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2024年10月29日火曜日

中国茶の会 ご案内

MUNI Carpetギャラリーの絨毯は、究極の東洋の伝統美であるクラシカル・チャイニーズラグを復刻させ、更に西洋のモダニズムと融合させた、古くて新しい逸品。
このラグのギャラリーと“古くて新しい”中国茶。

これをそのままイベントのコンセプトとしました。
温故知新なのか、ノスタルジーなのか・・・小難しいことは置いておいて、

「喫茶去」。
ま、ま、ま、美味しいお茶をどうぞ♪

そんな会でございます。

お茶の来た道、往く道にも思いを馳せる時間となるかも?!

中国茶と相性抜群の点心&お茶をご用意して、皆様のご参加をお待ちしております♪









 

2023年10月30日月曜日

「三献茶」のウソ・ホント

 大河ドラマの最後にある『紀行潤礼』コーナー、好きなんです。

先週は、三成・秀吉の出会いの地、長浜・米原で、有名な逸話「三献茶」が紹介されていました。
鷹狩り帰りに秀吉が休憩に立ち寄ったのが観音寺。
そこで、お茶を所望した秀吉とお茶を供した小姓の佐吉(三成)。
彼の地では、三成人気にあやかり、亀山茶畑、そして「こだかみ茶」の復活が試みられているとのこと。
でも、「三献茶」については、様々な説が。
『紀行潤礼』では、その場所が長浜市石田の観音寺と紹介されていましたが、木之本の古橋にある法華寺という説もあるようです。
観音寺は、三成の父が有力檀家だったお寺(三成は長男ではなかったので寺の小姓にだされていた)で、法華寺は母の出身地であり関ヶ原の後三成が最後に頼ってかくまわれた地にある。
(『近江が生んだ知将・石田三成』大田浩二著)
お茶談にも「ん?」ってなところがあります。


  最初にぬるめの1杯。
   ーーお茶の成分テアミン流出で甘味、旨み、リラックス効果。
  おかわりを所望され、やや熱めで1杯。
   ーーバランスのよい味わい。
  さらにもう一服ご所望。熱々の1杯。
    ーーカフェイン効果でシャキーン!


温度によって味わいや体への作用が変わるお茶。
それを演出できるのは、お茶が「煎茶」になってからのような気がします。
この時代は、まだお茶といえば「抹茶」で、お煎茶は生まれていないはず。
煎茶製法が、中国から伝わるのは17世紀半ば。
さらに、普及するのは18世紀にはいってから。
(ちなみに玉露の製法が生まれたのは1835年。)
抹茶や碾茶でも「三献茶」ができなくもない気はするけれど、「三献茶」のエピソードが初めて記されたのは、100年以上のちの『武将感状記』(1715) だと聞くと、どうもこのエピソードが書かれた時代のお茶談のような気がしてくるのです。


遣唐使として中国に渡った最澄が、茶の木の実を持ち帰り、各地に植えたところに始まり、長い間、お薬的存在に留まっていたのが、12世紀に宋に渡った栄西が抹茶の飲み方を広め、喫茶儀礼が重ねられ、やがて茶の湯の文化へと昇華。そして江戸中期になってやっと庶民に喫茶文化が普及するーー。

お茶が庶民の身近なものになりつつある頃にまとめられた『武将感状記』に、当時の世相を現すお茶が使われたのかもしれません。


さて、『紀行潤礼』で紹介された「こだかみ茶」は、実はこの辺りの在来種(最澄が持ち帰った茶木の実!?)で、21世紀になってから(たぶん観光資源としての意味も多々あり) 地元農家さんの手で復活させたものらしい。



大河ドラマは「ドラマ」だもの。
その末尾の『紀行潤礼』も、観光的紹介コーナー。
真実の追究ではないのだ。

でもね、ウソから引き出す誠ってのもある。
浮かび上がる人物像や、登場人物。そしてそのの縁(えにし)が、やっぱり楽しいのであります。

来週の大河ドラマ、いよいよ関ヶ原!!


公益財団法人日本城郭協会 公認サイト「城びと」より「関ヶ原」



追記・「三献茶」科学編:
アミノ酸は 旨み、甘味成分で、低温にも溶けやすい。
お茶に含まれるアミノ酸は、半分以上がテアニン、その他、グルタミン酸、アスパラギン酸、アルギニン、セリン等。テアニンには、リラックス効果が。

カテキンは、ポリフェノールの一種。苦み・渋みの成分で、80℃以上で溶出。

カフェインは、苦み成分で、高い温度で溶出する。脳の中枢神経に興奮的に作用。覚醒作用、利尿作用。

三成(佐吉)は、結果的に、最初の1杯でアミノ酸効果を、次にカテキンで疲れを癒し、三杯目で出立に向けてシャキッと覚醒効果を利用し、秀吉の「休憩」に、見事なホスピタリティーで応えたということですね♪



2023年10月8日日曜日


桔梗とススキがそよいで 音の無いBGM。
MUNIギャラリーの心地よさに助けられ、「余白茶会」無事終了しました。
実は、設定の3日間+その前後に、特別チーム(グループさん)の回もあり、全5回。
本日終了。

今回は、中国料理に向き合う日々の「余白」- - - - - 折々に浮かんだクエスチョンについてのメモ- - - - - をテーマ(?)にしました。

  マリー・アントワネットはお茶を飲んだか
  エカチェリーナ2世が飲んだお茶はどんなお茶だったか
  ジャムを入れる(?)ロシアンティーの真相
  コーヒー、紅茶、烏龍茶のはじまりの時期
  茶名にも付く「貴妃」「貴人」のこと
  日本の中華街 v.s. 海外各地のチャイナタウン
  日本の中国料理 v.s. 世界各地の中国料理
  卓袱料理と中国料理
  中国のおもしろ食材
  薬膳の真相(?)  ・・・等々。
たっぷりのお茶で聞き流して頂けていたなら幸いです。




2023年2月3日金曜日

 

もう歳の数ほどの豆は食べられない。。。

代わりに大豆もやし炒めたのではダメかい??…などと不埒な考えが浮かびます。

店頭に、沢山積み上げられた恵方巻。どっさりすぎて、見ている内に食欲減退。)))

そんな訳で「リスク分散を」といわれる時代ですが、 私の「鬼は外」はもう、このイワシ1本(!)とあいなりました!

煙ってやるわよぉ!


ところで恵方巻にも、何やら土用の丑の日とか、バレンタインデーのチョコみたいな「商法」あるいは「仕掛け人」の匂いが致します。
ちょっとググってみたら、(巻寿司ではなく)「恵方巻き」のはじまりは、広島県らしいのです(!)。
「1989年にセブンイレブンが太巻きを「恵方巻き」として売り出したのが始まり」だそうです。
平成の平賀源内は、〔セブンイレブン〕…なのですかー!?

さらにググって…
節分に巻寿司を丸かじりするという行為は、どうも江戸〜明治の大阪の花街ではじまったらしいです。
なるほど、いかにも花街、いかにも大阪っぽいお話です。
ググっただけですから、あくまで一説としておきましょう。

食文化についてググると、つくづくネット情報びみょ〜だな〜・・と思うことが多いです。
やっぱり根拠となるネタ元が明記されていないのがネックです。

ちなみに、巻寿司が生まれたのは1750ー1776年頃。(…と、東京すしアカデミーさんサイト)
アメリカ大陸で南北戦争ドンパチの頃、お江戸では既にファーストフードとなっていたお寿しに遊び心が加わった。
そう思うとなんだかちょっと感慨深いものがあるけれど、日本も飢饉と飢饉の狭間でありました。

チコちゃんか、『すしのサイエンス』著者 土田 美登世先生に聞いてみたいです♪


『すしのサイエンス』/文・土田 美登世

寿司でも鮨でも鮓でもなく「すし」としてある。
「サイエンス」も歴史に始まるとあって、
冒頭発酵食としてのなれずし、鮒ずしから酢を加える
「酢し」となっていく旨書かれておりました。


2022年10月27日木曜日

琥珀茶会 





 

ご参加下さった皆さま、楽しいひとときでした。
ありがとうございました。

琥珀茶会。
福建省のお茶いろいろ味わって頂きました。
英国王室が歴代飲み継いできた中国紅茶の味わいも添えて・・・。

変わっていくものと変わらないもの。
変わらないモノなんて無いのかも知れません。

茶会は、「今」を映す時間。

2022年2月4日金曜日

ちりめん山椒


ちりめん山椒。

ちりめんは瀬戸内、山椒も他所。(和歌山、高知etc.)
なのに何故、京都のお顔をしているのだろう。
そして何故名前が織物の名前なのか。

 
「ちりめん(じゃこ)」は、ごく小さな魚を平らに広げて干した様子が、細かなしわをもつ絹織物のちりめん(縮緬)を広げたように見えることから、この呼び名が生まれたらしい。(wikipediaより)
そして「じゃこ」は、雑魚(ざこ)の訛り。

ちりめんじゃこ=縮緬雑魚。

「雑魚」とよばれるこの子達の未来はカタクチイワシであった。
まだ鬼を祓う匂いもないウイヤツ。

瀬戸内 音戸ちりめん、京都にしてやられてなるものか!
……と、つい気合いが入る。

  * * * * * 


さて、「ちりめん」の難を逃れ大きく成長できた鰯は、節分に、その焼く臭気で鬼を追っ払ってくれるらしい。
とげとげの柊の枝に焼いたイワシの頭を刺して玄関にかざるのだが、流石にこちらは実践している家を見かけたことがないw。
節分の柊鰯は、平安時代からの風習らしい。尖ったモノや臭いものは魔除けになるとされ、雛祭でも菱餅が、その役割を担っている。

季節の節目を告げたとはいえ、まだまだ油断ならない寒さ。
今日的には、イワシのDHA, EPAで血液サラサラにして血流をお助けしようじゃないか、なーんて解釈もできるが、落語「目黒の秋刀魚」しかり、高貴な方々は、このようなお魚は召し上がらなかったことでしょうから、庶民の儀式なのかなー??  

伝承料理研究家の奥村彪生先生、教えてくださーい。


ともあれ、栄養価の高い鰯は、今も昔も無病息災に直結デス。



メモ
縮緬の技法は安土桃山時代の天正年間に、中国から堺に伝来し、京都の西陣に伝わり江戸中期には銘品になります(京丹後ちりめん)。『水戸黄門でもお馴染み、新潟の越後ちりめんも知られています。
ちりめん(じゃこ)という呼び方は主に関西エリアで、東京では「しらす」とよばれます。


 

2021年3月30日火曜日

中国茶会のご案内

 





昨年2月の「龍の茶会」。龍と来たら、次は「鳳凰」?!

鳳凰を名乗るお茶もいろいろあります。飲み比べも楽しいことでしょう。

・・・が! 今回は心機一転「楽伍茶会」(らくごちゃかい)と名付けまして、特徴的なお茶をいろいろ飲んで頂きながら、大いに語らいのひとときを楽しんで頂こうという趣向にしました。(もちろん、語るときはマスク着用)中国茶のエッセンスを感じて頂けるかと思います。

折しも広島県では、4/1〜5/31の間、最寄りの薬局で、広島市にお住まいの方&お勤めの方で、無症状者を対象に無料PCR検査が可能となりました(!)。

少しでも、ご参加の方々がリラックスいただけるよう、私もPCR検査をして臨むつもりです。

お茶会にご参加予定の方、丁度よいタイミングですので、是非♪


薬局探しはコチラ
 ↓




2020年8月31日月曜日

甘酒



「飲む点滴」あまざけ。
   A "drinkable  IV-drip"

醗酵によって生まれる必須アミノ酸、ビタミンを含むところが、飲む点滴と言われる所以です。
でも、調べてみたら、その含有量は決して多くはないのです。主な栄養素は糖で、20%はブドウ糖。オリゴ糖も含まれるので腸活にもよいとされています。
ただ、微量ながらも、酵素と結びついてブドウ糖をエネルギーに変える為に必要なビタミンB群、体内では合成できない必須アミノ酸9種の全てが含まれている。沢山ではなくても、少しずつ幅広く含まれているところがいいみたい。

お粥を炊いて、温度が65℃に下がったところで米麹を加え、55~60℃をキープ・・・。
米麹が醗酵によりお粥を分解する過程で栄養素が生まれる上に、麹の力で既に吸収のいい形になっているので、体にやさし〜いのです。

「1日に必要な量の〇倍の栄養素」とか「レモン〇個分のビタミンC」みたいなうたい文句のサプリや、それらの液体ドリンク剤もあるけれど、体が吸収しきれないものは全て排出されるか、体のどこかに蓄積されるか。蓄積されるものは過剰摂取の原因にも!?

濃度が近い方がなじみやすいという原理と、乾いた土に水が染みこむが如く吸収するイメージの作用、体内ではどっちなのかな?


晩夏の猛暑、今年はせっせと甘酒を作っています。


2020年8月16日日曜日

ガンパウダー



ガンパウダー(Gunpowder)とは、火薬のこと。

最近は、オーガニックガンパウダーもあるらしい(!?)

ハイ、これはお茶です。

中国名を「平水珠茶」といって、浙江省平水の緑茶。
しっかりと小さく揉捻され球形なので「珠」茶。

写真は、保存版にしているちょっと古いものです。(古いですが、見た目はそんなに変わっていません。)
数年前、日本のお茶屋さんで「上等のガンパウダーです」というのをみせてもらった時「え?これが??」と思ってしまった。お茶づくりもだんだん技術が変わってきちゃってるのかと、少し残念な気持ちになり、手元に残っていたものをサンプル用「保存版」にしました。
世の中が変わっても、自分の中のスタンダードは守りたい。


それにしても、お茶にこんな物騒な名前を付けるなんて、茶を輸入していたイギリス人の仕業かな。緑茶だけど少し燻香があるところも、このネーミングの「引き金」になってたりしてw

17〜18世紀、専ら輸出用だったらしいガンパウダーは、今はイギリスの紅茶専門店などで見かけることがあるくらいで、他では滅多にお目に掛からない。元々油脂の多い食文化圏であった欧米では、緑茶より発酵茶が好まれるのは必然。19世紀後半英国がインドでの紅茶栽培に成功して以降、欧米は専ら発酵茶(紅茶)を所望し、高価で品質管理が難しい緑茶とは縁遠くなっている。

フランス領でもあったモロッコでは、今でも緑茶がたっぷりのフレッシュミントとお砂糖と共に「ミントティー」として飲まれています。
フランス経由ではなく、アラブ人のルートでスパイスと共に流通していたのでは?などと想像が膨らみます。

モロッコ式ミントティーに出会ったのは、アメリカ東海岸で在学中。中近東料理のフードトラックが供するのが、コレでした。
一日の終わりのハーブティーのつもりで購入したら、なんともストロングな煮出し緑茶。
苦み、渋みにスーッとパンチのある清涼感。
眠気覚ましのガムみたいな味で、リラックスどころか、あらゆるスウィッチがオンになってしまったのでした。

何年かして、同様のものをモロッコで味わいました。
ドライミントがフレッシュになり、砂糖倍倍増(!)。
しぶっ!
あまぁ〜っ! 
スー〜〜!

圧倒的に違うのは砂糖の量で、モロッコでは、それはそれは・・甘〜くして飲むのだ。
聞けば、モロッコ国内でも沙漠に近い地方に住んでいる人達は、更に甘いのを飲んでいるのだという。ベルベル人(サハラ付近に暮らす沙漠の民)のお茶は確かに一層甘かった。))

これは飲む点滴。何日も飲まず食わずで沙漠を旅してきた人にとっての気付け薬だった名残なのだ・・!ーーー強い陽射しと乾いた風の中で頂いた一杯のお茶から得た持論です。

遠く中国から運ばれた緑茶。
スパイスと並んで取り扱われる砂糖。
地の逞しいミント。

旅の思い出と東西歴史絵巻の一片が、脳裏にぶわぁ〜〜っと広がったのでした。



記憶のトリガー(引き金)、ガンパウダー。

おや、物騒な響きも、的を得た名前に思えてきたぞ。

暑さでぼ〜っとしているところに ズキューン!



2020年7月25日土曜日

シナボン


シナボン MAKI

Cinnabon USA
あま〜い朝食。
シナボンは、アメリカの休日の味。
ズシリと大きくて "1ケ1200cal" というのが売り(?)だった。
フィラデルフィアのショッピングモールにフランチャイズ1号店が出来たのが1986年。
いつも人気で、焼き上がるのを待って買う感じ。
熱いところへもって、クリームチーズ入りのアイシングがたっぷり掛かるので、溶けてとろ〜り・・・渦巻の間に染みこんで、シナモンと混ざり合うのです。一言で表現するなら「パンの砂糖浸け」😅
(それなのに、さらに小さな容器に追加のアイシングが付くのです!)
以前『大草原の小さな家』のことを書いたときにちょこっと触れたアップルパイ然り。アメリカン・ベイキングは、往々にして大味なのですが、ボリューム感でせまる美味しさがある。このシナボンのダイナミクスは、サイズでもなくアイシングの量でもなく、実は、シナモンの量にある(!)と私は思っています。
この製造プロセスをお見せできないのが残念極まりないですが、元祖シナボン(というのも、30数年を経てけっこう諸々経営が変わっているようなのだ)は、店頭で大きくパン生地を伸ばしてバターを塗り、缶入りのシナモンをその上にた〜っぷり惜しみなく降らせてクルクル巻く。
この大量のシナモンなくして、滴るアイシングは食べられない。
シナモンは、甘さをプラスしてくれる香りでいながら、甘さのくどさを消してくれるスパイスでもある。胃腸薬ともされる所以がここにある!?

嗚呼、懐かしの、シナボン。
これはシナモンロールについた固有名詞のようにおもえるかもしれないけれど、実は「シナモンロール=シナボン」ではない!(←・・あくまで持論)
なぜって、シナボンは、レーズンも胡桃もキャラメルソースも寄せ付けないんだもん。

恋しくなると、時々「日本サイズ」で作ります。
21世紀になって、日本にも上陸しているようだけど、元祖のダイナミクスはそのままだろうか??

ググってみると、21世紀のシナボンは、ナッツ等のトッピングがついたりと、厚化粧ぎみのよう。
私は俄然、プレーンを推奨致します!


2020年6月6日土曜日

マクビティビスケット


ヤンヤーヤ マクビティ〜♪
 
「ヤンヤーヤ」は、合いの手の言葉なんだとか。
ビスケット同様にイギリス生まれの民謡かなにかのフレーズかと思ったら、日本人 - - -「それ行けカープ」も手がけた宮崎尚志氏の作曲。

日本が戦後の安保闘争を経て経済の時代を迎えた70年代、食文化も大きく豊かさを求めはじめた頃の、外国人登用のCMでした。

この頃、ビスケットといえば、森永ビスケットシリーズ。
マリービスケット、チョイスビスケット(四角いヤツです)、ムーンライトクッキー、ハーバードクリーム・・・・。子どものお小遣いではちょっと手が届かない高級イメージでした。
遠足の時のスペシャルとして、毎回1種ずつ買ってもらっていたものでしたが、マクビティが現れたのも、そんな頃でした。

マクビティ(McBitie's)は、イギリスのユナイテット・ビスケット社の商標。明治製菓が商標権をもち、合弁で明治マクビティ株式会社を設立して国内生産していた商品です。

「戦争が強い国は食文化が乏しい」とか「カトリックは美味しい、プロテスタントは美味しくない」なんて言われ、食の名物が少々貧相な印象のイギリスですが、何故かビスケットとクラッカーだけは美味しいお国柄(!)。ビスケットには保存食の役割もあったせいでしょうか??
(イギリスの食を大切り、随分な言い方ででゴメンナサイ! その内「イギリスだって美味しい!」談致しますのでご容赦下さい。)

ちなみに、マクビティのサイトに行くとこんな解説が。

" マクビティブランドは1830年にロバート・マクビティ (Robert McVitie) がスコットランドエディンバラにおいて、パンの製造販売所として開業したのが始まり。最初のビスケットは、1839年に当時新入社員だったアレクサンダー・グラント (Alexander Grant) によって開発されたマクビティ・ダイジェスティヴ・ビスケット (McVitie's Digestive) である。消化作用のあるビスケットとしては、このとき世界初だった。この名前は、高い消化作用がある重曹が多く含まれていることから名付けられた。"

マクビティは、その名前(Macの接頭語)が暗示している通り、正確にはスコットランド生まれなのでした。(マクドナルドも、マコーミックもスコットランド名。俳優、実業家にも結構多いMc~のお名前です。)

それから、上の引用文の最後にある「ダイジェスティブ・ビスケット」という言葉も、当時は斬新な響きでした。
ところで、全粒粉で胚芽入りなのがなぜ「ダイジェスティブ」なのか?
玄米より白米の方が消化にはいいでしょ!?

先の解説文によると、その答えは「重曹」であるとのこと。
でも、そもそもビスケット全般に重曹は使われています。重曹説にはどうにも合点がいきません。確かに、アルカリである重曹は、胃酸を中和してくれる働きがあり、実際、多くの消化剤にも使われていますが、ビスケットの中に入っている微量の重曹がその効果を発揮しているかどうかは疑問です。

一方で、全粒粉の食物繊維が腸の働きを活発にするという解釈も見つかりました。
野菜が取りづらかったイングランドの食生活の中ではそれなりの効果が見いだせたかもしれません。イギリス紳士も淑女も、その食生活から、実はお腹にガスが溜まりやすいなんて話を耳にしたことがあります。もっとも、腸が変わるくらいの繊維質が、粉から取れるとは思えないのですが・・・。

ちなみに、中医薬膳学では、小麦粉やふすま、赤小豆粉などを醗酵させた「神曲(神麹、六麹などの別名あり)」というものがあり、主にデンプンの消化を助ける薬膳食材とされています。これには、食物繊維云々というより発酵させてあるところに意味があるように思えますが、いかがなものか。塩麹、酒醸(チューニャン)やヨーグルトなどの醗酵食品は、食材を柔らかくしてくれるだけでなく、実は消化にこそ大いに関与していることが経験的に知られていて、各文化圏でそれぞれ絶妙に組み込まれています。
例えば、インドやトルコ〜東欧では、ヨーグルトがそんな位置づけではないでしょうか。

このマクビティビスケット然り、美味しい工夫が結果的に健康的なのか、または健康的な工夫が結果的に美味しいのかははっきりしませんが、健康にいいからではなく美味しいから買い求めていた気がします。


明治マクビティビスケットは、昨年夏に終了となってしまいました。
現在は、商社が扱うトルコ産のマクビティが輸入食材店などで売られているようです。

私のモットーは、無いものは自分で作る!

本格的な夏になる前に、せっせとオーブンに火を入れる今日この頃です。


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PS:コチラは、ウォータークラッカーで知られるCarr'sの全粒粉クラッカー。(イギリスです!)甘さ控え目でおいしいですよ♪

Company Profile
 カーズ ”Carr's”は、設立は産業革命中の1841年。元々は、ジョナサン・カー (Jonathan Carr) 氏がイギリス・カンブリア州カーライルで営む小さなパン屋さんでした。1831年、保存食の堅いパンを元に、美味しく食べられるように工夫して作られたビスケットを販売したものが、船乗り達に人気が出て、瞬く間に知れ渡り、僅か10年で、ビクトリア女王から王室御用達に認められる程になりました。
その後現在に至り、1972年に、McVities ブランドで知られるユナイテッドビスケット社の一部として運営され、アメリカでは、コーンフレークで有名なケロッグ社から販売しています。

Carr'sの情報源はこちら→http://import-selection.ciao.jp/itm/item-0191.shtml

※Water Biscuitsは、フィラデルフィアで暮らしていた1988年にイギリス人のハウスメートがオススメだったクラッカーです。あまり見かけませんが、ブラックペッパー味があるのです!オススメです!!



2020年4月29日水曜日

GWのお茶時間


なーんにも予定がないまっ白なGW。
廣島三次銘菓の泡雪かん(渡邊精進堂)に「金のふりかけ」(歴清社)  “ゴールデン”な気分♪

「ちょっとだけよ〜」。

お茶も、お薄にしたくなる。
茶畑では明後日は八十八夜♪

2020年4月17日金曜日

コロナウイルスについて

コロナウイルス=SARS-CoV-2 
COVID-19を引き起こしている新型ウイルスの正式名称のことです。
COVID-19はコロナウイルス感染症のこと。


とーっても分かりやすい図解がありましたのでご紹介します。
    ↓


それから知りたいのは、具体的に、菌がどれくらい生きているのかということ。

最初(2月頃)は布の上では割と直ぐに死んでしまうと言われていましたが、情報も時の経過と共に変わってきました。
いろんな専門家がサイトで紹介しています。それらによると・・・
衣類などは、数時間といわれています。毎日洗濯&クリーニングという訳にもいかないので、外側をくるむように脱いだら、風通しのいい場所、陽射しの当たる場所ではたいてから、しばらく晒しておくのがよいようです。上着はアルコールスプレーを吹きかけることもできますが、皮製品などは色落ちすることがあるので要注意。
https://mi-mollet.com/articles/-/22951?page=2
靴底も、飛沫が地面に落ち靴底に付着する可能性は低いし量も少ないので心配入らないとのこと。

 ・エアロゾル(空気中/飛沫など)最長3時間 
 ・ダンボールの表面 24 時間
 ・木材の上では 4日間
 ・プラスティックの表面 72 時間
 ・ガラス ?? 
 ・金属
   ステンレスの表面 72 時間
   銅は4時間
 
 ※金属、ガラス、プラスチックなどでは、最大9日間生きることもある。

https://www.bbc.com/future/article/20200317-covid-19-how-long-does-the-coronavirus-last-on-surfaces

菌が快適な(増えやすい)温度は?? 湿度は???
これについてはまだよく分かっていないようですが、COVID-19は、インフルエンザウイルスと類似の形態をしていることから、高温多湿は苦手なのでは?という見方もあり。

髪の毛に付いていたらどれくらい生きている??

ウイルスは紫外線と熱に敏感で、正常な情況であれば屋外の一般的な仕事場に出た場合、高濃度で活性を持つウイルスが含まれる飛沫が髪につく可能性は非常に低い。日常的に髪を清潔にしていれば良い” 中国疾病予防管理センター・馮録召研究員より
https://spc.jst.go.jp/news/200204/topic_3_02.html
ともあるけれど、玄関で下着以外を脱いで、そのままシャワーへ!とも(NHK)。

消毒薬は・・・?


エタノール(エチルアルコール)→お酒に含まれるアルコール(酒精)、消毒用アルコールもこれ。

? セタノール(セチルアルコール)→スキンケア・メイクアップ化粧品等に使われている。

?パルミチルアルコール→エタノール、セタノールと同様にメイクアップ化粧品などに使われている。

× メタノール(メチルアルコール)→燃料用アルコール 有害

◎ 次亜塩素酸ナトリウム(漂白剤)

◎ 次亜塩素酸水→食塩水(塩化ナトリウム水溶液)や塩酸(いわゆる酸)を電気分解することにより作られる。
https://www.oote-itsuki.com/about_jiasui.html

アルコールは70%以上が推奨されています。
(・・が、それ以下でも有効性があるとのこと)
  ↓
vTrpyV5eR0FZIE01CwZ8ssWDwYClRkhttps://www.kitasato-u.ac.jp/jp/albums/abm.php?f=abm00026588.pdf&n=20200417_プレスリリース_医薬部外品および雑貨の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)不活化効果について.pdf&fbclid=IwAR1kKu_bkbrTVgyvxBYAOHu1v2Cv-vTrpyV5eR0FZIE01CwZ8ssWDwYClRk

持続可能な方法を考えていきたいものです。



2020年4月11日土曜日

ウイルスと細菌の違い


◎ウイルス(Virus)とは
・他の生物の細胞を利用して、自分を複製する物体(半生物?)
・細胞はなく、DNAまたはRNAだけで、蛋白質の壁(エンベロープ)に包まれているだけのシンプルな形状。
・自らは動けないし増殖できないので他の細胞に乗り移り乗っ取って(細胞がもつ仕組みを利用してコピーをつくる(増殖する)→他の細胞を利用するのでシンプルさを保っている→細菌より小さい。
・変化し易い。
・治療は・・・抗ウイルス薬(少ない)

●ウイルスが原因の病気
 天然痘 (天然痘ウイルス)
 麻疹(はしかウイルス)
 風疹(風疹ウイルス)
 インフルエンザ (インフルエンザウイルス)
 狂犬病 (ラブドウイルス)
 エボラ出血熱 (エボラウイルス)
 SARS (サーズコロナウイルス / SARSr-CoV)
 MARS (マーズコロナウイルス / MARSrCoV)
 感染性胃腸炎 (ノロウイルス)…etc.


細菌(Germ, Bacterium)とは
・単細胞微生物。細胞がある。呼吸や光合成をして自ら増殖することができる。
例えば腸内細菌。善玉菌、悪玉菌、日和見菌。その多くは日和見菌で、宿主(人間)が元気な時はおとなしいけれど、元気が無くなると暴走する(悪玉菌化する)。ちなみにカビは、微生物のコロニー。
・治療は抗生物質。

●菌が原因の病気
 結核 (結核菌)
 ペスト(ペスト菌
 ハンセン病(らい菌(抗酸菌)
 梅毒 (梅毒トレポネ—マ
 コレラ (コレラ菌
 破傷風( 破傷風菌が出す毒素
 腸管出血性大腸菌O-157 ( ベロ毒素)
 腸チフス(チフス菌
 パラチフス(パラチフス菌

 発疹チフス
 その他食中毒菌いろいろ 
   サルモネラ菌
   腸炎ビブリオ 
   ボツリヌス菌(ボツリヌス毒素)
   黄色ブドウ球菌
 

ウイルスは、自分では動けないので、ひっつかせなければ増えることが出来ない!  
特性がわかっていれば、実は滅ぼし易い筈なのに、やっぱり動いていると次から次へと増殖し続けるのでパンデミックになるという訳なのですね。))
4月3日のブログよりこれが先だったかな??

参考:イラスト図解『ウイルス・細菌 カビ』日当書院

   

2020年4月10日金曜日

BS11で『武則天』

BS11で、ファンビンビン主演の『武則天』が、始まりました。

以前チャンネル銀河で全82話(!)が放送された際、料理教室の生徒さんが全話をDVDに焼いて持ってきてくれ、私、全部見たのですよ。(時には倍速でw)
面白かったです。

時代考証はかなり大らかですが、超が付く人気俳優陣のファンビンビン as 武則天、アーリフ・リー as 高宗、ベテランのチャン・フォンイー as 李世民/大宗らの配役、中国エンターテイメント界のパイの大きさ、そしてそのトップのの魅力が見せつけられるドラマです。

単に後宮ドロドロのえぐい話にとどまらなず、人物像や心情が巧妙に描かれてて、なかなか深い。

家で、煮込み料理でも作りながら、ご覧になるのもよいのでは?
・・・と、いいたいところですが、「ながら」で見るのはムリなドラマです。
台詞のひとつを聞き逃したら、ついて行けなくなる展開の速さ(!)
だからお茶でも淹れて、テレビの前にしかと座ってごらんになることをオススメします。


時代考証の突っ込みは端に置き、ここではちょっとドラマには描かれていない時代背景のおさらいを。

唐は618年〜907年の約300年間、皇帝は20代続いた王朝で、その時日本は、大和〜奈良〜平安時代の中期。日本がまだ「日本国」として認識されていない(倭国といわれていた)頃から「日本」として文化的にも政治的にも形づくられる時代とです。

「約300年」続いたといっても、実のところ唐の全盛は武則天の孫にあたる玄宗帝のころまでで、その後は、なんだかパッとしないのです。。。
それを反映するかように、合計19回送り込まれた遣唐使も、3代目の高宗〜武則天の頃までで8回、玄宗帝とその次の代で7回と、ほとんどは前半だけ。後半は唐もだんだん乱れて仏教弾圧(840~846年「会昌の廃仏」)もあり段々先細り、最後は菅原道真(20回目で行く予定だった)がリスクに見合う利益はないと進言し、取りやめとなりました。

このドラマの時代で私達がよく知っている人物は、なんといっても唐の幕開けと同じ時代を生き太宗の庇護を受けて天竺へ旅だった玄奘三蔵(602~664年)ではないでしょうか。
太宗の後を継いだのが高宗そしてその皇后&則天武后(高宗の死後、女帝・武則天となる)で、その治世は649~705年。
(※武則天というのは「皇帝になった」呼び方、則天武后は、皇后の呼び方。)
武則天も熱心な仏教信者だったとか。仏教の力を大いに活用したであろうことは、龍門石窟奉先寺の廬舎那仏を自分に似せて造らせたことからも分かりますが、ドラマには一切描かれていません。
ドラマでは、殷徳妃が熱心な仏教徒として描かれ、ヒマさえ有ればもくぎょうを叩きながらお経をよんでいます。

『武則天』、これからいろいろな女官や後宮の女、宦官たちが生き残りを懸けて様々に足掻きます。激しく、逞しく、切ない!!

後宮のトップレディー3人と、身分について知っておくと、ドラマが一層楽しめます。

 <唐代(前半)の妃嬪制度>
   1 皇后
   2 貴妃(正一品) 
   3 賢妃 徳妃 淑妃 (正一品) 
   4 (九嬪)昭儀 昭容 昭婉 
         修儀 修容 修婉
         充儀 充容 充婉(正二品) 
   5 正三品 しょうよ
   6 正四品 美人
   7 正五品 才人

ドラマに出てくる韋貴妃は、韋一族出身の貴妃の地位の女性。
楊淑妃は、楊一族出身の淑妃。(楊一族は隋の王族)
殷徳妃と合わせて2人は正一品という皇后に次ぐ身分です。
もう一人劉賢妃がいらしたのですが、第2話で早くも殺されてしまいました。

ドラマの最初は、武則天(ファンビンビン)は、武一族出の才人(正五品)です。
武則天の孫にあたるのが玄宗帝です。
玄宗帝の貴妃、楊貴妃は、楊一族の人。
皇后に次ぐ貴妃の地位だったということになります。

全82話で週4回20カ月。
このドラマの放送が終わる頃には、どんな日本になっているでしょうか??



<おまけ>
『疫病と世界史』(下巻)の巻末にある「中国における疫病」を見ると、朝鮮半島への遠征の頃に何度も山東省や満州南部で疫病が発生しています。
・・という訳で、同時期、日本は疫病続き。「パンデミック エピデミック(6)」参照


2020年4月7日火曜日

パンデミック エピデミック(8)魑魅魍魎

巷では、アマビエなる妖怪が、ちょっとしたブームになっているらしい。
半人半魚のキラキラの妖怪で、豊作や疫病の予言をするんだそうだ。

江戸時代、肥後(熊本)の海に現れ「疫病が流行ったら私の写し絵を早々に人々に見せよ」と言って海中に姿を消したという記録がちゃんと残っているんだって。

妖怪といえばあのお方、水木しげるセンセイ(!)。どんなアマビエ描写をなさっているのかな?・・と、ググってみたら、水木しげるプロダクションさんが3月17日にツイートなさっているのが出てきました。

https://twitter.com/mizukipro/status/1239818518536704001/photo/1

おぉ・・背景の岩との一体感が神々しさを醸し出している!!
流石その道の第一人者です。
(水木しげるの故郷 鳥取県境港市の水木しげるロードにはアマビエの銅像があるらしい。まさかそのお陰で未だで感染者を出してない県に!?--そんな訳ないですよね。)

江戸時代といえば、幕末のコレラ大流行が記憶に新しい(スミマセン、私の記憶は大沢たかお&綾瀬はるから主演のドラマ『JINー仁』です)のときも、コレラ封じにみな玄関にお経やおまじないの絵を貼っていましたっけ。
あのドラマ(原作マンガ)は、梅毒で始まりコレラで龍馬も大活躍し、天然痘治療に貢献した医師で蘭学者の緒方洪庵もでてきました。

ドラマでは、梅毒はミカンの青カビから培養して作ったペニシリンで、コレラは職人手作りの点滴で現代からタイムトリップした南方医師により対策がなされた。天然痘は出てこなかったけれど江戸時代ならまだ撲滅されていない。労咳(結核)も、あったはず。
南方先生はたぶん現代で予防接種を受けていたはずだから少し安心だったかな?


あれから1世紀半。
コロナウイルスの大流行に対し、現代人もまたアマビエなど描いたりして慰めているのだから、人はやはり不安を緩和する精神療法が必要ということなのでしょう。要するに、人のメンタリティーは奈良〜平安の頃とさして変わりないってことか。))
やっぱり歴史から学ぶことは沢山ありそうです。


世間では「アベノマスク」が揶揄されているが、そのうち令和の安倍晴明なんてのも現れるかな〜。たぶんSNS辺りでね……。まさか立烏帽子に直衣、扇片手に——ではないでしょうが。
変な詐欺には気を付けたいところ。

ああ、神様仏様、パンデミックで医療崩壊・・・なんて悲惨な事態にはなりませんように! おっと、気が付けば私も神頼み(苦笑)。


<つづく>

PS:  オマケちばてつやさんも「アマビエ」描いてました♪
 ↓
htmlhttps://ameblo.jp/chibatetsu/entry-12584258595.html

2020年4月5日日曜日

天目茶碗

和泉 良法(いずみよしのり)作

先日の「歴史秘話ヒストリア」。
天下に3つ(4つ?)といわれる曜変天目茶碗の、4つ目の茶碗の検証。
その在りかは全て日本なんだそう。
1つは…水戸徳川に伝わる「水戸天目」。藤田美術館(大阪)所蔵。
2つ目は…三代将軍徳川家光から春日局に下賜され、春日局の嫁ぎ先稲葉家に伝えられた「稲葉天目」。静嘉堂文庫ミュージアム所蔵。
3つ目は…お目見えしなかったけど、筑前黒田家に伝わっており、黒田家の菩提寺、大徳寺塔頭 龍光院が所蔵。

(1は、一昨年、藤田美術館に拝みに行きました! 藤田美術館は、開館している期間に制限がある蔵のような美術館。控え目な照明の中で不思議な光を放っていました〜〜))))

そして。。。
4つ目。それは、足利義政から織田信長に受け継がれた信長所有のもので、本能寺で失われたかもしれない一点!?

それはどこに? どうなったか!??
これは、信長ファンでなくても歴史好きにはたまらないミステリーのひとつですが、私は、本能寺からの行方よりも、なぜ中国製でしかも秀逸のこれらの茶碗が全て日本にあるのか!? ということの方が、ひじょ〜に気になります。

先日、ギャラリー而二不二(ムニフニ)のオーナー吉田さんから興味深いお話を聞かせて頂いたのですよ。それは、あの、曜変の独特のブルーに斑文が浮き上がった様、中国ではちょっと不吉とされていた(?)という話。

窯の中での化学反応で、何個か偶然にもそうなってしまった・・・!ある意味見方によってはちょっと毒々しくもあるブルー。)))私の中で、妙に腑に落ちたお話でした。

日本では「宇宙を宿す宝」といわれた曜変天目茶碗。
「曜変」とは、丸い斑文に青い光彩のこと、「天目」とは擂り鉢のような形のこと。

検証するのは、陶磁器の第一人者、東洋陶磁美術館館長の出川哲朗氏と学芸課長の小林仁氏ら。
クリアしなければならない条件は、
1)中国宋代(960~1279年/平安〜日本の鎌倉時代)のものであること
2)建窯のものであること 
3)7色に輝く構造色があること

茶碗だけでなく、桐箱に箱書き、包む布に風呂敷等々も検証され、しぼり込まれます。

日本では「唐モノ」とよんでいる茶碗や茶道具も、ほとんど(唐ではなく)宋代のもので、それらが日本の茶の湯の世界へ誘うのですね〜)))。

20世紀後半になって朝鮮半島南西沖で引き揚げられた元〜日本行きの船の積み荷には、沢山の中古品も含まれていたそう。実はその頃、既に大陸ではお茶の飲み方が大きく変わり、茶碗を使わなくなったからだろうという解説がありました。天目茶碗もその流れの中で日本にやってきたのでしょう。

それにしても、逸品の茶碗。只の輸出品ではないような・・・??
外交の匂いが致しまする。クンクン。

写真は、我が家にある唯一の天目(曜変ではありませんがw)。
茶碗ではなく酒盃です。

京都に窯を構える和泉 良法さんの作品です。和泉さんは、中国の古い窯や窯の跡を巡る旅をなさったことがあるそうです。福建省の建窯にも当然、いや一番に!?お出かけになったことでしょう。
宋代のスッ・・とした形の天目は、由緒あるお寺ではお茶を備える時にも使われているんだとか。 なるほど天目台とセットになると、急に仏具っぽくなりますw。


高貴な茶碗になった背景には様々な物語が潜んでいるのですねえ。

2020年3月31日火曜日

フレグランス・バイオレンス

歴史談、ちょっと中休み。

「フレグランス・バイオレンス」という言葉を最初に耳にしたのはもう何年も前のこと。
確か、過剰な香水の使用についての表現だったと記憶しています。

化粧品の香料はもう昔からのことですし、ハンドクリームや洗剤のフレグランスはまあ仕方ないのかな〜と、なるべく優しい香りのものを選んで同じメーカーのものを使い続け、まあ受け入れて来ました。
トイレットペーパーの淡い香りなどは、まあトイレだし、悪くないか・・・なーんて思ったりもしていたのですが・・・・。

あれ!? 香り(いや、匂い)の質が変わったな、と思うことが。

近年、こんなことが増えまして、残念な気持ちです。香料分でコスト削減を図ったのか、これまでの香りでは物足りないとする輩が増えたのか・・・?

とにかく香りがキツくなった(!)。

人工の香りに浸っていると、だんだん麻痺してきて、みんな、自然の香りでは物足りないようになってきたのではないか。

世の中は、ナチュラル嗜好へと推移している動きがある一方で、こういうモノはどんどん人工になっていってる。オーガニックコットンの洋服から柔軟剤の香料の香りなどしてきたら、なんだあかとっても残念な気持ちではないでしょうか。


香料と同じことが、食べ物にも起こっています。

アミノ酸を強調した市販のタレやソース、加工食品にまみれているうちに、自然の味に物足りなさを覚える味覚の方が増えているのでしょう。

熱湯でいれたお茶が「甘い」のはおかしいし、出汁の香りは立たないのに出汁味がガッツリする和風仕立てのお総菜。
思えば、いつの間にか、出汁(だし)は、だし汁と、NHKのアナウンサーまでもが言うようになっています。
「出汁」はそもそも「汁」。粉出汁が生まれて区別する為に「だし汁」と言われるようになったのでしょう。もう、それが当たり前の時代なのです。

昨年秋に、或る友人が、和食の講座を受けたら、松茸御飯に「料理屋ではこうやってます」と、松茸のエッセンスを数滴落とされたことに、とても残念な気持ちになったとこぼしていました。確かにとても残念な話ですが、この料理人さんはお客様に「香りが足りない」とか言われたことがあるのか、はたまたご自身が「物足りない」とお感じになるのか・・・。

出汁が香る時のなんともいえない幸福感。そして自然の食材が放つ香り。)))
これらを感じ取れる嗅覚を維持するには、日頃から余分なものが入っていないものを食べていることです。 アミノ酸や出汁エキスの名前で添加されるものは、腸内でミネラルを奪い、亜鉛不足など味覚オンチの方向へ体質を変えていく成分でもあるのです。


出汁に加えてもうひとつ。
それはお茶の香りです。
バブル世代の私が若かりし頃「フォションのアップルティーとチーズケーキ」という組み合わせが流行りました。
生まれたときから、豊富な種類のケーキに恵まれていた世代には「???」かもしれませんが、70〜80年代は、ケーキ屋さんのショーケースに増えていくレパートリーの一つ一つに小さなブームが起こったものでした。
あのアップルティー。美味しいと思っていたけれど、いつの間にかすっかり飽きてしまいましたし、90年代後半の密かなマイブームでいろいろ飲み比べしたアールグレイも、一部のメーカーのモノを除いていつの間にか興味を失なっていました。

香料の香りは飽きる!

自国のお茶をもつ日本人が、紅茶をスルーして一気にコーヒー党に流れていったのは、香料浸けになった時代を経てのことではないかしら??
そんな風にも思ったりするのですが、嗜好品としての香料茶はある程度の支持をえているようでもあります。


私は、香料フリーのお茶を切望します!
紅茶や烏龍茶などの発酵茶には、香りを表現するにあたって「フラワリー」なんてのがあります。自然に生まれる花を連想させるようなほのかな香り。
これを楽しめるのは、なんとも贅沢なひとときなのです。
このテの芳香は、粘膜を伝い脳へ運ばれ、記憶に深く刻まれるようでもあります。

味覚センサーは健康のバロメーターでもあり、味蕾細胞の代謝はスピーディーで、味の記憶はとても不安定なもの。
でも、刻まれた香りの記憶は別の役割がありバックアップ機能を果たしているようです。

ノー・モア 食べ物の「フレグランス」です。

おうちの時間をちょっと少しだけ特別に変えてくれるお茶。やっぱりそのままの美味しさであって欲しい。

2020年3月27日金曜日

パンデミック エピデミック(6)8−9世紀 延歴・貞観の疫病

3回に渡って6〜8世紀までの話を書いてきました。
大和〜奈良時代は、とんでもインターナショナルでビックリです。
遣隋使、遣唐使、そして朝鮮半島との往来・・・。
この時期、文化的躍進がみられたというのも、よくわかります。
日本からの遣唐使を中断している間も「朝貢に来い」と要請の使者が来たりしています。
一方で、平安時代に入ると少し内向的になっている印象ですが、大陸側は乱世ですので、沢山の難民が日本へ逃れ来たことでしょう。
継続的に疫病に悩まされているところへもって、立て続けに自然災害が降りかかり、被害が大規模になっていった様子がうかがえます。

細々とした解説は省略して、以下、ちょっと年号順にならべてみます。
紫:疫病の状況
緑:大陸の状況

● 794年「な(7)く(9)よ(4)うぐいす平安京」
桓武天皇(50代)の時代になりました。

● 796年 平安京建設中にもまた天然痘大流行。
 皇太后、皇后が病死、皇子も重篤。 
 これは冤罪で追放した早良親王の祟りか!?と、例によって「死者に位を与えて弔う」という対応をしますが、魂ではなく病原菌の問題なので、治まるはずはありません。
 
● 屠蘇散が唐から伝えられる。嵯峨天皇は、桓武天皇から2代後の天皇でした。
 嵯峨天皇(52代)が宮中で屠蘇散を一晩お酒に浸して宮中行事で振る舞ったのが、お屠蘇の起源とされています。
大陸からは疫病も来ましたが、漢方薬も持ち込まれました。正倉院には、聖武天皇、光明皇后ゆかりの品々を始めとする天平以来の美術工芸品に加えて沢山の生薬・薬品が納められていました。

● 861年 赤痢の流行

● 863-864年 咳逆(日本初のインフルエンザ?)の流行

● 864年 富士山・貞観の噴火
  文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われているらしいです。
 (ちなみに最寄りの噴火は、江戸中期の1707年、宝永大噴火。)

 867年 新羅で疫病と飢餓
 →新羅難民が海賊となってやってきて、博多、対馬、壱岐へ入港。

● 869年 貞観の大地震〜三陸津波  
 ※2011年3月11日の東日本大震災と同じ規模の地震と津波が起こったと、よく参照されるのがコレ。

これはもうきっと、全国的に死体ゴロゴロの状態です・・・・。
もはや早良親王の祟りでは済まされない事態。
疫病=祟りですから、この頃、怨霊や物の怪が見える陰陽師が大活躍。
「きっと、これまで全ての怨霊が降りかかってきたのだ・・!」
そう考えた(陰陽師にそう伝えられた)清和天皇(56代) は「皆を全て一緒に祀りましょう!」と、同年、鎮魂の為の「御霊会」を行います。
これが「祇園祭」の起源です。
オー・マイ・ガー!・・・疫病蔓延時に「祇園祭」! それこそ感染爆発、集団感染になっちゃいます!! 疫病が静まる訳ないですねえ)))。

● 875年 唐で黄巣の乱(農民反乱)

  894年 遣唐使廃止  
 唐では15代皇帝の武宗による仏教弾圧(「昌の廃仏」)が。
 菅原道真は第20回目の遣唐使のはずでしたが、唐の状況からキャンセルを進言。

● 907年 唐滅亡   
 大陸は「五代十国」(多くの民族が各地に乱立する時代)に。 

● 915年 十和田火山(青森) 噴火 
 秋田一帯に灰が降る。(「日輝かず 月の如しの出羽国・・・」/『扶桑略記』より(十和田湖は、この時の噴火で出来たカルデラ湖)

   同年、京で痘瘡流行

● 926年 渤海国滅亡 遼(契丹)*により滅ぼされる
※モンゴル系の半農半牧の民族で朝鮮の北部〜華北の一部で活動していた。唐の滅亡、五代十国の混乱から逃れてきた漢人を取り入れ強大となり、渤海国を滅ぼす。後、遼(916~1125)となる。

● 935年 新羅滅亡  高麗(918 -1392年) により滅ぼされる
※高麗は新羅を滅ぼしたことで朝鮮半島を統一。李氏朝鮮が建てられる1392年まで続いた。

● 931-938年 平将門の乱

● 946年 白頭山(現在の中国吉林省と北朝鮮国境にある長白山2744mh)の噴火 
 世界最大級の噴火で、噴火の規模は、ナポリのベスビオ火山を大きく上回る程で、
 広範囲に灰が降ったらしい ----奈良でも降灰の記録あり。

● 974年 天然痘の流行
 この時も、藤原家は挙賢、義孝兄弟が同時に病死しています。

 君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思ひけるかな 
 
百人一首にある有名なこの歌は、藤原義孝が闘病中に詠んだもの。21歳だったそうです。

● 995年 関白 藤原道隆、道兼の病死

藤原氏の摂関政治がピークの頃も、関白を務めた藤原兼通の息子たち、道隆、道兼が疫病で亡くなっています。兼通の五男が、『源氏物語』の光源氏のモデルとも言われる藤原道長。兄たちが亡くなり、彼に関白のお鉢が回ってきたのでした。

“『源氏物語』(1008年頃)が、男女の愛を軸にしながら「もののあわれ」を強調する背景には、権勢のはかなさ、人生の短さ、愛の不確実さ以上に、この不測の感染症の大惨禍の記憶が背景にある”  
 - - - と、『人類と感染症の歴史』の著者加藤茂孝氏は記しています。

日本の美的理念でもある「もののあはれ」は、疫病の影響下で生まれた!?

ちなみに、藤原道長(享年62歳)の死因は、疫病ではなく糖尿病と考えられています。

<つづく>

参考文献
「人類と感染症の歴史」加藤茂孝
「病が語る日本史」酒井シヅ
 「超日本史」茂木誠 など



2020年3月26日木曜日

パンデミック エピデミック(5)8世紀 日本 天平の疫病

645年 「乙巳(いっし)の変」(「大化の改新*」)

「む(6)・し(4)・ご(5)ろし」と覚えましたっけ。
今はこんな物騒な言い方より「む・じ・こ(無事故)の世作り」とか「む・し・ご・め(蒸し米)美味しい」と覚えるらしい。
でも、ムシゴロシの方が、出来事と一致している気がします。

622年に聖徳太子が、627年には蘇我馬子、そして628年には推古天皇が次々と亡くなり、時代はまた新しい局面へーーー。

馬子の子、蘇我蝦夷は益々勢力を増し、舒明天皇(34代)は、蘇我蝦夷の傀儡状態でした。
さらに蘇我蝦夷の息子 入鹿に至っては、権勢を振るうどころか横暴さが目に余る状態に。
そして、中臣鎌足(この人は物部氏派閥だった)と中大兄皇子(後の天智天皇)が、クーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害しました。(お父さんの蘇我蝦夷もこの時自害。)
*この後、律令国家として整うまでの数年間に行われた改革を「大化の改新」という。

中臣は、息子 不比等の代で、天智天皇から藤原の姓を賜り、藤原不比等となります。
藤原一族は、天皇家(後の聖武天皇)に娘・光明子を嫁がせたり4人の息子達(藤原四兄弟)を政府高官にしたりして、藤原政権を築いていきました。 
「この世をば 我が世と思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ藤原道長の繁栄も、ここが起点だったのです。

元々は保守ナショナリストの流れを汲む藤原氏ですから、グローバリゼーションは、少しスローダウンしたのかな・・と思ったら・・・
なんと大陸との戦争をやらかしています(!)。


663年 白村江の戦い (百済 &日本 v.s. 新羅・唐の連合軍)

この頃の大陸との関係を見ると、日本は百済と良好な関係をもっていたようです(というより天智天皇は、過度の肩入れをしていた?)が、新羅による朝鮮半島統一の動きがあり、新羅は唐の力を借りて百済を挟み撃ちにして滅ぼそうとします。百済は、日本に援軍要請。
それに応じた日本でしたが、白村江で大敗してしまいます。
結局百済は滅ぼされ、王侯貴族をはじめ沢山の百済人が日本に逃れてきました。

この頃の唐でといえば、丁度、高宗&武則天の垂簾政治の頃です。
この戦いの後、日本はこの後30年、遣唐使は8世紀の玄宗帝(楊貴妃を見初めたあの皇帝)の時代になるまでお休みになります。 
(※唐からは、朝貢を要請する使者が何度か来ていたみたいですが。)

ちなみに、第1回遣唐使は、630年「む・さ・れ(蒸され)て海渡る、遣唐使」という覚え方があるようです。
年号早覚えは内容と意味が一致せず、無理矢理こじつけたものも多々あるけれど、「蒸されて」船内は過密で湿度が高く不衛生だったかも?なんて思えて、これには何となく受け入れやすい気がします。
8回目で中止になり、9〜19回まで続き、20回目の予定だった894年は中止=「は・く・し(白紙)に戻す、遣唐使」です。
学問の神様として祀られている菅原道真は、最後の遣唐使に行くはずだったメンバーのひとりですが、玄宗帝(在位712~762年)が楊貴妃に溺れている間に起こった謀反の反乱「安禄山の乱」以降、芳しくない状況がつづき、唐末期にはすっかり治安も乱れて物騒になっており、そんな唐に優秀な人材を送ることはなかろうということで取り止めになったのでした。

907年、唐は滅びますが、唐が衰退する中、日本では、疫病の大波が2波も来ていました。
それらは、藤原のご子息が全滅になる 「天平の疫病」、自然災害が大きく関わる「延歴・貞観の疫病」です。


8世紀 天平の疫病
    〜藤原四兄弟の死、大仏建設へ〜

天智天皇の後、大友皇子と大海人皇子の跡目争いを「壬申の乱」(672年)といいます。
これは実は、親唐派 v.s.親新羅派の争い。

大国唐とその端っこの半島でかろうじて独立を保っている朝鮮半島の三国、そして島国日本。
唐は、大国とはいえ異民族に囲まれ常に「大国」として君臨している(時にはそのように見せる)ことで辛うじてバランスを取っている。

新羅は、百済に続き高句麗を滅ぼします。これまで唐との間に位置してある意味クッションとなっていた高句麗。その高句麗を追いやると、新羅が唐と「隣り」という形になり関係性が変わります。(お隣とは上手くいかないのが常なのだ。)新羅は日本を身方につけておくことが必要となって、日本に朝貢するようになるのでした。
しかしながら、高句麗に付属していた一族が高句麗の残党と共に渤海国を建て高句麗の地に復活します。新羅は、また唐との関係が大切になり、日本への朝貢をやめて唐へ朝貢することに。あっちに付き、こっちに付きするこの辺りの立ち振る舞いは、気まぐれな印象ですが、大国の端の半島で独立国家を維持する難しさが現れているともいえます。

さて日本。
中国や朝鮮半島と、うまくバランスを取らなければならない難しい状況がつづく中、世は藤原の繁栄を迎えていました。

中臣鎌足の孫達(藤原不比等の子供達)藤原四兄弟は、皆高官となり、娘の光明子は聖武天皇の皇后となり、その間に男子も生まれて藤原家安泰〜♪ と思ったことでしょう。
が!
次の天皇にしようと思っていたこの男子が、直ぐに死んでしまいます。
藤この死を、常々藤原独裁状態に異議を唱える疎ましい存在であった長屋王(天智天皇の孫で天智天皇の娘の子で聖武天皇の従兄弟/皇位継承権がある)による呪詛(呪い殺した)だということにして、長屋王を排除(死に追いやる)したのです(729年)。

「因果応報」とは、仏教の教え。
人を貶めて掴んだ地位もお家の繁栄も「諸行無常」。

繁栄の影に疫病が迫り来ていました。

735年 またしても疫病大流行(太宰府)
737年、平城京の都でも疫病大流行

この時は、なんと人口の1/4が亡くなったといいます。
藤原四兄弟、そして光明子(聖武天皇皇后)まで皆、疫病で死んでしまうのです。

これは冤罪で死に追いやられてしまった長屋王の祟りではないか!?
ビビった聖武天皇は、既に亡くなっている長屋王に太政大臣の地位を与えてみたり、全国に国分寺、国分尼寺を建て、さらに東大寺、そして大仏を建てるのです。

752年、「優しいお・な(7)・ご(5)・に(2) 似た大仏様」と覚えたなあ〜。)))
世界遺産も、疫病のせいで造られちゃった!??

東大寺 大仏の開眼式典には、新羅から700人もの人が来て参列したそうです。
ちなみに756年にも疫病(麻疹?)の流行がありました。

<つづく>

参考文献
「人類と感染症の歴史」加藤茂孝
「疫病と世界史」ウィリアム・H・マクニール
「病が語る日本史」酒井シヅ
 その他、世界史、日本史の本(随時[ ]にて記す)