2011年11月2日水曜日

冬虫夏草


冬虫夏草。
日本で買うことを思ったら・・・と、ちょっとそそられたけれど、それでも高価。
軽く手の平にのせて、測ってもらったら1〜2万円(ギブアップ)。

写真は、カジノホテル・ベネチアン内ショッピングモールで、ショーウインドウに飾られていた物。
ウン十万円也。

こういうものは、やっぱりカジノで勝った人が買うのでしょうか)))。

「冬虫夏草」。
チベット、ヒマラヤ地方、雲南省あたりが原産(コウモリガ科の蛾の生息地)。
蛾の幼虫にキノコの菌が寄生してこのような姿になるらしいですが・・・・。
キノコなんだかイモムシなんだか。

益腎補陽の強精強壮・不老長寿の妙薬。細胞免疫力を高めるとされる高貴薬。
アガリクスの17倍、キノコの170倍もの多糖体βグルカンや、メラトニンと含むことから、その効能は化学的にも裏付けされているようです。

イモムシ系のものに滋養があるというのは、世界各地の虫食をみわたすと浮かび上がってきます。そのイモムシを栄養に育つキノコ・・・生態系ピラミッドが逆転した化学変化がおこるのかも!??


家鴨のお腹に冬虫夏草を詰めて煮る薬膳スープがあるそうですが・・・、お腹の中で乾物の冬虫夏草が「戻った」姿を想像すると、なんだかグロテスクじゃありません??
何かとオカルティックな中国の食風景です。



2011年10月26日水曜日

澳門


マカオ側の埠頭16号 から対岸中国本土のビュー。
フェリーでほんの10分の距離です。


こちらは反対のマカオ半島側のビュー。

2011年10月25日火曜日

澳門

歴史地区のランドマーク セント・ポール天主堂跡
(舞台のセットみたいでしょ。焼失してファザード部分しか残っていません)
マカオ半島には、キリスト教弾圧の時代に日本から移り住んだ日本人たちの痕跡や・・・
海外貿易の拠点だった痕跡が・・・・



道教に伝わる航海の女神が祀られた廟には、1カ月燃え続けるという線香が吊されています。

 

ポルトガル領土だった痕跡も・・・

(ポルトガルから運ばれてきた装飾タイル・アズレージョのタイル:民政総社にて)

2011年10月19日水曜日

ライスフィールド Rice field in Kaiping (Canton)


田んぼ・・というより、”ライスフィールド”と呼びたくなる風景です。
広東省開平(カイピン/kaiping)。
この辺りは二毛作。水源が豊かで、畑の中に人口の池を作って田鰻や海老、鯉などを養殖していたりもしているようです。

* * * * * 

広州から南西へ160km。広東省の中南部にある開平市。世界各地に暮らす華僑三千万人、その1割がこの辺りの出身なのだそうです。

広大でのどかな農村に、なにやら似つかわしくない建物ですが、清代中期、社会的な混乱期、防犯と水害へ備えるために楼閣(diaolou)が作られ、清代後期になると、海外に移民となり成功した人達が故郷に送金したり戻ってきて西洋の様式や文明技術を取り入れ建てたものだそうです。
共産党政権成立後は、居住者の殆どが海外に移住したため多くが廃虚になっているそうですが、営みのある一角も・・・。2007年には村落と建物が世界遺産に登録になりました。





赤坎鎮 ( Kaipei in Canton)







同じく開平市の赤坎鎮にある明代からの街並み。
当時は「文化住宅」だった!??

お昼ごはん (Lunch at Kaipei)



「食は広州に在り(食在広州)」なんて言われる広東省の食文化も、その黄金時代は1920年代になってからのことなのだとか。世界各地で成功を収めた華僑たちの冨が反映された時期と重なります。)))

そんなモダンなイメージからはほど遠いですが、開平の家庭料理(写真)です。

この日の定食メニューは・・・ 
・黄鱔飯(ホアンジャンファン) 田鰻の炊き込みごはん
・腐乳炒菜(フゥーツォウツェイ) 白腐乳を使った青菜炒め(空芯菜?)
・蓮根の煮物
・豚肉の照り焼き(揚落花生と共に)
・里芋とずいきの豆豉煮
・青梗菜のスープ
・(写真外)スターアニスの陳皮かけ

一見地味なのですが、コレがどれも本当に美味しい(!)。
日本の家庭料理にも取り入れやすい物ばかりなのに、どこか「この味、出せるかなぁ・・」と思わせる何かがあります。
あの竃でも、こんなお料理が作られていたのでしょうか)))。

*田うなぎは、田の畦、 川や湖沼などで取れるどじょうのような小振りな淡水産の魚。
旬は夏・・らしい。


竃 



開平のちょう楼内にあるキッチンです。中華鍋用の竃が2〜3口ついた竃が・・・。

一夫多妻制が当然だった頃、財力のある家長には、第1婦人、第2、第3、第4婦人・・と、複数の妻がいて、各階をもらって住んでいたようですが、各自自分の台所を持っていたところが面白い。
非常時には、少しでも多くの食事を賄えるようにという配慮でもあったとか。
ヨーロッパから取り寄せたタイルの床(写真下)、当時はさぞやモダンだったのでしょうね。))




壁にお箸が立てかけてありました。
お茶碗と、お箸があれば・・・食事風景までは欧米式とはいかなかったでしょうか。