2017年6月11日日曜日

熊掌


「なりたいものを食べる」
中国人の、食への姿勢を現すことば。
神田雲林の「蜂蜜熊掌」

・・という訳では決して無いのですが、く・・熊を食べてしまいました〜・・・・!

後ろ足だそうです。
「よく蜂の巣(蜂蜜)を食べる左手だけを使う」「左手は蜂蜜の味がしみているので美味しい」なんて言いますが、ちょっと調理の手順等お聞きしたら、それはあり得ないということがよく分かりました。
皮を剥がして、何度もゆでこぼして臭みを抜き、煮込んで骨をハズして・・・といろいろ手を掛けた後、最終的にまるでそのままであるかのような姿に整えるのです。そんな行程ですから、蜂蜜の味なんてあり得ない、あり得ない(笑)。
ちなみにこのお料理は、蜂蜜と香醋で仕立ててありましたので、蜂蜜入りです。
蜂蜜入りではありますが、決して蜂蜜が立たないようなバランスですのでやっぱり蜂蜜味ではありません。
(写真にある、毛に見立ててある部分は髪菜(ファーツァイ)という藻の一種です。)

この手の掛かるお料理と同じテンションで作っていただいたもう一品の逸品もご紹介したい!

黄燜鹿筋翅
宮廷式フカヒレと蝦夷鹿アキレスの譚家菜『黄燜』スープ煮込み。
上海から提げてかえったフカヒレにスープを濃く濃く取った上級スープを浸ませた宮廷式。「燜」とは煮込みのこと。「譚家菜」とは、新王朝末期の高官だった譚宗浚の譚家の、宮廷に伝わる料理。調味料を一切使わず食材本来の味「素」を最大限に活かした調理法がその特徴。ソースやアンなど、全て同様に長時間かけて食材の旨みだけで仕上がっているんだそうです。
その代表が、このフカヒレということになろうかと思います。味の希薄なコラーゲン質のフカヒレの旨さは、煮含められるスープにあるのですから。そのスープ(アン)を、譚式で仕上げてあるという訳です。金華ハムの塩分があるとはいえ、しっかりとした味を出すのに大変な手間と時間が掛かっています。
甘すぎず、鹹すぎず、濃すぎず(濃いはずなんだけど)、油っぽくなく・・・という、中庸の味こそが究極の滋味なのではないでしょうか。

張競さんの著書『中華料理の文化史』によると、フカヒレの料理は、明末清初頭頃に僅かな記述があるものの、料理として認知されるのは乾隆帝の時代の1760年代ではないかとのこと。
中国4千年といえども、古典として今日に伝わり残るものは、せいぜい二百年ぐらいのものなのか・・・。時の流れ、世の動きと共に進化に順応できたものだけが伝わるのでありますね。

「宮廷料理は薬膳」という言葉の所以も、こんなところにあるのでしょう。
私はこのフカヒレこそ「薬膳」といいたい!!

時短と舌先の美味しさに翻弄される昨今の食に一石を投じるような一品でした。

さて、なりたいものを食べたはずの私。
ごまかしの利かない、重ねられた旨みが出せる人になれるでしょうか???
(熊になってたりして・笑)

6人での食事でしたが、この二品を食してから15~30分後、気がつけば、みな一皮(シャツ1枚)脱いでおりました。熊、温まる!!
フカヒレの濃密なスープ(鹿もはいってるし)、温まる〜!!!

食する季節はちょっとずれ込んだものの、料理のチカラを体感する素晴らしい機会となりました。

僭越ながら、これからこういう食体験を皆さんにも食事会という形で折々に提供していきたいと切に思う今日この頃です。



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