2020年7月18日土曜日

「くやしい」

新型コロナで、まだあちこちドラマも足踏み状態のところ・・・いよいよやっと『半澤直樹』(!)。
前回の総集編もバッチリ見て、スタンバイしています。

前回は、半澤が、ネジが食い込み血が滲むほどに握りしめた悔しさをバネに大奮闘で、見事な大逆転!
水戸黄門にも通じる爽快感と、青春ドラマにみる熱量、それに仇討ちとサラリーマンの哀愁が盛り込まれ、圧巻でした。
今回も、華のあるベテラン俳優陣のキャスティングに更なる+αとなれば、そりゃもう大ヒットに決まってる。

超アグレッシブで挑発的な台詞も、堺雅人のちょっと高くて明るい声で言われると、熱いのに涼しい(笑)。スリムなのに体幹の定まった体で機敏に動くさまは、ドラマ全体に軽快なリズムを作っている。あ、これは堺雅人さんだけではなく、及川光博さん、愛之助さんもそう!  皆さんとっても軽やかで、まるでワルツのステップのような美しい動き。))

嗚呼、でもまだ戦いは続くのだ。))

一筋縄にハッピーエンドにならないところがまたリアルで、目が離せないのであります。
全く世の中ってそんなもの。不公平、不平等にできている。これはもうほとんど人間の性ではないかと思うくらい、昔からずーっとそうなのだ。が、そんな中でも、小さな不公平や不平等をいちいち嘆くのではなく、エイヤッ!と、飛び越えてしまう人がいる。
半澤も、そんなひとりなのでは?
理不尽さを越え、社会的にも生き抜く生命力が、私達を惹き付けて止まないのでしょう。

新型コロナで、生物学的な生き残りの方が大変な昨今ではあるけれど、それでも、社会的にも生き抜かねばなりません。命ある限り、大小の葛藤と戦い続けるのが生きるということなのかも知れません。

半澤・・といえば、堺雅人さんの「くやしい」顔が真っ先に浮かんできますが、今回も何度も見ることになるのでしょうねえ、あの顔のクローズアップ。)))


ところで、「くやしい」ってどんな感情なのでしょう?

辻 静雄 氏のエッセイやコラムをまとめてある『料理に「究極」なし』(文芸春秋)に、「くやしい」というタイトルのものが載っていました。
これは、日光山輪王寺での文化講座でお話された内容を活字におこしてあるものなのですが、「くやしい」とは、その講座のタイトルだったようです。

飲食の商売の現実を様々な角度から、どうしようもなくくやしい思いをすることが実に多いのだというお話をされた後で、「くやしい」とは何なのかを、以下のように語っておられます。

"悔しいという感情には非常に微妙な、自分自身を痛めつけると同時に、ほかの人に頼むことが出来ない、お願いすることが出来ない、違う方法で考えてくれという訴えを起こすということと違う分野の感情がこちら側にあるんだということで、非常に悶々とするということ。
 くやしいという言葉は、満足していないとか、あるいは不安であるとか、そういうのとは余り意味が近いところにないんですね。非常に画然としたくやしさというのがあって、自分がくやしい思いをしていると言うこと自体、非常に確固とした意思を持って、自分の心の中にあり、その感覚なり感情を押しとどめて我慢しているものなんだというふうに考えております。 
 例えば、私がこれだけのことをしてあげたのに、あの人はそのように受けとめてはくれなかった。それを自分が考えているように、あの人も一緒に考えてほしい。同じ理論上の考え方を感情的に通してほしいということは、ひとには頼めないことですね。これがくやしいと言うことだと思います。”


ちょっとスッと入ってこない言い回しが、ある実感をもって語られているのだとも思います。不満や不安ではなく、自分がダメージを負いつつも、耐えている状態で、思いと反したことを受け入れるという決断であり、怒りと情けなさも交じった非常に理不尽な状態。
涙、嫉妬、怒りという感情については説明がついても、改めて、くやしいという感情を弁明するのは難しい。それは、やっぱり「人には頼めない」「分かち合えない」性質で、かつ、それを「押しとどめている」状態のことだからなのでしょうか。

理不尽なことが多発する新型コロナ下で、くやしさを噛みしめている飲食店の方々や経営者さんその他、沢山おられると思います。
サラリーマン半澤の悔しさは、一見飲食経営者のそれとは異質のようにも思えますが、悔しさの本質は同じであることがわかってきます。
妻の花ちゃんとも分かち合うことができない質のもの。故に、半澤は、ネジを握りしめてそのどうしようもない悔しさと対峙しているのです。

半澤直樹、今回も英知と頑張りでの大奮闘、楽しみです。
そして…今回こそ、抱えてきたくやしさを、昇華させてほしい…!!
(ああ、でもそれは、社会を変えるって次元までいかないと無理なのかもしれませんが。)

様々に悔しさが溢れる昨今。エネルギッシュなドラマを見て、自らの生命力も鼓舞したいものです。





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