2006年11月15日水曜日

お江戸の味:玉ひで 玉子V.S.卵


何年ぶりかで、東京・人形町の玉ひでで、親子丼を食べました。

1760年創業、日本で最初に親子丼を作ったお店。最近では、地方の物産展にも出店したりしているので、なにも東京まで来なくても食べられるみたいだけれど、どこで食べても1時間待ちは必須。厳選卵と厳選の軍鶏、秘伝のタレ、老舗のストーリーに、一杯1300円の幸せを求めるなら、1時間も、大した時間じゃないのかもしれない。

玉ひでの親子丼を初めて食べたのは、かれこれ10年近くも前。
初めて食べたものは、何かにつけて基準になりがちですが、おかげで、私の親子丼のハードルは、かなり高くなってしまった。

あの、卵の何とも言えない半熟さ加減、ごはんが浸らないタレ加減。シンプルな料理ほど難しいことを実感させられる一品。

ところで、卵と玉子。

これって、どう違うんでしょう? 

親子丼を食べた後、立ち寄った古本屋で、偶然その答えがみつかりました。

かに玉、おでんの玉子、生卵、とき卵、金の卵、カエルの卵・・・私は何となく、卵は生で、料理すると玉子になるのかなーと思っていたのだが、ちょっと違うらしい。明確な基準はないものの、卵は生物学的な意味でのタマゴを指し、玉子は、食材としてのタマゴを表すという説が有力なのだとか。また、タマゴの殻に入った形状を留めていないときには卵なのだそうです。

すると、ゆでタマゴは、ゆで卵ではなくゆで玉子なのね。

役者の卵も、役者の玉子と言った方が殻を破っていない→一まだ皮剥けていない感じでいいのかしら??

親子丼のタマゴは、卵なのか玉子でなのか・・・・。(「玉ひで」だから玉子といいたいところですが、これについては創立者の妻が「たま」さんだったり当初の屋号が「玉鐵」だったりで不明xxxあしからず。) 





2006年10月29日日曜日

食育の講演会(3)


4)最後に、小泉前首相の刺客として衆議院議員に当選し、食育の活動をなさっている藤野真紀子先生。

「ティーパーティーをして食育を語りましょう」、「政治と料理は同じと考えております」といった大胆(?)発言が報道で流れ、一体どんな方だろうと、興味津々だった。栗原はるみさんと並んでカリスマ主婦と呼ばれ、お菓子やお料理の世界では、ハイセンスでエレガントとなイメージで大活躍。ニューヨーク、パリの駐在経験もあり「フランスの旅委員会」2001年の親善大使を努め、フランス政府からも文化普及に貢献したと評されるほどの海外通でおられ、華やかさが際立つ方。

1時間の講演でしたが、食育基本法の制定の意義やその内容について、その成立のいきさつなどからわかりやすくお話になった。

「食育」が法律で制定されたのは、世界でも日本が初めてなのだとか。決して海外通的なお話ではなく、庶民の目線で語り、お上からのお役目をきっちり務めておられた。時間がおしてきて早口になってもくずれないきれいな日本語))))。(フランス語もとてもきれいだとか・・)コンプレックスが無い人特有のアグレッシブさはあるけれど、チャンスに怯むことなく立ち向かい着実に自分の力にできる逞しく頼もしい方だという印象を持ちました。(・・・と同時に、一部分だけを切り取って報道するマスメディアの怖さも・・・改めて実感。)

「食育は、もちろんそれだけを取り上げるべき問題ではない。けれど、今や国としても、放っておけない程の社会問題になってしまった。法律の落とし込むことになったのです」と、藤野真紀子先生。

現在、食料の自給率は、オーストラリア 200%、アメリカ 120%、フランス 130%、ドイツ 97%、イギリス 69%、そして日本40%。

地球温暖化→砂漠化→作物減少。地球は、確実に食料不足へと向かっている。

そして、「飽食の時代」は、新たな飢えをも生んでいる。

朝ご飯をひとりぼっちで食べている子供、30%。朝食を食べない子供も増加している。

朝食をきちんと取ることによって、学習能力がアップすることは、すでに認められている。特に、理数系の能力アップに繋がっていることは、各学校の取り組みによるデータに出ているそうだ。そして、味覚は、国語能力のアップに繋がるのだそうだ。味覚の表現に言葉を使うので、味、音、匂い、歯触り・・・感覚と言語とを関連づけることで、表現能力が鍛えられるという訳だ。(ちなみに、味覚の教育は7才~11才までに行うのが効果的とか。11才以上になると、食べることに、余計な理由がでてくるので。)

合理性追求と消費生活の中で、いつの間にか歪み始めた私達の食生活。情報収集して健康を考えて暮らしているはずでも「情報」の意味を取り違えると、あさっての方向へ向かってしまう。

やはり、経験を通した情報を家族間で伝えていくことが大切・・ということか。言うは易し。根は深し。

日々、卵1パックXX円だの何だのと、目先の数字には敏感でも、税金の行方には疎い。これではいかんのですね。))ひとりひとりが賢い消費者になることからはじめなくては。そして人間らしい社会生活を送る。

総時間、約5時間の講演が導く先は、やはりココでした。

(了)

2006年10月26日木曜日

食育の講演会(2)


2)梅垣先生は、サプリメントや健康食品、あるいは体によいとうたわれる食品の安全性有効性、何をどう信用し判断していくかの手がかりを、わかりやすく解説。身近に見聞きしているいわゆる「情報」は、効果を過大評価し、安全性を過小評価されている。効果ばかりに注目しているものであることを認識し、情報提供者側の目的を理解して判断しましょうと語る。  (http://hfnet.nih.go.jp/

学会等も、「○○に効果がないということが判った」というものは、論文にはなりにくい。だから「効果がある」という結論を前提に試みられていると考える方がよい。情報というのは、常に「リスク < ベネフィット 」。ポジティブな側面だけが語られることを認識すべし。

3)の神田先生の弁も、安原先生に勝るとも劣らず。偏った情報、信憑性の低い情報に振り回されている世間の人々に警鐘をならす。

ハーブ製品、漢方というと安全なイメージがあることへの誤解、外国製品の安全基準は異なるということ、ダイエット食品の危険性について「健康食品には法律上の定義は無く、健康食品と一口に言っても、3種類あります。健康(になる)食品、健康(を願う)食品、健康(を損なう)食品・・、これら全て”健康食品”というんですよ」と説く。健康食品等に頼ったダイエットの危険性を「体は細身、脳も細身、あげくに認知症」「一笑にふすか、一生に臥すか」と、危機感迫る言葉で食事の大切さを解説。

朝食のことを、英語でBreakfastと言うが、"fast"とは、断食のことを言う。

すなわち、断食をbreakするーーー「断食を止めること」とという意味になる。これを「朝食が無くなると、親子共々"Break"  なのだ」と、食育についても、生活習慣としての在り方を言及。

真の知性とは、どんな人にもわかるようなかみ砕いた表現ができることだなあ))))。<しみじみ・・・>

「食育」という言葉に、どこか釈然としなかった自分の思いが何なのかが、少しずつ見えてくる気がしした。

2006年10月23日月曜日

食育の講演会より:藤野真紀子/神田博史/安原義/梅垣敬三(1)


先週から数回、4先生方による「食育」をテーマにした講演会に足を運んだ。

1)「俺にも言わせろ ~社会と文化が正常なら食育はいらない~」by 安原 義先生(東京農業大学短期大学部 栄養学科教授)

2)「健康食品の安全性と有効性」 by 梅垣敬三先生(国立健康栄養研究所情報センター・健康食品情報プロジェクトリーダー)

3)「ダイエット食品を考える」 by 神田博史先生(広島大学薬学部助教授)

4)「食育を通じた人づくり」 by 藤野真紀子先生(料理研究家・衆議院議員)

ー日時順ー

タイトルから、講演内容はなんとなく察しが付くでしょうか。

1)の安原先生のお話は、社会の矛盾を食と栄養学の視点からもの申したもの。

人間は、情報をDNAだけではなく文化で伝えているのである。その文化は、家族揃った食事の中で培われ、文化の継承の中で、健康の維持能力も育っていく。知育、徳育、体育、食育がバランスよくできてこそという主旨のお話。

食物そのものに着眼するのではなく、あくまでバランスと自然を考えるべしと、マスメディアによる美意識や健康観の歪みを指摘し、「ブスは痩せても痩せたブス」「ジャンクフードはない。食べ方がジャンク」「栄養士らが健康によいと薦めた食品はアレルゲンだった(アレルゲンにならない食品はない)」「健康で長生きすれば、癌かアルツハイマーで死ぬ」・・・等々、綾小路きみまろさながらの毒舌で、子供や孫たちの食生活に釈然としない思いを抱えるおかあさんおばあちゃんを「うん、うん」頷かせる。

栄養学科の先生らしからぬ発言だが、意外に昨今こういう考えの栄養士さんは多いように思う。

癌で闘病生活を送った経験のあるベテラン栄養士さんと、以前一緒に食事をした時にも、自らの体を通して「栄養学の分子の世界で健康を語るのは人間のおごりだ」とおっしゃっていた。科学的知識があるからこそ、その矛盾にも気が付くことができるものなのかもしれない。

安原先生も「試験管の反応が体内で同じようになるとは限らない」と、異口同音に説かれる。

科学は、ある約束事の範囲で成り立っていることを認識しなければならない。

科学とは、複雑な事象を単純化して説明する遊び。複雑な物質は、それを構成する要素に分解し、それらの個別の要素だけを理解すれば素の複雑な物質全体の性質やふるまいも全て出来るはずだと想定する考え方なのだーーーと。

有るものを分け合って食べる時代から、選んで食べる時代への移行で、大切なものが抜け落ちてしまった!?。

自然の力、すなわち栄養素では語れない旬のエネルギーとバランス力。

ちょっと体調を崩した経験のある人なら、きっと思い当たることがあるはず。そして、自分の体の声を聞くことを覚えたら、聞こえてくるはずである。

私自身も、ストレスで体重が減ったことがあるのだが、その時は、体が冷え易い状態で、ちょっとした食べ物の違いで、体がぽかぽかしたり、シンシン冷えてトイレが近くなったりという違いを敏感に感じた。それを機に、陰陽説や医食同源などというコンセプトにも関心を持つようになったが、知れば知るほど、改めて自然の摂理に感服するばかりである。

進歩の中で、実は退化させてしまった感覚があるのではないかーーーー。

お話を聞くごとに、そんなことを考えさせられる。

<つづく/全3回>

2006年10月8日日曜日

酒まつり

酒祭りに行ってきました。

http://sakematsuri.com/

1杯100円~300円で、いろんなお酒が試飲できる。1500円で多数のメーカーのもの飲み放題、蔵モノ限定品飲み放題500円などなど、許容量と嗜好に合わせて選べる気楽さ♪
真っ昼間からのお酒はなんだか贅沢ーーー。

飲むときは、食べたい、食べないと飲めない私は、先ほど買ったイカのゲソを食べながらも目は次のつまみを探している。

商店街の魚屋さんが店頭で売るハモのフライ、一寸のすきで隣のおばさんに買い占められてしまった(涙)。コイワシの天ぷらもいいねえ)))。

ザル豆腐。薬味をしっかり入れてぇーーー。)))

美酒鍋は早くも完売の札が立っている。

おかもちを使っての薫製も・・・!(写真参照)。

モンゴルの乳酒(アルヒ)というのを売っていたので試飲してみました。
『神の雫』の神咲豊多香なら、一口口に含むと、目の前に、モンゴル高原が広がり、陸より広い空を雲がグングン流れゆく光景が浮かぶところなのだろうけれど、私にはそんな現象は起こりません。

アルコールは・・・大陸級。高い。白濁したその酒は、苦甘い(?)ちょっとアニスを効かせたリキュールにも通じるお味だけど、もっと素直であっさり。もっとヨーグルトっぽいかと思ったら、意外に酸味は無い。

瓶で買うには少々「異文化」すぎる味?。美味しいけれど、後で頭が痛くなりそうな味なので、おっちょこ1杯で好奇心を満たすに留めます。

☆写真左:おかもちで薫製!/右:白牡丹の酒蔵入り口付近のデコレーション。一升瓶6本を縄で束ねて・・・good Ideas!

2006年9月25日月曜日

イラン人 in Person

先日の昼下がり、国際交流のボランティアをしている奥様Tさんに誘われて、イラン人記者Mさんとお会いしました。

日本の家庭を垣間見、民間人とふれあいを持つ時間をと、お世話役がコーディネートされた数時間。

Mさんは、ハンサムな紳士、宗教的にも規律に忠実な方で、お会いしていた数時間の中でも1度お祈りの時間を取られた。

まず洗面所で手と足を清め、和室に案内されるとメッカに向かってお祈りをーーー。

何処でもお祈りを始めるイスラム教徒の方に、違和感を感じる人もいるのかもしれないですが、見方を変えれば、素晴らしい部分。不勉強を承知で感覚的に言わせてもらえば、食べ物を命を頂くこととしてとらえ、お祈りして清めてから食べるというのはそれなりの理屈があるように思えるし、お祈りの時間の為に太陽の位置や方角を気にしするのも、忙しくビルの谷間を歩きまわる都会人が忘れてしまっていること。合理的発想に支配されている現代社会にどっぷりと浸かっていると、なんだか独特のゆったりムードすら感じてしまった。何処にいても、一つの方角を意識しているなんて、方向音痴の人には苦労なことかもしれないけれど(笑)。自意識が強く相手に合わせがちな日本人からすれば、強いアイデンティティを感じる。

「相手に合わせる柔軟性があるところが日本人の素晴らしいところ」と語るのは、通訳のAさん。
日本在住15年で、今回Mさんの訪日では付きっきりでお世話しておられる。
気さくな親日派の彼は、「いつどこで日本語を勉強したの?」「宗教的にはどうなの?」・・・もうこれまで何度も尋ねられたであろう質問にも快くユーモラスに答えてくださる。

「イスラム教の人たちは、悲しいかな食べ物の制約がコミュニケーションの壁になっている。一緒に食事をしてこそ和みの空気が生まれるものと」感じているAさんは、なんでも頂き、お酒もたしなむことにしているそうだ。最も、それなしには成り立たない職務ゆえ割り切らざるを得ない立場とそれが許されるバックグラウンドもあるのだろうから、比較はできないけれど。

Mさんがお祈りをしている間、だれがしゃべっても常に通訳に追われ、出されたモノにも殆どハシがつけられないAさんに「やっとお茶が飲める時間ができましたねえ(笑)」と、私達は、お茶とお菓子を勧めました。

雑談の中で教えてもらったイランと日本の意外なつながり。

「コタツ」は、そのままイラン語(ペルシャ語)にあるのだそうだ。

長い手足を「コタツ」につっこみ暖を取るイラン人の姿を想像すると、なんだか笑ってしまうが、コタツ文化がシルクロードを通って伝わったのだろうか。トップのテーブルが、モザイクだったりして。)))

また、「いい加減な」を意味する「チャランポラン」はペルシャ語で、そのまま同じに使われているのだとか(!)。

パックン並の日本語でジョークを連発するAさんだから、最初はすっかりジョークだと思って聞いていたが、ホントなのでした。

これまで私の中では、イランという国が中東の一国としてのイメージでしかなかったけれど、昨日はテレビでイランの報道を見ながら、お二人の顔が浮かんだ。国名を聞いたとき、誰かの顔が浮かぶこと。これが国際交流の意義なのかなぁと、一寸思った次第。一人、ひとりの顔が思い浮かべば、戦争などできるはずもないでしょう。

外国のお料理、ライフスタイル。

「 "外へ目を向ける" というのは素晴らしい日本の文化。宗教も過激でもなく無頓着でもないレベルがいいですね」と、MさんAさん。

アメリカに正面からモノ申すイランのアフマディネジャド首相やベネズエラのチャベス首相を、ちょっと羨ましく思う今日この頃。

2006年9月3日日曜日

漢方談:高貴薬


「中国人は、財産はお胃袋に入れるんです。」

中国を旅行をした際お世話になった中国人が、食事のとき笑いながらいった一言。

広い国土を何時身一つで移動しなければならなくなるか分からない時代が続いた中で「胃袋に入れる」という考えになったそうですが、健康で強靱な体があれば、どんなことがあってもなんとかできるということにも通じますね。

成功し何もかも手に入れた人が最後に求めるのは健康と長寿。「強いモノを食べれば強くなる」「長生きの生き物を食べて長生きする」という発想も、ちょっと迷信がかったところはあるものの、生きることへの執念が感じられます。


さて、財産を胃袋に・・・の究極ですが、一昔前までは漢方薬局にも「虎の肝を入れて作ってくれ」といて、何百万も出す客がいたのだとか。今時でいうバイアグラ的発想だったのかもしれませんが、生命力を維持したいという強い願望は昔から同じなのかもしれません。

虎の肝はもはやタブーですが、先日の漢方講座では、高貴薬といわれる、ジャコウ、クマノイ、ゴオウについてお話を伺いました。

●ジャコウ(麝香)

狐と鹿の中間のような麝香鹿の雄の睾丸にある香のう分泌物(匂い袋)を乾燥したもの。で1g=1万円ぐらい。

雲南省のチベット近くに生息する麝香鹿は、絶滅危惧種にもなり、ワシントン条約で規制され、輸出入できないので今はもうありませんが、この日は、それ以前に入手していたものを見せて頂きました。

麝香はフェロモンなので、気付け薬的効能はもちろん、塞がっているものを開く働きがあるそうで、心筋梗塞や脳梗塞、自閉症などの精神障害にも用いられるのだそうです。

漢方薬局では、乾燥させた睾丸の匂い袋のみを使用するので、皮は使いません。それを、芸子さんなどがもらいに来て、和箪笥に入れて着物に香りを付けていたとか・・・。

お香や香水などmusk(英)、musc(仏)というのがよくありますが、あれは麝香のことで、マスクメロン、マスカットなど、香りのよいものにもよくmusk/musc とついています。ワインの香り鑑定の訓練に使われる香りのサンプル「Le Nez du Vin」にもMusc(仏)というのがあるので、拝借して匂いを比べてみましたが、な~んか・・・違う)))。ホンモノは、もっと獣臭といいますか、動物的な匂いで、少し離して嗅がないと、いい香りに感じられません。ちなみにCivette(麝香ネコ)ってのもありますが、これは全然異質のニオイで、はっきり言っておしっこ臭でした。

更に、辞書でしらべたら、Musk Turtle(ニオイガメ)とか、Musk-ox(ジャコウ牛)とか、musk shrew(ジャコウネズミ)とか、いろいろ出てきました。なんか、いい匂いも臭いニオイもひっくるめて、強い匂いのものに付くようです。

●クマノイ(熊胆)

熊の(胃袋ではなく)胆のう。1g=卸値3~4千円。

偽物も多く出回っているらしいですが、良質のものは、琥珀色で、冬眠前の食べ物を沢山食べ体が胆汁を沢山出している頃の熊の胆汁がいいのだそう。(最近は、熊を殺さずに、注射針で胆汁だけを取り出し加工する手法がとられているらしいです。)

熊胆には、消炎、鎮痛、鎮静効果があるそうですが、昔から胃けいれんや胆石などにはよく使われていたそうです。

そういえば、昔、黒い小さな粒の苦い胃薬を飲まされたことがありましたが、「熊なんとか丸」って名前だったなあ)))。

●ゴオウ(牛黄)

牛の胆石。1g=卸値6千円ぐらい。

1千ー1万頭かに1頭みつかるか否かという胆石は、たいへん貴重なもので、かつては牛を屠殺し、肉は男達が売りに行き、女達で内臓を食用にきれいにしている際、時々見つかり、これを売ってが女衆はへそくりをしていたとか。人間の胆石とはちがって、牛の胆石は胆汁の塊なのだそうです。

牛黄は、脳卒中や高血圧症、動脈硬化、心臓、肝臓の機能の増強、解熱、鎮痙などの効能があるそうですが、これを服用すると内臓全体が活性化され、元気になるのだそうです。

水戸黄門の印籠の中にも、いわゆる「救心」として、ゴオウが入れられていたのだということです。富山の○○(なんとか)マンキンタンや「六神丸」など、ゴオウなどの高貴成分を含むお薬は、今もがあるそうで、スポーツ選手で処方してもらっている方もいるそうです。

そういえば、ゴオウは、ユンケルにも入っていますね。でも、ユンケルにはゴオウとしての効能が発揮出来るほどの量も入っておらず、貴重な薬剤をいたずらに無効な使い方をするのはナンセンンスだと、講師先生。

牛黄については、私も出張が多かった頃、漢方薬局で勧められて「清心丸」という薬を持ちあるいていましたが「もうダメ」というほどの極度の疲労の時、これを舌の下に入れて、舐めると、ホントにもう半日なんとかなれていました。疲労時は、胃腸もくたびれているため、飲み込むより、舌からも吸収させるといいのだそうです。これが「良薬口に苦し」なのですが、効果は立証済みです。

NGO支援活動でパキスタンを訪問された方にも、餞別代わりに差し上げましたが、悲惨な状況を目の当たりにし心も体も疲れ果てダウンしたボランティアの学生に飲ませて「助かった」とのお礼を頂きました。

毎度ながら、漢方講座のお話を伺っていると、人間が生きるためのあらゆる知恵と工夫の集約であることを痛感します。今回の高貴薬ものお話も、金より高価な高貴薬も、お金で変えない健康の象徴のようですらありました。

漢方の講座で、最初にお話されたこと、それは医食同源のコンセプトです。食べ物、植物または動物は、同時に薬でもあり、なるだけなら食品という形で摂取するのが好ましい。それでもコントロール出来ないほどバランスが崩れた時は、薬で補ってやる。漢方の先生方は、一様に、サプリメントに批判的です。自然の中で生きて、生かされているということを忘れないで欲しいと、しばしば説かれるのも、私達の生活が、生きるために食べるという当たり前のことから少し遠ざかっているように感じられるからかもしれません。

「事始めにまずごはんを食べよう!」というのは、実は、真理なのであり、単純明快な基本。子供が一番に教えらてきたことなのでした。

あの中国人の、まるで「次はいつごはんにありつけるかわからない」とでも思っているかのようにパクパク料理を口に運ぶ姿を思い出し、また、おもちゃで遊ぶ感覚で食事をする昨今の子供達を思い、ふと、日本人、大丈夫かなぁ)))と思ったのでした。
【写真:睾丸を取り除いた後の麝香】