土鍋は、モロッコのタジンにも似てますね・・。
展示品、及び閲覧可能な範囲は、当時のほんの一部らしいのですが「炊き出し」サイズのこのお鍋達を使って千人あまりの料理人が働いていたそうです。
壁に掛かっている当時の食事模様を描いた絵には、大皿料理が続々と運ばれ並んでいる様子が・・・。
料理を振る舞うことは、その人の徳が上がるということ。
そういう考え方が、イスラムの教えにはあるのだそうです。
イスラム文化圏に限らず、食べ物を豊富に供給できる財力、民を養う力があうことが、世界のどこの歴史を鑑みてもずーっと指導者たる人物の絶対条件であったはずなのだけれど、昨今は、いかがなものでしょう???
戦争をして、民を飢えさせているようでは、風上にもおけませんな。
トルコ料理が何故世界三大料理のひとつと言われるのか。
その疑問をあちこちのトルコ人に投げかけてみました。
この後訪れたコンヤ県で博物館の総館長であり考古学者でもあるヌレッテン氏のコメントは、こうだ。
トルコという国は、最盛期には世界の1/3がその領土にあった。そんな中で、料理人もいろんな地方や民族からの貢ぎ物として連れてこられ、多民族の食文化を取り入れてきたと同時に、広めてきた。強大な国になっていく過程において、食は欠かせないものだったのだ。
私:フランス革命のときのように、オスマン朝の崩壊で、宮廷料理人が分散し、庶民にも宮廷料理がひろまった・・・なんてことはないのでしょうか?
ヌレッテン氏:オスマン朝の厨房では、料理人は徹底した分業であったこと、また、スルタンは、要の料理人も連れて亡命したこと、さらに、オスマン朝時代の料理記録はオスマン語=アラビア語で書かれていた為、料理長クラスの人間以外は読める職人もいなかったことなどを上げ、ゆるやかに否定された。
多民族に受け入れられた食を構築したことも、かつて強国となった所以かもしれません。
氏のお話を伺っているうちに、料理人と食事を大切にしたオスマン朝が浮かび上がってきたゾ。
オスマン軍の軍隊には、鍋を持った炊き出し隊がいたことなどを聞き、このお鍋を見入っては、トルコの胃袋パワーを想像するのでありました。
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