2019年11月28日木曜日

『大草原の小さな家』(余白)〜ローラが生きたアメリカ〜

『大草原の小さな家』は、ローラ・インガルス・ワイルダー(1867~1957)の自叙伝『Little House in the Big Woods』を元に作られた小説をドラマ化したものです。

TVドラマは、1シーズン22〜24話  × 9シーズンの構成となっています。

ドラマのウォールナットグローブでの暮らしは、一家が安住の地を得たかのように見えましたが、実際はそんなに長くは続かず、原作にはもっと厳しい暮らしぶりが描かれているのだとか。一家はしばしば貧困にも苦しみますし、社会の荒々しい人間模様も垣間見ることになるのです。

原作にある実際のローラの軌跡は、以下の通り。
ローラが生まれた地は、ウィスコンシン州ペピン。7歳頃から15−16年間、カンザス州、ミズーリ州、ミネソタ州(ウォルナットグローブはここにある)と、中西部を転々とし、1879年、最終的にサウスダコタ州に定住します。
成人したローラは、この地でワイルダー氏と結婚。結婚後のローラは、夫の病や子供の死、火災、干ばつなどの災いにも見舞われ、ミズーリ州マンスフィールドへ転居しています。

インガルス一家と結婚後のローラが移動した中西部は、独立したてのアメリカ合衆国が、フランス代表ナポレオン・レオポルトから買い取ったばかりの元フランス植民地“ルイジアナ”* の地でした。
*ルイジアナの「ルイ」は、フランス王の「ルイ」に由来。現在のルイジアナ州とは異なり、ミシシッピーからカナダまでの広大な範囲を指します。この翌年、ナポレオンは皇帝に!

インガルス一家は、開拓した土地は自分のものになる*という希望のもとに、新天地に乗り出したアメリカ版「満蒙開拓団」だったのかもしれません。
*ホームステッド法(自営農地法):1862年、西部の未開発の土地1区画(約65ha)に5年間住んで耕作したら、無償で取得出来るという法律。リンカーンが署名して施行となった。


最後に、ローラが生きた時代が、アメリカ史のどの部分を担っていたかを確認する意味で、ちょっとおさらいしてみましょう。

15世紀末〜16世紀、アメリカは「大航海時代」のヨーロッパ人により「発見」され「探検」され、それを機に、入植がはじまります。その中心となった国々は、スペイン、フランス、イギリス。
スペインは、メキシコ湾あたりから入植。フランスは、東海岸北、セント・ローレンス川から入植し、五大湖水系を制してミシシッピ川沿いに南下、大陸の「中部」を陣取ります。
そしてイングランドは、本国の宗教政策をよしとしないピューリタン(清教徒)らが中心となり、東海岸に13州を建設しました。
*イギリスは、国教会を立ち上げたヘンリー8世、続いてスペイン王家の母の影響でカトリックのメアリー(ブラッディ・メアリー)王女でくちゃくちゃしていた時代です。))

東海岸には、ドイツやオランダからルター派の一派など、宗教的自由を求める者達も多く移り住むようになり、やがて先の13州が重税を課してくる本国イングランドからの「独立」を宣言(1776年)。州を “unite(統合)” し、アメリカ合衆国を立ち上げます。
初代大統領は、ご存知ジョージ・ワシントン。彼は独立戦争時の植民地軍・総司令官でした。

自由主義を掲げて憲法を発効し、通貨も「ドル」に決まり、更にスペイン、フランス、イギリスの植民地を次々と割譲させたり買い取ったりで、領土を拡大して国としての体制作りに着手。建国から80年足らずで、カナダ以外の北アメリカ大陸の土地の殆どを手に入れています。*添付地図参照
そして、新しく得た土地は、開拓民に開拓させ払い下げていったのです。





銃を手に自然と格闘していた開拓民が多いのは中西部。(ここは今でも銃規制に反対の地域)。

独立から80年後、南北の産業の違いや州の自治を望む南部と連邦の中央集権を目指す北部の対立から「南北戦争」(1861-65)が起こります。これは経済上の利害を巡る戦争でもあり、統一国家となるための「アメリカ版関ヶ原」の戦いでした。自由平等の精神を謳う民主的な憲法と奴隷制度が言い訳の付かない突っ込み所だったこともあり、奴隷解放を掲げた北軍に有利に作用しました。
南北戦争の後、社会の受け皿も無いまま解き放たれた黒人たちは、すぐに暮らしに困ることになり、仕事を求めて都市に流れ込み、スラムが形成されていくのでした。

自由平等を掲げたアメリカも、宗主国生まれ、植民地生まれ、先住民、奴隷、これら様々な組み合わせの混血によって、社会の中に階級の違いが出来上がったりして、なかなか「理想の地」とはいかなかった様子。貧富の差も広がります。

外交面では、ヨーロッパ諸国の帝国主義の嵐の中、中立を保ちたかったアメリカですが、ヨーロッパはアメリカにとっては大きな市場でした。
戦時特需もあり、国の財政が潤い国力を増し、やがて各国に資金提供することで影響力を強めていきます。
第一次世界大戦の戦後の超好景気〜投機ブーム(バブル景気)、そして1929年、大恐慌がーーー。それは世界へ波及し甚大な被害をもたらします。アメリカは、ニューディール政策で自国優先の政策を、イギリスやフランス、オランダやベルギーなども連携してブロック経済を実施、グループに入れなかったドイツやイタリアは、自力で景気を回復させることが出来ませんでした。(日本もイタリア、ドイツと同様。)こうして国際秩序は破綻し、気が付けば、第二次世界大戦へーーー。
ここに至り、アメリカ経済は、軍事経済により完全回復をみる訳です。
戦後は、世界大恐慌の影響を受けなかった社会主義国ソ連と、第2次世界大戦のダメージが少なかったアメリカでの冷戦の時代へーーー。そして朝鮮戦争、ベトナム戦争などの代理戦争・・・。


ローラは、二つの世界大戦の間に『インガルズ一家の物語』を書き(60歳すぎていました)、これら全ての戦争を体験しています。



『大草原の小さな家』を心温まるファミリードラマとしてとらえていた自分は当時、こんなハードな背景など思いもしませんでした。

歴史を鑑みると、アイスランドを買おうとしたトランプの頭の中は、19世紀か!?
と突っ込みたくなりますし、自国優先主義、関税についても、なんだか嫌な気配を感じざるを得ません。)))



ドラマを見ていた小学生(私)は、大学生になって、移民の子孫達と学舎を共にすることになりました。
一軒家をシェアして暮らした仲間たちは、20世紀になってから大陸に渡ってきた移民の2世達ーーーイタリア系、日系、中国系×日系、韓国系アメリカ人、カナダ系イギリス人。

日系の母を持つ友人は、自分達のルーツが記された本をくれました。
本には、20世紀初頭の日系開拓民の写真が載っています。そして本の末尾に「スリー・ジェネレーションズ」と題した写真があり、まだ幼い友人の姿が映されていました。

アメリカで出会った友人たちのファミリーヒストリーに思いを馳せつつ、このテーマを終わりにしたいと思います。







2019年11月22日金曜日

12月 料理教室のご案内


12月21日、西風新都内「大塚公民館」にて、一日講座、「ご馳走お粥」の教室をさせて頂くことになりました。

スープとしてのお粥の美味しさを再発見していただける機会にしたいなと考えています。
中国スタイルの美味しいお漬けもの、揚げパンなど、サイドディッシュも充実です。
お申し込みは、082-849-1841 大塚公民館まで。(受付締め切り日は12/16ですよ〜)
広島市内どちらからでもご参加可能です!!





2019年11月21日木曜日

『ホテル・ムンバイ』

監督/脚本/編集:アンソニー・マラス

2008年 ムンバイで起きた無差別同時多発テロ。そのターゲットのひとつだった五つ星のタージマハル・ホテルで、宿泊客らの救出に奮闘したホテルマン達のことを描いた映画。

ある人は「責任感についての映画だ」・・と。
プロフェッショナルとしての責任感、いやプロフェッショナルが責任感といってもいい。
何に責任を持つのか。
旅行業やホテルなら、何よりお客様の安全安心でしょう。

主演は、『スラムドッグ$ミリオネア』(2008) で青年ジャマール役、『ライオン〜25年目のただいま』で成人したサルー役を演じたデヴ・パラル。

彼は、監督に、デヴ・パラルありきでこの映画を作ると言わしめるほどの、天性の個性を持つ才能豊かな俳優さん。
「この俳優さんが出演を決めた作品なら・・・!」
 映画を選ぶときに、こういう基準もあろうかと思いますが、デヴ・パラルもそんな俳優さん。作品選びがよいです。そして監督のアンソニー・マラス氏も、私にとって
「この監督さんの作品なら・・・!」
ということになりそう(!)な予感です。
彼のバランス感覚、描写のセンス、弱すぎずくどすぎず、押しつけがましくなく、見る側に考えさせるメッセージをしかと残す。

この映画で、テロリスト以外の出演者は皆主演と言うべきかも知れないくらい、ひとりひとりの描写がしっかりしていて、リアルでした。
ホテルを占拠し司令塔からの指示で動く青年たち=洗脳された若きジハード側の描写もリアル。

同じくテロを描いたC. イーストウッド監督の『15時17分、パリ行き』(2018)は、ヒロイズム的で、事件の原点となるテロに至るテロリスト側の描写が皆無なところが少々不満だったけれど、この映画は、テロリストたちの実体も短いながらも印象的に描いていて人間性のメッセージとなっています。

あの場に自分がいたら、どうするだろう?? 
旅行者として滞在していたら?
または旅行の御世話をする側だったら?
お客とホテル、両方の立場で考えさせられます。


あ〜〜それにしても、始終ドキドキ。
見応えのある映画でした!!
マハラジャホテル「ウマイド・バワン・パレス」(2014年の旅より)
映画のホテルムンバイもこんな雰囲気。
ちなみにホテル内のシーン、ロケ地は地方のマハラジャホテルだとか。

2019年11月16日土曜日

2019年11月11日月曜日

『大草原の小さな家』— 料理編7 ドリンク

料理編の最後に2、3、飲み物を取り上げます。

お父さんはウォールナットグローブに家を建てる時、井戸も掘りました。この水が、一家の生活を支えていました。

ドラマでは、専らコーヒーを飲んでいるような印象を受けます。でも本には、ケンブリックティーというのが載っていました。なんだかイギリスっぽくて洒落た名前なので何かと思ったら、その内容は、薄めたミルクに紅茶をちょこっと落としたもの。つまり子供用の薄〜いミルクティーです。だから時々は紅茶も飲んでいたのかもしれません。
ローラ達は「これを飲ませてもらうと、大人の仲間入りをした気分になった」そうです。


アメリカには、ボストン茶会事件*を経て、英国から独立を果たした歴史があります。そのためイギリスの象徴的飲み物である紅茶は敬遠され、コーヒーを多く飲むようになったといいます。
*イギリス本国から植民地側に一方的な税率で税金を課すので、とうとうぶち切れて、税の対象で象徴的だった茶箱を、積み荷から下ろさせずに海に捨てたという暴動事件。

でも、レモンの入ったアイスティーはアメリカ生まれなんですよね。

今、アメリカらしい飲み物と言えば、一番にコカ・コーラが浮かびます。
でもこれは1890年代になるまで登場しません。(コカ・コーラカンパニー設立は1892年で、南部ジョージア州アトランタにある製薬会社の開発です。)
ドラマ・シーズン1の19話(『大草原の小さな家』はシリーズ9まであり、各22-24話ある)「サーカスのおじさん」の中で、万病の薬といって重曹や重曹水を飲ませると、皆が治った治ったと元気になった(気がした)エピソードがありました。重曹水は、要するに炭酸水です。確かに胃は一瞬スカーッとしたことでしょう(笑)。
医師のベイカー先生以外はみんな騙されてしまうので、この頃は炭酸もまだ一般的ではなかったのだろうと思います。

この時代、爽やかなソフトドリンクといえば、レモネードジンジャーウォーター

ジンジャーウォーターは、大量に汗をかいたお父さんが、水をがぶ飲みしてもお腹が冷えないようにという薬膳的配慮で、生姜とお砂糖を加えた飲み物だったようです。
ちなみに生姜は、生が手に入らないのでドライのパウダーを使っていました。
炭酸飲料が普及してくると、これが「ジンジャーエール」に取って代わられたのでしょう。「ジンジャービール」なんてのもあるのですが、「エール(ale)」は本来ビールを指す言葉ですから同じ意味です。(※ジンジャーエールはノンアルコールです。)

もうひとつ、エッグノッグ(Eggnog) をご紹介しておきます。
一言で言うなら、生クリームでつくった濃いミルクセーキ。よくラム酒やブランデー(またはウイスキー)、そしてナツメグが加えられます。
ローラの家(インガルス家ではなく、ローラが結婚してから築いたワイルダー家)のレシピは、ナツメグがたっぷりでノンアルコールでしたが、通常家庭でつくったものにはお酒がしっかり入っています。なので飲み口の良さから調子にのってお代わりしていると、酔っ払ってしまいます(経験者)。

私の知るアメリカでは、エッグノッグは、クリスマスのときにだけ作られていましたが、ローラの本には、クリスマスに限らず病気や身体の弱っているときにアルコールを加えて飲んでいたとあります。ちょっと日本の卵酒と似ています。
卵酒も湯煎で丁寧に作ると、とろ〜り濃度がでて似たような仕上がりになります。
スパイスの中でも温熱効果が一際高いナツメグとお酒を加えれば、更に身体が温まることでしょう。卵とミルクと砂糖入りで栄養価も高い。確かにエッグノッグは養生食ですね!(まあ、アルコール入りのところは臨機応変に・・ですが(^^;))

『小さな家の料理の本』で紹介されているのは、ローラ達が食べてきたものの、ほんの一部に過ぎませんが、そこかしこに生活の記録が散りばめられています。
こうした本も、時を得て、日本の日記文学に通じる貴重な資料となっていくかもしれません?

ローラの生きた時代、ビタミン、ミネラル云々だの「一日何品目」、「炭水化物は減らして」だのという考え方など有るはずもなく、手に入るものでお腹を満たしていた暮らしでした。
それでも、ローラのお母さんキャロラインは84歳、ローラは90歳まで生き抜いています。
一方お父さんの方は、66歳とちょっと早死。
腰まで水に浸かって幌馬車を引きながら川を渡ったり、吹雪の中で狩りをしたりと、無理を押して家族のために大奮闘し続けたのが影響したのでしょうか。
ドラマ上でメアリーは後に病気で失明し、盲学校の先生になるという展開だったと記憶しています。ドラマと原作は少し内容が異なりますが、メアリーも、早死にで、63歳で没しています。

「食の健康」「薬膳的食べ方」等と、選択的に食べることが語られる現代は、恵まれた時代なのだとしみじみ思います。でも、ローラ達が今の私達の食事情を知ったら「“食の安全” を心配しなくてはいけないなんて、大変ね!」と、思うかもしれません。

命と向き合い、生かされていることを実感できる暮らし。そして、食べ物に感謝しながら皆で食卓を囲む暮らし。料理そのものよりも、そんな暮らしの有り様が『大草原の小さな家』をより魅力的にしているのだと思う次第。

<あと1本書きますw>


2019年11月1日金曜日

『大草原の小さな家』— 料理編6 アップルパイ

インガルス家がウォールナットグローブの町に落ち着きキャンプのような生活から一転、(30キロ圏内というアバウトさではあるけど一応)鉄道もあり、教会も学校も、(唯一だけど)オルソンさんのよろず屋もあって、医師(ベイカー先生)も居る暮らしへ。

安心の暮らしになったようにも思えるけれど、食用の肉はやっぱりお父さんが狩りをして獲ってくるし、木の実を採取したり、家畜の世話をしたり、ローラたちも、多くの時間を食事の為のお手伝いに費やさなければなりませんでした。
ローラの自叙伝には、食事の喜びと沢山の料理の話が出てきます。それは、食べる為に働く時間が多かったことの証しでもあります。

インガルス家にオーブンが来て、元々お料理上手で働き者のキャロラインのレパートリーは益々広がったことでしょう!
パンはダッチオーブンでも焼けるけど、パイはやっぱりオーブンでなくては。

お肉のパイもいろいろ作っていたようです。
パイはちょっとスペシャルなお料理。
お母さんがオーブンで焼いた季節折々のパイで、ローラ達は季節の収獲を楽しんでいたのでした。

『小さな家の料理の本』には、先に紹介した「ビネガーパイ」以外にもいろいろなパイが掲載されています。

   カスタードパイ
   パンプキンパイ
   干しリンゴと干しぶどうのパイ
   ミンスパイ*
   ハックベリーパイ*
   アップルパイ

*“ハックベリー”とは、多種ある野生のブルーベリーの中でも地元で採れる土着品種を指す言葉のようです。

*ミンスパイとは、クズ肉を叩いたミンチと刻んだドライフルーツを合わせて増量にしたフィリングのパイのこと。


さて、やっとアップルパイ談です。

アップルパイは「二つ折りのパイ」「アップルパイ」の2種が掲載されています。
前者はバターを贅沢に使ってフランス菓子にあるような層を作る上等バージョンですが、殆どのパイは、手軽な練り込み生地で作られています。

ドラマでは、ウォールナットグローブの町のお祭りでパイコンテストが行われることになり、キャロラインも出品するという回がありました。
家族は一足先にお祭り会場に出掛けますが、キャロラインは残ってパイを仕上げ、持っていく仕度をしていました。出掛ける間際、ちょっと前に農機具で怪我をした足が疼くので、戸口にパイを置いて一旦屋内にもどり、傷を消毒します。
が、時既に遅し。キャロラインは、破傷風菌に冒されていて、高熱を発しそのまま倒れてしまうのです。
パイコンテストのお話だ ♪ と思って、わくわくしながら見ていたのに、思わぬ展開でドキドキしたことを今もよく覚えています。

なんとかキャロラインは九死に一生を得ますが、あのパイはどうなったのでしょう??
確かあの時のパイはアップルパイだったと記憶しています。

ドラマの最後までお目見えすることの無かったキャロラインのアップルパイ。
アーミッシュのお菓子の本に載っているアップルパイを眺めては、こんなパイだったかな〜??なんて、今でも時々思うのです。


写真1:バター多めの練り込み生地でできたアップルパイ
(写真:手持ちのアーミッシュの本から借用)
古今アップルパイをご紹介・・・といきたかったけれど、「古」といってもローラの時代から1世紀しか経ていないアメリカンアップルパイ。受け継がれる味もさほど代を重ねておらず、変わっていないかな??

ですが、ローラの頃にはこんなパイは無かったかも(!)。[写真2]

写真2:More than Just Ice Creamのアップルパイ
手持ちの写真が無いので、ネットから引っ張って来た画像です。悪しからずm(_ _)m
これは、私が暮らしたフィラデルフィアで、Philly's taste、Best of Philly10 などと地元紙にしばしば登場していた More than Just Ice Creamというアイスクリームショップのアップルパイです。

イートインすると、こんな感じに[写真下]。
写真3:熱々のアップルパイにたっぷりアイスクリームというのが定番の食べ方
アメリカの人って、ホントにアイスクリームがだいすき

もぉ〜〜〜、パイだけでお腹いっぱい・・・!
最初、このパイに挑むには「パイで食事代わり」とする覚悟が必要でしたが、意外にもフィリングのリンゴはシナモン効かせて砂糖控え目。
アイスクリームを控えれば、結構イケちゃうのであります。
かくして、私にとっての「アメリカンアップルパイ」はコレ(!)と相成りました。

「アメリカのおもてなしとは “お腹をいっぱいにすること” なのだな・・・」とも、ここのアップルパイを通して、学習した次第。

いつかもう一度訪れてみたいと漠然と思っていましたが、2018年秋、43年続いたこのお店は、惜しまれつつも閉店となっていました・涙。
いつ行ってもお店の方が店先で沢山のリンゴの皮むきをしていた情景が、懐かしく思い出されます。

ちなみに『小さな家の料理の本』には、アイスクリームのレシピも出てきますが、ローラが結婚してワイルダーになってからのもののようでした。

* * * * *

おまけ

写真4:お店のサイトより借用。https://theblueowlbakery.com

これは、More than Just Ice Creamを検索中に見つけたミシガン州のベーカリーThe Blue Owl Bakeryの Levee-High-Applepie。(堤防アップルパイ!? )

お菓子≒Sweets は、アメリカに於いて、とても食事に近い立ち位置だと思います。

それにしても、やっぱりパイ生地とリンゴのバランスって大事だと思うのですけれども・・ねぇ)))。

<つづく>


2019年10月30日水曜日

『大草原の小さな家』— 料理編5 オーブン談


これは、明治時代のベストセラー『食道楽』(村井弦斎・著)の挿絵です。
日本の洋食を牽引していた大隈重信邸の台所がモデルだとか。千客万来の大隈邸、おかっての真ん中後方に鎮座する黒いオーブンは、イギリスから輸入されたもの。
料理編1で触れた、ローラがお母さんにプレゼントしたのと同時期のものだと思いますが、こちらは大層立派です(!)。
でも両方とも、石炭でも電気でもガスでもなく、薪をくべるオーブンです。

オーブンとは「火元の熱源を賢く使う変換器のようなもの」。
そんな風に認識したのは、フランス・プロバンス地方アヴィニョンのホテル・ラ・ミランド、そしてブルゴーニュ地方の施療院オスピス・ド・ボーヌ(1451年設立の市民病院/オテルデューL'Hôtel-Dieu =「神の館」の意)を訪れたときでした。

ホテル・ラ・ミランドは教皇庁裏に隣接する建物で、かつては枢機卿邸宅でした。アヴィニョン捕囚(1309〜1377年)以来ですから、700年の歴史があります。現在はブティックホテルとして使われており、南仏特有の明るいトーンの中にも重厚さを秘めた素敵な佇まいです。
このホテルの地下には、薪を使うクラシックオーブン[写真1]が設置されたキッチン&ダイニングがあり、そこで地元レストランのシェフや料理研究家を招いての料理教室が開かれていたので、30代の頃参加しました。

教室では、このオーブンに薪をくべて料理を作ります。
フラットなオーブントップには、乗るだけの数の鍋をいくつも置いて加熱することができます。数カ所丸く開けられる箇所もあり、直火も可能[写真2]。右端には、お肉を回転させながらあぶり焼きできるグリルコーナーもあります[写真4]。ちなみに、オスピスのグリルは、鳩時計のような絡繰りゼンマイ仕立てで自動回転機能付(!)スゴイ!
グリルで焙り、またオーブンで焼き・・・その熱源でソースを作る。
フレンチがソースの料理であるということのベースが、この巨大な調理システム器機から感じ取れました。

更に、オスピスのオーブンには、なんと温水システムまで組み込まれていた!!
内部に水を溜めるタンクがあり、伝わる熱で温められ、鴨の首型の蛇口から温水を汲み上げられるようになっているのです[写真5]。お湯がでる蛇口ならぬ鴨口ですw  
いやスゴイ!

ホテル・ミランダのオーブンは今も現役。オスピスのオーブンは20世紀中旬まで現役だったそうです。

このようなスタイルのオーブンがヨーロッパで何時頃からあったのか、ちょっと調べてみたけれど、正確な時代はよくわかりませんでした。アメリカでは、1900年にはほぼ普及していたようですが、インガルスファミリーの暮らしている西北部は、特に遅かったエリアのようです。

お肉とソースをお皿に盛り、ソースと共に「文化的に*」食べるようになる頃には、既にこのようなオーブンが普及していたのではと想像します。
ちなみにスプーンはかなり古くから、フォークの方は1553年、パスタ文化のナポリからフランスへ輿入れしたカトリーヌ・ド・メディシスが伝えたといわれています。

*手食が野蛮で非文明的とか不作法で不衛生という認識は、偏見に過ぎません。
日本のお寿司、欧米や中東のパンも手食。世界の歴史を振り返っても、手食を基本としてきている流れは無くなっていないし、手食を最も潔癖としている国もあるのです。

ドラマの第1話で描かれていたように、アメリカ開拓民の旅の暮らしは当初、キャンプのようでした。設備が無いからたき火料理をしていただけで、母国ではオーブンを使う暮らしがあったわけで、オーブンについて、その料理についても知識を持っていました。
だからインガルス家にオーブンがやって来た途端、食生活は劇的に豊かになったはずです。

片や大隈邸の厨房では、オーブンが来て、まずは西洋の料理を学び、肉について学び、オーブンの使い方を学び、そのための道具や食材を揃え・・・というところから。これには明治の女達の大変な努力があったことでしょう。だからその手引きにもなる『食道楽』がベストセラーとなり、名家の子女たちの嫁入り道具となったのです。

台所を観れば、暮らしがわかる。
竈とオーブンが並ぶこの挿絵もいろんな情報を発信しています。
歴史的建築物を訪れると、キッチン(ついでにトイレとお風呂も)が観たくてたらず、よく尋ねてみるのですが、武家屋敷や美術館(元はお城や官庁だった建物)では、大抵は事務所スペースになっていたりします。残念!

さて、オーブンまできましたので、いよいよパイの話にしましょ!

写真1:ミランデホテルのクラシックオーブン
写真2:オーブントップは、何カ所か開けられるように出来ています。
写真3:オーブン(窯)のコーナーその1(このオーブンには2カ所オーブンになる箇所がある)
写真4:グリルコーナー
写真5:オスピスの厨房  鴨口から温水が出る仕組みになている
写真右:料理教室を仕切るオーナーの婿養子さんと地元料理研究科のエスペランデュさん
写真左:私が手にしているのはプロバンス料理の定番ペースト、タプナード。

★オマケ:
今では中・上級キャンプグッズのひとつでもあるダッチオーブン*は、幌馬車で移動したり簡易な家での暮らしの中で使うのに重宝された、最小の携帯オーブンでした。

*ダッチオーブン(Dutch Oven)=「オランダ人のオーブン」の意味。
 この名前の由来には、オランダ系移民が売っていたという説や、オランダの鋳物の技術を利用していたからという説、またはイギリス人が「〜もどき」の品物を「ダッチ〜」と呼ぶ習慣があったため本物のオーブンではないけれど」という意味合いで「ダッチオーブン」とよんだという説等々、諸説ある(ウィキベディアより)・・・らしいです。
私は最後の説に一票。その理由は以下の通り。
Go dutch(割り勘)、Dutch Concert(雑音)、Dutch roll(すごい揺れ/千鳥足の酔っ払い)、in dutch (ウケが悪い)、Dutch courage (お酒によるカラ元気)等々、ダッチは、ケチ、安上がり、質が悪いというような、あまり良いニュアンスでない言葉があります。
大航海時代の先駆けポルトガル、スペインを追いかけ、小国ネーデルランド(オランダ)とイングランドが進出。オセロのコマを裏返すように、両国が先国の植民地を奪い取っていくという流れがあり、両国はライバル関係でもあったから。
アメリカ大陸おいても覇権争いがつづいて、マンハッタンなどネーデルランド(オランダ)領だったところをイングランド(イギリス)が奪取し「ニュー・ネーデルランド」から「ニュー・ヨーク」としています。

ローラのお父さんは、チャールズ、お母さんはキャロライン。お姉さんもメアリーという名前ですし、登場人物の名前からして、ウォールナットグローブの人々はほとんどイギリス系かな〜と思いますが、先住民にも優しく、きっとDutch!なんて言わなかったことでしょうね。

<つづく>