2019年5月13日月曜日

ポルトガルのお菓子 2

※ゴメンナサイ!写真は、楽天のネット販売・商品の写真を拝借しています。


16世紀から17世紀に掛けポルトガルから日本に伝わったお菓子たち。

カステラ(Pão-de-ló / パン・デ・ロー)、ボーロ(Bolo/ボーロ=「ケーキ」の意)、金平糖 (Confeito / コンフェイト)、カルメ焼き(Caramelo / カルメラ)、飛龍頭(フィリオース/Filhós)、鶏卵そうめん(フィオシュ・デ・オヴォシュ / Fios de Ovos)、ビスケット(ビスコット/ Biscotto)。
それから愛媛・松山の一六タルトも、実はポルトガルにルーツがあるらしい!

ポルトガルには、Torta de Azeitao(トルタ・デ・アゼイタオン)と呼ばれるロールケーキがあるのだそうで、一六タルトが一六ケーキと言わずタルト(トルタ)になっているのはその名残。ジャムが柚子餡に代わり、すっかり日本の顔になったお菓子。
    ※参考:『世界の郷土菓子』林周作 著 /『世界のお菓子』鈴木文 著

飛龍頭の元祖がお菓子だったというのも意外な驚きですが、「揚げ物」がまだ珍しかった頃伝わった揚げ菓子がいろいろに派生した!?と捉えると、どうにか合点がいきます。

それから・・・カルメ焼き(カルメラ)という名前には、「砂糖を焦がした(カラメライズド)」ものであることがわかりますが、カルメ焼きは、砂糖を煮詰めて色づき始めたところに重曹を加えて作ります。砂糖にバターやミルクも加わると1粒300メートル(森永キャラメル)のキャラメル。

お菓子のルーツが気になるけれど、調べるのは一筋縄ではいかないでしょう。知っている知識を繋いでしまうのは少々乱暴かもしれませんが、推理を交えて想像を膨らませています。

さて、砂糖のお話を少し。
12世紀に砂糖の精製技術が発明されたころ、世界でお砂糖は、金銀と同じぐらい貴重なものだったといいます。それから400年、この頃には既に白砂糖が世界各地に出回っていましたが、その量はまだまだ稀少。砂糖の白色と稀少さには、甘さ以上の神聖さも加わったといわれます。郷土菓子と繋がる修道院などではその白さと甘さのもつ魅力を利用して信者を増やしていったーーー。

ポルトガルの王女キャサリン(カタリーナ)・オブ・ブラガンザ(1638-1705)*は、イングランド王チャールズ2世に嫁ぐとき、ポルトガルが手にしていた北アフリカやインドの植民地の一部と持参金に加え、沢山の砂糖とお茶を持ち込んだといいます。
キャサリン王女がイングランドへ嫁ぐ少し前まで、ポルトガルは一時スペインに併合されていた時期がありました(1580~1640年)。ヨーロッパにおける複雑なパワーバランスの状況下、ポルトガルはイングランドとの良好な関係が必要で、これは友好の証しの輿入れだったという訳です。だからこの持参金は、さぞや気合いが入ったものだったはず。
チャールズ2世は、これらに大変ご満悦だったとか。

この時割譲された植民地が、後に7つの海を征する大英帝国の繁栄の原点になるのかと思うと、この結婚はイングランドにとっても転機だったといえるかもしれません。

王妃となったキャサリンは、持参した紅茶と砂糖で王侯貴族をもてなし羨望を集め、紅茶交流に紅茶外交。ここから、紅茶の国イギリスが始まったのです。
キャサリン・オブ・ブラガンザは、イギリスに喫茶文化もたらした人物としても、歴史に名を残しています。


キャサリン・オブ・ブラガンザの持参金等については、『イギリスの王室』石井美樹子・著 参照。 


0 件のコメント:

コメントを投稿