2017年2月14日火曜日

チョコレート(1)明治(時代)

今日はバレンタインデー。昨今のチョコレートは、もはや食べものらしからぬ価格で流通しており「バレンタインて、不景気を忘れるお祭りだっけ?」と錯覚すら覚える今日この頃ですが、これも間違いではないかしら。
普段は店頭に並ばない高級チョコレートに触れる日。そして小市民の私達がそれを手にすることが出来る日なのでした。
フランス人ショコラティエが訪問!
ニッコリ紳士な笑みを浮かべる彼らの飛行機代もギャラも、チョコの値段の一部になっているにちがいありません。
皮肉まがいなことをいいながらも、デパートに足を踏み入れれば、チョコ祭を楽しむ一員に。ハイ。手には「コートジボアール」(ベルギ−)のチョコレート・・・。

チョコレートといえば、いつも思い出すのが、大正生まれのヒサエおばあちゃん(知り合い)。戦争が終わって、最初に思ったのが、当時ちょっと不謹慎ではあったけれど「あ〜これでまたチョコレートがいただける♡」だったとか。
このおばあちゃんの言うチョコレートは、米軍占領下の「ギブ・ミー・チョコレート」のことではありません。さてはそうとうハイカラな大正モダンガールだったとお見受け致す。

ヒサエおばあちゃんの愛したチョコレートとは、どんなものでしょうか??
大正からはちょっと更に遡りますが、明治30年代の社会状況、食状況を反映した実用グルメ小説『食道楽』(村井弦斎/1864-1927)*にチョコレートの項がありました。



「お登和や、何か飲むものをこしらえてあげたらよかろう?」と、家の老母が、若いご令嬢に指示。
お登和嬢、「何が宜しいでしょう?」
老母「なんでも皆さんの好きなモノをこしらえて差し上げなさい。チョコレートでも、ボストム珈琲でも、セイロンの紅茶でも、烏龍茶でも、昆布茶でも・・・・」
・・・と、続き、老父は昆布茶、老母はボストム珈琲が好物、居合わせた玉江嬢は紅茶、新太郎という若い男性がチョコレートをご所望する訳です。

料理上手なお登和さんは、(ホット)チョコレートの美味しい作り方も心得ていて、チョコレート(塊)を少量の湯を加えて火にかけて溶かし、「茶筅型の卵廻し」なる泡立て器のようなもので掻き回し、三度に分けて牛乳を加えて攪拌すると美味しくできますよと語ります。
なかなかのものではありませんか!?

ココアではなくチョコレートがホットチョコレートを指していたようです。
(ちなみに、ココアはカカオと同じ意味で記されています。)

著者は渋沢栄一ご子息の家庭教師を務めるほどの教養人で大隈重信のご親戚筋と、ちょっと上流階級の食状況ではありますが、当時の飲み物の選択肢の多さに驚かされます。きっと高価ではあるけれど、これらが既に流通していたのです。

当時の女性が、開国後、海外からの相当な食情報を短期間でけっこう何とかこなしていくようになるのは、日々出汁を取りお三度を手がけ諸々の料理の下地ができていたからでしょう。(その点が、昨今とは大きく違う気がします。)

しばしば栄養学にも言及した『食道楽』ですが、流石にカカオ、チョコレートの栄養には到らず・・・って、今だって、チョコレートが体にいいと思っている人は少ないでしょうね。なにせ、油脂と糖(香料も)がたっぷりつかわれているのですから。

次回はちょっと、チョコレートの栄養について「つづく」。


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