2018年8月4日土曜日

9月の料理教室

暑中お見舞い申し上げます   

暑さたけなわですが、秋に思いを馳せて凌ぎたいもの。。。
私なんて、もう年末のメニューまで考案中です(って、これは流石にちょっとつらいw・・・)。

自宅教室、NHKカルチャー、中国新聞カルチャー、福田公民館のお教室の内容を一挙ご案内致します!
(※福田公民館は年に4回、春夏秋冬の展開で、9月は「秋」版です。)

<自宅教室>
 9月5日(水)
 ※既に満席ですが、キャンセル待ち、承り中です。

  ・翡翠ビシソワーズ
  ・名残野菜と豚肉のマスタード風味
  ・ごはん
  ・南国のデザート
  ・美味しいお茶


 9月8日(土)、9日(日)、15日(土)*

  ・霊芝入り滋養スープ (季節の変わり目に免疫力を高めておきましょう!)
  ・季節の野菜料理
  ・雲白肉片 自家製辣油のソース (豚肉のお料理です)
  ・ごはん
  ・熱冷ましのデザート
  ・美味しいお茶

 
<NHKカルチャー>
 9月12日(水)

  ・潤いスープ
  ・木耳とマコモダケの炒め
  ・ごはんが進む一工夫(中国式)
  ・熱取りデザート(?)
  ※お申し込みは、NHKカルチャー広島へ


<中国新聞カルチャー>
 9月14日(水)

   潤いの薬膳デザート二種
  ・宮廷式 ほんとうの杏仁豆腐
  ・腸から美しくなる潤いデザート
  ・胡麻の花巻&桂花醤(金木犀のソース)
  ※お申し込みは、中国新聞カルチャー・メルパルク教室へ


<福田公民館>

 9月21日(水)

  ・季節のスープ
  ・青椒・如意菜と牛肉の炒め
  ・ごはんが進む一工夫(中国式)
  ・プチデザート&美味しいお茶
  ※お申し込みは、福田公民館へお尋ね下さい。




2018年8月1日水曜日

偉人達の健康診断 〜 勝海舟と徳川慶喜 〜

大河ドラマ『西郷どん』も、丁度勝海舟が出てきたところ。
NHK、やっぱりタイムリーに取り上げてきました。

その切り口は、勝海舟と徳川慶喜、幕府崩壊後、第2の人生の過ごし方。
お二人とも、77歳までアクティブに生きたスーパー老人だったとか。
勝海舟は、持ち前の記憶力で歴史をまとめたり、元幕臣たちの暮らしを時に身銭を切ってサポート。慶喜は、教養人らしく趣味に嵩じる。
勝の脳トレになっていた習慣的行動や、慶喜の健康グルメぶりを紹介するという内容。

健康を切り口にすると、その人の暮らしぶりが滲み出てきて、これまで散々取り上げられた人物でも、鮮度を与えている気がします。

・・・が!
相変わらずなのは、「人生50年」の設定!!

天寿を全うすることなく戦で命を落とす方が多かった戦国の世からずーっと「人生50年」!と言い続け、健康オタクだった家康の75歳を長寿と位置づけている(!)。

ちょっと調べてみると、その前も後も、70歳以上生きた方なんて、ざらにいるのですよ。それを知らない番組制作スタッフではなかろうに・・・と思うのですが、番組構成上、何かと便宜なのでしょうかねえ。

歴史に名前が残る武将たちは、怪我をしたり病気をしたり、ときには自刃に追い込まれたり・・・50未満でこの世を去るものが多かったのは事実ですが、それらを尻目に、生き運・武運逞しく、家康さながらに70、80以上に達した武将も多いのです。
有名処をザッとあげただけでも、下記の通り。

   尼子経久 82歳(1541)
   尼子義久 70歳(1610)
   北条早雲 87歳(1519)
   毛利元就 73歳(1571)
   毛利輝元 72歳(1625)
   島津忠良 75歳(1568)
   島津義弘 84歳(1619)
   宇喜多秀家83歳(1655)
   細川忠興 82歳(1646)
   ちょっと前の大河ドラマにもなった『真田丸』の兄、真田信之は92歳(1658)。
   伊達正宗は70にちょっと足りなかったけれど、50は優に超え68歳(1636)。


大名クラスは、とかく重責ーーーストレスも多いはず。それでも、こんな調子です。
さらに、下級武士や商人にまでターゲットを広げてみると、80歳以上のご長寿が沢山いらしたようなのです。何分庶民の記録は非常に少ないのですが、歴史に名を残した人物の中で捜すと・・・

 最上徳内  
山形県の農家の長男で、寺子屋にも通わせてもらえなかったようですが、下働きをしながら学問を身に付け、大抜擢により蝦夷地調査の荷物持ちで随行。日本の領土問題に大きく貢献した人物です。
きっと、にぎりめしで寒い大地を歩き回ったに違いないのですが、最後は武士に取り立てられ、82歳で没。

 伊能忠敬
最上徳内さんと同じく日本の国土調査に民間から関わった人物。「大日本沿海興地全図」作成に携わった伊能忠敬は、商家のご隠居さんでした。なんと人生50年ならとっくに終わった人生の55歳から日本沿岸の測量を始め、各地を旅して地図に興したのです。
享年73歳。

コンビニも無い時代ですから、行く先々の宿場で用意してもらったにぎりめしを抱えてあちこち歩き回ったことでしょう。一日何品目どころか、漬物と玄米のお握りを連日食べていた可能性も!?? 

この二人に共通しているのは、おそらく健脚。足は第2の心臓ですから、心臓も強かったのかも知れません。
中医診断学的には、心臓や足の筋力がしっかりしていることは、消化器系も丈夫だったと考えられます。粗食でも消化器系の吸収力がしっかりしていれば、食材のもつ栄養を余すこと無く取り入れられ元気でいられるといいます。
そう、栄養の吸収力(率)は、人それぞれなのだ。だから、「一日どれぐらい食べる」論は、あくまで参考ぐらいにしておくほうがよいと、私は思います。

さて、更に調べてみると、百歳越えのご長寿だって居ました!

石田三成の嫡男で、関ヶ原の後出家した石田重家は、103歳!(誕生がハッキリしないため諸説アリ。でも長生きだった!)十代前半でお父さんが関ヶ原敗北。その直後に臨済宗のお坊さんに保護され、剃髪して出家。大河ドラマ「直虎」の「明智光秀の男の子も同様に描かれていましたが、まあ、そんな感じだったと想像します。そもそも血筋を隠して仏門に入れられたのですから、記録が定かではないのもやむなし。

そうそう、時代がちょっと遡りますが、私世代はアニメで親しんだ「一休さん」も、90歳近くまで生きていたのでした。
統計がないので何とも言えませんが、もし、お坊さんに長生きが多いとしたら、精進料理は長生きの秘訣〜なんて話になりそうです。
昨今は「お年寄りも肉(動物性タンパク質)を食べなさい」と言われていますが。あるいは、実は、生臭坊主が多かったというオチか!??(破天荒坊主の一休さんは、その可能性も大!?)

茶人にも沢山70歳越えがいます。
惜しくも秀吉に切腹させられた千利休は69歳でしたが、もっと生きられたはず。
古田織部は71歳、今井宗久73歳。時代は遡りますが『喫茶養生記』をまとめた栄西、74歳、江戸期に入ってお煎茶を広めた売茶翁も87歳。

こうしてみると、栄養事情の善し悪しって、(極端なものを除いて)あまり関係無かったのでは!??という疑問も湧いてきます。)))

おっと、例によって、すっかりテーマから脱線してしまいました。


勝海舟と慶喜の健康長寿(77歳は長寿ってほどでもない・・と言いたいが)の秘訣は、
勝さん、訪問者と雑談をしながら書を書く。多いときにはその数月7百枚。
この“デュラルタスク”(一度に2つのことをする)は、前頭前野が活性化して非常によい脳トレなのだそう。
勝さんの自慢の記憶力は、こうして保たれていたのでは?という話。
一方、慶喜さんは、無類の豚肉好きであり、和食+豚肉の組み合わせで、豚肉の含むビタミンB1、アルブミン効果で、スリムな体と免疫力UPの健康食になっていた!という話。

あれぇ〜〜、やっぱりお肉がいいのかなー??

現時点での私の答えは・・・

いえいえ、人それぞれだわさ。

食べないより、食べる方がいい。栄養は、足りないのも過剰なのも良くないけど、何がどうその人のためになっているかは、人によって違うのではないでしょうか?
ただ、現代みたいな、本来食べものではないものが食べものに添加されていたり、自然界のバランスを越えた砂糖や油脂の量が日々摂取されていたり、また不思議な加工方法だったりしないことには、留意しておきたい。

勝海舟も、脳トレと思ってやっていたのではなく、「コレ(書)を売って多少のお金にしとくれ」(元幕府No2で人気モノの勝さんの書は高値で売れたらしい!)と、手土産代わりに書いていたのだし、慶喜さんもきっと、ビタミンBの存在なんて知らず(まだこの頃は脚気の原因も解っていない!)、薩摩の黒豚(たぶん?)好きだったにすぎません。水戸藩は井伊家(近江)からの近江牛も食べていたようですから、お肉には慣れ親しんだ家系ですw。

ともあれ、激動の時代を77歳まで、時代に翻弄されながらもしっかりと生き、歴史を築かれたお二人。賞賛に値する77年ではありませんか。 





2018年7月31日火曜日

辰巳芳子『サワコの朝』より

『サワコの朝』に、辰巳芳子。

「料理研究家」と、ざっくり言われがちですが、作家で生活史研究家の阿古真理さんの辰巳芳子評を借りるなら、
「食の思想家 辰巳芳子。どんなレシピを提供するかより、どんな発言をするかで注目を集める人。食を入り口に、人の生き方、社会のあり方まで視野を広げて発言する人。」

新しいレシピや作り方、献立のアイディアを生み出すところで勝負する人ではない。わずか30分足らずのトークの中でも、そのことが顕著に出ています。

(サワコ持参のしいたけスープについて)
「こういう味のものを作ろうと思わないこと。食材(この日はしいたけ)の命をどのように、損なわないで頂けるか。そういうことなんだ(!)」
「シイタケ、ふかした方が、ごきげんがいいな〜」と・・。他人と違うオリジナリティーを作ろうなどということは要らない。何をどのように食べたらいいかということを、もっと根本的に考え無ければいけない」



新しい料理の作り方や献立のアイディアが巷に溢れる昨今。
いろんな方々の智恵やアイディアへのアクセスもぐっと簡単になった。

   ・・・で、料理は美味しくなっていってるのか?
   進化しているのか??
   健康的になってきたのか????

   日々違う料理を作ったり、食べたりすることは必要なのか???
   作って見たい料理、食べてみたい料理は増えたか??

大いに疑問が湧く現世に、この方の言葉がグッと響きます。


   豊かな食卓  貧しい食卓

   異国情緒溢れる豪華な食卓イコール豊かな食卓なのか?
   孤食、買ってきた総菜、コンビニ弁当などの「製品」の食事が、貧しい食卓なのか?

90歳を過ぎて今尚、社会の変化に敏感に、食と社会の関係を捉えて発言を続けておられます。いや、1世紀近くを生きてこられたからこそ、物事の推移が捉えられるのかもしれません。
いろんな価値観に触れ、ご馳走や贅沢も知り、また戦争体験も。。。
特に、戦争体験というのは、あらゆる物事の本質を掴むセンサーを育てるのでしょう。

「食べることは生きること」という根本から、離れつつある所もある昨今、食の安全や食生活の大切さをなおざりにしない取り組みが大切になっていると確信します。 

一見難しく聞こえるかも知れませんが、その答えも、シンプルに
「食材と対話すること。まずどんな食材かを理解し、その上で、法則に叶った入れ方をする」
・・・と。

辰巳先生談の中で僭越ですが、「自分の体との対話」も、ココに加えたいところです。
体は正直で、良くないモノ、意味の無いモノは、とかく「飽きる」(または、麻薬的にアディクティブになってしまう!?)ように出来ている気がするのです。


「薬膳」とか「アーユルベーダ」「ヨーガ」とか「マクロビ」とか、「フレンチ」「イタリアン」「チャイニーズ」「和食」・・・巷に展開している様々な食と健康のアプローチ。どんな切り口であっても、本質のところをしっかり踏まえることの大切さを、しみじみ考えさせられる今日この頃です。

せわしない時代。急がば回れの「根本に帰る」思考を唱える辰巳先生でした。






2018年7月16日月曜日

白干し




“五月蝉聲送麥秋”
(ごがつのせみのこえはばくしゆうをおくる)

陰暦の五月になると、蝉が鳴きはじめて、
過ぎゆく麦秋(陰暦四月)の季節を見送っている様だ。
初夏から盛夏への季節の移り変りをうたう。
蝉、麦秋、梅雨明け、梅干し、紫蘇と時間差を感じる言葉達。
旧暦に43日前後を足すと新暦になる為か。
紫蘇と云えば青、赤ジソがお馴じみ。
共に整腸、抗菌、防腐、健胃、鎮咳、発汗と良い事づくめです。
三国時代曹操の侍医だった、華佗が瀕死の若者に紫の薬草を与えて蘇えられた
故事によるものとな。

*  *  *  *  *  *

竹爐山房 山本豊シェフが、月替わりでHPに掲げている漢詩の抜粋と解説です。

「紫の薬草」紫蘇で、お薬として中国大陸から伝わった梅を漬ける。
梅干しが赤いのは、色付けのためだけでは無かったのでは???
そんな気がしてきます。

紫蘇を使わない梅干し。なんだか薬効果半減で、残念に思われるかもしれませんが、素材そのものの風味にこだわってしまう自分に、どうしようもなく「日本人」を感じます。

華陀は、日本でいえば弥生時代のお医者様。この時代に麻酔薬まで編み出していたといいます。歴史に残る名医の逸話は数知れず。『三国志演義』と共に語り継がれているようです。
曹操は、身分を問わず能力の高い人材を重用したり、武勇、知略に長けた武将ということで、ヒール役ながら人気の人物。ジョン・ウー(呉宇森)監督の映画『レッドクリフ』では、チャン・フォンイー(張豊毅)が好演していました。

その曹操の主治医華陀。世は戦国時代、外科治療に携わることが多かったことでしょう。麻酔薬「麻沸散」が生まれた背景は想像に難くないです。
曹操の持病の頭痛を「頭を開いて治療しましょう!」と曹操に進言し、怒りを買った(当時の認識では、頭を開くなんて「死ね」と言うのと同じ!)逸話も有名です。
また、関羽の右腕に刺さった毒矢の毒抜き(トリカブトの毒だったそう)に骨を削ったなーんて話は「ほんまかいな??」ですが、きっと麻酔薬を使って深くメス(?)を入れるような、なんらかの外科手術をしたのでしょう。
その他、寄生虫の虫下しとか、堕胎薬とか、華陀は様々な名薬を生み出していたようですが、「麻沸散」を始め、数々の処方は、華陀自らの手で焼かれてしまって残っていないそうです。あ〜〜)))。
それでも、千年の年月を経て華陀の名前やお薬が日本にまで届いているのだから、いや、すごい。

ああ。。。華陀さんにあやかり紫蘇漬けにしたくなってきました。
もとい、誘惑を抑え、自分の中の日本人をあたためるぜぃ。

たかが数十粒の梅に、そんな思いを馳せる土用入り前の今日この頃。

私の頭、暑さにやられたかな。






2018年7月10日火曜日

教室はあります!



この度の大雨の影響、まだまだ続きそうです。
交通の不自由はもちろん、それに準じて流通の滞りも多く見られます。

明日のNHKカルチャー、今週末の「大人食堂」、来週の「奈良漬け教室」、予定通り決行致します!!

なんだかとっても不思議なのですが、日曜日に白瓜が届き、今日はお江戸から鰹節が届き・・・あちこちの道路が遮断されているという情報が飛び交っている中、ぼちぼち予定通りに届く宅急便、魔女が届けてくれているのでは??(ジブリの見過ぎかw)
・・・と、思ったりして。

今日は、県境の柿の木村からとれとれのお野菜をゲットすることができました。
明日のカルチャーでは、新鮮なお野菜を味わって頂けそうで、ホッとしています。

いろいろあるさ。生きていれば。
その時、その時、できることを精一杯。

生産者さんも、それを使わせていただく側も、そんな気持ちで食材に向き合えたらと思います。
白瓜〜





2018年7月5日木曜日

偉人達の健康診断 〜空海〜

万能の天才、日本のレオナルド・ダ・ビンチ(!?)空海。
宗教的天才で、字が上手くて、土木工事においても知識が豊富で、美術にも造詣が深かったのだとか。要するに、当時の最先端化学者であり、宗教家である。

外国文化を持ってきてそこから文化を作るというのが日本の文化。遣隋使、遣唐使は、その要ともいえる役割を担っていた。

空海は、その遣唐使として唐に渡り、都である長安で、密教の最高権威である恵果阿闍梨に伝承者として選ばれ、日本に帰り、真言宗の開祖となる。

ざっくりと言ってしまえばこうなるのですが、番組では、まず、遣唐使として中国に渡る旅に着眼します。

無事大陸に渡れる能力と体力、そして運もさることながら、唐の都にたどり着くまでの旅、そこでの学びや見聞を吸収する力、さらにそれを持ち帰り展開させる力。
これらの非凡な能力の源流をさぐっていきます。

1)遣唐使船での船酔いの巻

空海が遣唐使として派遣されたのは、空海31歳の時。
今なら、飛行機で2時間、船で2日のところですが、当時の小さな船(全長30m程だったとか)で、東シナ海の大波に揺られ揺られて、博多から福州まで1カ月掛かって命がけの旅。
空海は、船酔いしていなかったのでは?という説があるようです。

嵐に見舞われた船先に不動明大王像を括り付け、祈り続けた行為は、意識を一点に集中させることによるプラセボ効果*を狙ったのでは?との分析も!?
また、医学的な知識がある空海は、生姜を使っていたかもしれないようです。
日本最古の医学書『医心方』には「吐き気には生姜を多食するとよい。生姜は吐き気の聖薬である」と記載されているそうです。
現代の乗り物酔いの薬に含まれる抗ヒスタミン。嘔吐中枢を刺激して吐き気を抑える作用がありますが、生姜に含まれるシンゲロールには、自律神経を調え吐き気を抑える抗ヒスタミンの効果があったのです。

船ごと難破するほどの荒波で、プラセボ効果や生姜にどれほどの効力があったか怪しいところですが、空海をはじめ遣唐使として指名を全うできた人達が、これらを乗り越え福州までたどり着く強靱な体力の持ち主であったことは確かです。


2)類希な語学力

恵果阿闍梨に伝承者として選ばれた理由。それは、サンスクリット語も中国語も全て受けとめられる語学センスだったそうです。
空海が生まれた当時の香川県には、渡来人が沢山やって来ており、空海は、幼い頃から中国語や韓国語が飛び交う環境に育ったというのです。中国語を文学としていた当時の日本で、外国語は文字で学ぶものでしたが、空海は、そんな環境で外国語を聞き分ける耳を育んでいたのでしょう。
彼の文才が学問の賜物であることは疑いもないことなのですが、この+α が、文化の習得に拍車をかけたことは、想像に難くない。通訳を解さずに直接"取材"できることで、より物事の核心に近付けるということが出来たでしょう。

空海の語学力は、健康には直接関係ありませんが、バイリンガルで使う脳は、アルツハイマーなどの病気になってしまうのを先延ばしにしてくれるのだとか。
時々外国語で物事を考えてみるのは、ボケ予防には良いのかも知れません。


3)空海うつ病説→うつの克服には「運動療法」

まじめで、責任感が強く、勤勉。こういった性格の人は、ウツになりやすいといいますが、空海もまた、そんな気質の1人。自ら「もうすぐ死ぬから」「長くは生きられないから」といった言葉を残しながらも、短期で回復している空海。具体的に病気があった訳ではなく、心の病だったーー心身症が出ていたーーと、『空海に出会った精神科医』の著者、保坂隆先生は分析しています。
でも、高野山での修行や京都への往復等々、高野山の原生林の中を歩きまわり、山歩きが心の病の克服に繋がった(!)。先生は、そうみているのだそうです。


以上3つが、この番組で空海を紹介する切り口でしたが、何より、私はとにかくこの時代に興味津々!! 

唐は、紛れもなく、世界最高峰の文化を持つ国でした。
遣唐使を含め、世界各地から唐を訪れた人達が、どんな旅をしてきたのか。
何を見聞し、何を考え、どう行動したのかーーー。

たまらないロマンです。

空海 享年61歳。類希なキャッチ力と叡智で、濃い中国体験をし、日本に多くの文化をもたらしたのですねえ)))。


余談:
春に公開された映画『空海-KU-KAI-』〜美しき王妃の謎〜で、空海が訪れた唐は、楊貴妃〜玄宗帝時代から50年後。詩人、白楽天(白居易)との交流を描いていました。
白楽天とは2つ違い。衰退していく唐が一時的に盛り返している時です。(14代憲帝の時代)




2018年7月4日水曜日

「大人食堂」

トムヤンクンに必須のバイマックルー(コブミカンの葉):Tさん栽培

大人だって、主婦だって、たまには誰かに作ってもらって、ゆっくり食べたい。

里帰りがそんな願望を満たしてくれているという方もいらっしゃるかもしれません。
自分を育んだ母の味は、DNAに組み込まれているのか、体が喜んでいるのを感じるでしょう。
団塊2世あたりからは、「母の味は○○(食品メーカー)の味」なんて時代になっちゃっているのかも知れませんが。

私は両親が共に仕事を持っていたため、母の味ではなく祖母の味で育ちました。
なので、残念ながら、里帰りで満たされる体験は、とても短かった気がします。
でも、祖母の料理は、「○○のタレ」とか「○○の素」といった便利なモノが無い時代の料理なので、華はないけれど、味付けには独特の個性があったように思います。
市販のものやお総菜では、なかなか満たされない舌が育ってしまったのでした。

おっと、冒頭から話のて逸れてしまいました。「祖母の味」については、後日。今日は、「母の味」以前のお話、大人の充電食についてです。

いつも家族の食事のことを考えながら日々を送っていると、御飯のことを考えないですむことがちょっとした息抜きに、更にもし作らなくてもいいなら至極の休日になる。
コレ、主婦共通の心情だと思います。

私は料理好きな方ですが、それでも外食などすると「あ〜楽チン!」、旅行などすると、「あ〜極楽!」と思いますし、普段と異なる味付けは、自分の味付けを客観的にみるきっかけにもなったりもして新鮮です。

そう! 他所のお料理(食品メーカーの味ではないものですよ)というのは、新鮮な気持ちにしてくれるのです。パーティー料理のような非日常ではなく、他人に作ってもらった普段着のお料理をちょっといろいろ美味しく食べられる機会がつくれたら)))。
そんな発想から「大人食堂」を企画してみました。

今回は、タイハーブ栽培のTさんから、フレッシュハーブをご提供いただけるとのことで、
究極のトムヤンクンやタイカレーなどをベースに、ちょっとアジアンな家庭料理の食卓に。
・・・あ、ちょっとパーティーっぽいですね(^^;).
暑気払いパーティーになっちゃうかな?

  2018年7月14日(土) 11:00〜15:00

   ・タイ風サラダ
   ・生ハーブのトムヤンクン
   ・夏野菜の揚げ浸し、または蒸し料理 
   ・シンガポール風チリ
   ・スリランカ風ポテトカリー
   ・タイカレー
   ・バスマティライス(緑豆入り)
   ・自家製ジンジャーエールか梅ソーダ
   ・フルーツバスケット
   ・おいしいお茶
      ・・・・等々