2018年8月1日水曜日

偉人達の健康診断 〜 勝海舟と徳川慶喜 〜

大河ドラマ『西郷どん』も、丁度勝海舟が出てきたところ。
NHK、やっぱりタイムリーに取り上げてきました。

その切り口は、勝海舟と徳川慶喜、幕府崩壊後、第2の人生の過ごし方。
お二人とも、77歳までアクティブに生きたスーパー老人だったとか。
勝海舟は、持ち前の記憶力で歴史をまとめたり、元幕臣たちの暮らしを時に身銭を切ってサポート。慶喜は、教養人らしく趣味に嵩じる。
勝の脳トレになっていた習慣的行動や、慶喜の健康グルメぶりを紹介するという内容。

健康を切り口にすると、その人の暮らしぶりが滲み出てきて、これまで散々取り上げられた人物でも、鮮度を与えている気がします。

・・・が!
相変わらずなのは、「人生50年」の設定!!

天寿を全うすることなく戦で命を落とす方が多かった戦国の世からずーっと「人生50年」!と言い続け、健康オタクだった家康の75歳を長寿と位置づけている(!)。

ちょっと調べてみると、その前も後も、70歳以上生きた方なんて、ざらにいるのですよ。それを知らない番組制作スタッフではなかろうに・・・と思うのですが、番組構成上、何かと便宜なのでしょうかねえ。

歴史に名前が残る武将たちは、怪我をしたり病気をしたり、ときには自刃に追い込まれたり・・・50未満でこの世を去るものが多かったのは事実ですが、それらを尻目に、生き運・武運逞しく、家康さながらに70、80以上に達した武将も多いのです。
有名処をザッとあげただけでも、下記の通り。

   尼子経久 82歳(1541)
   尼子義久 70歳(1610)
   北条早雲 87歳(1519)
   毛利元就 73歳(1571)
   毛利輝元 72歳(1625)
   島津忠良 75歳(1568)
   島津義弘 84歳(1619)
   宇喜多秀家83歳(1655)
   細川忠興 82歳(1646)
   ちょっと前の大河ドラマにもなった『真田丸』の兄、真田信之は92歳(1658)。
   伊達正宗は70にちょっと足りなかったけれど、50は優に超え68歳(1636)。


大名クラスは、とかく重責ーーーストレスも多いはず。それでも、こんな調子です。
さらに、下級武士や商人にまでターゲットを広げてみると、80歳以上のご長寿が沢山いらしたようなのです。何分庶民の記録は非常に少ないのですが、歴史に名を残した人物の中で捜すと・・・

 最上徳内  
山形県の農家の長男で、寺子屋にも通わせてもらえなかったようですが、下働きをしながら学問を身に付け、大抜擢により蝦夷地調査の荷物持ちで随行。日本の領土問題に大きく貢献した人物です。
きっと、にぎりめしで寒い大地を歩き回ったに違いないのですが、最後は武士に取り立てられ、82歳で没。

 伊能忠敬
最上徳内さんと同じく日本の国土調査に民間から関わった人物。「大日本沿海興地全図」作成に携わった伊能忠敬は、商家のご隠居さんでした。なんと人生50年ならとっくに終わった人生の55歳から日本沿岸の測量を始め、各地を旅して地図に興したのです。
享年73歳。

コンビニも無い時代ですから、行く先々の宿場で用意してもらったにぎりめしを抱えてあちこち歩き回ったことでしょう。一日何品目どころか、漬物と玄米のお握りを連日食べていた可能性も!?? 

この二人に共通しているのは、おそらく健脚。足は第2の心臓ですから、心臓も強かったのかも知れません。
中医診断学的には、心臓や足の筋力がしっかりしていることは、消化器系も丈夫だったと考えられます。粗食でも消化器系の吸収力がしっかりしていれば、食材のもつ栄養を余すこと無く取り入れられ元気でいられるといいます。
そう、栄養の吸収力(率)は、人それぞれなのだ。だから、「一日どれぐらい食べる」論は、あくまで参考ぐらいにしておくほうがよいと、私は思います。

さて、更に調べてみると、百歳越えのご長寿だって居ました!

石田三成の嫡男で、関ヶ原の後出家した石田重家は、103歳!(誕生がハッキリしないため諸説アリ。でも長生きだった!)十代前半でお父さんが関ヶ原敗北。その直後に臨済宗のお坊さんに保護され、剃髪して出家。大河ドラマ「直虎」の「明智光秀の男の子も同様に描かれていましたが、まあ、そんな感じだったと想像します。そもそも血筋を隠して仏門に入れられたのですから、記録が定かではないのもやむなし。

そうそう、時代がちょっと遡りますが、私世代はアニメで親しんだ「一休さん」も、90歳近くまで生きていたのでした。
統計がないので何とも言えませんが、もし、お坊さんに長生きが多いとしたら、精進料理は長生きの秘訣〜なんて話になりそうです。
昨今は「お年寄りも肉(動物性タンパク質)を食べなさい」と言われていますが。あるいは、実は、生臭坊主が多かったというオチか!??(破天荒坊主の一休さんは、その可能性も大!?)

茶人にも沢山70歳越えがいます。
惜しくも秀吉に切腹させられた千利休は69歳でしたが、もっと生きられたはず。
古田織部は71歳、今井宗久73歳。時代は遡りますが『喫茶養生記』をまとめた栄西、74歳、江戸期に入ってお煎茶を広めた売茶翁も87歳。

こうしてみると、栄養事情の善し悪しって、(極端なものを除いて)あまり関係無かったのでは!??という疑問も湧いてきます。)))

おっと、例によって、すっかりテーマから脱線してしまいました。


勝海舟と慶喜の健康長寿(77歳は長寿ってほどでもない・・と言いたいが)の秘訣は、
勝さん、訪問者と雑談をしながら書を書く。多いときにはその数月7百枚。
この“デュラルタスク”(一度に2つのことをする)は、前頭前野が活性化して非常によい脳トレなのだそう。
勝さんの自慢の記憶力は、こうして保たれていたのでは?という話。
一方、慶喜さんは、無類の豚肉好きであり、和食+豚肉の組み合わせで、豚肉の含むビタミンB1、アルブミン効果で、スリムな体と免疫力UPの健康食になっていた!という話。

あれぇ〜〜、やっぱりお肉がいいのかなー??

現時点での私の答えは・・・

いえいえ、人それぞれだわさ。

食べないより、食べる方がいい。栄養は、足りないのも過剰なのも良くないけど、何がどうその人のためになっているかは、人によって違うのではないでしょうか?
ただ、現代みたいな、本来食べものではないものが食べものに添加されていたり、自然界のバランスを越えた砂糖や油脂の量が日々摂取されていたり、また不思議な加工方法だったりしないことには、留意しておきたい。

勝海舟も、脳トレと思ってやっていたのではなく、「コレ(書)を売って多少のお金にしとくれ」(元幕府No2で人気モノの勝さんの書は高値で売れたらしい!)と、手土産代わりに書いていたのだし、慶喜さんもきっと、ビタミンBの存在なんて知らず(まだこの頃は脚気の原因も解っていない!)、薩摩の黒豚(たぶん?)好きだったにすぎません。水戸藩は井伊家(近江)からの近江牛も食べていたようですから、お肉には慣れ親しんだ家系ですw。

ともあれ、激動の時代を77歳まで、時代に翻弄されながらもしっかりと生き、歴史を築かれたお二人。賞賛に値する77年ではありませんか。 





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