愛新覚羅 浩さんの本『食在宮廷(食は宮廷にあり)』を読みました。
昭和36年に初版されたものに次女の〓生(こせい)さんが校正を加えられ1996年に復刊されたもので、清朝宮廷の食事や歴史、そして宮中料理160品あまりのレシピがまとめられています。
愛新覚羅浩さんは、料理に対して大変関心が深く、満州国の溥傑に嫁いだ頃から紫禁城に代々勤めてきた名人級の料理人に直々に宮廷料理を学びばれたそう。
いわゆるお妃教育として身につけられた教養---清朝の政事や料理の変遷、中国、清朝の秘史など---や、宮中での生活体験を併せ持つ浩さんの記述は、視点が料理におかれているので、清朝や皇帝の生活についての叙述も大変わかりやすく興味深い。妃としての「料理交流」を実践され、晩年まで手料理で客人をもてなすことを楽しまれたようです。
浩さんといえば、「流転の王妃」。著書『流転の王妃の昭和史』はドラマにもなりました。
終戦後の混乱に巻き込まれ、幼い〓生(こせい)さんを抱えて家畜同然の扱いを受けながら1年4カ月もの間、中国大陸を流浪させられ・・・。
浩さんが書き綴っていた料理や清朝についての記録は、その殆どを戦渦と流転の日々の中で失ってしまったとのことですが、日本に書き送った手紙や記憶を元に、この本をしたためられたとか。
下関の中山神社の境内には愛新覚羅社があり、浩さん、溥傑さん、そして長女の慧生さんが祭られていると聞き、行ってきました。
’87年、溥傑さんは、北京で亡くなった浩さんの分骨に来日され、中山神社を2度訪れています。
激動の時代、混乱の中で生き延びた物語はどれも壮絶ですが、国を背負ったお二人のそれは、歴史の証人としても一層深いものがあります。
鎮座祭の折、溥傑さんと言葉を交わしたある方によると、溥傑さんは、とても穏やかで、知性溢れる方だったとか。映画『ラストエンペラー』の感想を尋ねられると、こう答えられたらしい。
「映画は、素晴らしかったです。大変よくできていました。でも・・・、東洋人の心は(欧米人には)わかりません。」
否定のない寛容に包まれた口調だったといいます。
神社には溥傑さんの穏やかで理知的なお人柄がにじみでている字が刻まれている石柱があります。
決して遠くない歴史に思いを馳せるひとときでした。
中山神社は、日本海を背に南を向いているけれど、その敷地内にあるちいさな愛新覚羅社は、西北方、玄界灘のはるか彼方の中国大陸に向かって建てられています。
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