2021年1月30日土曜日

如懿伝(7)女性たちの装束 3

ドラマの衣装で、度肝を抜いたのは、コレ。
衣装・・というか、髪型・・・というか・・・。

乾隆帝の側室:巴林(バリン)氏/ 貴妃


ホルチン部から里帰りの固倫和敬公主璟瑟)

どこかで見たことがあるな・・と思われた方、それはきっと…

スターウォーズのアミダラ女王です。
この髪型、ドラマ上での一種の誇張かと思いきや、等身大にこの通り。
これはリアルに存在していたのでした。
どこか山羊か羊を思わせる髪型。))


20c初頭 ハルハの貴族女性 (pinterest より)

https://dailynewsagency.com/2016/07/15/vintage-mongolian-clothing-old-photos-1qm/


21世紀 モンゴルの女性


モンゴルにはいろんな部族がいるので、オシャレもそれぞれに個性豊か。

草原の中でこんな不自由そうなスタイルが生まれるなんて、不思議な気もするのですが、美しく着飾ることも人間に備わった本能なのかも。(だとすると、素朴、シンプルを良しとする傾向は、アンナチュラルなのか!?? )

ドラマでは、ホルチン部族、ハルハ部族、ジュンガル部族(達瓦斎/ダワチ)などの名前が登場しました。
もそも愛新覚羅(アイシンギョロ)の愛新は「黄金/金」のことで、覚羅(ギョロ)はヌルハチが住んでいた地名なのだとか。「ギョロ地域に住む輝かしい一族」みたいな名字ってことでしょうか。中国式で言うなら「金」さん。朝鮮にも近いモンゴルの北東部を拠点としていて、清朝の頃には朝鮮半島が取り込まれていたので、朝鮮半島には金さんという名字が多いのだとも。最近のTV番組で「日本人のおなまえっ」なーんてのがありますが、ネーミングとは、なんらかの足跡を残すことでもあるのですねえ。。


さて、ホルチン部族からは、孝端文皇后(こうたんぶんこうごう)が出ています。清の2代目太宗ホンタイジ(崇徳帝)の側室として嫁ぎ、後に皇后となりました。名君康煕帝の祖母の叔母というつながりも。
また、西太后のルーツ、葉赫那拉イェヘナラ)氏は、ホンタイジの母親の一族です。『女懿伝では乾隆帝の側室のひとり舒妃がこの一族でした。そしてホンタイジは、この母親が亡くなった後は、乾隆帝の皇后の一族富察氏に育てられています。
モンゴルの中でも有力な部族は殆ど親戚関係になっているみたい。

ドラマでは皇太后の二人の娘(乾隆帝の妹たち)のうち、長女 娖(コウサク)  が、政略結婚でジュンガル部に嫁いでいます。次女恒媞(コウテイ)も、ホルチン部へという話がもちあがりましたが、富察皇后の長女  和敬公主璟瑟)が嫁ぐことになったのでした。

嫁ぎ先の衣装に違和感はなかったか・・・?

聞いてみたいところだわ。。。

※ちなみに史実では、皇太后(ニオフル氏/孝聖憲皇后=乾隆帝の母)には娘はいませんでした。また、ドラマでは乾隆帝の育ての親でしたが、実母です。



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