2020年3月27日金曜日

パンデミック エピデミック(6)8−9世紀 延歴・貞観の疫病

3回に渡って6〜8世紀までの話を書いてきました。
大和〜奈良時代は、とんでもインターナショナルでビックリです。
遣隋使、遣唐使、そして朝鮮半島との往来・・・。
この時期、文化的躍進がみられたというのも、よくわかります。
日本からの遣唐使を中断している間も「朝貢に来い」と要請の使者が来たりしています。
一方で、平安時代に入ると少し内向的になっている印象ですが、大陸側は乱世ですので、沢山の難民が日本へ逃れ来たことでしょう。
継続的に疫病に悩まされているところへもって、立て続けに自然災害が降りかかり、被害が大規模になっていった様子がうかがえます。

細々とした解説は省略して、以下、ちょっと年号順にならべてみます。
紫:疫病の状況
緑:大陸の状況

● 794年「な(7)く(9)よ(4)うぐいす平安京」
桓武天皇(50代)の時代になりました。

● 796年 平安京建設中にもまた天然痘大流行。
 皇太后、皇后が病死、皇子も重篤。 
 これは冤罪で追放した早良親王の祟りか!?と、例によって「死者に位を与えて弔う」という対応をしますが、魂ではなく病原菌の問題なので、治まるはずはありません。
 
● 屠蘇散が唐から伝えられる。嵯峨天皇は、桓武天皇から2代後の天皇でした。
 嵯峨天皇(52代)が宮中で屠蘇散を一晩お酒に浸して宮中行事で振る舞ったのが、お屠蘇の起源とされています。
大陸からは疫病も来ましたが、漢方薬も持ち込まれました。正倉院には、聖武天皇、光明皇后ゆかりの品々を始めとする天平以来の美術工芸品に加えて沢山の生薬・薬品が納められていました。

● 861年 赤痢の流行

● 863-864年 咳逆(日本初のインフルエンザ?)の流行

● 864年 富士山・貞観の噴火
  文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われているらしいです。
 (ちなみに最寄りの噴火は、江戸中期の1707年、宝永大噴火。)

 867年 新羅で疫病と飢餓
 →新羅難民が海賊となってやってきて、博多、対馬、壱岐へ入港。

● 869年 貞観の大地震〜三陸津波  
 ※2011年3月11日の東日本大震災と同じ規模の地震と津波が起こったと、よく参照されるのがコレ。

これはもうきっと、全国的に死体ゴロゴロの状態です・・・・。
もはや早良親王の祟りでは済まされない事態。
疫病=祟りですから、この頃、怨霊や物の怪が見える陰陽師が大活躍。
「きっと、これまで全ての怨霊が降りかかってきたのだ・・!」
そう考えた(陰陽師にそう伝えられた)清和天皇(56代) は「皆を全て一緒に祀りましょう!」と、同年、鎮魂の為の「御霊会」を行います。
これが「祇園祭」の起源です。
オー・マイ・ガー!・・・疫病蔓延時に「祇園祭」! それこそ感染爆発、集団感染になっちゃいます!! 疫病が静まる訳ないですねえ)))。

● 875年 唐で黄巣の乱(農民反乱)

  894年 遣唐使廃止  
 唐では15代皇帝の武宗による仏教弾圧(「昌の廃仏」)が。
 菅原道真は第20回目の遣唐使のはずでしたが、唐の状況からキャンセルを進言。

● 907年 唐滅亡   
 大陸は「五代十国」(多くの民族が各地に乱立する時代)に。 

● 915年 十和田火山(青森) 噴火 
 秋田一帯に灰が降る。(「日輝かず 月の如しの出羽国・・・」/『扶桑略記』より(十和田湖は、この時の噴火で出来たカルデラ湖)

   同年、京で痘瘡流行

● 926年 渤海国滅亡 遼(契丹)*により滅ぼされる
※モンゴル系の半農半牧の民族で朝鮮の北部〜華北の一部で活動していた。唐の滅亡、五代十国の混乱から逃れてきた漢人を取り入れ強大となり、渤海国を滅ぼす。後、遼(916~1125)となる。

● 935年 新羅滅亡  高麗(918 -1392年) により滅ぼされる
※高麗は新羅を滅ぼしたことで朝鮮半島を統一。李氏朝鮮が建てられる1392年まで続いた。

● 931-938年 平将門の乱

● 946年 白頭山(現在の中国吉林省と北朝鮮国境にある長白山2744mh)の噴火 
 世界最大級の噴火で、噴火の規模は、ナポリのベスビオ火山を大きく上回る程で、
 広範囲に灰が降ったらしい ----奈良でも降灰の記録あり。

● 974年 天然痘の流行
 この時も、藤原家は挙賢、義孝兄弟が同時に病死しています。

 君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思ひけるかな 
 
百人一首にある有名なこの歌は、藤原義孝が闘病中に詠んだもの。21歳だったそうです。

● 995年 関白 藤原道隆、道兼の病死

藤原氏の摂関政治がピークの頃も、関白を務めた藤原兼通の息子たち、道隆、道兼が疫病で亡くなっています。兼通の五男が、『源氏物語』の光源氏のモデルとも言われる藤原道長。兄たちが亡くなり、彼に関白のお鉢が回ってきたのでした。

“『源氏物語』(1008年頃)が、男女の愛を軸にしながら「もののあわれ」を強調する背景には、権勢のはかなさ、人生の短さ、愛の不確実さ以上に、この不測の感染症の大惨禍の記憶が背景にある”  
 - - - と、『人類と感染症の歴史』の著者加藤茂孝氏は記しています。

日本の美的理念でもある「もののあはれ」は、疫病の影響下で生まれた!?

ちなみに、藤原道長(享年62歳)の死因は、疫病ではなく糖尿病と考えられています。

<つづく>

参考文献
「人類と感染症の歴史」加藤茂孝
「病が語る日本史」酒井シヅ
 「超日本史」茂木誠 など



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