万能の天才、日本のレオナルド・ダ・ビンチ(!?)空海。
宗教的天才で、字が上手くて、土木工事においても知識が豊富で、美術にも造詣が深かったのだとか。要するに、当時の最先端化学者であり、宗教家である。
外国文化を持ってきてそこから文化を作るというのが日本の文化。遣隋使、遣唐使は、その要ともいえる役割を担っていた。
空海は、その遣唐使として唐に渡り、都である長安で、密教の最高権威である恵果阿闍梨に伝承者として選ばれ、日本に帰り、真言宗の開祖となる。
ざっくりと言ってしまえばこうなるのですが、番組では、まず、遣唐使として中国に渡る旅に着眼します。
無事大陸に渡れる能力と体力、そして運もさることながら、唐の都にたどり着くまでの旅、そこでの学びや見聞を吸収する力、さらにそれを持ち帰り展開させる力。
これらの非凡な能力の源流をさぐっていきます。
1)遣唐使船での船酔いの巻
空海が遣唐使として派遣されたのは、空海31歳の時。
今なら、飛行機で2時間、船で2日のところですが、当時の小さな船(全長30m程だったとか)で、東シナ海の大波に揺られ揺られて、博多から福州まで1カ月掛かって命がけの旅。
空海は、船酔いしていなかったのでは?という説があるようです。
嵐に見舞われた船先に不動明大王像を括り付け、祈り続けた行為は、意識を一点に集中させることによるプラセボ効果*を狙ったのでは?との分析も!?
また、医学的な知識がある空海は、生姜を使っていたかもしれないようです。
日本最古の医学書『医心方』には「吐き気には生姜を多食するとよい。生姜は吐き気の聖薬である」と記載されているそうです。
現代の乗り物酔いの薬に含まれる抗ヒスタミン。嘔吐中枢を刺激して吐き気を抑える作用がありますが、生姜に含まれるシンゲロールには、自律神経を調え吐き気を抑える抗ヒスタミンの効果があったのです。
船ごと難破するほどの荒波で、プラセボ効果や生姜にどれほどの効力があったか怪しいところですが、空海をはじめ遣唐使として指名を全うできた人達が、これらを乗り越え福州までたどり着く強靱な体力の持ち主であったことは確かです。
2)類希な語学力
恵果阿闍梨に伝承者として選ばれた理由。それは、サンスクリット語も中国語も全て受けとめられる語学センスだったそうです。
空海が生まれた当時の香川県には、渡来人が沢山やって来ており、空海は、幼い頃から中国語や韓国語が飛び交う環境に育ったというのです。中国語を文学としていた当時の日本で、外国語は文字で学ぶものでしたが、空海は、そんな環境で外国語を聞き分ける耳を育んでいたのでしょう。
彼の文才が学問の賜物であることは疑いもないことなのですが、この+α が、文化の習得に拍車をかけたことは、想像に難くない。通訳を解さずに直接"取材"できることで、より物事の核心に近付けるということが出来たでしょう。
空海の語学力は、健康には直接関係ありませんが、バイリンガルで使う脳は、アルツハイマーなどの病気になってしまうのを先延ばしにしてくれるのだとか。
時々外国語で物事を考えてみるのは、ボケ予防には良いのかも知れません。
3)空海うつ病説→うつの克服には「運動療法」
まじめで、責任感が強く、勤勉。こういった性格の人は、ウツになりやすいといいますが、空海もまた、そんな気質の1人。自ら「もうすぐ死ぬから」「長くは生きられないから」といった言葉を残しながらも、短期で回復している空海。具体的に病気があった訳ではなく、心の病だったーー心身症が出ていたーーと、『空海に出会った精神科医』の著者、保坂隆先生は分析しています。
でも、高野山での修行や京都への往復等々、高野山の原生林の中を歩きまわり、山歩きが心の病の克服に繋がった(!)。先生は、そうみているのだそうです。
以上3つが、この番組で空海を紹介する切り口でしたが、何より、私はとにかくこの時代に興味津々!!
唐は、紛れもなく、世界最高峰の文化を持つ国でした。
遣唐使を含め、世界各地から唐を訪れた人達が、どんな旅をしてきたのか。
何を見聞し、何を考え、どう行動したのかーーー。
たまらないロマンです。
空海 享年61歳。類希なキャッチ力と叡智で、濃い中国体験をし、日本に多くの文化をもたらしたのですねえ)))。
余談:
春に公開された映画『空海-KU-KAI-』〜美しき王妃の謎〜で、空海が訪れた唐は、楊貴妃〜玄宗帝時代から50年後。詩人、白楽天(白居易)との交流を描いていました。
白楽天とは2つ違い。衰退していく唐が一時的に盛り返している時です。(14代憲帝の時代)
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