2023年10月30日月曜日

「三献茶」のウソ・ホント

 大河ドラマの最後にある『紀行潤礼』コーナー、好きなんです。

先週は、三成・秀吉の出会いの地、長浜・米原で、有名な逸話「三献茶」が紹介されていました。
鷹狩り帰りに秀吉が休憩に立ち寄ったのが観音寺。
そこで、お茶を所望した秀吉とお茶を供した小姓の佐吉(三成)。
彼の地では、三成人気にあやかり、亀山茶畑、そして「こだかみ茶」の復活が試みられているとのこと。
でも、「三献茶」については、様々な説が。
『紀行潤礼』では、その場所が長浜市石田の観音寺と紹介されていましたが、木之本の古橋にある法華寺という説もあるようです。
観音寺は、三成の父が有力檀家だったお寺(三成は長男ではなかったので寺の小姓にだされていた)で、法華寺は母の出身地であり関ヶ原の後三成が最後に頼ってかくまわれた地にある。
(『近江が生んだ知将・石田三成』大田浩二著)
お茶談にも「ん?」ってなところがあります。


  最初にぬるめの1杯。
   ーーお茶の成分テアミン流出で甘味、旨み、リラックス効果。
  おかわりを所望され、やや熱めで1杯。
   ーーバランスのよい味わい。
  さらにもう一服ご所望。熱々の1杯。
    ーーカフェイン効果でシャキーン!


温度によって味わいや体への作用が変わるお茶。
それを演出できるのは、お茶が「煎茶」になってからのような気がします。
この時代は、まだお茶といえば「抹茶」で、お煎茶は生まれていないはず。
煎茶製法が、中国から伝わるのは17世紀半ば。
さらに、普及するのは18世紀にはいってから。
(ちなみに玉露の製法が生まれたのは1835年。)
抹茶や碾茶でも「三献茶」ができなくもない気はするけれど、「三献茶」のエピソードが初めて記されたのは、100年以上のちの『武将感状記』(1715) だと聞くと、どうもこのエピソードが書かれた時代のお茶談のような気がしてくるのです。


遣唐使として中国に渡った最澄が、茶の木の実を持ち帰り、各地に植えたところに始まり、長い間、お薬的存在に留まっていたのが、12世紀に宋に渡った栄西が抹茶の飲み方を広め、喫茶儀礼が重ねられ、やがて茶の湯の文化へと昇華。そして江戸中期になってやっと庶民に喫茶文化が普及するーー。

お茶が庶民の身近なものになりつつある頃にまとめられた『武将感状記』に、当時の世相を現すお茶が使われたのかもしれません。


さて、『紀行潤礼』で紹介された「こだかみ茶」は、実はこの辺りの在来種(最澄が持ち帰った茶木の実!?)で、21世紀になってから(たぶん観光資源としての意味も多々あり) 地元農家さんの手で復活させたものらしい。



大河ドラマは「ドラマ」だもの。
その末尾の『紀行潤礼』も、観光的紹介コーナー。
真実の追究ではないのだ。

でもね、ウソから引き出す誠ってのもある。
浮かび上がる人物像や、登場人物。そしてそのの縁(えにし)が、やっぱり楽しいのであります。

来週の大河ドラマ、いよいよ関ヶ原!!


公益財団法人日本城郭協会 公認サイト「城びと」より「関ヶ原」



追記・「三献茶」科学編:
アミノ酸は 旨み、甘味成分で、低温にも溶けやすい。
お茶に含まれるアミノ酸は、半分以上がテアニン、その他、グルタミン酸、アスパラギン酸、アルギニン、セリン等。テアニンには、リラックス効果が。

カテキンは、ポリフェノールの一種。苦み・渋みの成分で、80℃以上で溶出。

カフェインは、苦み成分で、高い温度で溶出する。脳の中枢神経に興奮的に作用。覚醒作用、利尿作用。

三成(佐吉)は、結果的に、最初の1杯でアミノ酸効果を、次にカテキンで疲れを癒し、三杯目で出立に向けてシャキッと覚醒効果を利用し、秀吉の「休憩」に、見事なホスピタリティーで応えたということですね♪



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