1814年、ウイーン会議。ナポレオンが敗れ、領土分割の為集まった各国の代表に、フランス外交官タレーランは、豪華なフランス料理とシャンパンを振る舞って懐柔し、会議を引き延ばし、危機を救った。
胃袋作戦というべきか・・ともあれ、これに殉じて欧米では、外交の席で、フランス料理が用いられるようになったのだそうだ。
日本は、アジアの中の「欧米」となることを選択した。
江戸の日本がいきなり欧米たらんとは、かなり強面な対策だが、欧米の圧倒的な経済力と同時に、道中立ち寄った港、港で植民地となったアジアの国々を目の当たりにしたのだから、危機感、切迫感に押されての選択無き選択だったことだろう。
政府が富国強兵の流れの中で積極的に取り入れた西洋料理。食材や調理道具の入手からして、庶民にはかなり敷居が高かったのは言うまでもない。それでもなんとかかんとか、ジワジワと日本に浸透していった過程には、どんなことがあったのだろう。
西洋料理のアンテナショップ、西洋料理店。
外国への旅客線に乗り込んだシェフたちは、フレンチを主体に料理を出していたが、なんせ当時の旅は、何週間にも及ぶもの。時々は米を食べたくなる日本人の為に、ごはんにも合う洋食を考案したりと、レパートリーにも創意工夫がなされていったという。そのシェフたちが、舟を下り、洋食屋を開業し、丘の庶民も賞味に預かるようになる。
この辺りは、なんだかフランス革命後、宮廷の料理人が職を失いレストランを開業するようになって宮廷の豪華な料理を庶民が口にできるようになる下りとなんとなく重なって、面白い。
歴史も、食文化の見地からひもとくと、また違った楽しみ方ができるというもの。
『知るを楽しむ』思いがけず、いい勉強になりました。
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作曲家は、死後100年経たないとその曲は「クラッシック音楽」と認められないとか。料理の国籍も、著作権期限を待つみたいに時間を経なくてはいけないということか)))。
カステラも天ぷらも、元は欧米から伝来したものだが、数百年を経て、現在ではすっかり日本を代表する料理になった。海外でまるで日本食の代表格の扱いであるにぎり寿司も、江戸時代に生まれたファストフードだ。
西洋料理店で出されていたオムライス、カレーライス、シチューにロールキャベツ・・・今ではすっかり家庭料理の定番メニュー。冷蔵庫にバターが常備されていない家庭も少ないだろう。欧米食は、私達の食生活の一部となっている。
料理は、いつでも庶民文化の中でアレンジされ、身近な食べ物や馴染みの食材で工夫を凝らされ代わっていくものである。
そう思うと、ナポリ市民にはお叱りを受けそうな、あの、ケチャップで炒めたスパゲティナポリタンもなんだかとても感慨深いではないか。
料理の国境は、しなやかなであっていいのではないかなと思う昨今。
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