2020年11月16日月曜日

12月の教室

 10月の上海蟹に続いて、12月の蟹はワタリガニです。
ワタリガニは、卵を蓄えるこの時期が美味しい印象ですが、身を味わうなら夏場。だからメス(♀)で参ります。瀬戸内のいい感じのを、馴染み店にお願いしてご用意致します。
毎年、12月は、ちょっとご馳走で参りますよ。

11月の小茶会の話題、アメリカ移民史談にちなんで、ケイジャン、クレオールについても改めてお話したいと思っています。
何気なく食べている料理にも、数奇な運命辿った人達のヒューマンヒストリーがあるのです。
改めて、食材の命に感謝、生産者に感謝、そしてご縁に感謝です。

2020年、スパイシーに締めくくりましょう♪


   ● 日時: 12月5日(土),   6日(日), 12日(土),   13(日)
        10:30〜15:00
              
   ● 内容
    ・サラダ
    ・里芋のお料理
    ・ワタリガニ・ケイジャンスタイル  ※車エビに変更の可能性アリ
    ・パエリア風パエリコ米のパセリごはん
    ・アーユルヴェーダのスパイスティー(インドバージョン)

   ★「サンタの福袋」抽選会(@4000円) ※要予約

  ● 会費:6千円


2020年11月15日日曜日

『如懿伝』(4)八旗

 








ドラマ後半、舞台を城外に移し、乾隆帝の南巡や高原での狩りのシーンが出てきます。

ちょんまげ日本が言うのもなんですが・・・あの辮髪。
不思議な髪型だな〜〜〜と常々思っておりました。きっと多くの方がそうお感じでは?
でも、馬に乗り狩りをするシーンを見ていて「なるほど〜!」と思いました。
草原を駆け抜ける馬上の姿!!
あの後ろに長い三つ編みがウマの尻尾と並行に風にたなびき、美しいではないか!!
人は、本分とするところで最も美しくありたいと願うもの。
満州族は、本来騎馬民族であることを思い出させてくれました。
「チャイナ服」と呼んでいる、深くスリットの入ったドレスも、元は「旗包」といって女性も馬に乗るためなのです。着替えのシーン等でお気づきのように、あの下にはズボンをはいています。

そもそも満州族とは、ツングース系の女真族で12世紀には金として独立した国だったこともある民族。その後、モンゴル帝国の一部族(連合部族)として今の東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)あたりを中心に居住していたのが、17世紀、清の初代ヌルハチ(ヌルハチの時代にはまだ清とは呼んでいなかった)が南下して明を滅ぼし、北京入りし、清国として君臨することになるのでした。

支配していた地域のことを女真語で「マンジュ・グルン」(グルンは「国」の意)と呼んでいたので、2代目ホンタイジが、満洲族と呼ぶことにしたようです。
陰陽五行説に照らし合わせると、明は「火」の王朝なので、相剋となる「水」にちなんだ名前にしたのでした。満州の州には元々氵がついて「洲」でした。

力を付けた女真族が、満・漢(漢民族)・蒙(蒙古)をよろしくまとめて清を立てたという成り立ち。
漢民族も取り込んで国を運営したわけですが、女真族固有の部族組織(軍事組織でもある)である八旗がその主軸。「旗」とは「集団」という意味で、部族毎に軍旗を持っていたのがその由来だそう。
黄、白、紅、藍の四旗に「鑲」(=縁取り)付きで鑲黄、鑲白、鑲紅、鑲藍を加えて八旗。
正黄、鑲黄、正白、鑲白、正紅、鑲紅、正藍、鑲藍というふうに呼んだそうです。
満州人はこの八旗のいずれかに属していましたが、八旗には、モンゴル人、漢人、朝鮮人、ロシア人なども新たに編入されていったとのこと(「誰も知らなかった皇帝たちの中国」より)。
ドラマで、よい働きをした者に、皇帝が「一族を旗人に封じる」なんて台詞がありますが、そんな風にして異民族も満州八旗に組み込まれていったのでしょう。


写真はドラマにあった狩りの大イベントの様子。
4色8種の旗がお印になっています。【写真:1,2】
ちなみに宿泊の陣を張った光景も壮観でした(!)。宮廷同様、陰陽五行に沿って方角を定めて配列しています。【写真:3,4】


清の皇帝一族は、愛新覚羅(アイシンギョロ)氏。
ドラマの主人公 如懿(始めは青桜/嫻妃ー皇太后に「如懿」の名前をもらう)は満洲正黄旗の出身 烏拉那拉(ウラナラ)氏。
皇太后は、鈕祜禄(ニオフル)氏で満洲鑲黄旗の家柄。
皇太后の推薦でお妃に入ってきた舒妃は葉赫那拉(エホナラ、イェヘナラ)氏で満洲正黄旗ですドラマでも、入宮当初から待遇がちがいました。ちなみに、この葉赫那拉氏からは、後に西太后が出ています。
愉妃(海蘭)は珂里葉特(ケリエテ)氏鑲藍旗の出で、みんな満州族のお妃です。
また、身分は低いけれど、ドラマにでてくる凌雲徹(架空の人物)は「下五旗の出身」という設定でした。上三旗は皇帝直属で正白、正黄、黄旗。下五旗とは、鑲藍、紅、正藍、正紅、鑲白。
皇帝が選んで凌雲徹が娶らされた奥さんは鑲藍の出身 薩克達(サクダ)氏の娘で、出身が上の身分なので、家庭内でも見下した態度でした。(ちなみに、薩克達氏は、9代皇帝咸豊帝の皇后を出した一族の名前で、満州鑲黄旗でした。)

 烏拉那拉、葉赫那拉、珂里葉特・・・等、満州語の発音に漢字をあてがっているのでなんだかくどい感じがしますが、逆に4文字の名前だと満州氏族であることがわかります。
名前でその人のルーツが見えてきて、興味深いですね♪

その他、金 玉妍(この方、ドラマでは諍い女!)は朝鮮民族出身ですし、陳婉茵、高佳氏、魏佳氏らは漢民族?かなと思わせるお名前です。「佳(満州語でギャ)」は、満州式を現す一字で、満州族同等扱いというお印に賜ったのかもしれません。
また、ドラマ後半で回教徒(イスラム)の姫君が従服の証しに連れてこられますが、この方の名は和卓(ホージャ)氏。ウイグルのことを和田(ホータン)といいます。巴林(または阿隣)バリンというモンゴルのお妃も! バックグランドをによわせる命名も興味深い♪

後日、ドラマに出てきた少数民族の衣装を少々。

<つづく>


参考:「誰も知らなかった皇帝たちの中国」岡田英弘 著
https://note.com/sambal/n/n8d22eab3b603?magazine_key=mfe4928c2d9da
https://ja.wikipedia.org/wiki/八旗


2020年11月14日土曜日

『如懿伝』(3)後宮の階級




「ドラマを見ていると名前がコロコロ変わって、付いていくのが大変」という方も。
そこで、後宮での身分制度についてちょっとまとめてみました。


「後宮の麗三千人」という表現がされていますが、これは「詩的誇張の勝った見方」と、ラストエンペラーの弟溥傑さんの妃愛新覚羅浩さん(1914~1987)は著書『食在宮廷』に書いておられます。もちろん専制の時代ですので、「いろいろ誤解に繋がる種が沢山あった」とも。

浩さんが嫁いだ時は、辛亥革命後で事実上既に清朝は崩壊しており、暮らしは新宮でしたが、代々皇帝の側近に使えていた老人から話を聞いたり古い文献をご覧になれるお立場だったので、清朝の真相をかなり知ることができたようでした。


さて、ドラマの舞台、乾隆帝の時代は、16世紀末〜17世紀。日本は江戸中期。
日本は鎖国体制でしたが、清朝も欧州からの朝貢は受けるものの「私達はあなた方から欲しいものは特にありません」という姿勢。日本は元禄文化の揺籃期で、清は文化的ピークを迎えておりました。
後宮のお妃たちは、華々しくそれらを享受していたことでしょう。
お妃たちの衣裳も髪型、備品、皇帝から賜るものなどからも、そのことがよく描かれています。
お妃たちは、〇〇氏の誰々、という姓と名の他に、位を現す呼び方があります。
企業でいうなら、名前を呼ばず、役職である「社長」「部長」「課長」などというように、位で呼ばれるのが一般的なのと同じこと。でも、若い内や親しい間柄同士だで名前で呼んでいることもあります。
「氏+役職名」と役職で呼ばれる時に、氏ではなく皇帝から授かる一字で〇妃、とか〇嬪とかと呼びます。更に、死後は生前の功績を称えた諡(おくりな)を賜ることがあります。
死者に対しては、この諡で呼んでいます。[愛称の一字+身分を現す一字]には???となってしまう方が多いのだろうと思います。

後宮では、皇子を生むと、階級が上がるということがしばしばあったようで、ドラマでも、隆帝が頻繁に叙位しています。
(ああ・・乾隆帝、もう乱発しすぎ。あ、乾隆帝という呼び方も、諡ですのでドラマでは「皇上(ファンシャン)」と呼ばれています。)

史実をチェックしたら、後宮の女性はほぼ確実に子どもを産むと、褒美として1階級ずつ上がっていました。現代人からすると「女は子供を産む道具か!?」とか「子供を産めば偉いのかい!??」・・と、大いに突っ込みたくなるところですが、生き物として子孫を残すことは、
ある意味最優先の道理ですから、世が世なら「衣食住が足りるのを当たり前とするアホな現人め!」と、逆にお叱りを受けるのかもしれません。異なる時代の物差しは使えないということにしておきましょ。

清の時代の后妃制度は、以下のように決められていたようです。

  ● 皇后(福晋)1名  
  ● 皇貴妃(側福晋)1名 
  ※但し、この地位は、皇后不在の時に皇后代理として任命されるのが前提。
  ※皇后がいる場合、皇貴妃はおかないのが原則。
   皇貴妃は皇后不在時に後宮を統括することが多い。
  ● 貴妃 2名
  ● 妃 4名
  ● 嬪 6名 
  ● 貴人 以下定数・品階なし
  ● 常在
  ● 答応  最下位の側室
  ● 官女子 ※格格 最低位の妾をさす。
   第1話でいきなり出てくる「福晋」という呼び方は、満州族独特の呼び方。
    正室=皇后のことを「福晋」、皇子の正室(嫡妃)を「嫡福晋」、
    側室(側妃)を「側福晋」と呼んだようです。

女官上がりだったりすると、一番下の格格(ゲゲ)から昇っていかなくてはなりませんが、名家の令嬢や平和協定の為の政略結婚で、入宮当初から貴人以上の位でスタートする女性もいるようにドラマでは描かれています。
「政略結婚」を和英辞典で引くと[a political marriage]  , [a marriage of convenience]と、何とも解りやすい英訳がでてきます。政治的であり、便利な結婚なのですねw

そうそう、ドラマの初め頃、皇太后の「妻には知を、妾には色を求めよ」って台詞がありましたっけ妃までは「側室」、嬪からは「妾」とされているようですが、ドラマを見る限りでは、その違いは曖昧でわかりません。

いずれにしても、お妃選び「選秀女」の制度は、明代から随分と吟味され、読み書きそろばんができない女性は後宮には居なかったようですし、容姿よりも健康を重視して選ばれていたようです。「外遊先で、皇帝の目に留まり、後宮入り」といったようなことは無かったらしい。
しかしながら、後宮の女性は皆、大前提として皆皇帝にお仕えする身。功を成せば、実家にも褒美が下され、出世して位を賜れば、その身分の親族に相応しいように家の格も上がる。宮廷での娘の活躍で、一族が繁栄するといった側面は、あったようです。

歴代の王朝に見られたいざこざを教訓に、いろいろシステムは改良されてきたものの、とどのつまりは人治国家。
そう! 後宮のゴタゴタは、ひとえにそこなのです(!)
その良しも悪しも、皇帝のお心ひとつで人事を動かす点に凝縮されているように思われます。
・・・と、ドラマ後半に差し掛かりしみじみ思うのでありまする。

<つづく>

参考: