2020年3月31日火曜日

フレグランス・バイオレンス

歴史談、ちょっと中休み。

「フレグランス・バイオレンス」という言葉を最初に耳にしたのはもう何年も前のこと。
確か、過剰な香水の使用についての表現だったと記憶しています。

化粧品の香料はもう昔からのことですし、ハンドクリームや洗剤のフレグランスはまあ仕方ないのかな〜と、なるべく優しい香りのものを選んで同じメーカーのものを使い続け、まあ受け入れて来ました。
トイレットペーパーの淡い香りなどは、まあトイレだし、悪くないか・・・なーんて思ったりもしていたのですが・・・・。

あれ!? 香り(いや、匂い)の質が変わったな、と思うことが。

近年、こんなことが増えまして、残念な気持ちです。香料分でコスト削減を図ったのか、これまでの香りでは物足りないとする輩が増えたのか・・・?

とにかく香りがキツくなった(!)。

人工の香りに浸っていると、だんだん麻痺してきて、みんな、自然の香りでは物足りないようになってきたのではないか。

世の中は、ナチュラル嗜好へと推移している動きがある一方で、こういうモノはどんどん人工になっていってる。オーガニックコットンの洋服から柔軟剤の香料の香りなどしてきたら、なんだあかとっても残念な気持ちではないでしょうか。


香料と同じことが、食べ物にも起こっています。

アミノ酸を強調した市販のタレやソース、加工食品にまみれているうちに、自然の味に物足りなさを覚える味覚の方が増えているのでしょう。

熱湯でいれたお茶が「甘い」のはおかしいし、出汁の香りは立たないのに出汁味がガッツリする和風仕立てのお総菜。
思えば、いつの間にか、出汁(だし)は、だし汁と、NHKのアナウンサーまでもが言うようになっています。
「出汁」はそもそも「汁」。粉出汁が生まれて区別する為に「だし汁」と言われるようになったのでしょう。もう、それが当たり前の時代なのです。

昨年秋に、或る友人が、和食の講座を受けたら、松茸御飯に「料理屋ではこうやってます」と、松茸のエッセンスを数滴落とされたことに、とても残念な気持ちになったとこぼしていました。確かにとても残念な話ですが、この料理人さんはお客様に「香りが足りない」とか言われたことがあるのか、はたまたご自身が「物足りない」とお感じになるのか・・・。

出汁が香る時のなんともいえない幸福感。そして自然の食材が放つ香り。)))
これらを感じ取れる嗅覚を維持するには、日頃から余分なものが入っていないものを食べていることです。 アミノ酸や出汁エキスの名前で添加されるものは、腸内でミネラルを奪い、亜鉛不足など味覚オンチの方向へ体質を変えていく成分でもあるのです。


出汁に加えてもうひとつ。
それはお茶の香りです。
バブル世代の私が若かりし頃「フォションのアップルティーとチーズケーキ」という組み合わせが流行りました。
生まれたときから、豊富な種類のケーキに恵まれていた世代には「???」かもしれませんが、70〜80年代は、ケーキ屋さんのショーケースに増えていくレパートリーの一つ一つに小さなブームが起こったものでした。
あのアップルティー。美味しいと思っていたけれど、いつの間にかすっかり飽きてしまいましたし、90年代後半の密かなマイブームでいろいろ飲み比べしたアールグレイも、一部のメーカーのモノを除いていつの間にか興味を失なっていました。

香料の香りは飽きる!

自国のお茶をもつ日本人が、紅茶をスルーして一気にコーヒー党に流れていったのは、香料浸けになった時代を経てのことではないかしら??
そんな風にも思ったりするのですが、嗜好品としての香料茶はある程度の支持をえているようでもあります。


私は、香料フリーのお茶を切望します!
紅茶や烏龍茶などの発酵茶には、香りを表現するにあたって「フラワリー」なんてのがあります。自然に生まれる花を連想させるようなほのかな香り。
これを楽しめるのは、なんとも贅沢なひとときなのです。
このテの芳香は、粘膜を伝い脳へ運ばれ、記憶に深く刻まれるようでもあります。

味覚センサーは健康のバロメーターでもあり、味蕾細胞の代謝はスピーディーで、味の記憶はとても不安定なもの。
でも、刻まれた香りの記憶は別の役割がありバックアップ機能を果たしているようです。

ノー・モア 食べ物の「フレグランス」です。

おうちの時間をちょっと少しだけ特別に変えてくれるお茶。やっぱりそのままの美味しさであって欲しい。

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