飄々としてオバカなキャラでお茶の間を楽しませてくれた志村けんさんが、今回の疫病で亡くなった。
発病から重症化する期間がとても短くて、これまでの深酒やたばこなどの不摂生が祟ったのかというところも否めないけれど、芸の肥やしはなんとやら、体調を崩した2016年以降も回数こそ減ってもやっぱりお酒やクラブ通い、ガールズバーにも出掛けていたそう。これはもう不摂生というより「志村けん」はそうやって構築されていたんだな〜とも思う。
仕事熱心で芸に生きた方なのだ。
そして「色っぽいおじさん」とも評したい。
4人の女性と結婚した喜劇王チャップリンの最後の奥さんは、36歳年下の女性(18歳の時に結婚)で母親の面影があったとか。チャップリンには、親子ほども違う女性に母性を抱かせるほどの愛嬌とエイジレスな色気があったんだと思う。そしてチャーミング! 志村けんとチャップリン、重なるところが多いな。))特にひげダンスは、和製チャップリンを彷彿させる志村けんのオリジナル。(※あのウォーキングは簡単そうで、手足Up-Downのコーディネートが案外難しいw!)
毎週毎週繰り出す手品技の影には相当な研磨があったことでしょう。
訃報と共に流れる懐かしの映像を見ながら、やっぱり毎回笑ってしまう。
ほんと、泣き笑いデス)))。
さて・・・
疫病は、時代時代に様々な人の命を奪ってきました。
かの14世紀のペスト流行は、キリスト教の腐敗のピークにも重なって、100年戦争をさらに長引かせた。(疫病蔓延中に戦争なんて!コワ〜)聖職者も貴族も老いも若きも無差別に容赦なく襲うペストは平等な神だなんてこれ以上無い皮肉もいわれたりもしたようで。死神なる虚像も作られ、集団ヒステリーの悪魔ダンスまで起こる始末。
ヨーロッパ全人口の1/4〜1/3が亡くなったというから、何年にも渡りヨーロッパ各国をおそい集団免疫を経るまでの状態に達してからの終息という最悪の形を辿ったパンデミックでした。
|
くちばし付のマスクとマントはペストを防御するためのスタイル
くちばしの所には、抗菌と腐敗臭を紛らわせるためのための
スパイスと藁が詰められていたそう! |
このペストは、その後の社会を大きく変えました。
宗教もアートも文学も、はたまたファッションも・・・。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』も、ジュリエットの手紙を託された使者が、ペスト患者と接触して隔離されてしまい、ロミオに伝わらなくて、ロミオは死んでしまうのでした。病原菌ではなくてもこんな二次的な死も少なくなかったでしょう。。。世がペストの中の恋だったのね〜〜と思うと、刹那的な気持ちもあったのかな。ポスト・ペスト…沢山の死を目の前にしたら、人々の人生観もそりゃ変わりますな。))
時代は下って、20世紀パンデミックは・・・何と言っても、SARS(2002), MARS(2012) 新型インフルエンザ(2009)、そして、スペイン風邪(1918-19/ 強烈なA型インフルエンザだったらしい)。
第一次世界大戦下で蔓延したスペイン風邪は、スペインが発祥だった訳ではなく、アメリカ・カンザス州ハスケルで発症し、ヨーロッパへの移動に伴いアメリカ軍駐屯地があったマルセイユへ、そこからヨーロッパ中へ広まったインフルエンザだったという。
当時中立国だったスペインが「病気が蔓延してます〜!」と初めて声を上げたのと、国王アルフォンソ13世が感染したことが公にされたので「スペイン風邪」なんて呼ばれるようになってしまった。
戦時下故隠し続けられた結果、第二次世界大戦の死者と同じ位の数の死者を出し、こちらも集団免疫を経るまでの状態に達してからの終息という最悪の形を辿り、静まるまで2年も掛かっている。
ちなみに、スペイン風邪で亡くなった著名人には、以下の人達がいます。
社会学者のマックス・ヴェーバー(ドイツ)
詩人のギョーム・アポリネール(イタリア出身のポーランド人)
オーストリアの画家 エゴン・シーレ、グスタフ・クリムト
日本でも、竹田宮恒久王(皇族)
末松 謙澄(政治家)
辰野 金吾(東京駅の設計者)
島村 抱月(劇作家)←愛人 松井須磨子が後追い自殺
大山捨松(大山巌夫人)
西郷 寅太郎(軍人・西郷隆盛の息子) etc..
21世紀早々のパンデミック、コロナウイルス。
最初に志村けんさんのお名前をここであげることになろうとは(号泣)。
=合掌=
ペストやスペイン風邪のように、集団免疫による集結なんてこと、ありませんように!!
<つづく>