2020年4月10日金曜日

BS11で『武則天』

BS11で、ファンビンビン主演の『武則天』が、始まりました。

以前チャンネル銀河で全82話(!)が放送された際、料理教室の生徒さんが全話をDVDに焼いて持ってきてくれ、私、全部見たのですよ。(時には倍速でw)
面白かったです。

時代考証はかなり大らかですが、超が付く人気俳優陣のファンビンビン as 武則天、アーリフ・リー as 高宗、ベテランのチャン・フォンイー as 李世民/大宗らの配役、中国エンターテイメント界のパイの大きさ、そしてそのトップのの魅力が見せつけられるドラマです。

単に後宮ドロドロのえぐい話にとどまらなず、人物像や心情が巧妙に描かれてて、なかなか深い。

家で、煮込み料理でも作りながら、ご覧になるのもよいのでは?
・・・と、いいたいところですが、「ながら」で見るのはムリなドラマです。
台詞のひとつを聞き逃したら、ついて行けなくなる展開の速さ(!)
だからお茶でも淹れて、テレビの前にしかと座ってごらんになることをオススメします。


時代考証の突っ込みは端に置き、ここではちょっとドラマには描かれていない時代背景のおさらいを。

唐は618年〜907年の約300年間、皇帝は20代続いた王朝で、その時日本は、大和〜奈良〜平安時代の中期。日本がまだ「日本国」として認識されていない(倭国といわれていた)頃から「日本」として文化的にも政治的にも形づくられる時代とです。

「約300年」続いたといっても、実のところ唐の全盛は武則天の孫にあたる玄宗帝のころまでで、その後は、なんだかパッとしないのです。。。
それを反映するかように、合計19回送り込まれた遣唐使も、3代目の高宗〜武則天の頃までで8回、玄宗帝とその次の代で7回と、ほとんどは前半だけ。後半は唐もだんだん乱れて仏教弾圧(840~846年「会昌の廃仏」)もあり段々先細り、最後は菅原道真(20回目で行く予定だった)がリスクに見合う利益はないと進言し、取りやめとなりました。

このドラマの時代で私達がよく知っている人物は、なんといっても唐の幕開けと同じ時代を生き太宗の庇護を受けて天竺へ旅だった玄奘三蔵(602~664年)ではないでしょうか。
太宗の後を継いだのが高宗そしてその皇后&則天武后(高宗の死後、女帝・武則天となる)で、その治世は649~705年。
(※武則天というのは「皇帝になった」呼び方、則天武后は、皇后の呼び方。)
武則天も熱心な仏教信者だったとか。仏教の力を大いに活用したであろうことは、龍門石窟奉先寺の廬舎那仏を自分に似せて造らせたことからも分かりますが、ドラマには一切描かれていません。
ドラマでは、殷徳妃が熱心な仏教徒として描かれ、ヒマさえ有ればもくぎょうを叩きながらお経をよんでいます。

『武則天』、これからいろいろな女官や後宮の女、宦官たちが生き残りを懸けて様々に足掻きます。激しく、逞しく、切ない!!

後宮のトップレディー3人と、身分について知っておくと、ドラマが一層楽しめます。

 <唐代(前半)の妃嬪制度>
   1 皇后
   2 貴妃(正一品) 
   3 賢妃 徳妃 淑妃 (正一品) 
   4 (九嬪)昭儀 昭容 昭婉 
         修儀 修容 修婉
         充儀 充容 充婉(正二品) 
   5 正三品 しょうよ
   6 正四品 美人
   7 正五品 才人

ドラマに出てくる韋貴妃は、韋一族出身の貴妃の地位の女性。
楊淑妃は、楊一族出身の淑妃。(楊一族は隋の王族)
殷徳妃と合わせて2人は正一品という皇后に次ぐ身分です。
もう一人劉賢妃がいらしたのですが、第2話で早くも殺されてしまいました。

ドラマの最初は、武則天(ファンビンビン)は、武一族出の才人(正五品)です。
武則天の孫にあたるのが玄宗帝です。
玄宗帝の貴妃、楊貴妃は、楊一族の人。
皇后に次ぐ貴妃の地位だったということになります。

全82話で週4回20カ月。
このドラマの放送が終わる頃には、どんな日本になっているでしょうか??



<おまけ>
『疫病と世界史』(下巻)の巻末にある「中国における疫病」を見ると、朝鮮半島への遠征の頃に何度も山東省や満州南部で疫病が発生しています。
・・という訳で、同時期、日本は疫病続き。「パンデミック エピデミック(6)」参照


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