2021年2月21日日曜日

如懿伝(10)飲食  お茶編

 今回で最後にしまーす♪

最後はお茶。
ドラマでは、なかなか素敵な茶器が出てきます。

まずはご覧に入れましょう、貴妃たちの蓋碗を♪


富蔡皇后は、ネイビー
(実母の訪問シーンで)
皇太后はピンクの蓋碗

飲み方もご覧下さい♪
皇帝はとにかく所作が美しい〜))
いつも蓋をかなり大きくずらして呑んでいますが、はたして茶葉は濾せているのかw?
如懿は七宝焼きの蓋碗です。
品格ピカイチ、首の領巾の巻き方も、彼女のものが正統なのだそう。
片手でちょっとワイルド(ワル?)な飲みっぷりの嘉貴妃。
海蘭もドラマ後半は愉貴妃になって、貫禄をつけてます。

「貫禄」といえば、もうこの人を越える人はいません。
蓋碗の持ち方ひとつとっても隙が無い(!)
黄色い蓋碗。きっと皇太后が皇帝のところへやってきて出されたお茶です。

お茶請けもなかなか美味しそうなのであげておきます。
このポエムのようなお菓子は??
ご長寿祈願に桃饅
(銀の針で毒のチェック)
これ「ミルク菓子」・・とのことでしたが。
美しい形は、美意識の高い陛下の好物。

このお菓子は如懿の実母が宮殿に訪ねてきた時だされたもの。
素朴で美味しそう。

茶外茶(茶葉以外のお茶)もいろいろ。
薬茶としての菊花茶を・・・陛下(右)にはコチラ↓
 
今日の茶芸館のようなたたづまい。
如懿は、よくハーブティー(花茶?)をブレンドして呑んでいます。
如懿はお茶文化を解する人物。茶道具も凝っています。
急須を使ってお茶を淹れるシーンがあるのは如懿の宮殿でだけだったように思います。
後半の女官容珮が茶壺でお茶を淹れています。
(茶こしも使ってます。)
ここでもハーブ(花?)ティーブレンドを。

この銅製のケトル、気に入った〜欲しいよう。
こういう味わいのあるケトルをストーブにかけるということも無くなりましたが。

潤いの漢方煎じ薬も、ガイワンで届けられます。
(しばしばレンゲ付き)


<おまけ>
台北の故宮博物院に展示されていた茶器。
茶道具は離散したのか、意外と展示が少ないのです。
取っ手と口の向きが不思議なこの急須は、チベットなどでみられる形。
朝貢のお土産の品につくられたものだったかもしれません(?)。


蓋碗(がいわん)は、ドラマでは、現行の景徳鎮が専らでしたが、きっともっともっと意匠を凝らしたモノだったに違いありません。そう確信させるこの綺麗な茶器。(使いやすさはともかくw)

いろんな飲み方、茶葉がそろった時代。
蓋碗 ーーこの形に、中国らしさを感じるのも、マルチな表情の器だからかもしれません。
写真でお気づきかも知れませんが、蓋碗は日本の茶托とは異なり、下のお皿ごと持って口に運びます。


お茶談は、また折々のアナログ茶会で語り合いたいと思っています。


<完>



2021年2月14日日曜日

如懿伝(9)飲食 お料理編

 ドラマを見始めて早々に食事シーンがでてきました。
それがなんともリアルで美味しそうで、録画を一時停止をしては画面を写メするという所行にでたのでした。
語るより見るに限るね♪ お料理は。(ほんとは食べるに限るんですけどw)
・・・ってことで、以下写真でご覧に入れます。(画質はイマイチ。悪しからず。)


(1)〜(4)後宮の最上位、皇太后のお祝いで、お妃達が手料理を持って集まっています。よく見ると、満漢全席…というより、点心の数々が並んでいるか感じです。一品一品クローズアップで写ることはなかったのが残念でなりません。如懿(当時は嫻妃)はこの時、燻製肉のスープを持参して「こんな味の濃いものを!」とお叱りを受け・・・

(1)
(2)
(3)
(4)
(5),(6)は、懐妊した海蘭の朝食。朝からご馳走♪
器も、お妃別(お妃の宮殿別)に違うようです。 
(5)
(6)
宴の時は・・・
(7)
(8)会場設営後、配膳中
(9)
確かこのシーンは、皇太后(ニオフル氏)のお誕生日か何かでした。
ニオフル氏は、息子(史実では乾隆帝は実の息子)に大事にされ、節目節目にご長寿のお祝いをしてもらい、南巡(江南への旅行)にも再々連れて行ってもらい、後宮のトップとして君臨し、86歳というご長寿で人生を全うしました。
このドラマに登場する多くのお妃が子供に先立たれることが多かったのに、乾隆帝も長生きで87歳という長寿。ずっと皇帝の地位にあった実の息子の庇護の下、最後の最後まで何の不自由もなく過ごせたであろう 「福・禄・寿」揃った人生に、かの西太后も憧れたといいます。

(10)
写真(10):重陽には、高い所に昇って菊花酒を飲むのが厄払いになるといいます。
丁度重陽の節句だったのでしょうか?
(11)
お妃達が手作りの餃子を献上。
いつもあの指サック(爪カバー)をつけているお妃ら、餃子なんて包めるのかしらw??
(12)
(13)
甜点心も運ばれ、宴会も終盤。
(14)
肉田麩入りの点心は、金玉妍(嘉貴人)からのものでした。
朝鮮民族出身の彼女も、最初はしたたかに・・そして次第に激情型に・・肉食女子ぶりを発揮していくことになります。ドラマではとっても憎ったらしい役所ですが、この女優さんの活きの良さ、ふとっぱらぶりは、現代劇で見てみたい気がしました。
(15)
このテーブルはどのお妃のものだったか、メモを取りそびれていて不明ですが、
料理の映像と字幕が合ってなかったのを記憶しています
(16)
玫嬪が懐妊。「賢い子が生まれる」とのことで、魚介ばかりを食べる。
DHA,  EPAにそんな効果がw!??
辛いものを欲すると男の子、酸っぱいものを欲すると女の子・・・とも言われていましたっけ。

古代〜中世に食されていた魚介は、ほとんどが川魚に川蝦だったと中国料理研究会で張競氏が語っておられたのを印象深く覚えていますが、さてこの頃の北京は如何に!??北京から最寄りの漁港である渤海までは150キロぐらいある。宮廷とはいえ、新鮮な海鮮の入手がどこまで可能だったでしょう??
フカヒレや干貝(干貝柱)、干しナマコなど、乾物が魚介のご馳走であるという印象の北京で、本当にこんなお料理が毎日並んでいたとしたら、牛馬を走らせたに違いない。そんなご馳走だったかも。
(17)
(18)
(19)
(20)
如懿の宮殿に「おなり」の乾隆帝。絨毯とお皿でわかるのだw
(21)
(22)
(21)(22)は、乾隆帝の寝殿、養心殿での食事シーン。
緑豆春雨と鳩の卵、金針菜を煮込んだものに燕の巣を3両・・・燕の巣に鳩の卵と、大奮発した衛常在(後の怜妃)の一品が差し入れられましたが、「高級食材が満載では調和も何もない」と乾隆帝の一言。 
絨毯はインペリアルな文様で、お皿も皇帝のカラー黄色に龍♪

(23)
(23)白磁の馬上杯。馬上杯(高台部が長い杯)は、馬上において杯を交わす騎馬民族によりもたらされたと考えられています。宋代には登場していました。どこかワイングラスやゴブレットにも通じるこの形。
(24)
(24)で注目したのは、如懿の前にあるレンゲの向き。取っ手が向こうにしておいてあり、向こうから手前へ持ってくる持ち方が妙に優雅。
(25)
(26)
皇帝から差し入れられた3種の点心。モチモチ食感。
それは・・・
(27)
・・・だった(!)
(ドラマの終盤、かなりイヤなヤツになっている乾隆帝)
(28)
潤いのデザート・・・か??
(29)
必ず(?)鍋料理がありますねえ))

(30)
皇太后、皇帝、皇子が食卓を囲む。


満漢全席。清の乾隆帝の時代から見られる宴会料理。
それは、満州族と漢民族両方の食文化を合わせた選りすぐりの料理なのですが、実際は、その多くが山東料理。バラエティー豊かな中国料理に遊牧系や狩猟民族の肉料理が盛り込まれた宴会料理のようです。歴代皇帝の中で最も贅沢を堪能した乾隆帝。食に美術に旅に戦にーー、1年の「お小遣い」(?)は、国家予算の数年分にもなる額だったといいます。
乾隆帝が偉かった・・・というより、お祖父ちゃんの康煕帝(中国史上きっての名君といわれる方!)とお父さんの雍正帝(倹約家だったそう)の蓄えが半端なかったらしいです。ご先祖が堅実で、三代目辺りが豊かさを享受するというのは、万国共通ですねえ。))清朝も、乾隆帝をピークに、徐々に下降線を辿っていくのでした。

ところで「中華料理」なんてよく言いますが、「華=文明」、「華人=文明人」という意味なのだとか。
華人に対し、南蛮、北狄 東夷 西戎 といい、中央の華人(主に漢民族)に対し、外側の異民族をさしていた言葉なのだそうですが、満州は北狄 。その満州が興した国・・です。なんだか面白い。そしてその清の時代に育まれた料理が、今日の中国料理の礎となって「中華料理」と呼ばれていたりする。

北京ダックは、明代、永楽帝が南京から北京に遷都して以降とか。
唐辛子が中国に伝わったのも明代末で17世紀。
フカヒレは、清代初期・・・17世紀頃から記録にあらわれはじめる料理。

北京ダックもフカヒレ煮込みも、乾隆帝の時代には既にあったはずだけれど、ドラマの食卓には出てきていない。しかしながら、バラエティー豊かなお料理の数々が、いずれもあっさり滋味なことが見てとれます。


<つづく>