2018年2月7日水曜日

大学イモ


写真は、「抜絲地瓜」(または「抜絲芋頭」)=さつまいもの飴がらめ/飴がけ。
子供の頃、家族で食べに行った昭和の中華料理屋で、最後に食べるとっておきの一品でした。目の前で飴を絡めて供してくれるプロセスには、大いに胸躍らせたものです。まだ食べたことの無いものだらけだった頃のご馳走。

学校給食のメニューには、この抜絲地瓜とルーツを同じくする素揚げの薩摩芋にシロップを絡め、黒胡麻がふりかけられた「大学芋」というものもありました。こちらもやはり好物でした。

好物にもかかわらず、長いこと、「大学いも」という名前に何の疑問も抱かずにきたのが自分でも不思議です。

さて、なんで大学なんだ? 

大学いもの由来には、大正から昭和にかけて、東京の神田近辺で大学生が好んで食べていたという説、昭和初期に、帝大の学生が学費捻出の為にこれを作って売っていたからという説、大正時代、東大赤門の前で、ふかし芋屋が蜜に絡めたのを売り、これが人気を呼んだ説等々いくつかあるようです。
詳細はさておき、大正〜昭和に普及した志那料理に、この「抜絲地瓜」があったらしいのです。
この頃、西洋列国の植民地にされることなく近代化を遂げた日本には、中国からの留学生が沢山来ていたのでした。彼らは神田〜お茶の水周辺に沢山暮らしていて、横浜とは違う形の「中国人街」であったとか。今でも神田〜お茶の水界隈に中華料理屋さんが多いのは、その名残です。
この辺が発祥で、安くて腹持ちのいいお芋料理が日本の学生に広まったのでしょう。
昭和の中華屋さんのメニューの多くは、この頃確立したもの。天津にもない天津丼なんてものもその中にはありますが(笑)。

この大学いもは、食事の後半にいただく点心。薩摩芋に限らず、山芋の類に蜜を絡めるお料理で、「蜜賤山薬」「山薬糖衣」などと呼ばれる芋料理もありました。胡麻が掛かる所は台湾が発祥といいます。
根菜は、生活感あふれる滋養食。むしろ「大学いも」が「抜絲地瓜」のルーツだったかも?



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