2014年9月21日日曜日

島原の揚屋・角屋(於・丹波/京都)

京都・丹波口に江戸中期に公許の花街だった「島原」。
江戸時代の餐宴・もてなしの文化の場、揚屋の角屋、置屋の輪違屋が、期間限定で公開されていると聞き、行ってみました。

1Fの表座敷。


1F大座敷松の間の襖絵のひとつ、悠美な双鳳凰の絵。

揚屋とは、置屋から太夫や芸妓を呼んで歌舞音曲の遊宴を行ったところ、今で言うところの料亭。広い台所を備えているところが特徴なんだとか。
秀吉の時代に公認の花街が開設されて、丹波口に移転したのは1641年。(この時の移転騒動が当時の「島原の乱」(1637)」に似ているというところから「島原」とよばれるようになったらしい。)

建物内には、襖が緞子張りの緞子の間、豪華な襖絵があったり、自然光が反射するよう貝の象嵌が施された青貝の間、天井や障子などを桧垣組にした桧垣の間、ここかしこに扇のデザインを施した扇の間等々、特徴的趣向を凝らした宴会場が多数。(残念ながら2Fのお座敷は写真撮影禁止で写真がありません・涙)当時の職人技の粋が、そこかしこにみられます。

久坂玄瑞、西郷隆盛、坂本龍馬等々、幕末の獅子たちも密会を重ねた場所でもあるらしいけど、こんな豪華な「密会」やってたのか・・・(苦笑)。新撰組の出入りも多かった様子。ともあれ、いろんなエピソードが塗り込められている建物ですね。



さて、大料亭の台所。
「舞台裏」も黄色をあしらい華やかです(!)。写真左上や奥の間にある照明は「八方」とよばれるもので、広域を照らすことができるように考えられているもの。

竃、竃、竃・・・・・。


竃、竃、竃・・・・!!

竃の後ろが広い配膳室になっています。 天井高〜い。

竃の対面には水場。天窓から光が入ります。

ピーク時は、この竃からぽっぽっぽっぽ、湯気が上がって大きなしゃもじでかき混ぜたりなんかしていたのでしょうか。))なかなか豪快です。お膳も沢山積まれていたことでしょう。

台所の裏手。赤壁が何とも華やかで贅沢です。
もう1カ所、冷蔵庫を兼ねた大きな井戸がありました。地下鉄が出来てから、水源からのルートが断たれ、今はもう水が溜まらなくなったそうです。

             * * * * *

さて、揚屋に派遣される太夫や芸妓の置屋さん「輪違屋」も公開ということでしたので、いってみました。



箱庭には陰陽石。花街らしい・・・。

京都中心部からは徒歩だと1時間半の距離。この立地から、徐々に衰退し、花街の栄華は非公認の祇園界隈へと移行していったそうですが、島原太夫や芸妓の技量、教養の高さが忍ばれる歌や書、財界人との交流の形跡も・・・・。

折があれば、丹波まで足を伸ばしてみてください。

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