今年は異例の、年をまたぐ大河ドラマ。
前半、光秀に影響した斉藤道三や、信長の人格形成部となるようなエピソードが丁寧に描かれ、既成概念を打ち破る設定に「面白くなりそう!」と見続けてきた『麒麟が来る』。
残りひと月となり、ここへ来て時間経過が早すぎて、歴史上のどの辺りを描いているのか時々解らなくなってしまう。秀吉も、この前まで信長の草鞋取りだったのに随分出世しているぞ。
比叡山延暦寺焼き討ち(1571.9)が終わり、石山本願寺攻略で村上水軍を退散させるのが次回。今が天下布武へ邁進の10年真っ最中。
比叡山延暦寺焼き討ち(1571.9)が終わり、石山本願寺攻略で村上水軍を退散させるのが次回。今が天下布武へ邁進の10年真っ最中。
1月3日の放送では、そんな中光秀が病に倒れ、妻・煕子の献身的介護で回復。その後、煕子が他界しました。
これは、本能寺の変(1582年)の6年前、1576年。
実は私、ドラマではほんの5分程度だったこの部分の展開がとても気になってしまいました。
そこで、これを取り上げようと思います。もうひとつのあの番組を。
『偉人たちの健康診断』
〜明智光秀 本能寺の変 “敵は腸にあり!”〜
(NHK BSプレミアム 2020.1.16放送 / 解説:本郷和人、眞壁雄太、植田美津恵)
この番組では、光秀がこの時患った病は「風痢」(=ノロウイルスのような感染症)であったという記録に基づき「長期に渡る腸炎がレビー小体型認知症引き起こしていたのでは」という仮説を立て検証しています。
眞壁先生の解説によると、レビ—小体型認知症というのは、(神経細胞にできる)異常な蛋白質レビー小体が、大脳皮質や脳幹に広がり様々な異常を起こす病気なのだそう。記憶の海馬が破壊されるアルツハイマー型に対し、レビ—小体型は、海馬そのものは壊されることはないので物忘れはないけれど、視空間的認知障害と大脳の処理スピードの低下で段取り力が落ちるといった症状が。この蛋白質の異常化を起こす原因のひとつがウイルスなのだといいます。
レビー小体の発生は腸や内臓の周囲から始まることが多いとされ、初期症状には、臭覚異常や動作を伴うような激しい寝言などもあるのだそう。
実は光秀は、5月23日に石山陣中でひどい下痢嘔吐に病を発し、この年の5月〜9月の4カ月間床に伏していたのです。妻・煕子は、ドラマであったお百度参りなどではなく嘔吐・下痢・発熱の介看病に当たっていたのであって、そしておそらくは同じ病で同年11月に死去。それがドラマの5分の部分の真相のようです。
病に伏せた4カ月は大きい。体力低下はもちろん、後遺症も考えられる上、愛妻を失った心理的ストレス・・・。にもかかわらず、戦国の世では、休業休養なんてあり得ず、翌年には「職場復帰」です。
そして、丹波篠山の波多野秀治との長期戦に突入。
これまた従来の大河ドラマでもしばしば描かれてきた八上城の兵糧攻め*ですが、1578年の6月迄、実に1年半に及んでいます。
光秀は、この長期戦の決着を付けるべく、母を人質として差し出し、城主秀治を殺害しないことを条件に秀治が信長の元に参じる手筈を取るのですが、信長は約束に反し波多野秀治を処刑。織田側が約束を破ったので人質だった光秀の母は貼り付けの上惨殺となってしまいました。
以前の大河ドラマ『秀吉』では野際陽子が光秀(村上弘明)の母役で、貼り付けのシーンを演じ、スゴイ迫力だったのが印象に残っています。(まさか、、、まさか石川さゆりさんもアレをやるのか!??)この時の光秀の怨念が、謀反の直接的原因では!?…と、よくいわれています。奇しくも本能寺の変は光秀の母の命日でもありました。
番組では、光秀の健康状態から、復帰後の光秀の奇行エピソードがいくつか紹介されました。
1)信長に、武田戦での功労者である徳川家康をもてなす接待役に命じられた光秀。
京や堺からの珍品でもてなしたのに「異臭を放っていた(痛んでいた)」と、信長に足蹴りにされた有名なエピソード。
2)信長の命により 中国地方を攻めていた秀吉の後方支援を命じられた光秀。
戦勝祈願のため愛宕神社に参拝した際、二度三度と 大吉が出るまで引き続けたというエピソード。
3)ドラマでは描かれたことはありませんが、光秀が、出された笹ちまきを笹をむかずにそのまま食べてしまったというエピソードもあるのだそうです。
これらに対し、仮説を当てはめると以下の様になります。
1')光秀は緻密な仕事をする人物なので、このようなミスは考えにくい。
レビ—小体型の認知症の症状には、臭覚障害があるといいます。だから気が付かなかったのではないか・・?というのです。
でも、光秀が調理するわけではないし、料理は多数の人が関わるものなので、誰かが気が付いたはず。私はこの説は却下だなあ。)))
2')当時のおみくじとは、自分で選択肢を3つ用意して、それを引くという最後の決断を神に委ねるというものだったそうで、沢山入った中からガラガラポンで引いていたわけでは無いのだとか。故、この行為は異様なのです。
でも、レビ—正体型の認知症が出ていたとしたら…視空間認知機能の異常で、自分が見ているものと実際の場所の位置感がずれてしまう。真ん中を引こうとしても、ずれて右を引いてしまうので「あれ?」、「あれ??」と、何度もひいてしまったのではないかというのです。
3’)は、粽の笹の葉をはがして食べるということが解らなかったわけでは無く、剥かなければいけないと解っていても、その手順を脳内で処理することが出来なかったのでそのまま食べてしまったのではという解析。
どれも呻らせる推理です。
でも、光秀の丹波篠山攻めの指揮ぶりからするとやはり、信長に狂気を感じ「自分がやらないと世の中おかしくなる!という使命感があったのでは!?と思ってしまう。
今回の大河ドラマでも、これまで同様きっとこの説をとるのでしょう。
故、エピソード1は、天下布武に急ぐ信長の苛立ちのサウンドバックになったエピソード、2は、そのまんま、3はドラマでは描かれ無い…という展開に??
光秀は、本能寺の変を起こす ちょうど1年前の6月、家臣たちに向けて「家中軍法」という規則を定め、各地を転々としていた自分を見いだし取り立ててくれた信長への忠義を説いているだけに、病気か!?という説には、思わず「・・かも!」とおもってしまう部分がありました。
決定打のない不可解な謀反の真相。
でも、「腸内細菌が人格を創っている」という理論が次々と展開されている昨今、健康診断ーの切り口は、侮れないなあと思う次第。
また番組では、本能寺に向かう前の行動(真夜中暗闇の中の移動)の心理状態 -------闇夜の中で、思考がどんどんネガティブスパイラルに陥り、耐えに耐えてきた情念が吹き出した------- が大きく影響している可能性も紹介していましたが、やっぱりこれが一番腑に落ちる。
超真面目で忠義心の強い光秀は、必死に信長への忠義を尽くし任務を遂行していく中で、心を殺して腹の底に押さえ込んでいた感情も沢山あったはず。それが、闇夜の進行で吹き出してしまった・・!??
名君の内臓から歴史を紐解く科学の時代も、そのうちやってくるのかもしれません。
人の心の中までもがすべて科学で説明できるとは、あまり思いたくないですが、科学のお陰で守れる人権や名誉も少なくないでしょう。為政者の腹の内もデータで分かったりなんかしたら小気味いい。いずれにせよ、内臓の状態が人の気分や気性に影響していることは必定。
「お腹(=内臓)」、大事にしなくては。
PS:コレ、面白い記事でした。次回の大河ドラマを見るに当たってご参考に♪
*RE: 兵糧攻めで最も有名かつ悲惨だったのは鳥取城の「飢え殺し」。それは光秀の丹波篠山攻めの後で謀反の1年前、1581年のこと。
戦闘での惨状もですが、秀吉&官兵衛ペアの巧妙かつとことん追い詰める戦略は、それはそれは後味の悪い残像となっていたことでしょう。))
過去の大河ドラマでは『黄金の日々』で、このエピソードが割としっかりと描かれました。開城後の炊き出しのシーンは、とても印象に残っています。このドラマのこのシーンで、飢餓状態からの急激な栄養補給でショック死することがあるということを、初めて知ったのでした。これは、代謝合併症の総称リフィーディング症候群(refeeding syndrome)と呼ばれているそうです。
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