~ ローラ・インガルス一家の物語から〜
著者:バーバラ・M・ウォーカー
訳:本間千枝子・こだまともこ
絵:ガース・ウィリアムズ


目次を見ていてやたらと目に付くのは「トウモロコシ」に「コーンミール」の文字。
「とうもろこしの固焼きパン」、「とうもろこしパン」、「コーンミールのマッシュ」にポップコーンetc..
「- - -汗流そう 麦の畑で 土のにおいさせて〜♪」
・・・と、主題歌の歌詞にもあるように、麦畑を開拓していく「お父さん」ですが、麦はさほど主食ではなかったようです。
換金性が高い麦は、売って現金収入の元にしていたのでしょう。

折しもこの時代、ヨーロッパは戦争の混乱期で、小麦が不足していましたから、アメリカの小麦は高く売れたのです。
でも、美味しいパイやケーキに小麦粉は必須。それだけに、小麦をつかったお料理についての描写は、ハレの日感に溢れています。日本でお赤飯を炊くように、主婦は「パイ」を焼いていたみたいです。

   ・パンプキンパイ
   ・アップルパイ
   ・干しリンゴと干しぶどうのパイ
   ・ミンスパイ
   ・チキンパイ
   ・ブラックバードのパイ(!?)
   ・ビネガーパイ(!)

お肉のパイは、いつもの料理にちょっと手を加え、消化の良い小麦粉の生地と一緒に頂けるご馳走仕立て。パイは、食材の水分を失うことなくジューシーに柔らかく蒸し焼きにする調理法でもあることが、料理の描写から感じ取れます。料理の、ご馳走としてのプレゼンテーションだけでなく、肉汁も無駄なく食べる工夫でもあったよう。
椋鳥さん
ところで、「ブラックバード」とは・・・!?
これは、カラスではなく「椋鳥(ムクドリ)」の一種とのこと。

「ビネガーパイ」は、クエスチョンが浮かぶ一品ですが、これは本来はカスタードにレモンの酸味を利かせた甘酸っぱいレモンパイの、レモンの代用としてお酢をつかったもの。
レモンが買えないお家のパイということで、別名「貧乏人のパイ」なんて言われ方もあったそう。

   ・カエデの糖蜜(メープルシロップのこと)
   ・ラードとそのかす
   ・バター
   ・リンゴの芯でつくるビネガー
   ・ベーキングパウダー

「ビネガーパイ」に使うお酢だって自家製。「リンゴの芯でつくるビネガー」も、なかなか印象的です。

ターシャ・テューダー(1915~2008年/バーモンド州に暮らした絵本作家)のアップルサイダーのように、リンゴ果汁をふんだんに使ったリンゴ酢とは異なり、溜め込んだリンゴの芯を使い、プリザーブの上澄み(たぶんジャムを炊いたときすくったアクなど)や、糖蜜の樽を漱いだ水などに含まれる微かな糖を活かして醗酵を促すというもの。
キッチン科学を経験でマスターしていなければ、この時代の主婦は務まりませんね!

<つづく>



2019年10月19日土曜日

『大草原の小さな家』



懐かしいドラマが、再び(!!)
が、な〜んだ、BS4Kだけかぁ)))
・・・と、肩を落としていたところ、BSプレミアム(土曜日8:30am~)でも始まっていた!♪
いや〜懐かしいなあ)))。
第1話のネイティブアメリカンが出てくるシーンなど、強烈に覚えています。
町で唯一のよろず屋を営むオルソンさんの離婚騒動や、先天的に足の悪い女の子の為に、お父さんが靴をつくってあげる回もあったし、お母さんが破傷風で生死の境を彷徨う話もあったなあ)))。
傷の消毒に熱湯消毒した布巾をジュッと当てている(火傷しちゃうじゃないか!)シーンは、衝撃だった。))
電気も水道も無い暮らし。暖炉の火で、コーヒーを湧かし、パイを焼く。自宅出産に、訪問医療。

ちょっと時代考証してみました。

原作者のローラ・E. インガルス・ワイルダーは、1867年生まれ。この物語は彼女自身の家族のことを書いたお話です。(原作「Little House in the Big Woods」,「インガルス一家の物語」)

1867年といえば、日本は幕末、近江屋事件で龍馬が殺害され、大政奉還がなった年。
ペリー来航(1853年)から 14年。捕鯨船に助けられ、アメリカに渡ったジョン万次郎もとっくに帰国して薩摩藩に招かれている。インガルス家のランプの燃料も、クジラの脂だったろうか・・??
ゴールドラッシュはローラが生まれるちょっと前のカリフォルニア。(インガルス家のお父さんも、ゴールドラッシュに乗って金を取りに行く回がありました。ジョン万次郎も日本への渡航費を金で稼いだけど、お父さんとニアミスしてたかもw。)
この頃には南北戦争は既に終わって、リンカーンも暗殺されている。

お母さんのキャロラインと『風と共に去りぬ』のスカーレットが同世代ぐらいだろうか。
スカーレットの暮らしぶりと照合すると、こちらはなんだかえらいワイルドライフ。南部の繁栄と、南部が軽蔑する“ヤンキー” の格差といったら・・・。
オルソンさんは東海岸の商売人で、この集落では一番のお金持ち。その娘ネリーは、お嬢様気取りでいるけど、「南部のお嬢様」に比べたら、全く歯が立たないですね。でも小さな町の女王様もプライドだけは負けないw。

黒船来航から20-30年後のこの頃、西洋列強の文明に目を白黒させていた日本だけれど、開拓民の人達の暮らしをみるにつけ、いやいや、大して変わらないのでは??という気もする。どこも地方はそんなものだったのでしょう。
西部開拓・・といっても、まだまだ中北部のサウスダコタ州。

世界は激動の19世紀。これもまた、「世界の片隅で」のお話。

250歳のアメリカ、若い!

子供の頃、素直にエピソードを楽しんだドラマ。50年の時を経て、「世界の片隅」が伝える時代の風俗ーーそんな視点でこのドラマを見ています。

次回から、お料理を切り口に、少し語ってみるとしましょ。


2019年10月17日木曜日

桂花醬 と 桂花茶会



猛暑の影響でしょうか??
今年の金木犀は小さくて、花の数もちょっと少ない気がします。

それでもなんとか恒例の桂花醤をジャム瓶2ケ分仕込むことができました。

この桂花醤、桂花茶会で初モノとして、加わりました。

お饅頭にも香りを添えて・・・♪

秋の名月は、月の金木犀が満開だから。そんな言い伝えは、きっとどこからか漂う金木犀の香りと共に、月を愛でていた人が語ったのではないだろうか。

お茶の香りも桂花香。個性豊かな鳳凰単ソウの醸し出す甘い香り。
あ〜〜えぇ〜〜なぁ〜〜)))





2019年10月10日木曜日

桂花茶会


台風の心配をしながらの茶会の準備。
本日、広島は大丈夫圏内に♪
(でも、房総半島はじめよそがあちこち心配です・・・)

さて、明日から茶会。
13日に1席キャンセルが出ました。
お席ご用意できます!!

ご希望の方は、HPのお問い合わせ窓口からどうぞ。
http://epice.biz



2019年10月5日土曜日

11月の料理教室 



お待たせしました!

いよいよ、やっと、肉まんです!

これまで度々リクエスト頂いておりましたが、醗酵モノは、時間的に厳しいことが多く・・・タイミングがあいませんでした。

今年は、「定番料理を一層美味しく!」をモットーに展開しています。
今年もあと2カ月となり、秋の風を感じる頃。ここはやっぱり、美味しさと安全の豚まんを、ご紹介しなくてはと思います。
わりと買いやすい加工食品ではあるけれど、満足のいくものにはなかなか出会えないのが豚まんだと思います。
手間暇掛けるなら、市販品より一段二段上の美味しさと安心がなくては。

そんな訳で、具だくさんで、ヘルシーな豚まんと、あんまんを作ります。
あんまんも、特別な手作り餡で作ります。

お楽しみに!!


  内容:・豚まん
     ・あんまん2種
     ・白灼油生菜
     ・スペシャル烏龍茶


  日時:2019年   11月 2日(土) 10:30〜14:30 あと1席
               6日(水) 10:30〜14:30
               9日(土) 11:00〜15:00 あと1席
              10日(日) 10:30〜14:30 


10月 桂花茶会



まずは前回ご参加の方、そして料理教室の皆さんに先行予約で受付・・・としたところ、blogにUPする前に、満員御礼になってしまい、お知らせ出来なかった方が沢山でてしまいました。
お声掛けできなかった方々には、心よりお詫び申し上げます。

前回の紅茶のいろいろ・・に続き、今回は、私達がいわゆる「烏龍茶」と呼んでいる最も身近な中国茶をご紹介する企画。
大航海時代からの世界のおおきなうねりと共に、大きく変わった中国茶。
本当に美味しい烏龍茶って??

テイスティングをしながら、舌磨きになるお茶を召し上がって頂きます。

来年度、中国茶シリーズ検討中ですので、今回ご参加叶わなかった方で、ご興味の或る方は、是非メール等でご一報下さい♪

maki@epice.biz