2007年9月18日火曜日

葡萄:キャンベル

子供の頃、病気になると、季節を問わず「ぶどうが食べたい」・・・と悲壮な声を上げていたらしい話を、この時期実家に帰るといつも聞かされます。

昭和40年代、水疱瘡の病の床で1月に食べた葡萄は、確かしなびたマスカット。当時、「青いぶどう」と呼んでいた。

ぶどうといえば、その「青いぶどう」か、種なしぶどう(デラウエア)、黒いぶどう(キャンベル?)ぐらいだったような気がする。(巨峰はあった??)

それが今、ピオーネ、甲斐路、ネオ・マスカット、ロザリオ、レディースフィンガー、パラディ、種なし、種あり、皮も食べられるタイプ等々、いろんな葡萄が出回って、葡萄好きには目移りしてしまう。
外国品種の掛け合わせ等々まあ葡萄の種類が多いのは留意することではないのだろうけれど、ひとつ、とても気になることがある。

キャンベルが見当たらないのだ。

あの、ほどよく酸味、甘味、渋みがあって、つまんでいるうちに爪の間まで黒くなってしまうようなびががトロッとたっぷり皮の内側に付いているキャンベル。種だって、さほど大きくない実の中に3つ4つ入っていて、野生的だった。

マスカット、大好きなんだけど、白の後には赤も戴きたいわ))と、ワインじゃないが、黒いぶどうも食べたいのです。
ピオーネ、巨峰ほど大粒でも高級でもないのでいい。(だって私の脳には葡萄は「つまむ」ものとインプットされているのだから。)

先日、偶然通りかかった果物屋さんで、キャンベルの名残濃い小振りの葡萄の房を発見(!)。

車を路肩に止めて、いそいそと駆け寄った。

久しぶりに味わうキャンベル(風)の味は、子供時代の記憶を甦らせる。

「おにいちゃん、食べるの速すぎるよー」

兄は種を出さない主義で、ツルツルとお猿のごとくのみこんでいき、葡萄の房はみるみる茎だけに・・・。

そこへいくと、皮を手で剥き剥きしないといけないマスカットは、猿の・・・もとい、兄の敬遠しがちな品種だったので、いまでもいただくときにいささか心の余裕がある気がする。(今では皮ごと食べれる「青いぶどう」も出ているから手強いが、当時のものは皮に結構渋みがあって硬かったのだ。)

でも、キャンベルは、焼き肉と並んで、せわしく食べる家庭内競争のシンボルだった。

久々に手にしたキャンベル(らしき葡萄)を、ゆったりと口に運べる喜びを噛みしめる・・・脳裏によぎる猿兄妹の想い出がちょっと邪魔だけどさ。