2006年8月28日月曜日

『飲食男女』


英題:『Eat Drink Man Woman』
邦題:『恋人たちの食卓』
1995年 台湾映画
監督:李安(アン・ リー)(台湾出身)

映画はいきなり、鯉をシメるシーンから始まる。
鯉の中枢神経へ向かって口から長い菜箸を突き刺す。あっという間に3枚におろされ、骨切りして粉をまぶして揚げる。
庭に放し飼いにしている鶏をつぶして、処理をし丸ごとスープ鍋へ。岩塩をパラパラッ・・・。
ブロック肉も、中華包丁2本でリズミカルに叩いて挽肉に・・・・・。
調理台には生きたカエル、エビ他、レストランの厨房さながらな食材がひしめいている。
土鍋にかぶせた落とし蓋は、ぬらした和紙(?)。
庭ではドラム缶で薫製が・・・。
アヒルは、北京ダックになるのか、丸ごと油へ・・・・。

「飲む、食べる、男と女、食と性は、人間の欲望だ。一生それに振り回される。」
主人公の元料理長とその旧友で同僚の2人の会話の台詞。
冒頭の料理シーンが、このテーマを描く伏線だとしたら・・・いやぁ〜なんて大陸的。「振り回される」なんて受け身表現より「食らってやる」とか「生きる肥やし」ぐらいが丁度良い。
真ん中の娘がどことなく池上季実子と似ている(役柄もキャリアウーマン)せいか、ちょっとバブリーな『男女7人恋物語』の雰囲気があって、ファッションもちょっとバブル時代の名残があって何故か懐かしい。
でも台湾の今時の若者風情は、ボージョレ・ヌーボーやイタリアンではなく、あくまで中華料理なのだ。(ちなみに、全部薬膳料理。)
「”食べる”とは、原始的行為だが、”味わう”ということは、文化的な行為だ」と、どこかで読んだくだりだが、中華料理は、正にその両方を凝縮したような食だ。
そんな料理や食事のシーンで料理人の父&その3人娘たちの心理を、淡々と描く。
台詞まわしも、娘の頑固さを「(あの子は)石から生まれたみたいだ」と表現したり、アメリカ帰りの叔母が「(アメリカなんて、住めたもんじゃない)チャーハンを作ったら、警報機が鳴るのよ!」と怒ってみたり「子供は前世で果たせなかったことを今世で催促してくる。だから手がかかるのよ」など、そこかしこに中国文化を感じさせる感覚が散りばめられていてユニークだ。
娘が父の仕事場で覚えた料理。祖庵(ツーアン)豆腐(豆腐の餃子)。美味しそう・・・・。

『赤いバラソースの伝説』


COMO AGUA PARA CHOCOLATE
1992年 メキシコ映画
原作:ラウラ・エスキヴェル 
監督:アルフォンソ・アラウ
主演:ルミ・カヴァソス
この映画のキャッチコピーは「あなたはまいにち私をたべる」!(すごい・・) 。
主人公の女性ティタは、ある農家の末娘。末娘は結婚せず母親の世話をしなければならないという家訓により、相思相愛の相手ペドロとは結婚できない。ペドロは、少しでもティタの側にいるために、ティタの姉と結婚するという究極の選択をします。母親や姉妹家族らと暮らす大家族の農家の食事を作るティタ。料理上手なティタの料理はペドロへの思いを託す唯一の手段なのです。日々料理を作り、そんな暮らしをしているうちに、ティタは、料理を通して自分の気持ちを人に伝えることができるようになってくるのです。
彼女が作る料理を食べて、泣いたり官能的になったりする人々。
ある日、ティタは、ペドロからのバラの花束をソースに仕込み、『ショコラ』の晩餐の様子とオーバーラップします。
料理を作る人の気持ちが、そのまま料理に込められ、食べる人の中に入るということは、家庭の料理のパワーの不思議に通じるところがあるような気がするのですが、それをラテン的に具現化したようなようなところが何とも気に入ってしまいました。けっこうドロドロした話なのに、主演のルミ・カヴァソスの品とラテンのネアカさで、ほほえましくすら思えてくるのが乙です。
ちなみに、ペドロ役は、『ニュー・シネマ・パラダイス』のトト(青春時代)を演じたマルコ・レオナルディ。

それにしても、 晩餐に出てくるバラソース。チョコレートソースに仕込んでみましたが、どんな味なのでしょう??
バラの香りは、ジェラシーを押さえる働きがあるとか。ハーレムで、王様が女性達を侍らせて入浴するお風呂にバラの花弁が沢山入れられていたりするのは、我こそ寵愛を受けんと競う女性達の嫉妬心を鎮めるためだったとも・・・(!?)。