2020年6月11日木曜日

「Black Lives Matter(BLM)」

体脂肪率の話ではない。BLM=Black Lives Matter は、黒人に対する暴力と社会システム全体に広がる人種差別の根絶を訴える人権運動。

5月25日、米ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警察官に約8分間にわたって膝で首を押さえつけられ、死亡した事件が起きました。衝撃的な映像がSNSで拡散したのがきっかけとなり、黒人差別根絶を訴える「Black Lives Matter」運動から、人種差別全般に抗議する活動にまで発展。世界各地で大きなうねりとなりました。

この動き、引き金の原因となったのはG.フロイドさんの事件だけではないでしょう。

14世紀に起きたペストのパンデミックでは、「疫病は、どんな宗教の人も、お金持ちも貧しい人も、地位も身分も関係無く、みな無差別に襲いかかる」と語られました。しかし今回の新型コロナでは、社会的弱者から多くの感染者が出ていると統計で明らかになってきました。
社会のためにステイホームを求められていた結果がこれか。常々くすぶっていた社会システムや政治体制への不満、恐怖や不安の中で蓄積されたストレスが、一気に爆発した結果だと感じています。
古くならないキング牧師のメッセージ

マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の自由民権運動 (1964〜)は、黒人によるムーブメントでした。
運動の中で、キング牧師は、数々の名言を残しましたが、そのひとつに「In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends.(意訳「最大の悲劇は、悪人の圧政ではなく善人の沈黙である」)というのがありました。
そして50年を経た今、黒人に限らず皆が沈黙を破り、行動を起こし始めたのです。
フロイドさん殺害事件に関わる元警察官は起訴されたものの、まだ有罪判決となったわけではないし、問題はまだまだ余談を許さない状態で決して楽観視はできないけれど、この変化にちょっとだけ明るい未来を感じます。

人種問題は、本当に根が深くて変わらないのだろう。

1980~90年代のアメリカを目の当たりにした私は、そうインプットしていました。黒人街はやっぱり恐かったし、身近に犯罪があったのも事実です。差別の感情には、恐怖と脅威、不条理の正当化、そして背徳感があるのだと思います。
アメリカの人種差別問題の根っこはどこにあるかと言えば、17世紀をピークとする奴隷貿易。(※「アメリカの」とあえていったのには、その前の旧大陸の様々な民族意識など、遡ればいろいろあるから。)
大西洋で展開する三角貿易は、奴隷(黒い積み荷)-- 銃 -- 砂糖/綿花(白い積み荷)でした。
50万人のアフリカ人が労働力としてアメリカへ運ばれ、南北戦争の頃には黒人の人口は400~500万人になっていたといいます。(『一冊でわかるアメリカ史』関眞興/河出書房より)

アレックス・ヘイリー原作の自伝的小説『ルーツ』がドラマ化されたのは、1977年。 奴隷として狩られ、売られて船に乗せられ、3世代に渡ってアメリカ開拓時代の労働力とされてきた歴史が細やかに描かれていました。
このドラマにある後半(アメリカ生まれの黒人の世代となった時代)の様子は『風と共に去りぬ』(1952)の中でも見て取れます。スカーレット・オハラと、ビッグサムやマミー、プリシーたちとの絡みは、この映画の時代背景を描き出す名シーンにもなっています。
『風と共に去りぬ』がなぜ、不滅の名作と言われ続けているのか。それは、アメリカの建国からの様子---スカーレットの両親の背景からわかる移民の状況(父アイルランド人、母フランスの亡命貴族、双方ともカトリックだった)や南部の暮らしぶり--- プランテーション農業での綿花栽培の様子、(多くの黒人が南部側で闘った)南北戦争のこと、その後の黒人解放などが描写されている所にもあろうかと思います。

南北戦争後、名目上の「解放」「自由」を得た黒人たちは、むしろ路頭に迷うことになり、仕事を求めて都市へと集まりスラムを形成していった--。マンハッタンの北にあるハーレムも、ノース・フィラデルフィアもワシントンDCのバリーファーム地区も、黒人集落はみな、そんなふうに形成されたスラムなのです。
学問もないまま都市部に流れ、仕事も得られず、社会の受け皿もない黒人たちは、どうやって生きていくのでしょう!?
そうやって、犯罪と黒人のイメージが徐々に結びつけられていきました。

厳しい環境の中でも、教育を受けようと努力したり、芸能を磨いて脚光を浴びる黒人達が、少しずつ・・少しずつ・・権利を主張する術を身に付けて、今に繋げてきたのかと思うと、胸が打たれます。

キング牧師の導きは大きかった。最初は戦闘的/好戦的だった黒人たちも、戦い方を変えていきました。

昨年のアカデミー賞受賞作品は『グリーン・ブック』(2019/ピーター・ファレリ監督)でした。
ここに出てきた黒人天才ピアニスト シャーリーも、そんな1人。

芸能界では、ウィットに富むハンサム黒人エディー・マーフィー、そして知的ハンサムのディンゼル・ワシントンらが世界中を魅了し、人種の壁を取り除いていきました。

スパイク・リー監督などは、映画という手段で表現する黒人。
『マルコムX』(1992)
『ブラック・クランズマン』(2018) 
つい先日、スパイク・リー監督(63) は、BBCのインタビューで「人種差別はパンデミック」と語っています。
   ↓
https://www.bbc.com/japanese/video-52901257

『大統領の執事の涙』2014) ダニエルズ監督(原作:ウィル・ヘイグッドの「The Butler: A Witness to History」)
『グローリー 明日への行進』(2014)エイヴァ・ディヴァーネイ監督
『私はあなたのニグロではない』(2016)ラウル・ペック監督 なども。

そして、世界のマイケル・ジャクソン!! 
1980年、アルバム『Off the wall』が数百万枚売れた後のこと。雑誌「Rolling Stone」の表紙デザインの話になったとき「マイケルはスターだが、表紙には載せられない(黒人を表紙にすると本が売れなくなるという理由)」と言われたことがあるらしい。(ベストヒットUSA 小林克也談より)
あのマイケルが !? ・・・です。
後日、マイケルは「黒人だと、雑誌が売れないんだってさ。今に見ていろよ。一流雑誌がみんなオレのインタビューが欲しくてやってくるようになるから。その時はインタビュー受けようかな、いや、やっぱりやめよっかな」と、復讐宣言で応襲。
『Black or White』(1991)では、CG技術を使って次々と踊る人の顔が、様々な人種に変化していく演出で、人種の壁を越えた人類を表現し、世界に発信したのでした。

黒人だけでなく、白人監督の映画作品もいろいろ。
アラン・パーカー監督の『ミシシッピ・バーニング』(1988)
スピルバーグ監督の『カラーパープル』(1989),『ブラック・クランズマン』(2018)
ブルース・ベレスフォード監督の『ドライビング・ミス・デイジー』(1990)
etc...ダイレクトに差別を扱っていなくても、社会のワンシーンとして描かれているものは、捜せばいくらでも出てきます。
それは、差別がアメリカの風景と化していたことでもあります。

もうひとり、違う畑のスゴイ黒人を挙げておきたいと思います。

マドンナが僅か35ドルを握って上京したNYCで、最初に所属したダンスカンパニーを率いていた黒人の振付家、アルヴィン・エイリー。アフリカンダンスをコンテンポラリーダンスという新しいスタイルへ昇華させ、一流アートの舞台にのし上げた人物です。

その他、スポーツ界に目をやれば、バスケットボールから陸上から、その身体能力の高さ、スター性の高さが際立つ選手達は、それこそ枚挙に暇がありません。

 "WHERE DO WE GO FROM HERE ~ Chaos or Community? "

この嵐の後、どんな世界になっていくのか。




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